『草木も凍てつく南の極点から、
北は海も干上がる沙漠へと連なる、
人類に残された僅かな陸地。
その陸地に統一された名前は無かった。
言語の数だけ名前があり、国があり、
人々は土地の名前を巡って争いを続けた。
その陸地より、遥か東は
果てのない海だった。』
『果てのない海』と記された書物が、
いまもいくつか残っている。
私の読んだ歴史書には続きがある。
『光があり、陸地は大蛇に飲み込まれる。
すると果てのない海に巨大な島が現れた。
遙遠代の終わり。
争いを繰り返す人類は、
その島に安住の地を求めた。
島を目指して船を寄せれば、
神の怒りに触れ、近海は荒れ狂い、
岩礁と崖壁に拒絶される。
近付く船を波が覆い倒し、
ひとは泡に包まれて海底に消える。
その島は、拒絶を意味する『ゼズ』と
人々に呼ばれ、記され、忌避された。
こうして島には、
ゼズ島という統一された名前が付いた。』
人類に残された最後の大陸と、
ゼズ島の始まりの記録。
大陸とゼズ島のあいだには島があった。
大陸やゼズ島に比べれば、
とても小さな島で集落も存在しない。
この小島は海底火山でできた、
柱状節理の高い岩々に囲われている。
定住にも不向きな小島は、
漁師達の標で休息地だった。
その為『なにもない』を意味する
メーニェと呼ばれ、長らく利用されていた。
メーニェは陸地に、『オルタ』と呼ばれる
狭く浅い水溜り程度の窪地を有し、
名前の通り真水と鳥の忘れ物しか無かった。
大陸北方を支配するソーンが
この小島を流刑地として利用すると、
メーニェの名前が歴史書に登場する。

後に『ソーンの重罪』と
呼ばれることになる。
小島を占領する際に、
ソーンは何人もの漁師を捕縛し、殺害した。
小島が流刑地に選ばれた理由は、
陸地が岩ばかりで耕作に適さず、
僅かな水以外得られない為だった。
当時の流刑は死刑も同罪の扱いになる。
ひとの死体には小さな生物が堆積して、
なにもない島に物質循環が形成された。
鳥の忘れ物から作られた土壌から、
狭い土地に作物を育てたところで、
争いと死体だけが増えた。
月日が経てば、大陸のソーンから
メーニェの小島に流される罪人が増えた。
大陸の国境で思想の対立が激化し、
戦争が起きて罪人の輸送頻度が増せば、
小島は飢えたひとで満たされる。
地位も土地も家畜も持たない罪人達。
なにもない島の価値無き者達は、
特殊な方法で多大な財産を得ていく。
かれらは島にやってきた処刑人達を殺し、
船に乗り込み、行き交う貿易船を襲った。
積み荷を奪い、人間を売った。
非道の限りを尽くし、それに呼応して
名も無き者達がメーニェに集まった。
罪を重ね、大陸にその名を轟かせる
海賊船団になった。
かれらは自分達をナルキアの民と称して、
メーニェの島は大陸の歴史に刻まれた。

名も無き者達、ナルキアの歴史の始まり。
大陸からは蛮族と貶されたナルキア海賊。
無法者と謗られた海賊にも法があり、
秩序があった。
かれらも元は統治者で、学者で、
海で暮らす漁師や船乗りで、
子を持つ牧者や農民、労働者だった。
奴隷ではなく自我を持ち、
人間としての矜持があった。
かれらは漁船や港を決して襲わない。
港が栄えればこそ、
ソーンの貿易船の積み荷が
豊富になることを知っている。
海賊船団は星鳥のように群れで移動して
熟した果物を狙う。
かれらの蛮行を生み出したソーンの重罪。
海賊船団は船を沈めてひとを食む、
海の竜と畏れられた。
執念深きナルキア海賊によって
ソーンは船を奪われ、財を奪われ、
人間を奪われ、即ち通商路も奪われた。
ナルキアに島ごと略奪されたソーンが、
非難の声明だけで済ませるはずはなかった。
◆

