
夕刻には洞窟港に着き、
横転した馬車に残した荷物を
回収する為に労働者を雇った。
入植暦365年。17歳になるはずの春。
暦の上では年が明けても近海は荒れ、
島に入港する海船はまだ無い。
洞窟港閉鎖の噂を真に受けて、
出入りする行商人も少なかった。
洞窟港は出稼ぎの労働者が多く、
姉妹の荷物は馬車ごと全部回収できた。
フレヤとレイヤの荷物は
メーニェへの貢ぎ物になる。
貢ぎ物はエルテル産の布が僅かに積まれ、
他は旅で用いるクッションばかりで、
馬車が横転しても緩衝材になって
使者は二人共無傷だった。
貢ぎ物の窃盗は重罪で、
洞窟港では罪人は両の腕を斬り落とされ、
崖峭から外洋へ落とされる刑が処される。
足の腱も切られるので、
荒れた海でなくとも助かる術はない。
海禁法が布かれた島を出る唯一の方法と、
遠く分水街にまで伝えられている。
私達は労働者達が荷物を回収するあいだに
宿を手配した。
労働者達への報奨金は、
直ちに保険会社から支払われる。
襲撃犯と被害額の調査や
回収に時間を掛けてしまうと支払いが遅れ、
それが原因で暴動に発展するのを
避けなければならない。
調査員は洞窟港に異動して間もなく、
北部の日差しで肌が赤く荒れている。

エイワズの所有するコロイド保険の
調査員の彼には、事件調査の手間を省く為に
金地金を一つ渡して買収に成功した。
彼自身は私達を覚えていなくても、
彼は無産街の賭場でよく見た顔だった。
分水街からこんな僻地への
異動の理由は、西門の解放以外には、
お金の問題が原因と考えられる。
フレヤとレイヤはこの街の港長に、
襲撃事件を手紙で伝えてくれた。
調査員も証人になるように署名させた。
私達は彼女達の船への同乗を
希望する旨を伝えても、認可は降りない。
姉のフレヤから、
信用されていないせいもある。
――ラッガに惚れているレイヤとは別に、
フレヤは帰ることを望んでいない。
――婚姻を結んだラッガだけが
エンカーに連れて行かれるかもね。
彼女達を通じて、港長のドレンから
出港の許可が下りる方法を
探さなければいけない。
「真当な考えはあるのか?」
と、ゼオが朝から私を責付く。
今日はドレンとの会談があり、
ゼオは普段の老馭者の格好ではない。
ゼオは清浄屋の姿をしていても、
港長の邸宅で腰鉈と鋸を佩いては
脅しになる。
私も護身用の短剣を
帯紐に佩いては居ない。

頭巾と宝飾巾を着用する彼は、
男娼の格好になってしまった。
同じく頭巾と宝飾巾をした私も、
街娼の姿なのでそんな指摘もできない。
洞窟港を出る為の正式な手続きは存在せず、
奴隷になって櫂を漕ぐ以外に方法も無い。
「ドレンを人質にして外洋に出るには、
重くて船に積めるか心配だね。」
「脂の塊なら海でも浮くだろ。」
レイヤの相手に疲れているラッガは
奇妙なことを口走る。
「魚の餌にできるな。」と、ゼオ。
殺しと解体を行って来た二人。
土の中の小さな生物が
死体を分解するように、
海の中にも死体を食べる魚や、
骨を分解する小さな生物が存在する。
「人質にするにしても、
ドレンに価値が無いのが問題だよね。」
私の考えに、アルまでミャオと鳴いた。
「壮観だな。」
冗談を言い合う私達を気にもせず、
フルリーンが呟いたまま口を開けて
ゼズ山脈を眺めている。
『我々の上陸を拒むようであった。』と、
歴史書に記された山脈は誇張でもなかった。
露出した岩山の斜面には数多の穴が掘られ、
正六角形の枠と板で保護されている。
この横穴のほとんどは民家で、
この街に住む労働者が暮らしている。
遥遠代にもあった都市を模倣して
建造している、と本に書かれていた。
穴の足元は細い板で道が作られていて、
労働者が擦れ違うと落ちてしまわないか
見ていて心配になる。
忙しく出入りする労働者の姿は
餌を巣穴に運ぶ蜂とも書かれ、
私には図書館の司書官達にも見えた。
私は彼女と同様にこの光景を眺めた。
「フルリーン。
昨日も見てたよね。」
フルリーンと同様にこの光景を眺めた。
「昨日とは景色が違うだろ。
色々やって夕刻だったからな。」
昨日と同じくいくつもの横穴からは、
遅めの朝食の支度をする炊煙が見える。
「人間の営みだね。」
鐘楼のないこの洞窟港では、
朝が来ても鐘は鳴らない。
労働者達の岩壁を穿つ音が、
北の崖に反響して街全体を起こす。
港の北側は長く伸びた険しい山岳地で、
細く狭い土地に住むひとはほとんど居ない。
――分水街を守る防壁に似てるね。
その防壁に立つのは
哨兵ではなく山羊達の姿で、
草や塩を求めて動いている。

