土と畝の緑が描く縞模様の絨毯が、
景色と共に流れて行く。
労働者達が横列になって、
その緑の芽を踏み歩く。
畑に芽吹くブレズの新芽は、
踏んで刺激を与えることで
茎が太くと根張りが良くなる分蘖を促す。
本で読んだことのある光景は、
噴水のように溢れる知識よりも
得難いものがあった。
星鳥が土を啄み、囀り、
飛び回って虫を食べている。
分水街での星鳥は常に群れて行動し、
忘れ物を落として鳴き声が騒がしい為に、
人々から嫌われている。
農地では星鳥は作物を害する虫を
食べるなどして、作物に良い影響を与える。
田舎者の蔑称になっている星鳥も、
見る側によって評価は変わる。
「あの姉妹が居ないから、
予定より早くエルテルに着いたな。」
ゼオがラッガに向けてそんなことを呟いた。
彼らはエリク経由でサンサに頼まれて、
エルテル領に居た客の護衛をしていた。
「ねえ、少し寄り道できる?」
馬車の窓から身を乗り出して私は言った。
「なにか用事があるのか?」
「早く、洞窟港、行こうぜ…。」
馬車の揺れに慣れずに、
車内で寝ているフルリーンの要望は
無視する。
乗り物に慣れなければ、
この先の旅はフルリーンにとって
もっと厳しいものになる。
目的地の洞窟港とは逆の南東に向かい、
エルテルのお城に近付いた。
開拓者ソーマ達の入植から364年末。
長い年月を掛けて黒変したお城の石壁。
その周囲には幅広い堀があり、
深い緑色に濁った水に囲われている。
石壁の北側は蔓草が繁茂し、
南側に回ると黒く苔生していた。
近くの中継所に馬車を預けて、
道を訊ねてから徒歩で移動する。
疫病で深刻な被害を受けた
エルテルの古い街。
お城を中心にして街道が放射状に繋がり、
道のあいだには建物が密集している。
昼間は冬であっても多くの馬車が行き交い、
街には活気があった。
この街では多くの建物が、
擁壁の上に建っている。
過去に起きた大水害の影響もあり、
道路は低く建物は高い位置にある。
邸宅の周囲は塀と排水溝に囲われている。
分水街でよく見た水路と運河は、
エルテルの水害対策から受け継がれていた。
お店には派手な色の帯が垂らされ、
犬の図柄の繍旗も見かける。

民家の扉には叩き金の輪に、
鮮やかな紐や帯を垂らしている。
彩り豊かなエルテル領でも、
分水街ほど水は豊富になかった。
いまの時期は街中の緑は褪せて、
宝飾巾越しでも空気は埃っぽい。
不要物の異臭が空気に混ざる。
公共の長椅子も少なく、
道端で横臥する不良者も居る。
生きているのかも怪しい。
街中には公共の手洗い所も多くない。
建物のあいだで排泄しているひと、
その姿を見ても平常な文化が残っている。
――病気が蔓延するわけだね。
黒装束の、清浄屋の姿も見ない。
お城の東には病死した領民の
遺灰を収めた石塔の尖塔が見え、
近郊から収穫を終えて死者を悼むひとや
遠方から来たであろう旅客達の姿があった。
私はアルを籠に隠して、
羊の看板を掲げたお店まで
フルリーン達を案内した。

アルはサンサと共に5年も
エルテル領に住んでいたこともあり、
知ってるひとがこの店内に居ても
おかしくはない。
パンみたいな焼き色をした犬が擁壁に立ち、
店先で尻尾を振って客を誘う。

首に下げた札には、
トゥルムスと名前が彫られている。
アルの入った籠を気にして
犬が吠えてくるので、
ラッガが口吻を抑えてくれた。
厨房には見覚えのある男が立つ。
分水街で働いていた黒髪の男。

彼の名前はガロムで、
お店の名前にもなっている。
5年近く前まで夜の館の厨房で
働いていたという男。
当時の1番部屋のドレイプに見初められて、
街道の一等地にテマッサのお店を構えた。
私達は店内に入って
料理を注文してから手を洗っていると、
女児を抱えた女が店内に立っていた。

