第5章 第1節 遮光の場(第2項)
庭園の低木が、赤や黄色の蕾を見せ、
葉の緑が濃くなる夏の始まり。
わたしは日陰の庭で、
朝露に濡れたテーブルと椅子を拭く。
テーブルの天板には、
青のガラス石に仕切られ埋め込まれた石が、
赤・黒・褐色と3色に分かれている。
半透明の石の奥に、別の円模様が見えた。
――ネルタの図柄かしら。
石の奥にある二つの円模様を指で辿り、
上体を乗せて見る角度を変えた。
すると庭には居ないはずの人物に見られて、
わたしは身体が硬直するほど驚いた。
「あ、お…おはよう…。」
「おう。」
濃い肌の大男、グルグスが近くに立つ。
不慣れで短い挨拶を交わす。
彼は倉庫から長い2本の棒を運んで来ると、
庭にある穴に深く挿して立てる。
「ニクス、こっち、手伝って。」
スーの声のする上の方を見た。
彼女が立っている2階の部屋は、
倉庫を兼ねたフランジの休憩室。
その部屋の前の外廊下には、
大人二人分ほどの大きさの、
幅広の黒い布が丸められている。
「布の端のロープを取って。
巻いてある外側の短い方ね。
ニクスはそっちを手摺に縛り付けて。」
スーを真似して、
布の端から出ている短いロープを、
手摺の柱の上部に縛った。
彼女はわたしの結び目を確認してから、
もう一度固く縛る。
「解けたら落ちて危ないからね。
もう一方の内側にある束ねたロープは、
解いてから手摺にこう巻き付けて。
難しいから見ててね。」
スーは、手にしたロープの端を
手摺に絡めていく。
ロープを結ぶわけではなかった。
スーのロープの完成形を覚え、
ロープを手摺とのあいだに
差し込んで真似する。
「これであってる?」
「あってるよ。
そのロープを引っ張ったら、
踏んで抑えてね。
この布をここから1階に降ろすよ。
身体ごと落ちないように、慎重にね。」
巻かれた黒い布は重たいけれど、
二人掛かりで持ち上げられる重量だった。
ロープを踏む力を緩めると、
黒い布は自重と摩擦を受け、
手摺を滑りながら降りていく。
「この方法だと、
落ちて引っ張られたりもしないんだね。」
黒い布が地面に転がると、
内側の白い布が広がる。
表裏色違いの布を地面まで降ろし、
布を追ってわたし達は1階に下りた。
「庭に屋根を作るんだね?
雨が降るから?」
白い布の表面は蝋が塗られて艶がある。
見上げた空は雲一つなく、
雨が降る様子はない。
「サンサの予想では、今日は晴れだね。
春先はいいけど、
夏は日陰が短くなって暑いし、
光素が肌を焼くからね。
これは天蓋っていう庭園用の遮光布ね。」
夏になれば太陽の位置が高くなる。
建物が作る日陰は短くなり、
カーテンの役割をする
遮光布の用意が必要になった。
スーは、1階の面談室になっている
掃除道具置き場から、板を引き摺り出した。
板の両端には蝶番で梯子が折り重ねられ、
鉄の棒で本体を固定すれば自立する。
「これも馬って呼ぶの?」
「これは脚立だよ。
カヴァで作られた物だからね。」
「これ、カヴァの道具なんだ。」
「食器とかも、お客さん向けには
カヴァの物を使ってるよね。
カヴァは職人が多いから、
わざわざ仕入れてるんだって。
食堂で使ってるのはオーブの物だね。」
「あれも職人が作ってるの?」
「みんなしてよく壊すから、
オーナーの妹のドロシアが、
市場で買ってくるそうだよ。」
納得がいって首を縦に振った。
2階の手摺から吊るした
天蓋と呼んだ遮光布を、
テーブルと椅子の上に被せる。
脚立の上に立ったスーは、
大男のグルグスに並ぶほどの長身で
わたしを見下ろす。
「このロープを、こう。
この窪みに引っ掛けて。」
スーはロープを引っ張って上に投げ、
グルグスが立てた棒、
柱の上の窪みに掛けた。
「で、この横に刺さってる
杭に掛けて、はい終わり。」
彼女はロープを固く複雑に縛る。
「難しくないから、ニクスもやってみて。」
脚立がもう一方の柱の前に置かれ、
ロープを取ってわたしはその上に乗る。
視点が高くなると、
庭園の低木も上の方までよく見える。
手にしたロープの端を持つと、
布の重さで身体が引っ張られた。
脚立から落ちそうになって、
細い柱に寄り掛かっても、
グルグスに深く刺された柱は揺らがない。
柱の上に設けられた窪みに向かって、
重いロープを投げてみる。
勢いの無いロープは柱の上にも届かず、
スーのように1回で窪みに入らない。
反動で手首が痛い。
「これ、難しいよ。」
「1回やってすぐに出来るものでもないよ。
こういうのは勉強と同じで、
何度も繰り返して身体で覚えるんだよ。
あとは要点を見極めて、
動作を絞ることだね。
左手でロープと柱を握って、
右手で掛けるロープは、
短く持ってみたら?