高い崖と、東西に続くゼズ山脈が港を囲み、
横穴の住処は古代の歴史を感じさせる。
「おぉ、あれがハーフガンってやつか?」
「…小さいな。」
洞窟に視線を向けて、ゼオとラッガが言う。
彼らは島を出る方法を私に一任している。
洞窟は遠く低い位置にあって、
指の先より小さく見える。
狭い入り江の砂浜に
貯水池程度の小さな海と、
洞窟を通り抜けた光の筋が海面を照らす。
――『暗闇に差し込む光を拒む山脈。』
そんな詩を、
入植十二画の前でニクス達に詠んだ。
『おはようございますっ。』
「ひっ!」
妹レイヤの登場にラッガが息を止めて驚く。
「ハーフガン?」と、フルリーン。
「メーニェ島海戦の将軍の名前だね。」
洞窟の名前をハーフガンと呼ぶのは、
将軍がお酒を飲んで海に落ちた為で、
分水街では酔っ払いの代名詞になった。
「ソーンの艦隊を相手に、妻と子供を
メーニェの島に残して囮にした彼は、
勝利しても結果を悔いながら
海に落ちて死んでしまった。
部下が見つけたあの洞窟に、
彼の名前を名付けた
って説があるんだよ。」
「その部下が、
この島の指導者ソーマだろ。
開拓者達を導いた英雄。」
言ったのは姉のフレヤであっても、
私は首を横に振る。
「洞窟港に記されたソーマは、
ただの肉体労働者だったみたい。」
アイリアが描いた入植十二画にも、
桟橋に佇んで袋を担ぐ彼の姿がある。
胸元に抱いたアルが、
歴史の話に飽きて欠伸をしている。
猫に触ろうとして、
アルに手を向ける妹のレイヤ。
アルは私の胸から離れずに、
彼女の手を嫌がった。
「集まったのなら、早く来い。」
フレヤは私達の中に、
頭巾と宝飾巾をした男娼が居ることに
目を見開いた。
昨日まで老馭者の姿をしていたゼオに
気付く様子はない。
私達はコロイド保険の調査員に案内され、
フレヤとレイヤが前を歩き、
港長の邸宅に向かった。
ラッガに惚れる妹のせいか、
姉は頻繁にこっちを振り向く。
街娼姿の私とゼオが並んで歩くのは、
奇妙な光景に見えるはず。
強かな性格の姉、フレイは
街娼を厭うような生娘でもない。
港からは肉体労働者達の、
荒々しい労働歌が聞こえる。
『ハーフガンが戦った。
ソーンの連中やっつけた。
ハーフガンが落っこちた。
酔って船から落っこちた。
ハーフガンが見つけた。
崖から洞窟見つけた。
ハーフガンは夢を見る。
酒樽抱いて宝の夢。』
妻子を失くし、海底で宝の夢を見た男に、
労働者達は歌の意味を分かってはいない。
海戦でメーニェ島を救った将軍は、
分水街では酔っ払いの詩になって、
酒宴の席で滑稽に歌われている。
――あの詩もサンサが作ったのよね。
浜辺までの坂道を西へと下り、
長い階段を上れば石造りの邸宅地に出る。
そこに洞窟港を治める港長の邸宅がある。
馬車も入れない場所で、
疲労を見せるフレヤとレイヤ。
姉のフレヤは休憩中に振り向いて、
私達の様子を頻繁に確認する。
私はアルだけを抱えて階段を上る。
急な階段でも
劇場の客席を上った時とは違い、
脹脛や腿に疲れを感じない。
オーブ出身のラッガとフルリーンは、
金地金を入れた重たい鞄を平然と担ぎ、
身軽に階段を上っていた。
『改めて見ると、畏ろしいわね。』
『頼りになるわよ。ゼオは別として。』
『そんな話、してないわよ。』
フレヤの呟きに応えると竜の尾を踏み、
彼女の機嫌をまた損ねてしまった。
ゼオは老馭者の役でもないのに、
宝飾巾の奥で息を切らしている。

