外章 第5節 星海の船(第2項)
ラッガがフレヤとレイヤの姉妹を連れて
甲板に出てきた。
妹のレイヤは帰国を愉しみにしていても、
姉のフレヤの表情は浮かない。
その二人に挟まれたラッガの表情は
髪と髭に覆われていても、
隠せないほど疲れ切っている。
島の南部では髭を蓄えた方が
男らしいとされても、島の外から来た
二人の好みが正反対なのは興味深い。
「おう、おつかれ。」
ゼオがラッガを上辺だけ労う。
一瞬、姉のフレヤが私達から目を逸らした。
「なんでお前達、来ないんだ…。」
「スーが船内に行くと、
酔いが酷くなるって言うからな。」
言ったフルリーンの船酔いは、
飴の薬効で治まっている。
『ラッガにおかしなこと、
されなかった?』
『させるわけないだろ。』姉のフレヤ。
『構いませんのに。』妹のレイヤ。
よく似た顔の姉妹でも意見は異なる。
『島にはあなた達と平衡する婚姻相手は
見つからなかったんだね。』
『お前が殺してしまったからな。』
姉のフレヤがヘッペを暗示する
意地悪な発言に私も笑ってしまった。
島を出てから包み隠すことのなくなった
フレヤの性格にはとても好意を持った。
『私、彼と婚姻するわ。いいでしょ?』
妹レイヤの言葉に、
ラッガが小刻みに首を横に振っている。
鐘楼で退屈していたラッガは
表情を豊かに歪ませて困惑し、
ゼオは甲板に仰け反って笑っている。
二人は揃ってサンサに良く似ている。
『フレヤは認めてあげないんだ。』
『身分の無い相手など、
我が国は許さない。』
『メーニェの「呪い」だね。
残念だったね、ラッガ。』
私に言われても彼は喜べはしない。
「ふふっ。未練がましいやつめ。」
ラッガの状態だけを見て、
ゼオは好き放題言う。
「メーニェの娘ってのは、
婚姻相手を探しに島に送られたんだろ?
それが相手も無しに
本国に帰るなんてな。」
フルリーンは大陸語の会話に、
耳が慣れてきて理解しつつある。
「島とメーニェの政略婚だもん。
フルリーンだって
親が決めた相手なんて嫌だよね。」
彼女は少し考えている。
「…品のないやつだったから、
引っ叩いて追い返したことがあるな。」
「ヘッペのこと?」
「正解。」
フルリーンと一緒になって笑った。
「お前達は、どうするんだ?」
『エンカーンで喋っていいよ。フレヤ。
フルリーンも耳が慣れて
聞き取れてると思うから。』
妹のレイヤに比べて姉のフレヤは
国を背負っているだけあって、
感情が控えめで落ち着きもある。
『メーニェに着いたところで
奴隷になって島に戻されるだけだぞ。』
『私達のこと、心配してくれるんだ。』
「着いたら捕まるのか?」と、フルリーン。
『捕まらないよ。
メーニェって島に、
国なんてものは存在しないからね。
あの島は昔も今も、漁師だった
エンカーンにとってはただの休息地。』
『やはり知っているのか。』
フレヤが顎を突き出して驚いてみせる。
『サテュラの娘だからね。
もちろん、大陸の歴史書も読んでるよ。』
「メーニェに国が無い?」
遅れて会話を理解したフルリーンの
疑問に私は頷く。
メーニェはその名前の通り、
『なにもない』を意味する。
都市も無ければ島民も居ない。
『本国はあんな僅かな貢ぎ物で、
対話が出来る相手ではないぞ。
氏族でも島送りにするような連中だ。』
『私達は統治者相手ではなく
あなた達と交渉がしたかったから、
そこは心配しなくていいよ。』
「なんて?」と、フルリーンが訊ねる。
「メーニェと取引だと。」ラッガが訳す。
ラッガはレイヤから離れようと、
フルリーンに通訳を始めた。
『私達と交渉? 目的はなんだ?
お前になにが出せる?
