
私達はエルテル領から北に移動し、
洞窟港との街道を繋ぐ中継地になる
メルセ領に入っていた。
メルセ領はゼズ山脈の東端にあり、
中腹に建つペタ城が領地を見下ろす。
ペタは『高貴』を意味して
分水街で売られる品物の多くに、
ペタの名が冠せられて高く売られる。
温暖なメルセの農地には、
大人の身長よりも巨大な草が植生する。
葉っぱ1枚を取っても
フルリーンを覆えるほどで、
この草は暗い赤色の
花の蕾に見える苞葉を作る。
苞葉はひとの頭ほどの大きさがある。
苞葉の中には細長い雌花が列状に並び、
やがてナショーの果房になる。
房ごと採取されたナショーは、
分水街に届く頃には高貴な紫色に熟す。
私達が宿を取った近郊では
未熟なナショーの赤い実を焼いて蒸し、
天日塩のみで味付けされた
質素な料理が提供された。
茹でただけの白ネイプも出されたが、
歓迎の意味で提供される料理ではない。
白ネイプは家畜の餌とも呼ばれ、
青臭さが口の中にしばらく残る。

宿の食事を楽しみにしていたフルリーンが、
味の不満から無言で泣き出すほどだった。
フルリーンはベッドで寝込んでしまった。
拗ねたフルリーンでも、
『オーブに帰る』とは言わなかった。
私はお金を出して宿の厨房を借り、
この白ネイプを使って料理を試みると
ラッガとゼオに止められた。
「包丁の握り方が悪い。」とラッガ。
「火の扱いを知らない。火傷するぞ。」
ゼオからも心配され、
私は二人に好き放題言われた。
「なんでも一人でやろうとするな。」
「基本を知っているからって、
工程を飛ばすな。
慣れるまでは丁寧にやれ。」
彼らの言う通り、
私は知識ばかりが先走って結果が伴わない。
頼れることを知っていても、
頼ることをしないところもあった。
ラッガは白ネイプの葉を落とし、
皮を剥いてから輪切りにして4等分にする。
彼に指示して白ネイプを切らせ、
葉と共に茹でて灰汁を取った後で
潰して水気を絞り取る。
白ネイプは、大陸から紛れた種子が、
長い年月を経て島に自生していた
赤ネイプに擬態した根菜。
人間には苦くて青臭さのある白ネイプは
痩せた土地でも育ち、家畜の餌に重宝され
飼料として栽培するようになった。
ゼオにはブレズの粉を用意させる。
宿にあった石臼は質が悪く、
劣化した溝が摩耗で砕けて
粉に石が混ざってしまった。
それで篩に掛けさせるように言うと、
彼は文句も漏らさず丁寧な仕事をする。
ブレズの粉に潰したネイプ、
卵と溶かしたバターを混ぜて
アルの前足程度の大きさに丸める。
茹でて細かくした葉を合わせれば
香りが鼻腔を通り、味が柔らかくなる。
これに熱を加えればネージが完成する。

このネージというお菓子は
本来は油で揚げるものだけど、
宿では油も充分に得られなかった為、
焼きながらバターでさらに香りを付ける。
夜の館に来たニクスの為に、
サンサがヤゴウに作らせたお菓子。
私はネージの味見役に落ち着いた。
ネージをフルリーンに与えると、
食感を気に入った彼女は機嫌を良くする。
ゼオは併せて作った溶き卵のスープに
ネージを浸して食べる奇妙な食べ方で、
私やフルリーンもそれを真似した。
ラッガはこの光景を見て鼻で笑うと、
彼も同じような食べ方をした。
ゼオとラッガは対抗意識を持ち、
暇があればどちらが優秀かを競い合う。
婉曲な二人だけど、
暴力で解決しない点は理性的で良い。
この二人が協力したとしても、
フルリーンの料理の技術に敵いはしない。
日頃の食事の管理は、
味覚と経験に優れた彼女が行っている。
