波に揺られる船の上。
私達は島での問題を処理したことで、
港長代理に黙認されて出港できた。
奴隷になって櫂を漕ぐことも
積荷として扱われることも無く、
メーニェ家の賓客という高待遇となった。
これも全部メーニェ家姉妹の威光と、
買収した調査員の働きが大きい。
ヘッペとドレンの計画は、
コロイド保険の調査員が
分水街のエイワズに報告した。
姉妹の船に便乗して島を発つ私達にとって、
顛末を知る必要はない。
いまごろ調査員は、
革命を未然に防いだ英雄扱いを
受けているに違いない。
――おかしな虫だね。
両舷の船腹から海面にまで複数伸びた
長い櫂が岩礁を押して軋み、
船が波に運ばれて島を離れる。
船員がハンドベルを叩くと、
帆桁が吊り上げられて展帆していく。
両手足と首に鉄の枷をつけた若い奴隷達が、
列になって太いロープを一斉に引く。
2本の帆柱には、黒色の帆が垂れる。
ゼズ島近海の荒れる海も、
暖かくなれば北端の波は穏やかになり、
半分広げた帆は僅かに風を受ける。
昼になれば風が出てきて船は進み、
岸壁の宝飾巾をしたゼズ島が
水平線に浮かんで見える。
船員達が繋ぎ合わせた巨大な帆が、
船首に向かって膨らんだ。
本で読んで頭で理解している操船も、
実際の作業を見ると得られるものは多く
目紛るしい。
展帆を終えた奴隷達の手の皮は剥け、
ロープは血で赤黒く染められている。
奴隷達は甲板に座って、
一様に帆を見上げていた。
枷で拘束される彼らであっても、
その魂までは拘束できない。
――帆が風を孕み、
揺り籠を揺らす。
揺り籠の上のフルリーンが、
海に向かって何度目かの嘔吐をした。
「うぅ…。」
胃の中身を失った彼女は、
泣きながら甲板に伸びて
いまにも干物になりかけている。
「ほいよ、真水だ。
大切に飲めってよ。」
ゼオが船室から水袋を持ってきた。

船の上で変装の必要がないゼオは、
普段の老馭者の白髭もせず、
清浄屋の宝飾巾も着けていない。
船上で街娼同然の格好でいると
貞操が危なくなると言う彼は、
剣を佩いて護衛の振りをしている。
「ありがとう、ゼオ。
ほら、フルリーン。
胃液を流さないと、
歯が溶けるよ。」
「もう吐きたくないぃ…。
泳いで行くぅ…。」
「無理だろ。」と、ゼオは笑っている。
フルリーンが苦手な乗り物ばかりの長旅は、
彼女の中で限界を迎えてしまい
泣き言を漏らし続けた。
彼女は無理して大陸まで付き合わず、
分水街の銀行から金地金を
用意してくれるだけで良かった。
私の無謀とも思える計画の誘いに、
理由も訊ねず、事情の詮索もせず、
大陸への旅に同行した。
私は下唇を軽く噛んで、
彼女の口に水袋の中身を押し込んだ。
「ここまで付き合ってくれて、
ありがとうね。」
私はこれまでの感謝をフルリーンに告げる。
でも鼻を啜っているフルリーンには、
聞こえていなかったのかもしれない。
孅くなった彼女の姿に
誘ったことへの後悔が募り、
詫びにもならない物を取り出した。
エルテル領で買った黄金色の玉粒を、
フルリーンの唇に触れさせる。
「ふっ? あに、これ? 固…。」
頬に入れて舌で転がし、
奥歯を使って割ろうとする。

食べられないのにアルが見上げている。
「噛んだら歯が割れるよ。
それは酔い止めの、苦くないお薬だね。」
「うまぁ…。」
フルリーンは口元を緩めて目を見開く。
「結局、あいつは
なにが目的だったんだ?」
「あいづぅ?」
ゼオの疑問に反応したフルリーン。
私は彼女の鼻から垂れた体液を拭き取る。
「ヘッペだ。
あいつは洞窟港をメーニェと対立させて、
ゼズ島の支配でも企んだのか?」
「ヘッペはネルタ族の王
ケイロウと同じことを――、
というよりサンスァラ王女の思想を
実行しようとしたのかな?」
「サンサの?」「スァラの?」
ゼオの姉、サンスァラ王女は
オーブ領でサンサを名乗り、
髪の色を変えて分水街で身を隠した。

彼女の呼称は二人で異なる。
「本人から聞いたわけでもないから、
ここからは全部、私の想像だよ。
カヴァの王家に生まれた彼女は、
王子オルドラスを助ける為に
ネルタに連れていかれた。
