「次は、はぁ、煤染めに、
行きましょう…。」
あとの洗濯は他のフランジに任せ、
玉石に足を縺れさせるレナタは
わたしの腕を抱き寄せて煤染めに行く。
「『煤染め』っていうのは
どんな仕事?」
――大丈夫かしら。
レナタの心配をしつつ訊ねたけれど、
ボイラー室でフランジの叫び声が
聞こえるので、すでに想像はつく。

「あのボイラー室と、
厨房の、煙突掃除です。」
玉石の庭の南に建つボイラー室には、
棒を持った小柄な女とフランジが、
頭巾に口布をして全身真黒になっている。
「煙突の煤落としね。」
黒のキャシュクにスラックスを履いた、
オーブ風の黒装束姿をした小柄な女は
煙突掃除の業者だった。

「煙突の内側に張りついた、
煤や乾留液の除去だよ。
ニクスはこれやったことある?」
スーの質問には当然、首を横に振った。
ネルタで煙突掃除は下働きの中でも、
口減らしの子供が行う仕事になる。
小太りの大人に連れられた男児達が、
各家を回る姿を塔から見つけたことがある。
彼らは揃って
煤に塗れた真黒な姿をしていた。
煙突掃除によって煤で汚れる子供達は、
その姿からオーブ領の奴隷と嘲られ、
石を投げられる光景を見た。
これは孤児が行う仕事だった。
孤児になったわたしは
スーの手で口布がされ、
棒の束が与えられた。
棒の束は3本で一つになっていて、
蝶番で棒が繋がっている。
「ここの爪で押したり引いたりして、
煙突に張り付いた煤を削ります。」
棒の先には爪と呼ばれる
鉄製の板が垂直に付いている。
爪にある黒い脂の塊、乾留液は
触ると粘着質で手に感触が残る。
煙突掃除で得られる乾留液を、
ニスに混ぜて木材の表面に塗ることで、
建物を雨による腐食から保護できる。
「ボイラー室は彼女達に任せて、
厨房に行きましょう。」
厨房には褐色の髪のヤゴウが、
窯の灰を浴びて顔まで白くなっていた。

二人の妻、ミョーンとラッタマも
口布をして忙しくしていても、
灰まみれのヤゴウを見て笑っている。

厨房に立っていた下働きの少女、
デーンの姿は見えない。
「煤染めは定期的にしないと、
火災が起きてしまいます。
最近は火災が多いそうですから、
ニクスも火の扱いには
気をつけてくださいね。」
「意気込みは良いわねぇ。」
とラッタマが言う。
「精励してね。」
とミョーンが微笑する。
口布の上にさらに口布を巻いて、
鼻と顔の隙間にはコットンを詰めていく。
厚く大きなサンダルを履いたレナタが、
棒を持って灰と木炭の掃除の済んだ
窯の中に入っていく。
わたしも同じサンダルを履き、
彼女に続いた。
窯は奥に深く、煙突の先は高く遠い。
内部の空気は熱くて、
喉が焼けるみたいに息苦しい。
「足元を見たまま目を閉じてください。
掃除をしている最中は絶対に、
目を開けてはダメですよ。」
窯の中ではレナタの高い声がよく響く。
二人も入れば狭い窯の中で煙突に向け、
壁面に鉄の爪を当てて棒を伸ばしていく。
棒を持って爪を上へと伸ばす度に、
乾留液の塊に引っ掛かり音が響く。
剥れた煤が落ちて、
頭や首元に何度も当たった。
爪先程度の塊でも当たると痛い。
「棒の先の爪が、手元に戻ってきたら、
左側に一足分移動して、
また削ります。
これを二人で、左から右に、
半周、繰り返します。」
レナタの言葉に従い
目を閉じて真暗な中で、
手と耳の感覚を頼りに
棒を上下に移動させて煤を落とす。
余熱と狭い窯の中に
二人で作業をしていると、
僅かな時間でも背中や腕に汗が滲む。
煙突の中をなんとか半周してから、
レナタの合図で服を引っ張られ、
窯から抜け出せた。
灰の粒子がわたしの目を突き、
痛くて開けられず、涙が零れる。
「まず顔を洗え。」ヤゴウが言った。
引っ張られた手がタライの水に漬けられ、
頭を突き出して顔についた煤を洗い落とす。

井戸の水は冷たくて気持ちがいい。
目を開けると、
無色透明なはずの井戸の水は黒く汚れていた。
「レナタ…?」
隣で顔を洗っているのは黒髪の少女。
輝く羊毛のような銀髪のレナタが
煤を被って、サンサみたいな
真黒な髪へと変わってしまった。
「脂の影響で、
すぐには落ちないんですよね。」
「そんなこともあろうと思って、
こんなのを用意してみたよ。」
スーが、野菜を洗うタライに入れた
少量の薄黄色い液体を見せてきた。
「なんです、これ。」
「クァンを漉して作った果汁だよ。
サンサは、これで汚れが落ちる
って言ってたから試してみよう。」
「サンサって…ねぇ、スー。
もう嫌な予感しかしませんが…。」
不安がるレナタに同意して、
わたしも黙って頷いた。
スーは布に果汁を染み込ませ、
煤で汚れたレナタの髪を揉む。
「待ってスー! 痛っぁ!
あっあぁー目に、入ったぁ!」
レナタが悲鳴を放ち、
液体の痛みに涙を零す。
髪に張り付いた煤を果汁で拭っても、
スーが思ったほど汚れを落とす効果はない。
「もっと濃くしないとかな。」
「食材を粗末にするな。」
ヤゴウが静かに抗議する。
「はい。ごめんなさい。
髪の煤を落とすのは難しいけど、
鍋洗いには使えると思うよ。
あ、ねえ、見てっ。
ここ、綺麗になったよね。」
スーが手近な鍋を手にして、
果汁に浸したブラシで擦って見せた。
「スーはもぉ! 変なことしないで!
ちゃんと手伝ってってばぁ!」
レナタは泣き叫びながら、
目を赤く充血させた。
わたし達についた煤は
ミョーンとラッタマの二人の手により、
髪の毛を引き抜く勢いで拭かれた。
濡れた顔を拭いていると、
厨房に入ってきた下働きの少女、
デーンが井戸から水を新たに汲んで来た。
「あのさ、頭巾をさせなかったの?」
と、デーンが言った。
「頭巾?」わたしは彼女に訊ねた。
少女は険のある顔つきで、
叱っているようにも聞こえる。
ヤゴウの妻達が顔を見合わせて微笑する。
「だって、意気込んでたんだもの。」
「ねぇ。ふふっ。」
ミョーンとラッタマが揃って笑う。
「すみません。
頭巾をすれば良かったんですが、
わたしが手順を抜かしたばかりに、
ニクスまで真黒にさせてしまって…。」
息を荒くして取り乱していたレナタは
ようやく落ち着いたのか、
わたしに向かって律儀に謝った。
ミョーンとラッタマの目が笑っていたのは、
この失敗を予測していたからだった。
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