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金貨の娘  作者: 美穂
序章 婚星の路

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序章 第2節 薬理の謀

この館(やかた)は外(がい)界(かい)から隔(かく)離(り)された場(ば)所(しょ)。



赤(あか)土(つち)の丘(おか)に建(た)つ、白(はく)亜(あ)の館(やかた)。



館(やかた)を囲(かこ)う塀(へい)の先(さき)は、鉄(てつ)の棘(とげ)に覆(おお)われている。



館(やかた)の中(なか)に用(よう)意(い)された娼(しょう)婦(ふ)の部屋(へや)には、

金(きん)の飾(かざ)り紐(ひも)の付(つ)いた分(ぶ)厚(あつ)い遮(しゃ)光(こう)カーテンが、

明(あか)るい昼(ひる)であっても夜(よる)の闇(やみ)で覆(おお)い隠(かく)す。



挿絵(By みてみん)



男(だん)女(じょ)が肌(はだ)を重(かさ)ねる為(ため)の娼(しょう)館(かん)。



それが『夜(よる)の館(やかた)』の姿(すがた)だった。



わたしの手(て)には精(せい)液(えき)の入(はい)った山羊(やぎ)の膀(ぼう)胱(こう)が、

縫(ぬ)い付(つ)けられた紐(ひも)で吊(つ)り下(さ)がっている。



精(せい)液(えき)がどんな物(ぶっ)質(しつ)の液(えき)体(たい)か、

わたしは見(み)た経(けい)験(けん)がない。



精(せい)液(えき)は尿(にょう)と同(おな)じく、

男(おとこ)の尿(にょう)道(どう)から排(はい)出(しゅつ)される。



鳥(ちょう)類(るい)学(がく)でいう総(そう)排(は)泄(せつ)腔(こう)と同(どう)様(よう)に、

汚(きたな)いものという所(しょ)感(かん)があった。



それでも見(み)たいと思(おも)う欲(よく)が湧(わ)き、

放(ほう)棄(き)したくてもすぐに手(て)放(ばな)せない。



――拾(ひろ)い集(あつ)める仕(し)事(ごと)を任(まか)されたのだから、

  中(なか)身(み)の確(かく)認(にん)も必(ひつ)要(よう)かもしれない。



心(こころ)の中(なか)で自(じ)分(ぶん)を説(せっ)得(とく)すると、

山羊(やぎ)の膀(ぼう)胱(こう)に縫(ぬ)われた赤(あか)い紐(ひも)を、

わたしは両(りょう)手(て)で掴(つか)んでいた。



するとブラシを持(も)って浴(よく)槽(そう)に入(はい)ったスーが

わたしに声(こえ)を掛(か)けてきた。



「中(なか)身(み)は確(かく)認(にん)する必(ひつ)要(よう)ないよ。


 でも、零(こぼ)さないように

 紐(ひも)を持(も)って縛(しば)ってね。」



――これもニースだわ。



理(り)性(せい)が欲(よく)に負(ま)けたわたしを、

スーは愚(おろ)かに思(おも)ったに違(ちが)いない。



「春(はる)に入(はい)ったウラって子(こ)が、

 風邪(かぜ)を拗(こじ)らせちゃったから。」



「そのお手伝(てつだ)いでしょ。」



説(せつ)明(めい)されなくても、

わたしも事(じ)情(じょう)を聞(き)いている。



わたしが不(ふ)満(まん)を見(み)せていたせいで、

スーに同(おな)じことを言(い)わせてしまった。



「メノーもレナタも大(たい)変(へん)だからね。」



二人(ふたり)は病(びょう)院(いん)から知(し)らせを受(う)けて、

急(いそ)いで病(びょう)院(いん)へと向(む)かった。



サンサから後(あと)の仕(し)事(ごと)を押(お)し付(つ)けられた

スーとわたしは、こうして

メノーの部屋(へや)の掃(そう)除(じ)にやってきた。



娼(しょう)館(かん)には当(とう)然(ぜん)、娼(しょう)婦(ふ)が居(い)る。



娼(しょう)婦(ふ)が居(い)なければ、その館(やかた)は娼(しょう)館(かん)ではない。



――ドレイプを娼(しょう)婦(ふ)とは呼(よ)ばないのに、

