「昔々、遠く離れた大陸に、
名も無き村がありました。
川の干害に悩むその村に、
隣国の伝道師がやってきました。
伝道師はこう言います。
『川が渇れるのは、
神が村の女に嫉妬しているのだ。』
伝道師は村の者に、
若い女の供出を提言します。」
「人身御供というやつね。」
スーの話にサンサが口を挟んで説明する。
わたしは呼吸を繰り返すだけで、
返事をしていられない。
「村の者達は話し合い、
若い女を伝道師に預けます。
すると雨が降り、川には水が戻り、
神からは輓獣を得ました。」
「輓、獣?」
「硬い土壌に有輪犂という重い道具を、
家畜の力で引っ張らせて耕起――、
畑を作る為に耕す動物のことよ。
大陸で使われてたのは主に牛ね。
馬車や橇を牽く動物も輓獣と呼んで、
背に荷物を載せた動物は、
馬や牛でも駄獣と呼ぶわね。
驢馬や駱駝も駄獣ね。
昔話は勉強になるでしょ。」
足を回し続けなければならないせいで、
サンサの説明に頷く余裕もない。
「しかし翌年も川は渇れ、
また村に隣国伝道師がやってきました。
村の者達は人身御供を続け、
神から水と富を得ようとしました。
川が渇れたままでは、
拓いた畑に水を引けません。」
「なぜかしらね。」
太腿が自分のものとは
思えないほど重たくて、
呼吸もつらく、考えられない。
「女を捧げて利益を求めた
村の者達に対して神は怒ったのです。
伝道師であっても神の機嫌は取れません。
村の者達は女を幾人か集め、
すぐに彼女達を神へと貢ぎました。
こうして貢ぎ物を捧げ続けた村は、
干害に遭うことはありませんでした。
ですが、村にはついに若者が居なくなり、
村は滅んでしまいました。」
「ダメぇ、もう、無理ぃ…。」
村が滅んだので話が終わりと思って、
曲軸を回す足を止めようとした。
もう力が入らない。
「あーニクス!
足を緩めて止めて。」
大型の歯車は重さで慣性が働き、
曲軸と共に回り続ける。
回転する曲軸が、
足に当たってとても痛い。
ロープで繋がれた小型の歯車は、
扇が床を何度か擦る時の抵抗で
回転は止まってくれた。
馬を降りたら立てずに跪き、
這って壁を背にして座ると、
伸ばした足が震えていた。
「部屋、は、乾いた?」
長い葉を持つ扇はコンクリートに当たり、
砕けて擦れて床に葉を散らしている。
「それなんだけど…、
先にガラス窓を開けて、
風通しを良くするべきだったね。
カーテンを開けるだけで忘れてたよ。」
「そんな、いま、さら…。」
扇風機で苦労してあおぎ、
外の空気を部屋に向けても、
部屋の中の空気に押し返されていた。
空気中の水分を吸い取らせる為に、
窓を開けてから乾燥した風を送って、
空気が循環する環境にしないといけない。
塔で乳母達が日頃からやっていた行動も、
本で読んで知っている知識であっても、
自分がやる立場になると忘れてしまう。
わたしの醜態を見兼ね、
アルが鳴いて太腿に乗ろうとする。
サンサがそれを制止して、
アルを抱き上げた。
「あなた、また。
余計なことしないの。
仕方がないわね。
スーは酔っ払いを連れてきて。」
「はぁい。」
スーは酔っ払いという男を呼びに、
階段を下りて行ってしまう。
「それで…あれ? なんの、話だっけ?」
「伝道師は村人達を騙して、
川を塞き止めていたのよ。」
「牛をくれたのに?」
「ご褒美という見返りを与えれば、
村人達は信じるでしょ。
渇水で村人全員が飢えるのなら、
娘の一人くらい売り払うものよ。」
「それでひとが居なくなって村が滅んだら、
無駄に終わるよね。
水源を確かめたり、伝道師を疑えば。」
「欲が思考を止めてしまうのよ。
それに隣の国は、税を納めなかった村を
周囲への見せしめにする必要あった。」
「それ、だけで?」
「民衆とは国家の為に存在する、
と考えるのはどこの統治者も同じね。
土地や水源の権利を主張し、
税を納めなければ土地を奪い、
川にはダムが設けられる。
違反を見過ごした国は、
蛮族から土地や民衆も守れなくなるわ。」
「国…。」
わたしは故郷の国を思い浮かべた。
遠くに見える湖の輝きを。
「スーには悪いけれど、
この話には続きがあるのよ。」
顔を見上げたわたしに、
サンサは口角を上げて微笑を浮かべる。
「伝道師を名乗ったその詐欺師は、
手癖が悪くて盗みを働いたのよ。
国宝の鏡を盗んだことで国を追われ、
逃げ延びた先では落雷を受けて、
詐欺師は最期を迎えるの。
盗み、騙せば報いを受ける。
という教訓よね。」
「おい、なんの用だ。」
荒々しい声を放ってやってきたのは、
濃い肌に濃い眉、黒髪に黒髭の男。

この館内で剣を佩いていられる人物は
なぜかこの男に限られる。
床に足を伸ばして休んでいたわたしを、
藍色の淀んだ目で睨みつける。
グルグスのような大男とは違い、
背はそれほど高くはない。
貧弱なわたしからすれば、
サンサ以外の大人はみんな大きく見える。
「来たわね、酔っ払い。」サンサが言う。
「訂正しろ!