『献身の王女』なんて呼んでね。」
「オルゼウス議長やオルデウス王に、
強制されたとでも言いたいのか?」
ゼオの意見を私は肯定せずに続ける。
「湖周辺を占領して
権利を主張した民族。
王女はそこでゼズ島の北部統一、
言い換えると島の支配を企んでた。」
「あんでさ?」
飴を頬張って訊ねるフルリーン。
「サンスァラ王女は捕まった兄、
オルドラス王子の代用品だよ。
自分を捨てた国への復讐だから。」
「想像というか、願望じゃねえのか?」
ゼオが疑うのも無理はない。
「王女といっても
妾腹の生まれの女だからだよ。
王家に大切に育てられたところで
継承権は無く、序列の外の存在になる。
い。
本人の能力では
どうにもならない理由だもんね。
政略の道具扱いだから
正当かもしれないけど、
彼女は納得はしなかった。」
ゼオもフルリーンも
妾腹の生まれで国を捨てている。
その点では揃って頷いた。
「王女は巧言で貴族を唆した。」
「奸佞邪知だな。」
「スァラが、
カヴァとの敵対を企んだのか?」
想像上でのサンスァラ王女の言動は、
捻くれて狡賢いので否定できない。
「彼女のカヴァでの身分が
ネルタで通じるはずもなくて、
目的は達成できなかった。
カヴァの娼婦の娘という出自で
卑しい存在とされた彼女には、
意見する権利も与えられないはず。
南部では女は夜であるべき。
そんな差別の考えが
根底にあるからだね。」
「生意気な王女様の腕を、
鍍金の王が斬ったのか?」
「あぁ。」
フルリーンの想像にゼオは納得する。
ネルタでオルドラスの代わりに
捕虜になったサンスァラ王女の右腕は、
カヴァに送られて両国の関係は悪化した。
「そこが疑問だよね。
資源の乏しい国同士なら仮初めでも
『子供を産ませて同盟を結ぶべき。』
なんてカヴァの元老院議長、王女の
祖父のオルゼウスは狙っていたはず。
ネルタにとっては捕虜の代わりなのに、
王女に危害を加えたりするのかな?
そんな妄動に及べば
交渉にならないもんね。」
「当然だ。」またゼオが頷く。
「ゼオの考えはどっちなんだよ。」
フルリーンは眉間に力を入れる。
「ゼオの見解は本気にしなくていいよ。」
フルリーンは自分なりに、
考えをまとめようとする。
「対立の意志を示すだけではなく、
改めて腕を斬って送りつける
理由は――。」
「王女は自分で腕を斬った。」
「は?」
私の想像に、二人は目を驚かせる。
「戦争を起こさせる目的で、
腕を斬ったんだよ。」
「いや? どういうことだ?
お前の姉はそんなことすんのかよ。」
「妄想にもほどがあるぞ。」
指摘の通り、自分の妄想具合に私も頷く。
「自分の腕は自分では斬り落とせないし、
送り届けることもできないからね。
そこには協力者が居たんだよ。」
「はっ? ソーマ族かっ。」
ゼオが閃く。
フルリーンはまだ整理できていないのか、
飴を口の中で転がして考えている。
「繍旗に描かれていた二つの円は、
湖周辺にかつて存在していた
複数の民族の集まりを示していた。
ただし分水街に近かったナルキア族は、
第1次革命より前に決別してるね。
フルリーンも知ってる工場の持ち主、
夜の館のオーナー、ルービィの家名ね。
そのナルキア族が分水街に居るのは、
ネルタ族が湖の橋の建造に失敗して
被害を被ったからだね。
第1次革命は
湖の南部に残っていた西のネルタ族と、
東のソーマ族とのあいだで起きた。
王女が起こした、
とでも言うべきかな。
王女がネルタに行ったのも、
最初の革命が起きたのも20年前。
ネルタ族のケイロウは
王女の夢物語な計画を拒み、
ソーマ族を粛清したのがこの革命だね。
ソーマ族の生き残りが――。」
「…ラッガかっ!」
フルリーンも気付いた。
湖から溢れ出た水は、湖には戻らない。
「王女の腕を斬って、
カヴァに送ったのがソーマ族。
ラッガの親達だね。
でもネルタ族に敗れたソーマ族は、
国を追われて殺された。」
ゼオは当然の疑問を口にする。
「お前の想像のスァラは、狂ってるな。
自分の国と戦争をさせる目的で、
自分の腕を斬り落とさせるなんて…。
講和を望んだネルタ族が、
支配を企んだソーマ族を
追いやったのか?