  仕(し)事(ごと)内(ない)容(よう)は娼(しょう)館(かん)と同(おな)じなのよね。



夜(よる)の館(やかた)では娼(しょう)婦(ふ)をドレイプと呼(よ)び、

その手伝(てつだ)い役(やく)をフランジと呼(よ)ぶ。



ドレイプとフランジは、

カーテンの組(く)み合(あ)わせ。



ドレイプはカーテンの布(ぬの)が作(つく)る皺(しわ)で、

フランジはその飾(かざ)り紐(ひも)を意(い)味(み)している。



布の皺(ドレイプ)と飾り紐(フランジ)。



どちらかが欠(か)けてしまっては、

カーテンは機(き)能(のう)と品(ひん)格(かく)を失(うしな)い、

ただの張(は)られた布(ぬの)になってしまう。



陽(ひ)の光(ひかり)を拒(こば)む『夜(よる)の館(やかた)』独(どく)自(じ)の役(やく)職(しょく)名(めい)で、

この街(まち)では広(ひろ)く知(し)られているらしい。



――分(ぶん)水(すい)街(がい)は国(くに)でなければ

  どこかの領(りょう)地(ち)でもないなんて。



――この街(まち)こそ、ニースだわ…。



わたしは自(じ)分(ぶん)の知(ち)識(しき)にある、

『おかしなこと』を確(かく)認(にん)して頷(うなず)いた。



メノーは1番(ばん)部屋(べや)に居(い)る人(にん)気(き)の娼(しょう)婦(ふ)、

ドレイプで、彼(かの)女(じょ)はサンサと仲(なか)が良(よ)くて、

新(しん)入(い)りのわたしも気(き)にかけて貰(もら)った。



この部屋(へや)の主(あるじ)であり、モザイク画(が)の人(じん)物(ぶつ)。



彼(かの)女(じょ)の手伝(てつだ)い役(やく)、フランジのレナタは

この館(やかた)で最(さい)年(ねん)少(しょう)なのに実(じっ)直(ちょく)で、

館(やかた)の仕(し)事(ごと)を知(し)り尽(つ)くしている。



館(やかた)での日(ひ)々(び)の仕(し)事(ごと)は同(どう)室(しつ)のスーよりも、

彼(かの)女(じょ)に教(おそ)わったことの方(ほう)が多(おお)い。



豊(ゆた)かな銀(ぎん)髪(ぱつ)が羊(よう)毛(もう)にも見(み)える10歳(さい)の少(しょう)女(じょ)。



わたしより年(とし)下(した)で、こんな館(やかた)に居(い)る

彼(かの)女(じょ)の手(て)助(だす)けができるのであれば、

可(か)能(のう)な限(かぎ)り手伝(てつだ)いたいとは思(おも)っている。



でも、わたしにできることは少(すく)ない。



床(ゆか)やベッドに落(お)ちている袋(ふくろ)を拾(ひろ)った。



床(ゆか)に散(ち)った花(はな)びらを避(よ)け、

目(もく)的(てき)の袋(ふくろ)を探(さが)していると、

聞(き)き覚(おぼ)えのある歌(うた)が耳(みみ)を撫(な)でる。



浴(よく)槽(そう)を擦(こす)るブラシの音(おと)で、

掻(か)き消(け)される鼻(はな)歌(うた)。



スーの姿(すがた)は浴(よく)槽(そう)の中(なか)に収(おさ)まって隠(かく)れている。



「ねぇスー。

 それってなんて歌(うた)?」



ベッドの上(うえ)に膝(ひざ)立(だ)ててわたしは訊(たず)ねると、

クッションの脇(わき)にも袋(ふくろ)が落(お)ちている。



「んー。流(なが)れ星(ぼし)の歌(うた)だよ。」



初(はじ)めて会(あ)った日(ひ)も、彼(かの)女(じょ)はこの詩(し)を

気(き)持(も)ちよく歌(うた)っていた。



それが鼻(はな)歌(うた)だったので気(き)付(づ)かなかった。



この街(まち)は歌(うた)に満(み)ちている。



「歌(うた)いましょうか? お姫(ひめ)様(さま)。」



「うん。歌(うた)って。聴(き)きたい。」



スーが呼(よ)んで微(び)笑(しょう)を浮(う)かべるけれど、

わたしは気(き)にはしない。



「期(き)待(たい)されると照(て)れるなぁ。」



