外章 第4節 虚栄の器(第1項)
馬車の中から出てきたメーニェの使者は、
肩に掛ける飾り布を首に巻いている。
胸元に飾緒を渡らせていなくても、
上質なチュニックを着て品格を示す。
エルテル産の織物は、
光沢を抑えて強度を保ち、
規則正しい模様が浮かぶ。
――よく似た顔。
明るい碧色の瞳に金の髪、
特徴的な逆三角形の耳は同じで、
白い肌とやや日焼けした肌が並ぶ。
私達は雑木林から馬車に戻った。
戻ってきたラッガに抱きつく女と、
それを引き離そうとする女に、
私は大陸語で呼び掛けた。
『二人共、大事はない?』
『あなた、エンカーン?』
大陸中央のラギリ領にある半島。
要塞都市のエンカーでは、
その都市の人間をエンカーンと呼ぶ。
エンカーで使われる言語も、
同じ綴りと発音のエンカーンと呼んでいる。
『私はエンカーンではないよ。
母親がエンカーの出身だったから、
エンカーンも使えるだけだよ。』
『もしかしてメーニェ家の娘か?
疫病で死んだと…。』
私の黒く染めた髪をまず疑問視する。
父親がメーニェの娘と婚姻を結んでも、
分水街がいまも領地ではないのは、
大陸でも疫病が広まっていたからだった。
『メーニェ・セケ・サテュラは死んだわ。
私の名前はスースだよ。
名も無き者、ナルシャのスース。
スーって呼んでね。』
「自己紹介中?」と、フルリーン。
フルリーンは一度吐いたからか、
気分はすでに良くなっている。
オーブで鍛えられた彼女は、
乗り物以外では逞しくて頼もしい。
『このくらいなら聞き取れるはずだよ。
大陸に行くのなら
いまから耳を慣らしていかないと。
フルリーンも自己紹介をしたら?』
私はフルリーンに大陸語で促した。
『オーブで見た。
会った。知ってる。
オーブ領主の娘の…。ん?
私の名前は、フルリーンです。
フレヤと、レイヤ。
メーニェのお姫様。だろ?』
『辿々しいね。』
「辿々し? なんだ?」
フルリーンは聞き慣れない言葉に首を捻る。
姉がフレヤで、妹がレイヤ。
レイヤの方がラッガから離れようとしない。
「ラッガ、ゼオ。
二人は以前、
彼女達の護衛をやってたのよね。
こっちの言葉は通じるのかな。」
フレヤとレイヤは大陸語で、
ラッガについて口論している。
「オレはただの老馭者でさぁ。
護衛はこいつの担当だぞ。」
馭者を演じだしたゼオに言われても
ラッガは黙っている。
『二人は知ってる?』大陸語で訊ねた。
『分水街と以西の治安調査で、
エルテルのエリク卿に頼みました。
分水街の女帝、サンサから
非常に頼れる優秀な護衛だといって、
彼を引き合わせてくれましたの。』
――女帝…。
さっきまで何者かに襲われていたのに、
明るい表情で妹のレイヤが丁寧に喋る。
レイヤは目を輝かせて、
ラッガから目を離さない。
「エリク卿はメーニェの使者を
サンサに押し付けたんだよね。」
通訳を兼ねていた護衛が死んだせいか、
会話が止むと姉妹は遅れて顔を見合わせた。
私は島の言葉でフレヤとレイヤに対して
『厄介者』に等しい呼び方をしてみても、
こっちの言葉に姉妹の反応はない。
大陸から来た母親のサテュラも昔、
言葉には苦労したと語っていた。
使者が分水街以西を視察しようにも、
エルテル領の騎士団は伴わせられない。
戦争が終結して間もない疲弊した状態で、
騎士団が分水街やカヴァに入れば
武力介入に他ならない。
疫病で恐慌に陥り戦争に加担しなかった
エルテル領に対し、分水街は警戒して
カヴァには反感を与えてしまう。
そこでエルテル領主のエリクは
サンサを経由して、老馭者を演じるゼオと
ラッガを護衛に彼女達を案内させた。
エリクに信頼されたサンサの、二人の弟。
「ネルタ王女の噂の確認ついでだ。」
ゼオからそんな答えが返ってきた。
ヒュルゲン・ハス・ビンスは
カヴァの貴族化商人で戦争を支援し、
王女を人質にしてネルタの占領を企んだ。
ペタの次代領主を騙るヘッペが、
戦争の終わった冬に夜の館を訪れて、
日陰の庭でそんな流言を撒いた。
ヘッペは浅はかにも
ユイガス金貨1枚で私を買おうとして、
サンサの命令でハーフガンに追い出された。
『サンサと言ったか?
