序章 第4節 星座の鳥(第2項)
食後は特になにをするでもなく、
煙突から蒸気が治まるのを
絨毯の上で待った。
紺色の上着姿のレナタが、
近くの緑の上で背を丸くしたまま動かない。
「なにしてるんだろ。」
「気になるのなら、
近付いて声を掛ければ良いのよ。
わたしの許可は必要ないわよ。」
絨毯の上で横臥するサンサが言った。
彼女に背中を合わせたメノーは、
静かに寝息を立てている。
「あんな場所にずっと居たら、
レナはまた日焼けするわよ。」
サンサからストロー帽を押し付けられる。
わたしは緑の上をサンダルも履かず、
爪先で歩いてレナタに近付いた。
犬や猫などの動物は、
こうした趾行で足音を抑えて
狩りを行うという。
レナタは蒸気の観察に飽きて書字板を手に、
なにかを見て蜜蝋を彫って描いている。
視線の先には小型の鳥が居る。
暗い虹色の羽に白い斑点を持つその鳥は、
数万の群れを作ることもある。
明るい黄赤色の嘴を地面に突き刺して、
緑の中にある虫や種子などの食料を
探していた。
羽の斑点模様から夜空の星々を連想させる。
「星鳥ね…。」
後ろに立っていたわたしの呟きに、
レナタが気付いてこちらを振り向いた。
「ニクス。鳥を描きました。」
平面の書字板に彫られた絵は
鳥の細かな特徴を捉え、
レリーフのような立体が
蜜蝋で表現されている。
「うん。星鳥よね。
いまは分水街に来てるのね。」
「ニクスは鳥に詳しいんですか?
あの鳥はどんな鳥ですか?」
「どんな…? 雑食の鳥よ。
木の実も虫も食べて過ごして、
群れで暮らす賑やかな鳥ね。
収穫祭を過ぎた頃に
天蓋山の麓の営巣地を出て、
暖かい北に移動するの。
暑くなる前には、
南の営巣地に戻って繁殖するのよ。
数万にもなる群れが飛ぶと、
奇妙に動く黒い雲に見えるの。
昔のひとはそれを見て、凶兆――
悪いことの前触れに違いない
って思うそうよ。
迷信で語られるわね。」
レナタが目を合わせてよく頷くので、
わたしも説明に熱が入る。
「天蓋山の麓ということは…
あの鳥は禁足地に住んでるんですか?
ニクスはその近くに住んでたんですね。」
自分の迂闊さに頭を抱えた。
レナタへの分かりやすさを優先し、
出自を明かしかけていた。
「あ、…うん。レナタ。あのね…、
これは二人だけの秘密ね。」
「ええ。わたしも、
出自を訊ねてしまいましたから…。
みなさんに黙っていてくださいね。」
困り顔を見せても口角を上げかけて、
彼女は喜びを隠せずにまた何度か深く頷く。
「ニクスって、
いつもそんな喋り方でしたか?」
「…確かに相手で変えてるわね。」
「わたしが子供だからですか?」
すぐに質問が飛んでくる。
わたしがなにかを話す度に、
レナタはずっと喋り方を気にしていた。
「普段はこの喋り方なのよ。
でもわたしは、
館に連れて来られた身だもの。
目上の、サンサやスーには、
強く喋る方が馴染んだのかしら。
特にあの二人は、
わたしが黙っていると
子供扱いして捓うでしょ?
だから、このくらい
強く言った方がいいんだよね。」
最後は口調を変えると、
レナタは口元を緩めて頷いた。
「そんな理由があったんですね。
でもいまの喋り方は、
サンサの喋り方に似てますね。」
「えぇー。嫌よ、それ。」
目を細めて嫌悪感を示しても、
レナタはわたしの反応を見て喜んだ。
「寄せているのかと思ってました。」
「サンサとわたしが似て聞こえるのは、
同じ南部言葉のせいよ、きっと。」
――サンサはエルテルの養女でも、
やっぱり南部の出身なのかしらね。
エルテル以南に位置する
ネルタ、オーブ、カヴァは南部と呼ばれる。
奥まった土地では外との交流が減り、
発音の高低、強弱の意識が薄れていき、
言葉の変化が起きずに崩れて訛ってしまう。
言葉は常に変化し、川のような流れがあり、
古い言葉を使うのは決まって老人達だった。
「メノーはサンサの真似が巧いんですよ。
わたしも――。」
レナタが小声で言いかけると、
わたしの背後からサンサが現れた。
「仲良しね。
二人で秘め事の共有でも、
してたのかしら?」
「あっサンサ。あのねっ。」
「星鳥の話っ!」
レナタがなにかを言う前に、
わたしは彼女の書字板をサンサに見せた。
サンサから預かっていた帽子を
レナタに深く被せると、
彼女も気付いて口を固く閉ざす。
「あぁ、星鳥?