この袋(ふくろ)を一人(ひとり)で拾(ひろ)うだけの仕(し)事(ごと)は、

退(たい)屈(くつ)に近(ちか)いものがある。



浴(よく)槽(そう)の中(なか)でブラシを手(て)にしたまま、

スーは僅(わず)かに顎(あご)を上(あ)げ、喉(のど)を開(ひら)く。



「夜(よ)空(ぞら)の蕾(つぼみ)、花(はな)咲(さ)く日(ひ)。


 いくら待(ま)っても朝(あさ)は来(こ)ず、

 燦(さん)然(ぜん)の星(ほし)が流(なが)れ、大(だい)地(ち)に降(お)りる。


 わたしは海(うみ)に漂(ただよ)うばかり。

 わたしは海(うみ)に漂(ただよ)うばかり。」



夜(よ)空(ぞら)に浮(う)かぶ星(ほし)々(ぼし)の中(なか)に、

軌(き)跡(せき)を描(えが)く流(なが)れ星(ぼし)。



一(いっ)瞬(しゅん)の光(こう)跡(せき)を作(つく)るその姿(すがた)をスーは歌(うた)い、

ガラス窓(まど)から光(ひかり)の差(さ)し込(こ)むこの部屋(へや)で、

わたしは夜(よ)空(ぞら)の光(こう)景(けい)を思(おも)い浮(う)かべた。




 ◆




拾(ひろ)い集(あつ)めて手(て)にした内(ない)臓(ぞう)の袋(ふくろ)、膀(ぼう)胱(こう)。



「ねぇ、これ。集(あつ)めてどうするの?」



仕(し)事(ごと)に夢(む)中(ちゅう)のスーの代(か)わりに、

部屋(へや)に入(はい)ってきた黒(くろ)猫(ねこ)のアルが、

わたしを見(み)てミャオと鳴(な)いた。



挿絵(By みてみん)



銀(ぎん)糸(し)の飾(しょく)緒(しょ)の首(くび)輪(わ)に、

月(つき)の色(いろ)をした目(め)がわたしを見(み)上(あ)げる。



黒(くろ)色(いろ)の体(たい)毛(もう)に覆(おお)われた細(ほそ)い身体(からだ)。



わたしの足(あし)元(もと)に近(ちか)寄(よ)った

かと思(おも)えば長(なが)い尻尾(しっぽ)を撓(しな)らせ、

足(あし)を叩(たた)いて部屋(へや)の入(い)り口(ぐち)を振(ふ)り返(かえ)る。



「ニクス、仕(し)事(ごと)は順(じゅん)調(ちょう)?」



アルが喋(しゃべ)ったわけではない。



猫(ねこ)は喋(しゃべ)ったりしない。



わたしは口(くち)布(ぬの)を外(はず)して首(くび)元(もと)に落(お)とし、

声(こえ)の主(ぬし)を見(み)た。



扉(とびら)の外(そと)から真(まっ)黒(くろ)な髪(かみ)のサンサが、

左(ひだり)半(はん)身(しん)を見(み)せて部屋(へや)を覗(のぞ)き見(み)る。



挿絵(By みてみん)



光(ひかり)を吸(す)い込(こ)む黒(くろ)髪(かみ)は頭(あたま)を傾(かたむ)けただけで、

顔(かお)の半(はん)分(ぶん)が髪(かみ)に隠(かく)れてしまう。



黒(くろ)のチュニックを着(き)た少(しょう)女(じょ)の外(がい)見(けん)。



フリルの首(くび)元(もと)の奥(おく)には、

雪(ゆき)のように白(しろ)い肌(はだ)が見(み)える。



胸(むな)元(もと)に銀(ぎん)糸(し)の飾(しょく)緒(しょ)を渡(わた)らせて、

彼(かの)女(じょ)は年(とし)若(わか)く見(み)えてもこの館(やかた)の娼(しょう)婦(ふ)――。



――ドレイプ。



「サンサ。なにしに来(き)たの?」



「二人(ふたり)を手伝(てつだ)いに来(き)たのよ。」



「また?」



わたしが不(ふ)満(まん)を顕(あら)わにしたにも関(かか)わらず、

彼(かの)女(じょ)は切(き)れ長(なが)の目(め)を細(ほそ)めて笑(わら)う。



わたしの経(けい)験(けん)上(じょう)、良(い)い予(よ)感(かん)はしない。



「重(おも)かったでしょう、グルグス。」



彼(かの)女(じょ)の呼(よ)び掛(か)けに応(おう)じて扉(とびら)の近(ちか)くに寄(よ)ると、

彼(かの)女(じょ)の後(うし)ろには濃(こ)い肌(はだ)の大(おお)男(おとこ)が立(た)っていた。



挿絵(By みてみん)