店主のガロムと話している彼女に
客達の視線が集まる。
夜の館でドレイプだった彼女、ノーラは、
お店と共にこのエルテル領に移住した。
20年前、ネルタの第一次革命で
住処を追われたノーラは、
家族を失って幼少を孤児院で過ごした。
彼女は成年を前に暮相の館のオーナー、
ルービィに高値で買われる。
サンサがルービィに買わせたらしい。
ドレイプになるとノーラは才覚を発揮し、
赤土の丘に夜の館が建った。
ノーラは、私が館に入るより前に
ドレイプを辞めてガロムと婚姻を結び、
娘のハルルを産んだ。
孤児院ではノーラの経歴が捻じ曲げられ、
貴族になった閨秀として語られている。
「分水街のテマッサも旨かったけど、
こっちのが旨いな。」
車内で弱りきっていたフルリーンは、
テマッサを一つ食べて気分を良くする。

柔らかく癖のない仔羊の肉を
甘辛いソースに漬けて蒸しパンで挟む、
分水街では慣れ親しまれているテマッサ。
久々の街の味に3人共喜んでいる。
「私の分も食べていいよ。」
私のテマッサをフルリーンに向けると、
籠の中のアルが隙間から
羨ましそうに見ていた。
「ガロムのお店が
エルテルに移転したんだよ。
エルテルのいまの領主、タルヴォが
以前から切望してたみたい。」
畜産の盛んなエルテル領なら、
仔羊の肉が得やすいことも
移転の理由にもなっている。
難民が集まった
無産街近くのお店に比べれば、
エルテル領の治安は悪くはない。
ネルタとの戦争が終結しても、
カヴァとの交流が増えれば
また街が荒れるのは目に見えている。
ネルタの赤髪を持つノーラにとって、
カヴァの勝利が転機になった。
エルテル領ならドレイプ時代の客や、
ユヴィルの余類に纏わり付かれる
不安もない。
タルヴォを除いて。
ノーラは現領主タルヴォの出資を断り、
ガロムのお店への意見を許さなかった。
眼識の優れたノーラの知慮によって、
私達は城下でも堅苦しくない食事ができる。
「あいつ毎年、館に通ってたもんな。
騎士も護衛も付けずに。」
「そんな話をしても良いのか?」
ラッガが私達の会話に疑問を述べる。
彼の髪の毛の量は日を追うごとに増え、
顔の周りは赤い髭に覆われている。
「あれだっ。『流言は好まず』だろ?」
タルヴォの話を愉快にしていたゼオが、
ラッガの意見に同調する。
白髭が褐色のソースで汚れている。
「私達はもう館の人間でもないからね。
いまから館に引き返しても、
私は誰も責めたりしないよ。」
「未練あるもんな、お前。」
今度はゼオが、ラッガを捓う。
慣れているラッガは、ゼオの相手をしない。
「フルリーンも良い?」
私は乗り物に慣れない彼女に言った。
「んぁ?」
「馬車の移動が終われば、
次はしばらくのあいだ
波に揺られる船の上だよ。」
「はぁ…? あ…?」
フルリーンは遅れて気付き、
口の中の物を胃に押し込めた。
◆
私達はエルテル領の旧中央街と呼ばれる、
過疎化が進む寂れた土地で春を待った。
暦は誤差が生じて春は遠く、
北端の洞窟港に早く着いても、
海流の衝突で海は荒れて
船は港から出られない。
そのあいだに旅に必要な物を、
旧中央街で買い集めなければならない。
無産街での行動は資金集めのみにした。
私の荒稼ぎが原因で何度も襲われ、
稼ぎを盗まれる為に買い出しに行くのも
困難になっていった。
欺騙と暴力と欲望が支配する法の街では、
需要の見込めない嗜好品の価値は高くなる。
検閲も入り、市場での販売は許されない。
叡智の街と呼ばれた旧中央街は、
大陸から来た書物が集められる土地だった。
過去にはエルテル風邪が広まって、
被害を受けた北側の街。
恐慌で写本需要は減って、流通も滞った。
旧中央街での買い物は慣れた3人に任せ、
私は街で見つけた蜂蜜の飴を買い、
路上に立つ者達の近くで時間を潰した。
エルテル領は分水街ほど
娼館が建っていない。
ドレイプなどは赤土の丘から
姿を見せずとも客を得られる。
道端では評判の高いドレイプの
肖像画が売られていた。
こうした絵の影響も多少あるのか、
名前しか知らないドレイプを相手に
手紙が送られ、館にお金が積まれていった。
本の需要が減っても技術は継承され、
写す対象を変えて肖像画を描くひとが
この街に残っている。
1枚5ルースで、テマッサ一つと同じ値段。
絵はドレイプの誰にも似て居なければ、
名前すら怪しい裸婦画が並べられ、
隣に立つ娼婦より先に買われていった。
エルテル領の街娼は、
まだ寒い時期でも肌を露出させて客を誘う。
髪の短い女は初物と思われるらしく、
経験豊かそうな年長の女も厚い化粧をして、
短い髪を赤色の紐で結って主張する。
街娼達から離れた場所には、
肺を患って咳に病む若い女の姿もあった。
この街には街娼を守る法律などなく、
清潔を保つ大衆浴場も水不足で
煙突から蒸気が出ていない。
街娼は馬の中継所に客を案内すると、
張られた布で仕切っただけの区画を
利用して、肌を重ねる。
仕事が終われば報酬の一部を
中継所の男に渡す決まりがある。
香料をしない彼女達は獣臭を放ち、
客もその臭気に興奮する、
と猥本には書かれていた。
――懐かしいにおい。
以前、エルテル領経由で『オーブの媚薬』
と呼ばれる香料が夜の館に入ってきた。
オーブから来たサンサには抵抗がなく、
この媚薬を欲しがったミュパに買い与えた。
香料を身に纏ったミュパは、
獣臭のせいで周囲から忌避された。
あの日を懐かしみ、宝飾巾の奥で笑った。
オーブで狩られた発情期の牡鹿が、
牝鹿を誘う為の股間にある香嚢が
媚薬の原料だった。