分水街を離れるほど食事は冴えなくなり、
かれらは文化の違いに困惑させられる。
メルセ領では街道で巣蜜が売られていた。
領民は巣蜜を噛んで
味の失った蜜蝋を道端に吐き捨てる、
浅ましい習慣もある。
さらにそれを拾い集める浮浪者は、
蝋燭にして売ろうとする商人だった。
本に書かれない程度に、
遠くのメルセ領は酷く寂れている。
エルテル領の陰に隠れていても、
この領地には疫病が蔓延した傷跡が残る。
共用の細い排水溝は汚泥で詰まり、
溢れた水溜りの不要物が
周囲に毒の種を撒く。
東部の温暖な環境が小さな生物を増やし、
毒を拡散させる。
こんな劣悪な土地でも、
メルセ領の治安は無産街ほど
悪くは感じない。
旅費を稼ぐ必要もなく、賭場にも行かず、
行商を偽っていれば恨みも買われず、
無謀な相手から襲われもしない。
疫病と領主の急逝で、
街自体が疲弊していた。
「ペタで買い物はしないのか?」
メルセ領を出る日の朝、
馬車に乗る前にフルリーンが言った。
「ペタ城にまでは行かないよ。
なにか必要なものなら、
洞窟港でも買えるし。
ペタリオ卿を悼みに来たわけでも
ヘッペに会うつもりもないからね。」
「ペタの次代領主ってやつか。」
ゼオの質問に私は頷いて答える。
ヘッペは正式にはヘッペリオという名で、
ペタの次代領主を騙って周遊している。
いまのメルセ領は喪に服し、
領主が不在になっている。
メルセ領内では彼の息子で
継承権を持つヘッペが次の領主になる、
という根拠のない噂が飛び交った。
「できれば会いたくない相手だよ。
サンサの代わりに
日陰の庭で会談した時、
私は彼に買われかけたからね。」
「品のない男だよな。」
馬車の屋根の上でフルリーンが同意する。
「俺に島の猥画やら猥本を集めさせておいて
よく言うぜ。」
「仕方ねえなぁって言いながら
拘りが強かったよ、ゼオ。
…で、なんであんな数の猥本が
必要なんだ?」
「ここから先は娼館もない長旅だから、
性欲を個々で発散してもらうのにね。
欲は正常な思考を止めるもんね。」
「お前らみたいな子供相手に
欲情すると思われたら、
大人に対する侮辱だぜ。
法に触れる。」
「海の上では島の法なんて
適用されないんだよ。
船に積んだ山羊や鶏を使って、
病気になられても困るもんね。」
「…信用されてないのぅ、お前。」
白髭を蓄えた老馭者のゼオが、
自身に向けられた疑惑を
ラッガに押し付ける。
馭者台に立つラッガは腕を組んで
ゼオを睨みつけるも、
言い返すだけ無駄なので黙っている。
「私はゼオに言ってるんだけどね。」
「俺は良識派だろ?」
「良識を持ってるひとは、
自分で表明しないんだよ。
信用を失うだけだもんね。」
ゼオは妾出でも王家の血を引き、
無産街の劇場で人気の役者なだけあり、
白い髭の向こうに隠れた器量は悪くはない。
妾腹とはいえ王胤のゼオが権利を捨て、
役者になって歩んできた道は
誰も否定できない。
女ばかりの館で暮らして杜撰な私と、
粗野なフルリーンに比べても品がある。
警戒心に欠ける私達が、
ここまでの旅で迂闊に肌を露出すると
ゼオがすぐに注意してくる。
ゼオは自ら信用を無くす発言をして、
均衡を保とうとする。
ラッガに関しては反応が乏しい。
顔が髭と髪に覆われていて、
表情の変化が少なく思考が分かり難い。
分からせないように
しているのかもしれない。
幼少に一族を殺されて
父母を失ったラッガも、
サンサの近くで育ったと知れば
難しく考える必要はなかった。
「まさか、ただ性欲を発散させる為に
買ったわけではないよな?