着(き)ているキャシュクが張(は)り裂(さ)けかけるほど

盛(も)り上(あ)がった筋(きん)肉(にく)をしていて、

剣(けん)や槍(やり)も防(ふせ)げそうな重(じゅう)圧(あつ)感(かん)がある。



グルグスと呼(よ)ばれた男(おとこ)は、

両(りょう)脇(わき)に抱(かか)えていた機(き)材(ざい)と布(ぬの)袋(ぶくろ)を

外(そと)廊(ろう)下(か)の床(ゆか)に置(お)いた。



「ありがと。

 お尻(しり)は外(そと)に向(む)けて。


 助(たす)かったわ、グルグス。」



「お安(やす)い御(ご)用(よう)で。」



大(おお)男(おとこ)が白(しろ)い歯(は)を見(み)せて笑(え)顔(がお)を作(つく)る。



褐(かっ)色(しょく)の髪(かみ)を短(みじか)く刈(か)ったこの男(おとこ)は、

サンサを相(あい)手(て)に訛(なま)った喋(しゃべ)り方(かた)をする。



「酔(よ)っ払(ぱら)いはいまなにしてるの?


 また飲(の)みながら独(ひと)りで札(ふだ)遊(あそ)び?」



「ハーフガン卿(きょう)なら、

 新(しん)入(い)りの訓(くん)練(れん)しとるよ。」



「ウントね。

 グルグスは訓(くん)練(れん)に参(さん)加(か)しないの?


 これからまた病(びょう)院(いん)なのね。」



「だ。近(ちか)頃(ごろ)、物(ぶっ)騒(そう)だからだ。」



グルグスの喋(しゃべ)り方(かた)は大(たい)陸(りく)の訛(なま)りがある。



自(じ)分(ぶん)よりも小(こ)柄(がら)な女(おんな)に頭(あたま)を下(さ)げて、

彼(かれ)は道(どう)具(ぐ)を置(お)いて去(さ)ってしまった。



夜(よる)の館(やかた)の娼(しょう)婦(ふ)、ドレイプを守(まも)るのが

彼(かれ)ら護(ご)衛(えい)の仕(し)事(ごと)。



けれども護(ご)衛(えい)のグルグスは、

館(かん)内(ない)の荷(に)運(はこ)びといった

肉(にく)体(たい)労(ろう)働(どう)者(しゃ)に近(ちか)い下(した)働(ばたら)きも行(おこな)う。



女(おんな)を相(あい)手(て)に、大(おお)男(おとこ)が頭(あたま)を下(さ)げていた。



――これもニース。



「え? なに?」



アルが後(うし)ろ足(あし)で立(た)ち上(あ)がり、

前(まえ)足(あし)でわたしの右(みぎ)手(て)に触(ふ)れた。



「これは食(た)べ物(もの)ではないのよ。たぶん。」



この中(なか)身(み)はきっと猫(ねこ)の餌(えさ)ではない。



「アル。」サンサが猫(ねこ)の名(な)前(まえ)を呼(よ)んだ。



アルはわたしを見(み)つめてから、

サンサに叱(しか)られる前(まえ)に察(さっ)したのか、

興(きょう)味(み)を失(うしな)って音(おと)のする浴(よく)槽(そう)を見(み)る。



アルは人(にん)間(げん)の言(こと)葉(ば)によく耳(みみ)を傾(かたむ)け、

理(り)解(かい)しているかのような行(こう)動(どう)をする。



細(ほそ)い身体(からだ)で浴(よく)槽(そう)の縁(ふち)に駆(か)け上(あ)がり、

ブラシで掃(そう)除(じ)をしている

スーの背(せ)中(なか)に跳(と)び乗(の)った。



「わっ! なに? アルっ!