スーは、サンサを知ってるのか?』
と、姉のフレヤが訊ねてきた。
『サンサは私の家庭教師だった。
家族が死んでから
私はサンサに買われてね。
主客転倒だね。
私は夜の館の、
誰にも買うことのできないドレイプの
手伝い役だったんだよ。』
『あの丘の館に居たんですね。
ピッピには会いました?
元気にしてますか?』
『ピッピ?』
「赤毛のお嬢様だ。」とゼオ。
「ニクスをそんな名前で呼んでたの?」
私は姉妹の目を見て顎を引き、答える。
『いまも元気にしてるはずだよ。
あの子はサンサによく似て豪胆だから。
ニクスを介助してくれたことは
私からも感謝するわ。』
『もうメーニェに帰る時期だろ?
メルセ領に居たのか?
なんで洞窟港ではなく、
こんな場所に居るんだ。』
と、ラッガが疑問を投げかける。
ラッガは流暢に大陸語を喋った。
「お前、…食べる時以外で、
そんなに口が動くのかよ。」
ゼオは妙な点で驚いて、口を開閉させた。
『私のことを心配してくださるのですね。』
『洞窟港に居たところをヘッペに呼ばれて、
ペタ城に引き止められたのさ。
あいつが婚姻を迫ってきたから、
引っ叩いて出てきたらこの有り様よ。』
フレヤはお姫様と思えない強気な性格で、
明瞭な発音はフルリーンに近い。
「なんだって?」と、フルリーン。
『まずは洞窟港で宿を取りましょう。
港長に任せた方が良いかもしれない。』
「なんだってさ? なあ!」
大陸語、エンカーンでの会話に、
彼女は理解できずに取り残されている。
「フルリーン。ラッガ。
彼女達の荷物はこっちに積める?」
「…あぁ。あたしらの荷物は、
そんなに大きくはないよな。
でも重量のあるやつは無理だぜ。」
馬車の中には無産街で稼いだ金地金と、
エルテル領で仕入れた大量の猥本がある。
金地金は同じ容積の鉄より重く、
積載重量を考えて4頭立ての馬車を選んだ。
「積むのは二人と貴重品だけでいいよ。
他のは労働者を募って運ばせよう。」
「いや、てか襲ったやつは?」
「あの林で殺されてた。
殺した人物は見つからなかったから、
私達を見て去ったのかな。」
「確かに襲ってくる様子もないな。
去ったのにはなんか理由があるのか?」
「メーニェの馬車が襲われた
っていう事実があれば、
その人物にとっては
それで良かったんだよ。
でも花は虫を寄せ付けるから、
そのうちまた湧いて出るよ。」
「出るのかよっ。」
フルリーンの表情の変化は、
貴族やドレイプにはなくて
見ていて飽きない。
『スーもフルリーン嬢もスーにも
旅の途中で悪いが、迷惑でなければ
また彼に護衛を頼めるか?』
と、姉のフレヤが下唇を噛みながら
大陸語で提案してきた。
大陸ではナルキアンと呼ばれる
島の言葉での私達の会話は、
聞き取れていないらしい。
『構わないわよ。』
私は彼女と目を合わせて、
顎を引いて同意を示す。
『ほら、ラッガも再会を喜んでるし。
助け合いだもんね。』
レイヤに抱きつかれたラッガが下唇を噛み、
踟いがちに目を逸らす。
「まさかとは思うが、
これを狙ってたのか?」
隣でゼオが私を疑ってかかる。
カヴァで大陸語を学んでいる彼は、
私達の会話を聞き取れている。
「人聞きが悪いなぁ。
困っているひとが居るのなら助けないと。
相手から信用を得るには、
こっちが多少の損失を被ってでも
利益を与えるのが大切だよね。
融資って考えると良いかもね。」
「真当な考えに聞こえるが、
相手が言葉を理解できてないからって
欲が透けて見えるぞ。」
「ゼオが私を信用してないのって、
私がサンサのフランジだから?
それともサンスァラ王女の弟だから
疑り深いのかな?」
「…両方だな。」と、ラッガが言った。
仲良しな二人から批難を浴びて、
言い返すのを諦める。
「でもこれで彼女達に頼めば、
メーニェまでの船にありつけるかもね。」
「ラッガを餌にな。」
ゼオの冗談めいた提案に私も笑う。
「本当に、欲が透けてるわね。」
次に私を批難したのは、
島の言葉を使った姉のフレヤだった。
会話を聞かれていたことに
驚いた私とゼオは、
揃って顔を見合わせた。
彼女達はメーニェからの使者で、
表向きは調査でこの島に入れられた。
島の人間に謀られないように、
私達の言葉を理解していて当然だった。
使者は無知を装って相手の本心を聞き出す。
私は彼女達の巧妙な演技に騙された。
▶