こいつらか? お前自身か?』
「またおれ達を売ろうとしてる。」
「またでもないって。」
否定する私はまた疑いを掛けられている。
『買いますっ!』
元気に言った妹のレイヤが釣れる。
彼女も島の言葉を理解していても
演技は続けている。
『ラッガは売り物ではないけど、
協力するなら考えてあげる。』
『否定してくれ…。』
彼は半ば諦めている。
フルリーンとレイヤにも飴をあげ、
疑り深いフレヤにも同じものを差し出す。
またアルが背を伸ばして鼻を近付ける。
『レイヤ。
冗談を言ってる場合ではないぞ。』
フレヤが飴を頬張るのを見てから私は言う。
『あなた達に、毒を売ってあげる。』
『毒っ?』
口に含んだ飴に、フレヤは驚いて咽る。
『安心して。
エンカー半島には低金利で
お金を貸してあげるだけだよ。』
「エンカー?」
地名を聞いてフルリーンだけではなく
ゼオまでも目を輝かせ、口元を緩ませる。
「この船は大陸の要塞都市、
エンカーに行くんだよ。」
大陸の北方にあるソーンと
南方にあるクレワのあいだには、
エンカー半島という要塞都市がある。
メーニェ島のナルキア海賊船団は
元は漁師の集まりで、古くから
エンカーの都市を要衝にしていた。
海賊に扮した、傭兵達の都市。
大陸からの島に来る陶磁器の
緩衝材に使われる羊皮紙の落書きから、
これらの関連性を読み取ることができた。
『貸金? 銀行…か?
オーブとエルテルで見た。』
『惜しいね。
大陸の南北に偽のお金を配る為だよ。』
「は?」ラッガの通訳が止まる。
「なんて言ったんだ?」
「グレイ老と同じ悪事を働くのか?」
「ははっ! 硬貨の偽造かっ?」
ラッガの質問にフルリーンは察知した。
グレイとサンサの撒いた偽貨は、
状況として重罪とも断言できないけれど、
私の狙いは大陸に疫病を撒く行為だった。
『サンサが島でやったことを
私達は大陸でやるんだよ。
北方のソーンと南方のクレワ。
私達の作った偽のお金を
両者が押し付け合うことで、
エンカーには本物のお金が集まる。』
『そんなことをすれば、
南北でまた戦争が起きるぞ!』
大声を放つ姉に、
妹のレイヤも目を見開いて驚いた。
『生物は競い合いを続けるものだからね。
アラズとアリュールの
思想という服を纏って、実物の服も着ずに
裸で偉ぶってるだけのかれらだもんね。』
エンカーに伝わる詩の引用をすると
レイヤが嬉笑し、フレヤが睨んできた。
思想は主張を権威付ける道具として、
古代から大陸で利用されてきた。
『私は口実を与えるだけで、
交渉を続けるか、奪い合うかは
かれら集団の意志に過ぎないよ。』
『…死者が出るのは確実だ。』
『戦って死ぬのは兵士だけではないよ。
無関係の民衆が
飢えて死ぬのは理解してる。
私はその犠牲を厭わない。
守れるものは限られるから
序列を付けただけ。
大陸南北の思想では、
これを差別とは呼ばないんだよね。』
フレヤとレイヤは私の目を見て、
揃って顎を引いて同意を示す。
大陸の南北が剣を掲げる理由の思想には、
差別と同じ意味の言葉が別にある。
ネルタはそんな大陸の思想を利用して、
感情論という本で偽り、正統記を作った。
『南北が争い
睨み合いが続けば洞窟港は秘匿されて、
エンカーはゼズ島の権益を占有できる。
メーニェ氏族はこれまで通り
島を発展させて監視を続け、
島を大陸の侵略から守る口実になる。
これで均衡が保たれるよね。』
寝ているアルの左右の耳を押さえて、
指を離すと両の耳が立つ。
古くから東部3領では
メーニェというなにもない島が、
ゼズ島の外洋で島を外敵から守る
竜の存在が信じられている。
ゼズ島という財宝を守る願望の竜が、
ゼズ島を攻めない理由にはならない。
竜が傷つき飢えれば、
守っていたゼズ島を巣穴にして牙を剥く。
大陸南北の通貨を
これから作る偽貨に擦り替えることで、