 あれ、サンサも来(き)てたの。」



浴(よく)槽(そう)のブラシ掛(が)けに夢(む)中(ちゅう)だったスーが

キャシュクを濡(ぬ)らして立(た)ち上(あ)がり、

アルを肩(かた)に乗(の)せた。



アルはスーの肩(かた)から落(お)ちないように、

彼(かの)女(じょ)の金(こん)色(じき)の頭(あたま)に前(まえ)足(あし)を乗(の)せて抱(かか)える。



アルがスーの頭(あたま)に乗(の)ったことで、

調(ちょう)和(わ)が取(と)れているように見(み)えた。



「ニクス、笑(わら)った?」



「ううん。

 サンサ、手伝(てつだ)った方(ほう)が良(い)いの?」



わたしは笑(わら)いを堪(こら)えて、

サンサを見(み)下(お)ろして立(た)ち尽(つ)くす。



ここへ来(き)てすぐの頃(ころ)、

この館(やかた)の庭(にわ)で彼(かの)女(じょ)達(たち)に笑(わら)われた。



サンサはグルグスの持(も)ってきた

布(ぬの)袋(ぶくろ)の中(なか)身(み)を床(ゆか)に広(ひろ)げて、

なにか大(おお)掛(が)かりな機(き)材(ざい)を並(なら)べている。



彼(かの)女(じょ)は床(ゆか)に座(すわ)り、

右(みぎ)肩(かた)には濃(こ)い紫(し)紺(こん)の飾(かざ)り布(ぬの)を掛(か)けている。



その先(さき)にはあるはずの腕(うで)が彼(かの)女(じょ)には無(な)い。



右(みぎ)腕(うで)の無(な)いサンサが持(も)てないような、

屈(くっ)曲(きょく)した棒(ぼう)の伸(の)びた大(おお)型(がた)の歯(は)車(ぐるま)――。



「あー触(さわ)ってはダメよっ。


 これは心(しん)臓(ぞう)部(ぶ)なのよ。」



言(い)って彼(かの)女(じょ)はその歯(は)車(ぐるま)を

足(あし)を使(つか)って自(じ)分(ぶん)の方(ほう)に引(ひ)き寄(よ)せると、

片(かた)手(て)だけで持(も)ち上(あ)げて機(き)材(ざい)に取(と)り付(つ)けた。



彼(かの)女(じょ)は鋭(するど)い目(め)つきで

わたしを見(み)上(あ)げた。



「サンサの趣(しゅ)味(み)なんだから、

 放(ほう)って置(お)いていいよ。


 ガラクタ収(しゅう)集(しゅう)は。」



「ガラクタ…。」



「ガラクタではないわよっ。」



わたし達(たち)の会(かい)話(わ)をサンサは否(ひ)定(てい)する。



「尻尾(しっぽ)を踏(ふ)んだね。


 ニクスはガラクタになる方(ほう)に賭(か)ける?」



「それって賭(か)けになるの?」



「偉(い)大(だい)なる発(はつ)明(めい)なんだから、

 ガラクタにはならないわよっ。」



――ニースだわ…。



わたしは彼(かの)女(じょ)の真(まっ)黒(くろ)な髪(かみ)のあいだから、

真(まっ)白(しろ)な首(くび)筋(すじ)を見(み)つめた。



――わたしはこのひとに買(か)われたのよね。




 ◆




サンサは持(も)ち運(はこ)ばれた機(き)材(ざい)を、

肩(かた)や顎(あご)で挟(はさ)んで組(く)み立(た)てていく。



革(かわ)の紐(ひも)で編(あ)まれたサンダルを履(は)いたまま、

足(あし)の指(ゆび)でも器(き)用(よう)に道(どう)具(ぐ)を摘(つま)んで寄(よ)せる。



「ニクス。

 それ、なにか知(し)ってる?」



彼(かの)女(じょ)はわたしが手(て)にしている袋(ふくろ)を見(み)た。



「知(し)ってる。膀(ぼう)胱(こう)と精(せい)液(えき)だって。」



含(ふく)み笑(わら)いのスーがなにか言(い)いかけたのを、

わたしは首(くび)を横(よこ)に振(ふ)って制(せい)止(し)する。



「構(こう)成(せい)を訊(たず)ねたわけではなくて、

 用(よう)途(と)を知(し)っているのかを聞(き)いたのよ。


 それは避(ひ)妊(にん)具(ぐ)よ。


 ちょっと高(たか)いけれどね。


 まだ使(つか)い道(みち)があるから捨(す)ててはダメよ。」



「ゴミ…ではないんだ。」



「ゴミではないとしたら、

 なにに使(つか)うものか分(わ)かる?」



サンサは銀(ぎん)の目(め)を細(ほそ)めて言(い)った。



白(しろ)い肌(はだ)に、薄(うす)い唇(くちびる)。



口(くち)の端(は)からやや下(した)側(がわ)に、

小(ちい)さな黒(くろ)い点(てん)のホクロが見(み)える。



彼(かの)女(じょ)の作(さ)業(ぎょう)を眺(なが)めながら、

精(せい)液(えき)の用(よう)途(と)に考(かんが)えを巡(めぐ)らせた。



――普(ふ)段(だん)は捨(す)てるものなら、

  畑(はたけ)に撒(ま)く堆(たい)肥(ひ)になるのかしら。



――でも、これだけだと、

  畑(はたけ)には足(た)りないわよね。



――水(みず)を使(つか)って希(き)釈(しゃく)でもするのかしら?



精(せい)液(えき)を希(き)釈(しゃく)して撒(ま)いても、

その効(こう)果(か)は古(こ)代(だい)に否(ひ)定(てい)されて

堆(たい)肥(ひ)にもならない。



本(ほん)の知(ち)識(しき)で考(かんが)えつく答(こた)えは、

他(ほか)には一(ひと)つしかなかった。



「赤(あか)子(ご)を産(う)みたいひとに売(う)る?

