ドレンは怒りを忘れ、
壁に寄り掛かると疲労からか
黙って私の話に耳を傾け始める。
「エルテル風邪が蔓延する以前、
メルセ領主ペタリオの子
リオンは病で死んだ。
風評を恐れて
死と病を秘匿したのは、
ペタリオの指示だよ。」
「なぜ溝女のお前が知っている?
流言ではないのか?
根拠を示せ!」
ドレンの疑問に、私は頷いて続ける。
「ペタリオの妻が息子リオンの死を嘆いて、
メーニェ家から来た従姉妹のサテュラに
手紙を綴ったんだよ。
マルフの、旧メリエ邸地下の書室には、
彼女への手紙が保管されているからね。
禁足地に行くのなら、
ドレンもその地位を使って、
ついでに目を通せばいい。
息子リオンの死後、
領主ペタリオは6歳の孤児、
奴隷だった扇持ちを自分の養子にした。
その子の名にヘッペを冠して
ヘッペリオと名前を付けた。」
「なんでヘッペだ?」
大陸の古語には疎いフルリーンが訊ねる。
「繊維のペヌンと同じ由来だよ。
繊維が得られる北部草、
大陸に生える植物の代わりだった。
ヘッペは『代表』って意味の他にも、
『代用品』って意味があるからね。
領主ペタリオはペタの因循を改めず、
息子の代用品にヘッペリオの名前を
変えることを許さなかった。
それでもヘッペは道化か
放蕩息子を演じてるのか、
とても手広くやったみたいだね。」
「親の金で遊んでただけだろ?」
ゼオが口を挟む。
「ヘッペこそ死んだペタリオの傀儡、
操り人形だったのかもしれないよ。
無産街では無法者にお金を払って、
放火事件を何件も起こしていた。
ヘッペは各地を遊び歩きながら、
自分の出自の形跡を消そうとした。
5年前にはヘッペの出自を知っていた、
先代港長のヴィット夫妻は暗殺された。
エルテル先代領主のエリクも、
若いのに病死なんて怪しいよね。
ドレンも体調は芳しくないみたいだね。
毎日の食事に毒は盛られてない?
知らなかったでは済まされないわね。」
壁に投げられて床に落ちた銀杯を拾い上げ、
汚れた暗色の底を見せるとドレンは怯えた。
「うぅあ…。」
身体の不調が思い当たるのか、
胸を押さえるドレンは言葉を呑み、
死の恐怖に取り乱して天井を仰ぎ見る。
ドレンの虚栄の義髪が後ろに外れて、
褐色の前髪が露わになった。
――ドレンの場合は、
ただの食べ過ぎだよね。
――貴族病という名前の。
貴族病は貴族が得られる権利だと
ドレンは勘違いしている。
風邪とは違い、
貴族病は脂肪が蓄積するだけで
明確な症状が出ない。
次第に臓器が正常に機能しなくなっても、
多くのひとは病気の進行に気付けない。
ドレンは過食が原因の肥満体だった。
体内の水分が血管外に漏出して溜まり、
手足に繋がる細い血管が破壊されている。
壊れた血管は血流が途絶え、
身体は内側から腐っていく。
彼の四肢は縛られたも同然で、
甘く張り付くような腐敗臭を放つ。
足の指は赤紫に黒変し、壊疽が見えた。
「そんな身体で禁足地の開拓なんて、
勇敢ではなくて無謀っていうんだよ。
お酒や塩漬けの魚卵ばかり
食べているからだね。
あなたは港長なんだから、
この街を歩いて見回ればいいわ。」
長いあいだ不摂生を続けたドレンが
今更生活を改善しても、
不老長寿を得られるとは断言できない。
日焼けした細い身体の調査員が、
肥満体の後ろで頷いている。
「手紙で伝わっているとは思うけど、
昨日洞窟港側が管理する土地で
彼女達、使者の馬車が襲われた。
馭者とメーニェの護衛が殺されてる。」
フレヤとレイヤ、
調査員が私と目を合わせて顎を引いた。