ロープが掛かる時を想像して。」
「…やってみる。」
スーの助言に従ってロープを短く持つと、
柱と布は一定の高さで固定されていて、
簡単に柱の窪みに掛かった。
「出来たっ!」
「そのロープは胸に寄せて、
抱えながら膝を曲げてみて。
体重を掛けると腕も疲れないよ。」
腕の力で天蓋を引かなくても、
腰を落とせばロープに体重が乗って、
布は軽く引っ張り上げるられる。
「ニクスは理解と習得が早いね。」
「スーの教え方が巧いんだよ。」
「そう言ってくれたのは
ニクスが初めてだよ。
巧言はボナに教わったの?」
わたしは首を横に振って、
黙ったままロープを杭に掛けて巻く。
「最後にロープを縛れば完成だね。」
完成した天蓋の左右を見比べると、
スーの張った東側は弛みがない。
わたしの張った西側のロープは弛んでいる。
「これでいいの? おかしいよね?」
張り方にわたしの貧弱さが顕れる。
「固く縛ってあれば問題ないよ。
最初から完璧を望むのは贅沢だもんね。
緑に光素を与える為に、
休養日や来客のない日は外すから、
何度かやれば身体が覚えていくよ。
それよりも、布を降ろそうとして
手摺から誤って落ちたり、
脚立から落ちたりしないようにね。」
「…分かった。」
日光が当たる上側は白い布面で、
光素を反射させて熱を防ぐ。
裏面には黒色の布を張ることで、
地面から反射する光素を吸収する。
天蓋の下に入ると、昼でも暗く感じる。
「もう終わったのか?」
「あ、ファウナ?」
黒髪のフランジ、ファウナが
椅子を両手にして庭まで持ってきた。
「はー、疲れた。疲れた。
ここは涼しいねぇ。」
持ってきた椅子を天蓋の下に置いて、
ファウナは客用の南側に座った。
「ファウナが今日の客?
認証管理のお仕事は?」
「補佐な。」
彼女は肩書きへの拘りが強い。
「今日はセセラとポワンが、
認証管理を代わってるんだって。」
「好奇心の塊のセセラだからな。
さぁ、今日は私を
丁重に歓待するんだぞ。」
腕を組んでテーブルに突っ伏する
ファウナの頭に、トレイが乗せられた。
「ほら、ファウナ。
庭に座るのなら、ニクスに倣って
背筋を伸ばしなさい。
これを落としたら、あなたの分は
この先ずっと無しになるわよ。」
サンサが黒猫のアルと
白猫のイオスを引き連れて、
厨房から庭にやってきた。
トレイの上のお皿に盛られたお菓子。
ファウナは頭に乗せられたトレイを手に、
わたしを見ると胸を張ってから
溜め息を吐いて見せる。
「酷いね。サンサはさぁ。
わたしを右の手のように扱き使う。」
「騒がしい右の手ね。
お菓子が嫌いなのかしら?」
「ご期待に添えず残念だけど、
これは私の大好物。
だって私の仕事って、
糖分が大事なんだろ。」
「お客さんが来るまでは、
食べてはダメよ。こら。」
それでも食べたのはスーで、
ファウナも負けじとお菓子を手にして
二つも口に入れた。
「躾のなってないフランジの、
責任者はニクスだったかしら。」
スーとファウナはお菓子を食べながら、
サンサの言葉に同意している。
呆れるサンサは、
北側のいつもの椅子に座った。
彼女の黒髪は天蓋の下で、
さらに暗くなって見える。
アルもいつもの西側の椅子に、
イオスの首元を噛んで跳び乗った。
「ラッガが元気でなによりだ。」
「その子はラッガではなくて
イオスだよ、ファウナ。」
「新入りのおかげだな。」
「わたしはなにもしてないから、
礼はアルに言わないと。」
「素直に受け取ってもいいんだよ。」
スーの手から、
お菓子がわたしの口に運ばれる。
金色のお菓子は、香ばしい匂いと
甘く濃い匂いが鼻腔を蕩かす。
「…ありがと。」
「あはは。
新入りがスーにお礼を言ってる。」
噛むと歯応えを感じさせない柔らかさで、
乾燥させたバイテスの果実が、
口の中でお菓子と混ざり合う。
「おいしい。
これ、サンサが作ったの?」
「まさか。
わたしくらいこの館に長く居て、
無駄に偉くなると、ヤゴウ達に
ちょっと頼めば作って貰えるのよ。」
――自慢なのかしら? 自虐ではなくて。
「サンサは厨房に立ち入り禁止だもんね。」
「新入りにとっては、
『戒め』のサンサだな。」
「サンサってミュパを目指してるの?
それとも逆?」
「ミュパはあれで良いのよ。」
戒めの二つ名を持つミュパは小柄で、
濃い肌をした幼顔のドレイプ。
落ち着きの無いひとなので、
勉強室でもよく目立った。
農休みの日には、
わたしとレナタを舞踏室に引っ張り、
酔って床で寝ていた。
サンサは、お菓子を食べるスーや
ファウナを見て、一人で頷く。
わたしがお菓子をもう一つ摘むと、
彼女は視線をこちらに向けて口角を上げる。
――ぐぅっ…。
サンサの企み通りに動かされた気がする。
お菓子を口に含むと、唾液が湧き出て、
舌の上に仄かな甘さが広がる。
バターを贅沢に使った柔らかさ。
ジュースを飲まなくても、
口の中ですぐに溶けて喉に流れた。
悔しさや恥ずかしさも、
お菓子の味と共に溶けていった。
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