大陸の南方には、
クレワと名乗る民族の国が存在する。
北方の支配者ソーンとは言語を別にし、
両者は長いあいだ陸海で対立を続けていた。
ソーンは貢ぎ物の少ない漁港に対し、
私掠船での略奪を許した。
対立するクレワの貿易船を
襲わせて、
ナルキア海賊を騙らせた。
同時に、メーニェ島へ密かに使者を送り、
クレワの貿易船への攻撃を依頼し、
それに対して高額な報酬を提示する。
また、クレワに対してソーンは
海賊船団の蛮行を知らしめ、
メーニェ島の包囲作戦を提案した。
厚顔なソーンは、
メーニェ島とクレワの対立を唆す
狡猾な策を講じた。
メーニェ島はソーンの提案を受け入れ、
先の報酬の半分を手にして、反故にした。
いつまで経っても海賊船団は、
クレワの貿易船を襲わなかった。
同じくクレワもソーンと対立したまま、
その提案には応じはしない。
ソーンの私掠船はナルキア海賊を騙り、
漁港やクレワの貿易船を襲い続ける。
そこでメーニェ島は、
略奪したソーンの軍船を使うと
私掠船を騙してソーンの軍港に誘き寄せ、
見せしめに船を沈めて港を血で染めた。
元より私掠船とソーンとの信頼は脆く、
疑いを抱かせると同士討ちが始まる。
この欺瞞作戦で大陸の歴史書に、
ナルキア海賊をまとめたとされる
ハーフガン将軍の名前が登場する。
ソーンは私掠船での作戦とは別に、
大陸中央にある緩衝地帯であった
ラギリ領と呼ばれる土地を侵略した。

大陸の南北に挟まれたラギリ領は
貿易の要衝であり、海に面した東側の
エンカー半島には巨大な港街がある。
エンカーと呼ぶ港街の要塞都市は
南北の様々な言葉が交わる土地で、
独自の言語が形成され、使われている。

北方のソーンズや南方のクレワズは、
神職や貴族でなければ使用できない。
エンカーで交わされる言葉は
『エンカーン』と呼ばれ、
貿易商達が用いた。
エンカーンは機能が重視されて簡便な為、
子供でも読み書き可能な言語だった。
行商人や船乗りも多いエンカーでは、
夜に標のない沙漠や海を渡る理由で
星座に纏わる古代の神話が親しまれ、
エンカーンの本が広く出回った。
港街は半島ごと防壁に囲われて堅牢で、
ソーンの私掠船どころか艦隊さえも
この地を占領できずに苦戦していた。
ソーンの艦隊が半島を包囲したところで
将軍の率いる海賊船団に背後から攻められ、
ソーンの艦隊はいくつも沈められていった。
無法者の集まりだった海賊船団にとっても
エンカーは要衝だった。
ハーフガン将軍は
半島を包囲したソーンの艦隊を沈めると、
エンカーの傭兵団に偽装した。
傭兵団は通商路を用いて、
南方に伸びたソーンの戦線の
後衛に待機する補給部隊を攻め、
供給を断ったことで本隊を退けた。
こうしてラギリ領と
要塞都市エンカーの解放に成功する。
一部には、指導者ソーマに解放された
大陸の港とも本で伝えられている。
これも後年に創作された伝説だった。
エンカーはソーンからの解放を喜ぶが、
ハーフガン将軍ら偽装傭兵団を追い返した。
エンカーを有する緩衝地帯のラギリ領は
中立地に戻り、南北の土地を巡る争いは
以降も何度か繰り返されていく。
ラギリ領から撤退したソーンは、
さらに別の作戦を展開する。
ソーンの艦隊がメーニェ島を奇襲した。
『メーニェ島海戦』の顛末。
ソーンの狙いは、メーニェ島を拠点とする
ナルキア海賊の討伐だけではなかった。
海賊が支配する海を取り返し、
根拠不明な財宝を求め、
奴隷を得ることだった。
艦隊はメーニェ島を占領に成功した。
しかしナルキアの軍船にまたも包囲され、
ソーンの艦隊は得るものもなく壊滅した。
島にあるいくつかの住宅地に
偽りの明かりを灯していたのは、
ハーフガン将軍の妻子だった。
将軍は家族を囮にして、
ソーンの艦隊を上陸させた。
メーニェが大国のソーンに勝つには、
必要な犠牲であったと歴史家は記している。
何度目かの敗北を喫したソーンは、
干害や飢饉による恐慌と理由をつけて撤退。
または荒天の影響で上陸を中止した、
と虚偽の報告まで複数見られた。
歴史あるソーンの大敗で、
王が肖像になった金貨は価値が無い、
とまで自国の神官に嘲られている。
メーニェ島海戦で艦隊を退けた話の中に、
指導者という文字が初めて登場する。
『舳先に立つ、我らが指導者。
勝利に酔い、大海を泳ぐ。
指を咥える赤子のソーン、
海を眺めて、老い曝える。』
小島に負けた大国は侮辱の詩で歌われ、
緩衝地帯のラギリ領や南方のクレワまでに
エンカーンで伝わって、長く語られた。

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