媚薬の放つこの臭気は
ドレイプからも馬の忘れ物とまで蔑まれ、
ミュパ共々評判は最悪だった。
臭気によって記憶が呼び起こされた。
頭巾と宝飾巾をした私の格好は、
エルテル領でも西から来た街娼に見える
と隣の若い娼婦が囀る。
すると道行く男に声を掛けられて、
銅貨3枚を投げられた。
統一通貨での15ルースではなく、
カヴァで使われていたオル銅貨で、
その価値に隣の娼婦が私を嘲る。
私が足で砂を被せて拒むと、
男から今度は罵声を浴びせられた。
拒み続ければ街娼達に睨まれて、
商売の妨げにならない場所へ移動する。
鶏小屋に居る気分だった。
娼婦に刺されるのは望ましくない。
私はまた四時の札遊びに興じる
老人達の近くに避難した。
四時の札を使って、
少し変わった遊び方を楽しんでいる。
彼らは土地の札を隠し置かず、
裏返しに重ねた山札から1枚ずつ引いて、
無作為な状況に一喜一憂していた。
悪い札を引けばお酒を飲み、
良い札を引けばお酒を飲む。
奇妙な抑揚と
音節も曖昧な強い訛りで会話し、
酔った状態の彼らの噂に耳を傾けた。
「弟領主がネルタから帰って来とった。
あっこぁ分割統治でもするんかねぇ。」
「今年は例の娼館でぁねぇんか。」
「刑場じゃオーブん貴族化商人が、
冬の稼ぎを川に全部落っこってよぉ。
ずっと溝浚いしとるっとさぁ。」
「分水街を仕切っとる娼婦が、
ゴミ屋と禁足地に入ったたぁ。」
「禁足地に調査に行きよった縁戚が、
竜を見たんだって
怯えて帰ってきとったわ。」
「領主のお気に入りを竜に捧げたとな。」
「人身御供かいゃぁ。情も無ぇなぁ。」
「んだら、疫病はぁ収まんか。」
「いやぁどうかよ。
だぁでもドレンぁ、
洞窟港はぁ閉鎖するんか。」
「春ならもぅ港は開かれんだろ。」
「本国への貢ぎ物はどうすんだ?
オレ達が稼いだ金なんぞ。」
「そりゃドレンがあん私腹を
さらに肥やすんさ。ガハハ。」
「おっ。こんなとこに居た。」
と、買い物を終えたフルリーンが、
私を見つけて声を掛けてきた。
フルリーンの南部言葉は
老人達と比べれば訛りは無いに等しく、
澄んでさえ聞こえる。
「どうやらメルセの領主が死んだらしい。」
彼女の口からゼズ山脈の麓のメルセ領、
領主ペタリオの訃報が私の耳に入った。
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