 売(う)れるの?」



短(たん)絡(らく)的(てき)に言(い)ったのですぐ疑(ぎ)問(もん)が浮(う)かぶ。



サンサは作(さ)業(ぎょう)を続(つづ)けて頷(うなず)いた。



「それなら売(う)れるわね。


 ここに来(く)るお客(きゃく)さんは身(み)分(ぶん)や地(ち)位(い)、

 教(きょう)養(よう)と資(し)産(さん)を持(も)ってるもの。」



サンサはなぜか、

わたしの半(はん)端(ぱ)な考(かんが)えを汲(く)み取(と)った。



「『この精(せい)子(し)を使(つか)えば、賢(かしこ)くて、

  序(じょ)列(れつ)のある赤(あか)子(ご)が産(う)まれる。』


 夜(よる)の館(やかた)から保(ほ)証(しょう)書(しょ)も付(つ)けましょうか。


 高(こう)貴(き)な血(ち)筋(すじ)の子(こ)を産(う)めるとなれば、

 愚(おろ)かな大(たい)衆(しゅう)は資(し)産(さん)になると考(かんが)えて

 高(たか)値(ね)で買(か)うでしょうね。


 保(ほ)証(しょう)書(しょ)だけでも商(しょう)売(ばい)になるわ。


 狡(こう)猾(かつ)な考(かんが)えは商(しょう)才(さい)を感(かん)じさせるわね。」



「わたしはそこまで言(い)ってない。


 それって、相(あい)手(て)を騙(だま)して売(う)るんでしょ?」



責(せ)めるように言(い)うと、

サンサは首(くび)を横(よこ)に振(ふ)った。



「精(せい)液(えき)、精(せい)子(し)ってそのままにしても

 すぐ使(つか)い物(もの)にならなくなるのよ。」



「死(し)ぬんだ…。」



「生(せい)物(ぶつ)の死(し)とは違(ちが)うけれど、意(い)味(み)は同(おな)じね。


 肉(にく)眼(がん)で見(み)ても分(わ)からないでしょう。


 この場(ば)合(あい)、生(せい)殖(しょく)細(さい)胞(ぼう)は

 小(ちい)さな生(せい)物(ぶつ)と定(てい)義(ぎ)できるのかしら?」



精(せい)液(えき)の仕(し)組(く)みは詳(くわ)しくない。



サンサの質(しつ)問(もん)にスーが首(くび)を横(よこ)に振(ふ)ると、

頭(あたま)の上(うえ)のアルがミャァと鳴(な)いて叱(しか)る。



スーが説(せつ)明(めい)をしてくれた。



「鮮(せん)度(ど)が維(い)持(じ)できても、

 妊(にん)娠(しん)が分(わ)かるまでに

 数(すう)十(じゅう)日(にち)は掛(か)かるよね。


 産(う)まれるまで1年(ねん)近(ちか)くも必(ひつ)要(よう)だし。


 会(かい)話(わ)ができる年(ねん)齢(れい)まで数(すう)年(ねん)、

 成(せい)年(ねん)になるまで16年(ねん)。


 父(ちち)親(おや)の判(はん)別(べつ)なんて保(ほ)証(しょう)できないし、

 教(きょう)育(いく)環(かん)境(きょう)が整(ととの)ってないと

 子(こ)供(ども)には知(ち)識(しき)が身(み)につかないもんね。


 成(せい)果(か)の怪(あや)しい品(しな)物(もの)となると

 騙(だま)せるかも疑(ぎ)問(もん)だね。」



「館(やかた)の信(しん)用(よう)を損(そこ)ねる商(しょう)売(ばい)だわ。」



「…確(たし)かに、ね。」



わたしの案(あん)は穴(あな)だらけ。



騙(だま)して売(う)り逃(に)げするつもりでなければ、

商(しょう)売(ばい)として成(せい)立(りつ)しない欠(けっ)陥(かん)を指(し)摘(てき)された。



「でも近(ちか)い商(しょう)売(ばい)はしてるよね。」とスー。



「人(ひと)聞(ぎ)きが悪(わる)いわね。」



「悪(わる)いことしてるんだ。」



スーとサンサを交(こう)互(ご)に見(み)た。



「騙(だま)してない…と思(おも)うわ。」



サンサの返(へん)答(とう)は曖(あい)昧(まい)になる。



「集(あつ)めた精(せい)液(えき)は、

 館(やかた)に出(で)入(い)りしてる商(しょう)人(にん)に

 売(う)ってるんだって。


 膀(ぼう)胱(こう)が買(か)えるくらいの高(たか)いお値(ね)段(だん)。


 使(し)用(よう)済(ず)みの避(ひ)妊(にん)具(ぐ)を買(か)った商(しょう)人(にん)が、

 中(なか)身(み)を取(と)り出(だ)して乾(かん)燥(そう)させるんだよ。」



「乾(かん)燥(そう)…?