俺は今日も飲んでないぞっ。」
「飲んでた頃のあなたは、
いつもわたしに同じことを言ってたわよ。
酔っていて覚えてないでしょ。
あなたの言葉には
それだけ信用がないのよ。」
「言いたい放題言ってくれる…。」
しかし彼は言い返せない。
彼の後ろからスーも戻ってきた。
彼女は厨房から水を持ってきてくれた。
「サンサ。
相手がいくら粗野でも、
事実を指摘すれば傷つくような
繊細なひとも居るんだよ。」
「知ってるわよ。
だからお酒に逃げたのよ。
ニクスも覚えておきなさい。」
グルグスのように簡単には
頭を下げないハーフガンだけれども、
サンサを相手に頭が上がらずにいる。
そして立場の弱いわたしが睨まれた。
「ちょっと、それに乗って。
足元の棒を踏んで回して。
焦らないでよ。」
「なんだ、これは。」
「いいから言う通りにしないと、
エリクに言いつけるわよ。」
「いつまでもそれで
強要できると思うなよ。」
言いながらも彼は馬の背に座り、
筋肉質の太い脚で曲軸を踏み蹴った。
力強く――。
館の庭に乾いた音を響かせる。
大型の歯車から伸びた左右の曲軸は、
回転せずに折れてしまった。
「あぁっ! ちゃんと説明を聞きなさいよ!
酔っ払いっ! 根性無しぃ!」
「言われた通りやっただろっ!
そこまで言うなら自分でやれっ!
足はまだ2本あるんだろ!」
「雇い主に酷いわね!
その似合ってない髭、
さっさと剃りなさい。」
「似合ってるだろ!
絶対に似合ってる!」
「二人っていつもこんな感じなんだよ。」
呆れた様子でスーが言った。
「仲良しなんだね。」とわたしが呟く。
サンサは年齢不相応に若く見えるし、
ハーフガンの強情な言い方も子供っぽい。
隣の部屋のフランジはといえば、
廊下に立って優雅に扇をあおいでいる。

わたしより早く入った新入りの子で、
こちらと目が合うと手を振ってくる。
スーが気付いて手を振り返した。
わたしも顎を引いて、
頭を下げる素振りをした。
それからサンサに、わたしの考えを言った。
「足を使って部屋をあおぐだけなら、
こんな大掛かりな機材、必要ないよね。」
本来ならばフランジのように、
手を使って扇をあおげば済む仕事だった。
巨大な虫に歯車やロープを用いずとも、
糸車に薄い板を取り付けるなど、
軽量な道具はいくらでも考えつく。
木挽き台に歯車を仕込むだけで重量は嵩み、
移動の負担も増える。
「簡単に出し入れできないもんね。」
壊れた扇を取り外して同意してくれるスー。
この馬自体を運ぶのに、
グルグスといった他人の力も必要になる。
「もしかしてこれって、
歯車で車輪を動かす道具だったとか?」
「よく気付いたわね。」
木挽き台の脚部に空いた丸い穴は、
車輪の為の車軸を通すこともできる。
退化の科学論という本には、
前後に並んだ二つの車輪しかない車両が、
一人用の奇妙な乗り物として描かれていた。
一人で移動するだけならば
木挽き台に乗らずとも、本物の馬に乗れば
曲軸を踏み回す必要もなくなる。
歯車で車輪を動かせても
その材料の分だけ重くなり、
曲軸を踏み回す肉体労働になる。
重量があるので
輸送も移動も困難な、
ガラクタの変わり果てた姿。
「元の失敗作の流用を目的にしたから、
取り違えた機材になったんだね。」
わたしの呟きによって、
責任の眼差しがサンサにまた集まった。
サンサは肩を下げて深く溜め息を吐くと、
こう言った。
「偉大なる発明に、失敗は付き物よね。」
呆れて誰もなにも言わなくなると、
サンサに抱えられたアルがミャオと鳴いた。
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