「馬車を襲った射手を殺したのも
ヘッペなのかもね。」
「馬車を洞窟港側で襲ったのは、
メーニェ本国と洞窟港の関係を
悪くさせることが目的か。」
ゼオの見解は私の想像と一致する。
「猜疑心で両者を唆して、
ドレンに排外意識を高めさせる。」
「私掠船を使った大陸のソーンに、
そんな話があったな。」
大陸史に詳しいゼオが指摘をして続ける。
「だがこいつは、出欲を膨らませて、
妄想の餌に食いついただけだろ。」
「島から集められる貢ぎ物や労働者、
大陸からの輸送された珍しい品物、
奴隷が港に集まる時期だもんね。
洞窟港を放棄するわけだから
メーニェに諂う必要も無くて、
時期として機運に乗じることができる。
ドレンはヘッペの企み通りに
動いてくれた。」
「これは、ワシの意志だ。」
傀儡のドレンは、抗議して唾を飛ばす。
「まだ言うかっ。」調査員は叱責する。
「メーニェ本国の支援を失うんだ。
メルセと同盟を組んだところで、
洞窟港はゼズ島の中でも孤立して
ネルタと同じ末路を辿るぞ。」
フルリーンがドレンに言って、気付く。
「いや、それがヘッペの狙いか。」
「統治者達の目の前に
欲という釣り餌を垂らして、
ヘッペは出自を抹消する為に
島全土の破滅を望んでる。
もしくはメーニェの女達に逃げられて
屈辱だったのかな。
支配欲、ただの性欲かもね。
夜の館の
誰にも買うことのできないドレイプから、
ユイガス金貨1枚で追い払われた男
だから――。」
ドレンの視線が話を続けている私ではなく、
入り口の傍に立つ私の、背後を見た。
「舌の回る溝女がっ。」
背後から囁かれ、
声の方角に振り向くより前に、
私の喉に短剣が突き立てられた。
濃い肌に暗い碧色の瞳、
強く癖のある濁った金髪を真ん中から分けた
痩身の男が私の隣に現れた。

彼は歯を見せて笑う。
――ヘッペ…。
宝飾巾越しに短剣を刺され、
ヘッペの押す力に負けて押された私は、
力を失い壁に寄り掛かる。
頭巾も宝飾巾も落ちて、
黒く斑に染まった髪が露わになった。
妹のレイヤが目を覆って悲鳴を放ち、
姉のフレヤが私から顔を背ける。
床に倒れる私の身体を、
フルリーンが支えてくれた。
アルは身体を捻って床に着く。
喉に血が湧き、
銅貨の味がまた口に広がる。
「…下賤な血で汚れたぞ。
僕の手をこれ以上
汚させないでくれよ。」
ヘッペは私の返り血で濡れた指を
赤子のように吸い、満足そうに唇を舐めた。
彼の胸元の、
金の鎖に代えた飾緒が鈍く反射する。
――…浅ましい。
姉妹以上にシドレが驚き、後退りして、
脂の塊を支えられずに重いお尻から倒れた。
「流言に唆されては困るぞ、ドレン。」
「ヘッペリオッ! なにをしているっ!
ワシの、館でっ! 殺しおってっ!」
「溝女一人を殺した程度で喚くな。
ドレンは予定通り、港を閉鎖するんだ。」
「ヘッペリオッ! 妄動を起こしたなっ。」
調査員が叱責する。
「エイワズの犬は黙って従え。
古臭い連中など相手にせず、
僕について来い。
こんな僻地で燻らずに済むぞ。」
「あんたは俺の雇い主でも上役でもない。」
ヘッペに揺さぶられるドレンに比べれば、
調査員の彼の方が一貫性がある。
私が買収した後とはいえ、
調査員は状況の優先度を理解していた。
「僕がメルセの領主となれば、
お前達の名前は後世に残るだろう。」
「扇持ちよ。」
私と目を合わせたゼオが、
ヘッペを挑発する。
「ペタの次代領主を騙るのは辞めたのか?
「騙るもなにもないだろっ!
僕こそがメルセの正当後継者だっ!
