獣の男とわたしに気付いて、
金髪の少女が振り向いた。
「あっ、サンサ?」
少女はすぐにテーブルに視線を戻す。
後頭部で結った金の髪が輝き揺れる。
サンサと呼ばれた黒髪の少女が、
札遊びの板切れを天板に広げていた。
奥の席の少女、サンサは
切れ長の目でわたしを見る。
「仕方がないでしょう。
スー、お客さんよ。」
彼女に説かれて金髪の、
スーと呼ばれた少女、
はテーブルの天板に広げられた、
板切れの札を片付け始めた。
サンサは若い見た目の割に、
深みのある落ち着いた声でスーを諭した。
サンサが顎を突き出し目で呼び掛けると、
獣の男の大きな手がわたしの右腕を掴んで、
彼女達の前に突き出した。
座ったままサンサがわたしを見上げる。
光を吸い込む黒い髪に、
白い肌、冷たい銀の瞳。
髪が顔を覆い、細い顎、
薄い唇の口元には小さな黒い点の
ホクロが見える。
庭に招いた銀髪の少女と同じく、
彼女も黒色のチュニックを着ている。
首元が隠れるフリルで装飾され、
肩には暗い黒の豪奢な飾り布。
胸元に渡らせた銀糸の飾緒が映える。
飾緒は身分の序列を示す装飾品で、
子供が身に着けられるものではない。
手前に座る淡黄色のキャシュクを着た
金髪のスーの方がまだ成年に見えるのに、
彼女は飾緒を渡らせてはいない。
――黒髪の子がこの邸宅の
主人なのかしら…。
姿勢が良く、
座っているだけなのに気品を感じさせる。
「言葉は分かる?」
わたしは顎を引いて目を合わせ、
フレヤとレイヤが居た時と勘違いし、
大陸人向けの同意を示してしまった。
深い森の暗闇のような黒髪のあいだから、
冷たい銀の瞳で覗き込まれる。
その目が合った途端に、背中が震えた。
「あの…はい。」
長いあいだ喋らなかった喉から、
掠れた低い音が耳に伝わる。
「食事は済ませた?」
「…はい。」
顎を引いてから返事をした。
形容し難い感覚に襲われて、
急に怖くなって目を伏せた。
「あなたのご主人様の名前は分かる?」
「えっ…いいえ…。」
――ご主人様…。
わたしは奴隷ではないわ。
わたしは彼女が『ご主人様』と呼ぶような
誰かに仕えてはいない。
視線を下げて、短い草を踏む
自分の汚れた素足を見た。
「顔を上げて、視線を前にして
背筋を伸ばしなさい。
肉体労働にはまず向いてないわね。
わたしの言葉の意味が分からなければ
適宜、質問していいわよ。
大陸語の読み書きはいくつできる?
学校か、家庭教師から学んで、
喋ることは可能?」
「…いいえ。」顔を背けたくなった。
わたしはお腹のあたりで両手を固く握り、
彼女の頭の先を見て首を横に振った。
「得意な学問は?
もし数学を得意とするのなら、
銀行屋でも目指すべきね。
生物、倫理、天文は得意?
…それとも思想かしら。
刺繍か、園芸か、もしくは乗馬は?
貴族なら嗜み程度には習うものね。」
わたしは学校に通ったことも、
家庭教師が居たこともないので
また首を横に振る。
「女でも動物の飼育や、
解体を得意とするのも良いわね。
機織りくらいの経験はあるかしら?」
塔で独りで暮らしていたけれど、
労働の経験もない。
「料理、掃除、下働きは?
楽器は弾ける?
叩く太鼓も持っていないでしょう。
男を相手に踊ったことも無いわよね。
その服は誰が用意したの?
誰かに買って貰ったもの?
今日寝る場所は?
明日食べる物は?