こっちで売り捌いたりはしないのか?」
「ここや洞窟港では売らないよ。
島の統一硬貨も必要ないし、
これを積んで行商を装った方が
領地間を移動しやすいからね。」
「大陸で写本を売るのか。」
フルリーンは理解が早い。
「大陸の猥本が島で高く売れるように、
こっちの猥本も大陸で高く売れるんだよ。
旧中央街は叡智の街と言われてたほど、
作られる本は猥本も多かったよね。
言語を問わず、ただの絵や文字でも
熱狂するひとが出るものだから。
分水街だと法律で規制されたり、
検閲を受けたりもして
手に入り難いんだよ。」
「文字が読めなくても、か。」
大陸語には緩衝地帯になっているラギリ領、
エンカー半島で使われるエンカーン以外に、
北方のソーンズ、南方のクレワズもある。
言語の区別が付かないひとが多く、
島では包括して大陸語と総称される。
この島で使われる言語は、
南北の混ざった古いエンカーンを
口語体化したものをナルキアンと呼ぶ。
「この中で大陸語が使えるひとは?」
私の質問に自信なく挙手する3人。
頭一つ分、手を挙げるラッガに、
馭者台に座って半分しか
手を挙げていないゼオ。
フルリーンは酔い止めを理由に、
箱型馬車の屋根の上で伏せている。
彼女は手ではなく、肘を僅かに上げている。
「フルリーンは、吐きそう?」
首を横に小さく振る。
「大陸語の読み書きはまぁ…、
大略は学んだけどさ?
使うって、
つまり喋るってことだよな?」
「ラッガは喋んねえから、
俺より使えないはずだろ。」
馭者のゼオの質問に、
ラッガは別方向に顔を向けた。
「言葉はそのうち覚えるとして、
どうやって大陸に渡るつもりだ?」
「まず船でメーニェ島を目指すよ。」
「根拠の示しようがないから、
聞くだけ無駄か。」
「まだ船はあるはずだよ。」
暦が隔てられたままならば、
冬の海は荒れているので
目的の船はまだ出港できない。
「ん? どうすんだ?」
道が悪くて揺れる馬車で、
屋根の上に張り付くフルリーンが訊ねる。
私も彼女を真似て屋根に登って座った。
フルリーンの背中でアルが寝ている。
少し冷たい風を肌に感じて気持ちがいい。
「機運を待つんだよ。」
「んなに巧くいくかぁ…。
貿易を禁止するっていう…あれだ。」
「海禁法だ。
入植以来ずっとメーニェ本国の連中が、
島からの脱出を許さないんだぞ。
縁故の一つくらいないのかよ。」
ゼオが白髭の奥で叫ぶように言う。
海禁法は入植を始めて間もなく成立し、
大陸から洞窟港を秘匿する目的で
法によって島は300年以上も守られている。
「港なんだし、お金を積めば
船くらい用意してくれないかな。
漁船や労働者を雇ったり。
他には港長を買収するか、
相手が立場を失うくらいの
失態を調べて脅すとかね。」
単純に思い浮かぶ方法を挙げていく。
「脅すくらいなら、
殺して奪った方が早い。」
珍しくラッガが物騒な提案をしてきた。
「それは交渉の最終手段だからダメ。」
「楽観が過ぎるぜ…。」
呆れるゼオが振り向いて言った。
「ゼオッ! 前ぇっ!」
私は叫び、ゼオは慌てて馬を止めさせた。
停車の慣性で屋根から放り出された私は、
馬の背を借り、馬達の前に跳び降りる。
飛んできたアルを捕まえて頭に乗せ、
興奮する馬達の鼻先を撫でて落ち着かせた。
メルセ領と洞窟港を区切る
稜線を越えた先に、
横転した箱型馬車が見える。
この稜線は、分水街から来る
大水害の水を防ぐ目的で
作られたとされている。
「ラッガ。
私が出るから安全を確認して、
前の馬車の様子を見てきて。」
私はラッガに言いつけて、
街道の左脇にある林を見た。
「おい! 馬の陰に隠れろっ!