薄汚い溝男が口を挟むなっ!」
ヘッペは感情を沸き立たせ、侮辱し、
歯茎を剥き出しにする。
日陰の庭でも見せたことのない顔。
「脂身のドレンよりも、
領主を僭称する道化のお前の方が
絞首台が似合うぜ。」
相手の侮辱など気にせず、
ゼオは意図してヘッペを煽る。
「腹立たしいよ…。
マイダスといい…あの溝女…、
狂気の女神を騙った金赤色の偽者といい。
みんなで僕を嘲笑して…。
黙って僕の命令に従えば良いんだ。
お前も望み通り、
目障りな貴族共の相手をさせてやるよ。
僕に貢献できることを感謝しろ。」
ゼオ相手に憤るヘッペに、
今度はラッガが口を挟む。
「お前が街娼を唆して、
殺しを命じたのか。」
「学のないやつは嫌いだね。
女なんて生き物は、古代から
男にその身を捧げる為に生まれたんだ。
運命の女としての
使命を与えてやっただけさ。
考える頭が無いから感謝すらしない獣だ。
だから僕が躾けてやってるんだ。」
ニクスを監禁したビンスの暗殺にも、
ヘッペが関わっていることが分かった。
「あぁ、メーニェのお姫様方、
二人なら歓迎するよ。
ヴィット家やヒュルゲン家、
メリエ家にやった溝女達より
大切に使ってやるさ。」
唇を舐めて誘うヘッペから目逸らして、
拒絶する姉妹、フレヤが私を見た。
私に代わってフルリーンの腕の中で、
口を開けて見せたアル。
「退屈な演説で、欠伸が出るね。」
ヘッペの主張に私は口を挟んだ。
「本当、浅ましいよ。」
ヘッペは私の呼び掛けに振り返り、
衝撃に驚き、視線を上下させて混乱する。
私は喉に刺さった短剣を抜き、
両手で柄を固く握ってから
腋を閉じて肘に体重を掛ける。
ヘッペの右脇腹に向けて
短剣を深く捻り込み、
彼の身体を僅かに持ち上げた。
――復讐に怒りという感情は必要ない。
人体を破壊する感触が、
手を通じて耳にまで伝わる。
死の臭気、血と共に失われる熱が、
空気に混ざって鼻腔に渦巻く。
「娼婦に刺された気分はいかがかしら?」
ヘッペは娼婦を唆し、
劇場に居た父母を殺し、
私達の居た邸宅を盗賊に襲わせた。
ヘッペは痛みに汗を滲ませ私を押し、
割れた姿見に映る歪んだ自分を見て
絶叫した。
彼の喧しい声は館の雄鶏を思い出させる。
ヘッペが叫び終えると跪き、
力無く地面に倒れた。
ヘッペは自分の脇腹に刺さった
短剣の柄に指先で触れたけど、
痛みと死への恐怖と混乱でなにもできない。
手を胸にして力を込めて祈っていると、
鍍金した鎖が脆く引き千切れた。
「けろ…助け、ろっ!」
「スー…、髪が…傷も。」
フルリーンが黒く染めた私の髪の
ゼラチンが剥がれ落ちて、
元の金髪に戻っていく。
『ニース』の機能で
刺された首の傷も塞がっている。
「名前や外見を偽るにしても、
頭髪程度に留めておかないと
信用を損ねるんだよね。」
呆けるフルリーンの腕の中でアルが鳴く。
首を刺されて死んだ私は、
身体の機能を取り戻す。
サンサはこの特異な技術を用いて、
髪だけを黒に染めて変装していた。
ニースにあるこの技術を持っていれば、
誰にでも成り代わることができた。
私だけではなく、誰もが容姿を
自由自在に変えることができれば
いまの社会は大きく変わる。
突出した技術は、
必ずしも望む方向に向かうとは限らない。
遥遠代から発展を遂げた末のように、
文明は進退を繰り返す可能性もある。
人間の社会はひとが正しくある前提で
成立していて、盗賊や海賊のように
略奪や欺騙が横行すると社会は成立しない。
簡単に他人に成り代わり、偽り、死なず、
何度も容姿を変えてしまうと、信用を失う。
サンサは誰にも成り代わらず、
この技術に自ら制約を設けていた。
フルリーンの腕の中から跳び出して、
足元でアルが鳴き、私に呼び掛けた。
「ダメだよ。アル。」
「お前、お嬢の…
騙、したな…。
返せ、僕の…。
僕の、金貨…。」
ヘッペは冷たく硬い床と肌を重ねたまま、
歯を血と唾液で染めて私を見ていた。
「私に押し付けたあのユイガス金貨は、
サンサが作った鍍金の偽貨だよ。」
私の言葉は、ヘッペの耳には届かない。
大陸北方の大国、
ソーンの暗愚、ユイガス王。
宝飾品を輸送時の擦れ瑕から守る
ただの布切れを、商人に騙されて
鼻口を覆う宝飾巾として買った愚かな王。
ソーンはメーニェ島海戦で大敗し、
彼の肖像の入った金貨は価値を失い
鋳直された。
この島で貴重とされるユイガス金貨も、
ソーンでの価値は無いに等しい。
「死を受け入れなさい。」
見下ろした死体に告げた。
「メルセの、次の領主だぞ…。
おいっ…、なんてことを…。」
ドレンが床に座ったまま、
ペタの次代領主と詐称した男の、
死体を見つめて呟いた。
「元から養子は領主にはなれないんだよね。
だからヘッペは領地のメルセではなくて、
城のあるペタの名前を使って
次代領主を騙ってたんだよね。
正統な後継者が居るメルセ領は、
ヘッペに首輪をせずに自由にさせていた。
切り離したというべきかな?