ここであなたに、なにができる?」
彼女から投げつけられた多くの質問に、
なに一つ答えられない。
――彼女になにかを試されている。
わたしと年齢にあまり差もないはずなのに、
ずっと年上のような大人の風采が
サンサにはある。
彼女の決して高くない声質が、
そう思わせるのかもしれない。
「あなたの家族は? 後見人は居る?」
「いいえ、…その、分かりません…。」
返答に詰まるわたしに
サンサは苛立ったのか、
テーブルを指先で小突き始めた。
「この館の者は誰であっても賢く務め、
身分に関係なく働かなければいけない。
ここはあなたのお城ではないからね。」
サンサはわたしに現実を突きつける。
――わたしはなにもできない…。
彼女の厳しい言葉や態度に反して
近くのスーは微笑したのだけれど、
わたしはこの状況を受け入れられない。
「ねぇ、サンサ。
この子は、お客さんなんでしょ?」
「スーってば、
面談中なのだから口を挟まないで。
質問を変えましょうか。
あなたの名前は?」
「…ニクス。」
わたしの名前は『ピッピ』ではない。
「夜の女神?
近付いて、手を出して。
うん。…細いわね。
胸に触るけれど、
軽く診るだけだから驚かないでよ。
大きく息を吸って、焦らずに吐いて。
問題ないわね。
ニクス、あなたの年齢は?」
「15…。」
この答えにサンサは表情を厳しくする。
いまになってわたしは
自分の放つ体臭が気になって、
密かに鼻を鳴らして嗅ぐと
反射で息を止めた。
「年齢の割に乏しいからかしら。
レナと同じくらいに幼く見えるわね。
ニクスと名付けた
母の名前は? 父は?」
「母の名は知らない。
父はケイロウ。」

惨めさが込み上げて、
強めの口調で言った。
わたしが口にした父の名前になにも言わず、
サンサは左手で右肩の飾り布に触れた。
可能な限り注視を避けていた、
右肩に斜めに掛けた飾り布。
彼女には右腕がない。
チュニックの袖から先は
飾り布で覆い隠しているけれど、
腕の膨らみがないのが分かる。
「…スー。」
「はい。」
テーブルの札を片付け終えたスーが
わたしの隣に立つ。
――なにか、おかしい。
「今日はこの子の世話を頼むわ。」
「良いの?」
瞬きをするスーは
困惑の表情を浮かべつつも、
口元の緩みを抑えきれずにいる。
「いま頼めるのはあなたしか居ないもの。
わたしはルービィに
報告しないといけないわ。
必要なものはレナに伝えておく。」
「はぁい。」
席を立ったサンサ。
彼女に続いて黒猫も椅子を降りて
足元をついて歩く。
銀色の紐、飾緒を首輪にして、
細い体に長い尻尾を振る。
「ラッガ。長旅ご苦労さま。」
近くでラッガと呼ばれた
獣の男と話を始めると、
サンサは帯布の中から袋を取り出して、
片手で器用に中身の金貨を渡した。
わたしはその行為の意味を理解した。
――あぁ、やっぱり。
「私の名前はメリエ・ハス・スース。
スースは『流れ星』って意味だよ。
彗星や流星群って見たことある?
あなたより一つ年上だけど、
気にせずスーって呼んでね。
あっちはサンサ。
黒猫はアルっていうの。
サンサはエルテル領の領主の養女だよ。
あっ! でも本人の居ない場所で、
本人の許可なく私が言うのは良くないね。
あとで彼女から自己紹介があるはずだよ。
急に色々言われても、
すぐには分からないよね。
あなたの名前は聞いてたよ。
『夜の女神』と同じ名前だね、ニクス。」
初対面でも関係なく捲し立てるスー。
よく喋り、笑顔を絶やさず、崩さない。
「スー。」
黒猫のアルを抱えるサンサが彼女を呼んだ。
狩猟と貞潔の女神の名前を持つ猫のアルが、
月のような金色の目を輝かせる。
「わたしはこれから出掛けるから、
あとは頼んだわね。
夜には帰るわ。」
「分かった。
行ってらっしゃい。」
獣の男も庭園を去り、
わたしは取り残されて背中を見送る。
「わっ。」
突然スーに右腕を引っ張られ、
わたしは倒れて彼女の胸に寄りかかった。
「さぁ、こっちに来て。
一緒にお風呂に入ろうか。
浴場の掃除が終わって、
丁度用意してあるんだよ。」
銀髪の少女と並ぶサンサ。
彼女が獣の男、ラッガに金貨を渡した
あの光景が頭から離れない。
――わたしは売られたのね…。

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