フルリーンもっ!」
ゼオが馭者台から降りて私に言う。
馬車の急な動きに、
フルリーンは屋根から上半身を垂らして
嘔吐していた。
「私はあの林を見てくるから
ゼオは馬車の陰に隠れて、
フルリーンを引き摺り下ろして。
なにかあればすぐに逃げていいよ。」
馭者は馭者台から投げ出されて、
地面に伏せたまま動かない。
左の側頭部を矢で射抜かれていた。
護衛らしき胸甲の女は、
雑木林の前で死んでいる。
周囲を警戒して応戦する為、
剣と盾を構えて馬車から出たところに、
大腿部と目に矢を受けて絶命した。
女から円形の盾を奪って、
ラッガの居る馬車の方へと
水切りの要領で投げて地面を滑らせた。
盾に馬達が驚くので、
ゼオが落ち着かせてくれた。
私は帯紐に佩いた護身用の短剣を手にして、
林に向かって走った。
盗賊が隠れて狙うのなら、
高い地形で木々に身を隠せる場所を選ぶ。
頭の上のアルが鳴く。
「平気だよ。
私もサンサみたいにできると思うから。」
アルに話かけるように、
私は自分に言い聞かせた。
私もラッガと同じく、
サンサに助けられている。
落ち葉を蹴り、葉柄を踏み折って鳴らし、
私は歩きながら見えない相手に
自分の居場所を教える。
葉柄は硬く頑丈で、この葉は扇に使われる。
分水街では熱を払い、
部屋の湿気を取る道具として流通していた。

葉が柄ごと朽ちると
残った根元が幹を覆い、
木は日光を求めて垂直に伸びていく。
黄色い花を房状に咲かせ、
風に揺れると花弁の雨を降らせる。
散りやすい花のおかげもあり、
相手が樹上に隠れている可能性は低い。
深く息を吐いて肩の力を抜き、
不注意を見せて誘っても襲っては来ない。
雑木林に入って間もなく、
一人の男の姿を見つけた。
黒髪が血に濡れている。
地面に倒れた男の首には、
短剣が突き立てられていた。
死体に羽虫が集っていても
腐敗臭は発しておらず、
死んでから時刻はあまり経っていない。
ここは扇の木の密集地で、
得られるものは扇しかない。
男が扇の葉を取っていた形跡もない。
革製の帯紐には、
腰鉈と鋸を佩いていた。
森や林の中で
枝や低木を切り落とすには腰鉈を使う。
「樵夫…ではないよね?」
足元のアルがミャオと鳴く。
樵夫なら斧や腰鉈を持つけど
枝を運ぶ籠も近くに無いし、
木を運ぶには牛や馬などの輓獣か
荷車も必要になる。
落ち葉の中では馬の蹄跡も見当たらず、
近くに輓獣の姿も荷車などの道具も無い。
死んだ男はメルセ領と洞窟港との境界で、
オーブ領の黒装束に身を包んでいる。
市場で見かける道化やゼオと同じ、
マルフの清浄屋という可能性はほぼない。
横転した馬車の近くで死んだ護衛が
短剣を林に投げて、遠くのこの男に
偶然刺さったとも考え難い。
「おい、スー。」
ラッガが林に入って来て、私に呼び掛ける。
「困った。」突然、彼から弱音を吐かれた。
「馬車の中が盗賊だった?」
「賊の類いではないが…。」
私を急かしてはいないものの、
ラッガは周囲を警戒している。
「これを見て。」
私は頭の上のアルを胸に抱いて、
転がった死体を指示する。
「ラッガから見て、
気になる点を教えて?」
「オーブの? 樵夫…?」
ラッガも腰鉈を見て同じ疑問を抱く。
「樵夫だと思う?」
「いや、こいつは射手…オーブの猟師だ。」
ラッガは死体と自分の手を私に見せて言う。
全体的に太いラッガの指と、
死体の指では形が違う。
弓手になる母指の付け根の皮が厚く、
矢手になる示指の節には瘤がある。
長く狩猟をしていたのか、
指と爪のあいだも血と脂で黒変している。
「サンサから教わったの?」
ラッガの仮説には納得がいく。
「指は大切な道具だ。」
「オーブの格好してるもんね。
猟師なら弓矢はどこか見つけられる?」
草と落ち葉ばかりの林の中で、
細い弓と矢を探すのは難しい。
ラッガも周囲を見渡して道具を探す。
「この髪も染髪して、
オーブの人間に偽装してるよ。」
ラッガが血のついた黒い髪を摘めば
指先に煤が付き、乾いた血は剥がれて
褐色の髪が見える。
「服と髪で身元を偽ってるのか。
暗殺が目的か?」
「矢数が少ないからね。
この男に報酬も支払わず、
口封じでに後ろから殺したんだろうね。
言葉に鍵を掛けるために。」
「誰が?」
暗殺の対象が分からなければ、
ラッガの質問に答えられない。
横転した車内で
その対象が運良く生きていれば、
報復を恐れて身を隠すはず。
「そっちはどう?」
「それが…。」
口数の少ないラッガが、
さらに黙ってしまう相手。
横転した箱型馬車から、
フルリーンに軽々と引っ張り出された女達。
ラッガが背筋を震わせる。
襲われていたのは、
ゼズ島の外から来たメーニェの使者だった。
▶