蜥蜴の尻尾のように。
こんな土地でドレンを唆したってことは、
領主の候補にヘッペの名前は
挙がらかったみたいだね。」
エリクの養子だったサンサも、
エルテル領の領主にはなれない。
「洞窟港はメルセ領の養子が、
メーニェの使者達の乗る馬車を
襲った事件を問題にすべきだね。
さて、ドレン。
無責任なこの死体に誑かされても、
まだ洞窟港の閉鎖をするつもりかな?」
「次代領主を騙る詐欺師を殺しただけだ。
迷惑な小者をメルセの代わりに
掃除してやったんだから、
連中に感謝はされても
頭を垂れる理由は無いだろ。」
フルリーンが要約して説明してくれ、
私やゼオ、ラッガさえも頷いた。
「この脂の塊を共犯者として
メルセに突き出すべきだろ。」
ラッガの意見はさらに厳しいものだった。
「ドレンも命乞いをするのなら、
調査員に頼んでみては?」
ドレンは調査員の顔を見上げるも、
買収済みの彼は黙って首を横に振る。
ヘッペという指導者を失った脂の塊は、
思考を放棄してしまった。
生物の脳も
蛋白質と脂の塊で出来ている事実は、
受け入れ難いものがある。
『おい、なんで、生きてる?』
キャシュクの首元を
血で真赤に染めた私を見て、
フレヤが妹のレイヤを抱いて震える。
『真似したらダメだよ。』
乾きはじめた首周りの血を、
爪で掻くと簡単に剥がれていく。
「ラッガも昔に、見たことあるよね。
サンサに助けられた時に。」
私とラッガはそれぞれ別の時期に
賊に襲われて家族を失い、
サンサに助けられた。
ユヴィルの傭兵に襲われたニクスも、
サンサに助けられて同じ光景を見ている。
「昔のことだがな。」
「スー、…まるでニースだな。」
私の姿を見たフルリーンが呟く。
彼女の生まれ育ったオーブ領では、
島の管理者が使った『ニース』を
神のような意味で捉えている。
『ニース?』
姉のフレヤが訊ねてきたので、
私は大陸語で質問に答える。
『ニースは技術を示す単語なの。
遥遠代では相手に対して、
「喜び」の感情を伝える時や
「優れている」なんて評価で、
好意的に使われてた言葉だよ。
古代は悪意で使われてたのに、
意味が逆転した代表的な単語だね。
「愚か」とか「脆い」
って意味だったんだよ。』
『どうしてそんな、
おかしなことになったんだ?』
フレヤはまだ混乱している。
『捓うつもりで使った言葉も、
相手の思考を読み取らなければ
意味があったところで通じないんだよ。
言葉は元々ただの記号だからだね。
正しい言葉というものがあったら、
言語は統一されてるはずだもんね。
遥遠代に大陸で失われていたニースも、
島では鄙言で使われているんだよ。
「分からないもの」って意味でね。』
フレヤは両の唇を噛んで目を逸らす。
『私はニースと呼ばれる
分からないものの技術で
死ななくなった。』
『ニースとは、死を失うのか…?』
彼女の直感的な解釈に、
私は顎を引いて目を合わせた。
『ニースは物差しや天秤では
測ることのできない技術。
人類はまだ迷信に揺れる船の上に居る。』
不明瞭な私の説明に、
フレヤは眉間に力を入れて訝しんだ。
『私は知らないことを知ってる。』
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