半島は疫病で負った恐慌からの
回復と立て直しが図れる。
ゼズ島を外敵から守る為には、
エンカー半島とメーニェ氏族に
大陸を注視させる必要がある。
『全部、サンサの企みか?』
『これは私の自我だよ。』
『自我?』ラッガが通訳に詰まる。
「魂のことだね。」
「スーは大陸の扇持ちになって、
両者に燻った残り火を煽るわけか。」
フルリーンの考えに、私は頷く。
『戦争、または競争とも言うけど、
呼び方を変えているだけだよ。
競争は手段や規模、場所が異なるだけで、
ひとの歴史には常に記されている。
歴史書にある古代の神々と同じく、
統治者達が自らの名前という
永遠の命を残す為だね。』
『そんな交渉を、私達とするのか…。
通貨偽造の共犯者になれ、と…。』
フレヤの目を見て顎を引く。
『シルクの製法を目当てに、
島の支配を企むより健全だよ。
貢ぎ物にしてるシルクの製法くらい
私が教えてあげるよ。
エルテルでは技術の再生に
15年も掛かってたけど、
布目当てに島に遠征したり
侵攻するより手軽だと思うよ。』
私の股に収まって、
静かにしていたアルが鳴いて応える。
妹のレイヤが、黙るフレヤを見た。
『私達が持ってきた金地金は、
偽貨を製造する為の資金と原料だね。
大陸の南北が偽貨を巡って
疑いあっているそのあいだに、
集めたお金でゼズ島の南側を開拓する。』
「…島の南側って…どうやってだ?」
「将軍、ハーフガンの洞窟だって、
偶然見つけたわけでもないからだよ。」
ラッガの疑問に私はサンサを真似して、
口角を上げて見せた。
「スーは会った時から、
おかしなやつだと思ってたが…。」
「えぇ…。」
話を理解したフルリーンから、
諦めにも近い評価を下された。
「サンサがオーブでやった偽造が、
大陸に場所を移しただけだな。
硬貨どころか
島の南側にも名前を刻む
大事業なわけだ。」
「フルリーンの仕事は、
これからもっと大変になるよ。
エンカーに入ったら偽造を始めて、
入植事業も進めないといけない。
そこまで付き合ってくれる?」
「そこまでだと?」
私の提案に彼女は顔を顰めた。
「あたしはお姫様達とは違って、
身分や地位に縛られないし
興味もないからな。
ニースって道具を使って、
あたしを楽しませてくれる
スーについていくんだ。
理由はそれだけでいいだろ?」
腕を組んで言うフルリーンの言葉に、
私は口元が緩んでしまう。
彼女への感謝は、これまでに学んだ
どんな言葉でも表現できない。
「硬貨の偽造なんて重罪だ。
口にすれば信用を無くすぞ。」
諫むゼオは声を弾ませる。
捻くれて享楽的なゼオの性格は、
サンサによく似てる。
「ラッガは?」
「…護衛が必要なんだろ?
歴史の証人くらいにはなってやるよ。」
『いまの、なんておっしゃいました?』
訊ねてみせる妹のレイヤだけど、
彼女は姉と共に島の言葉を学んでいて
私達の会話はずっと分かっている。
『レイヤがオレに付いて来られる女なら、
婚姻してやってもいい、ってさ。』
私の意訳にラッガは首を横に振って、
レイヤと私になにか訴えていた。
ゼオがお腹を抱えて笑っている。
『そんなこと言ってないぞっ!』
先に姉のフレヤが叫んだ。
『フレヤだってお家の命令に従わず、
ゼズ島で婚姻しないんだもん。
もし交渉に応じるのなら
私は協力を惜しまないよ。
あなたをメーニェの「呪い」から
解くこともできる。』
私はある方向に、視線を静かに逸らす。
『うぅ…ん?』
フレヤは私の視線に誘導されて
ゼオを横目で見た。
強かな姉のフレヤは王女様であっても、
年相応の生娘だった。
奇妙な男に惹かれやすい姉妹なので、
私達は乗船が許された。
『ふふっ…楽しみになってきたね。』
私が笑った理由を理解できていないゼオが、
サンサによく似た冷たい瞳で見てきた。
▶