頭巾を脱ぐと汗に濡れた鈍色の髪が、
陽の光を浴びて銀色に輝いている。
フレヤはゼオを睨みつけ、
再び階段を上っていく。
◆

港長の邸宅の客間に案内されて待つと、
シドレ・ハス・ドレンという名の付いた
脂の塊がようやく部屋に入ってきた。
部屋に備え付けられた細長い姿見も、
ドレンの幅広い身体では、
鏡から遠く離れなければ全身が収まらない。
ガラスの鏡はオーブ領でも手鏡程度ならば
作られていたけど、姿見は分水街にある
オーナーの持つ工場でしか手に入らない。
ガラス鏡の製法を教えたのは、
森の賢女と称えられたサンサだった。
この姿見は、美貌と叡智の象徴になる。
サンサは夜の館の名を広める為に、
都市の統治者に姿見を送ったものの、
ドレンにとっては不相応な鏡になった。
鏡のガラスには、亀裂まで入っている。
ドレンはお腹や首どころか、
足は指まで太い。
弧を描くように足を引き摺り、
2本の長い杖をついて歩く。
日時計島の広場を歩く道化を、
真似しているわけではない。
時折身体の痛みを堪えて、
抜けた歯の隙間から息を漏らす。
金色の義髪に、褐色の瞳が私達を睨む。
驕奢な腕輪には紫色をした手足、
強烈な香料の臭気が鼻腔を突き刺してきた。
胸元のアルがドレンの体臭に、
口を開けて動かなくなる。
フレヤとレイヤは椅子に座ったまま、
フルリーンとラッガはオーブ領からの
行商人を装い、乗船を求めることにした。
保険調査員がこの偽装に協力している。
街娼の格好をしている私とゼオは、
部屋の入り口付近に立って様子を窺う。
『メーニェからの入港は許す。
が、氏族であっても出港は認めん。』
片言の大陸語でドレンは言い放った。
『なにか、言い間違いか?』と姉のフレヤ。
ドレン相手ではなく、
保険調査員の男に訊ねる。
しかしドレンはなおも続けた。
『洞窟港はメーニェ本国と、関係を断つ。
これからは仕入れた奴隷共を遣い、
禁足地の開拓をする。』
『そんな話は聞いてないぞっ!』
帯同した調査員も驚き、
ドレンを叱りつける。
レイヤが困惑して、
ラッガに目で助けを求めている。
「これ、なんて言ってんの?」
隣のフルリーンは会話を理解できていない。
ラッガも私に目で説明を求める。
「シドレは港長の職を辞して、
指導者ソーマの真似をするつもり
なんだって。」
私がドレンの稚拙な考えを意訳して、
フルリーンに簡潔に伝えた。
「無産街で役者にでもなるのか?」
道化の真似ではないことに、
彼女は疑問を浮かべている。
「これは真似などではない!」
『その計画はいつから?
誰に唆されたの?』
「長年練っていた、ワシの計画だっ。
溝女如きが政治に口出しするな。」
私が大陸語で訊ねると、
ドレンは島の言葉で返してくる。
酒杯を呷り、テーブルに叩きつけた。
「禁足地の開拓でワシは歴史に名を残す。」
「酔ってんなぁ。」ゼオが呟く。
『ただの巣穴掘りが
ヴィット家の代わりに港長になって、
5年でここまで増長するなんてね。』
私は大陸語でドレンを罵倒した。
夜の館で認証管理になったファウナは、
洞窟港の港長を歴任するヴィット家の娘
と称している。
ファウナは両親の死後に伝手を頼り、
分水街の闘技場で通訳として働いた。
彼女の粗野な言葉遣いのせいで、
出自を信じているフランジは少ない。
「なんだとぉ? 溝女の分際で。」
理解まで時間のかかるドレンは怒り、
脂で弛んだ皮を揺らして膝を手に、
杖に寄り掛かってなんとか立ち上がった。
自重で立ち上がるのも苦労している。
「なんか悪口言ってんな?」
察するフルリーンが声を弾ませる。
「ドレンは自分の力で
その地位に上り詰めたって、
記憶を改竄しているんだね。
巣穴掘りが港長になったのは
ヴィット家が殺されたからで、
政治能力が優れたわけでも
議会で選出されたわけでもないのに。」
メリエ家の私が出自を明かしたところで、
ドレンのような驕った人間には通じない。
身分証を用意したところで
私腹を肥やすこの男が、
海禁法を破って許可を出すほど
豪胆とも思えない。
「鏡に映る自分の姿が見えてないよね。
老いと病に蝕まれた身体に、
死を畏れてお酒に逃げている醜い顔を。
シドレ・ハス・ドレンは暗愚として、
後世に汚名を残すつもりね。」
私の耳の横に銀の杯が飛んでくる。
「その喉、欠き切ってやる。」
ドレンが短剣を抜く。
太い腕、太い手に剣は似合わず、
お酒の影響で震えていて
格好もつかない。
私はなにもしていないのに
ドレンは足関節の痛みに呻き、
自重を支えられずに跪いた。
私は宝飾巾の奥で喋り続ける。
「カヴァの貴族化商人、
ヒュルゲン・ハス・ビンスが死んだのは
耳に入っているはずだよね。
ビンスはあなたと同じ病気だったね。
ネルタの王女を人質にして、
ネルタの占領を企てた男。」
「人質? ネルタは滅んだのにか?」
フルリーンが疑問を抱く。
「ネルタの土地を占領する口実だよ。
ネルタ族の女を利用した方が、
正当性を得られて手っ取り早いから。
戦争が終わってビンスは館に戻ると
すぐに娼婦に暗殺され、
王女も檻の中で死んでいた。」
地下の檻を見てきたラッガが頷く。
「ペタの次代領主を騙るヘッペは、
手札を失い企みは失敗に終わった。」
『ヘッペ?』
妹のレイヤは名前だけ聞き取った。
それと共にドレンの動きが一瞬止まる。
「5年前に港長になったドレンが
知らないのも無理はないよね。
領主ペタリオの息子は、
20年前に病死している。
ヘッペはメルセ領主の
正統後継者でもないんだよ。」
「はぁ?」フルリーンは呆れる。
「あいつは何者だ…?」
私の隣に立つゼオも、
跪くドレンと同じ疑問を抱いた。
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