 液(えき)体(たい)なんて乾(かん)燥(そう)させたら…。」



水(みず)は大(たい)気(き)に晒(さら)して乾(かわ)かせば、

空(くう)気(き)に水(すい)分(ぶん)を吸(す)われて霧(む)散(さん)する。



「精(せい)液(えき)を干(ほ)したり焼(や)いたりして、

 余(よ)計(けい)な水(すい)分(ぶん)を失(うしな)わせて固(こ)体(たい)にするのよ。


 腐(ふ)敗(はい)を防(ぼう)止(し)する目(もく)的(てき)と、

 蛋(たん)白(ぱく)質(しつ)を残す為(ため)ね。


 蛋(たん)白(ぱく)質(しつ)って分(わ)かるかしら?」



「お肉(にく)や豆(まめ)と同(おな)じ? …え、食(た)べるの?」



この内(ない)臓(ぞう)袋(ぶくろ)に入(はい)った中(なか)身(み)の液(えき)体(たい)が、

お肉(にく)や豆(まめ)と同(どう)等(とう)に売(う)れるものと言(い)われても、

すぐに理(り)解(かい)が追(お)いつかない。



「それを薬(くすり)として売(う)るのよ。


 美(び)容(よう)と健(けん)康(こう)の為(ため)の。


 天(てん)秤(びん)を使(つか)って重(おも)さで換(かん)算(さん)すれば、

 肉(にく)や豆(まめ)よりも高(たか)い値(ね)段(だん)がつくわね。」



食(しょく)肉(にく)や豆(まめ)類(るい)、薬(くすり)も買(か)ったことがないので、

サンサの言(い)う価(か)値(ち)は想(そう)像(ぞう)がつかない。



「栄(えい)養(よう)満(まん)点(てん)、血(けっ)行(こう)促(そく)進(しん)。


 慢(まん)性(せい)病(びょう)予(よ)防(ぼう)に冷(ひ)え性(しょう)改(かい)善(ぜん)。


 疫(えき)病(びょう)退(たい)散(さん)、不(ふ)老(ろう)長(ちょう)寿(じゅ)、

 家(か)内(ない)安(あん)全(ぜん)、商(しょう)売(ばい)繁(はん)盛(じょう)。


 奸(かん)佞(ねい)邪(じゃ)知(ち)を退(しりぞ)ける効(こう)果(か)あり。」



サンサの饒(じょう)舌(ぜつ)な語(かた)り口(ぐち)が怪(あや)しさを増(ま)す。



「胡乱(うろん)になってきた。」



「家(か)内(ない)安(あん)全(ぜん)と商(しょう)売(ばい)繁(はん)盛(じょう)は関(かん)係(けい)ないもんね。」



スーも言(い)って今(こん)度(ど)は頷(うなず)くと、

頭(あたま)の上(うえ)のアルが再(ふたた)びミャァと鳴(な)いて叱(しか)った。



「飲(の)めば子(こ)宝(だから)に恵(めぐ)まれる、

 とかもあるわね。」



蛋(たん)白(ぱく)質(しつ)を口(くち)にしても、

胃(い)腸(ちょう)で分(ぶん)解(かい)されて受(じゅ)精(せい)はしない。



人(じん)体(たい)が生(せい)成(せい)するものは、

代(たい)謝(しゃ)によって排(はい)出(しゅつ)された垢(あか)と同(おな)じで、