20年も対立を続けた鍍金の王、
ケイロウが講和を望むものか?
逆なら分かるが。」
彼は鈍色の頭髪を掻いた。
「ゼオの言う通り、ソーマ族の企みを
ネルタ族が引き継ぐ必要もないだろ。
なんであんなに戦争を長引かせたんだ?」
ソーマ族の謀略であっても、
ネルタ族はカヴァとの講和を望まなかった。
「ネルタ族が革命を成し遂げても、
ソーマ族の意志と正反対
って理由でもないからだね。
ソーマ族とネルタ族は欲に支配され、
一つしかない王座の奪い合いをしただけ。
島が湖の権利を巡ってエルテルと、
カヴァ・ネルタの同盟が争えば、
サンスァラ王女の企み通りになった。
でもその頃に、
東部3領で疫病が蔓延して
均衡が崩れたんだよね。
ケイロウは機運に乗じて、
島の支配という考えに至ったのかも。」
「エルテルの恐慌は、
ネルタにとっては良かったのか。」
「サンスァラ王女は物事を、
羊皮紙の上の事象としか
捉えていなかったんだよ。」
私はアルを膝の上に抱えて、
前足を両手で摘む。
「王女は自分の行動で生じた被害を
直視しなかった。」
アルが鳴く。
「ラッガは?
あいつは革命で家族を失ってんだろ?」
「ラッガは信奉者だからな。
家族が殺された中で助けられてる。
親を亡くしたあいつと、
腕を失ったスァラだ。
相補ったんだろ。」
「会ったこと無いけどそのサンサって、
とんでもない『運命の女』だな。
国を一つ滅ぼしたわけだ。」
サンサと同じ銀髪のフルリーン。
彼女の正式な名前は、
オーブに現れた森の賢女
サンサから名付けられている。
「これはサンスァラ王女に対する私の妄想。
でも私が見てきたサンサは子供思いで
尊敬してるひとだよ。」
「本当かぁ?」と疑うフルリーン。
「サンサを牧者様なんて呼ぶひとも居るし、
狂気の女神なんて呼んで
崇めてたひとも居たね。
奸佞邪知の男。」
「扇持ちのヘッペか。
あいつも信奉者かよ。」
「娼婦に相手にされずに、
自棄を起こしたんだろ。」
ゼオが唾棄する。
「ヘッペは、
禁足地で雷霆を受けた
サンサを見たからかな。」
「は?」二人はまた揃って驚いた。
「サンサは統治者達を集めて、
この島の禁足地を案内した。
そしてソーマと同じく
雷霆を受けることで、
統治者達に結束の必要性を示した。
ヘッペという男は、
サンスァラ王女と同じやり方で
北部の統一を狙ったんだろうね。」
「スァラは死んだのか?」
私は首を捻って返答にした。
管理者の持つニースという技術は、
容姿を自在に変え、死という概念を奪う。
知識も技術も持っていない
赤子同然の人間にとって、
ニースという蜜は毒になる。
王女の考えは常軌を逸脱していた。
「愚かであり、優れている。」
「なんだそりゃ?」
「分からないもの。って言葉の意味。
それがニースだよ。」
フルリーンは手のひらを仰向けに差し出し、
なにを言うでもなく飴を催促してきた。
「気分はもう良くなってそうだな。」
「薬の効果だな?」
ゼオからの指摘を受けて、
フルリーンは自分の状態に驚いていた。
平衡感覚の優れたフルリーンが、
揺れる乗り物に弱いのは
体質が原因ではなかった。
卑しい妾腹には乗れないと考えていた、
彼女自身の意識に呪いがあった。
私はフルリーンが自らの呪いを取り除く
口実を与えたに過ぎない。
「まるでニースだね。」
フルリーンの快気を祝して、
酔い止めの薬と偽った
蜂蜜の飴をもう一つ与えた。
▶