良く彫れてるわね。」
巧く描かれた書字板を、
サンサは隣にやってきたスーにも
回して見せた。
彼女の頭にはまたアルが乗っていた。
アルは黒い体毛に日光を浴びて、
前足を舐めて食後の毛繕いをする。
「レナはわたしに似て器用ね。」
「それって褒めてるの?」
わたしが疑うと、
レナタは表情に不満を見せた。
「サンサってば、この次には
『勉強も真摯にやりなさい。』
って言うんですよ。」
「言わないわよ。
言ったことないでしょ。
絵を描くことは勉強と同じだから、
このくらい愉しめばそれでいいのよ。」
「えぇーだって
そんな風には聞こえなかったもの。」
瞬間、レナタは甘えた口調を見せる。
サンサは彼女の額から流れる汗を拭った。
「星鳥の、
どんな話をして貰ったの?」
スーが訊ねた。
「星鳥は禁足地から来て、
悪いことを運ぶんだそうです。」
「昔のひとの考えね。」
彼女の曖昧な説明に、
わたしは強く首を横に振った。
「田舎者の蔑称だよね。星鳥って。
農閑期に出稼ぎにやってくる労働者や、
稼いだお金を使う為に遊びにくる、
驕った相手に使われるんだよ。」
スーは言ってレナタに書字板を返す。
サンサが彼女に続けて説明した。
「繁繁は禁足地に限らないわよ。
北のゼズ山脈やネルタの湖を囲う、
東西の山脈にも広く生息しているわ。
夏の終わり頃に分水街にやってきて、
群れて鳴き声の騒がしいのが星鳥ね。
星を目指して空を飛んだ鳥は、
その騒がしさが原因で
夜空から追い出されたの。
星座になれなかったその鳥達は、
地上で暮らしても迷惑がられて、
羽根に星の模様を背負ってるの。
それがいまの星鳥。」
「だからあの斑点模様があるの?」
と、レナタは関心を示す。
星座の中で語られる動物は、
神や神の化身、またはその遣いで、
神話の中に登場するものが多い。
道標のない沙漠を渡る隊商や、
船乗りは星を読み、道なき海を進み、
こうした神々の物語を後世に語り継ぐ。
「仕事を怠けた烏だって、
蛇に罪を擦り付けたから罰せられて
星座になったのにね。」
同じような神話をスーが言った。
「罰を受けても、
星座になれない動物もいるんですね。」
レナタは疑問を抱く。
――星鳥が星座になれなかった話なんて、
星の本で読んだことないわ。
わたしはサンサの顔を見て
次の言葉を待った。
「ニクスでも知らない話よ。
この話はいま作ったものだから、
あなたが知らないのも当然よね。」
「えっ?」と、驚いたのはわたしだけ。
「星鳥に星座の逸話はないからね。」
スーが頷く。
レナタも想像通りらしく、溜め息を吐く。
「神話なんてものは
古代のひとが作った娯楽の詩歌や、
星座を覚える為の物語に過ぎないのよ。
目的が異なるのだから、
そこに真理はないわよ。」
「その手の作り話なら、
わたしはサンサから
100個くらい聞かされたわ。」
昼寝から起きてきたメノーが言う。
「人聞きが悪いわね。
ちゃんと本当の話も混ぜてるわよ。」
「悪質…。」
メノーは上空を指示した。
「もうすぐ終わるわねぇ。」
煙突から昇る蒸気は薄く、
ウラの火葬は終わりを迎える。
「この後は、ウラはどうなるの?」
「彼女の名前は火葬場に記録されるわ。
遺骨は業者が川船を使って、
エルテルまで運んで海に流すのよ。
死体を放置すれば
人間にとっては有害だけれど、
燃やして海に流して何百年も経てば、
いつかはモルタルの材料になるわね。」
「その時まで生きていればの話ねぇ。」
メノーが言って穏やかに笑う。
「自然の循環って、便利な仕組みよね。」
「死者にお金を惜しまないひとが、
火葬されるんだよ。
お金があっても火葬されないひとは
道端に捨てられるから、
回収して埋めてるもんね。
死者の遺志に関係なく、ね。」」
「えぇ。マルフの仕事ね。
あとは土の中の小さな生物が、
分解してくれるわよ。」
「死んだひとはみんな、
星になるんですね。」
納得がいったレナタが深く頷く。
「それ、詩的で良い考えね。」と、サンサ。
「ニクスに教わったんです。」
「えー。それ、私が言ったんだよ。」
スーが抗議する。
わたしも控えめに首を縦に振った。
煙突から蒸気が途切れた。
わたし達は同じ空を見上げる。
スーもレナタも、サンサもメノーも。
グルグスや、ハーフガンも見ていた。
青色に薄く消えゆく蒸気。
煙突よりも高く、防壁よりも高く、
空よりも高く昇る雲を見上げていると、
弱々しく頼り無い光点を見つけて
わたしは体勢を崩した。
「ニクス?」
緑の上に倒れた時に地面に臀部を打った。
「痛い…でも、平気。」
「ニクス、またなの?」
サンサが捓う。
「星でも掴もうとしたのかしらね。」
暑くて脱いだままにしたわたしの上着を
ハーフガンが持ってきて、
サンサに無言で押し付ける。
彼は黙ってわたしの足元に
サンダルを投げると、また睨んだ。
グルグスは軽くなった水袋を肩に下げ、
分厚く重い絨毯を丸めて軽々と担いでいる。
空に見つけた光点は見失ってしまった。
「あなたの上着よ。
日が傾けば寒くなるから
着た方が良いわね。
それともわたしの飾り布と
交換してあげましょうか。」
「…ほらね。」
子供扱いして捓うサンサ。
わたしがレナタに告げると、
彼女はサンサに呆れながらも
優しく笑ってくれる。
座ったまま上着の袖に腕を通し、
緑の上のサンダルを手にする。
足背部に太い革を巻いただけで、
革紐で踵を固定しないサンダル。
わたしの足底は、
扇風機の曲軸を踏み回した時に
皮が破れてしまった。
傷の保護で布を巻いていて、
外出用のサンダルが履けなかった。
その為、館の手洗い所に置いている
この代用品のサンダルを履かされていた。
座ったまま足の指についた砂を払い、
サンダルを履き直す。
一瞬の痛みに足を引くと、
薄暗い地下の檻での景色が過る。
どこからか、甘く張り付く臭気がした。
思い出そうとしても、
頭の中には灰色の靄が漂う。
「ニクス。帰るわよ。」
サンサに呼び掛けられ、
わたしは顔を見て立ち上がった。
◆ 序章 『婚星の路』 おわり