異(い)食(しょく)と呼(よ)ばれて忌(き)避(ひ)されている。



子(こ)供(ども)のわたしが知(し)らないだけの可(か)能(のう)性(せい)も、

完(かん)全(ぜん)には否(ひ)定(てい)できない。



異(い)食(しょく)と同(どう)様(よう)に共(とも)食(ぐ)いなどの悪(あく)食(じき)は、

人(にん)間(げん)が社(しゃ)会(かい)を構(こう)築(ちく)する上(うえ)で効(こう)率(りつ)が悪(わる)く、

倫(りん)理(り)などの理(り)由(ゆう)に法(ほう)律(りつ)で禁(きん)じられている。



袋(ふくろ)をアルの鼻(はな)先(さき)に向(む)けると、

わたしの手(て)を前(まえ)足(あし)で踏(ふ)みつけた。



「…飲(の)む物(もの)なの?」



「味(あじ)を確(たし)かめたいのかしら?」



「嫌(いや)っ!


 だって!

 これ、尿(にょう)と同(おな)じ場(ば)所(しょ)から出(で)るんだよっ?


 下(げ)品(ひん)は禁(きん)止(し)っ!」



わたしはこの館(やかた)の決(き)まりを述(の)べる。



「でも鶏(にわとり)の卵(たまご)だって

 似(に)たようなものだよね。


 総(そう)排(は)泄(せつ)腔(こう)から出(で)てくるんだもん。」



「う…。でも卵(たまご)は殻(から)があるから…。」



「良(よ)い薬(くすり)はどれも苦(にが)いものよ。」



「苦(にが)いんだ…。」



「砂(さ)糖(とう)や塩(しお)、蜂(はち)蜜(みつ)を混(ま)ぜて、

 継(けい)続(ぞく)的(てき)に売(う)るのも良(い)いわね。


 有(あ)り触(ふ)れた精(せい)子(し)でもひと手(て)間(ま)加(くわ)えて、

 薬(くすり)と呼(よ)び名(な)を変(か)えて売(う)ってしまうの。


 そこが商(しょう)人(にん)の逞(たくま)しいところであるわね。」



「古(こ)代(だい)からある偽(ぎ)薬(やく)の一(ひと)つだね。」



――偽(ぎ)薬(やく)って…。



「本(ほん)当(とう)の薬(くすり)ではないの?」



「身体(からだ)になにか影(えい)響(きょう)を与(あた)えれば、

 それは薬(くすり)とも毒(どく)とも言(い)えるわね。」



「薬(くすり)の代(だい)用(よう)品(ひん)として、

 相(あい)手(て)を信(しん)じさせる手(しゅ)法(ほう)だよ。」



「やっぱり騙(だま)してるんだっ。」



二人(ふたり)に翻(ほん)弄(ろう)され、

わたしは語(ご)気(き)を強(つよ)める。



「話(はなし)が逸(そ)れたわね。


 誰(だれ)かが捨(す)てるものにも、

 価(か)値(ち)はあるという話(はなし)よ。」



サンサは口(こう)角(かく)を上(あ)げて、

怪(あや)しく笑(え)みを浮(う)かべた。




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