孤児院から少し離れた北に歩くと、
エルテル領とカヴァを繋ぐ
川沿いの街道に出る。
護岸のされた川は一部が板で仕切られて、
片側にのみ水が流れている。
収穫祭を過ぎて冬の深まったいまでも、
浚渫作業が続いていた。
――まだ終わってないんだね。
パイル生地の宝飾巾をしていても、
川底の澱の臭いが乾いた風に混ざる。
アルを抱いて街道の道端に立っていると、
噂が耳に入ってきた。
布切れを被った浮浪者達が
空き地を占拠して座り、
四時の札遊びに興じている。
落ちている煉瓦や布切れを使って、
土地の札を相手から隠して工夫していた。
「カヴァの捕虜王子が帰っちまったが、
なんがあったんだか。」
「娼婦に誑かされたんだとさぁ。」
「街角のテマッサ屋は、
借金抱えて夜逃げしたとよぉ。」
「でよぉカヴァに脅されて屈したんだよ。」
「ゴミ屋はまた奇妙な賭けをしとる。」
「ありゃ運命の女ってわけだ。」
ケープの頭巾のおかげで音が入り込み、
訛りのある会話でも聞き取りやすい。
私が浮浪者達の札を眺めて
迎えを待っていると、
若い男から硬貨を投げられた。
太鼓を打ったり客引きをしていなくても、
ケープの頭巾と宝飾巾をしているだけで
ここでの私は街娼と見倣される。
近くには宝飾巾もしていない
短髪の若い街娼が、私を同業と勘違いして
古い革の太鼓を打って客引きを始めていた。
孤児から街娼になった女は固定の客も無く、
娼館に属せなければ伸ばした髪を売り、
そのお金で客引きに使う太鼓を買う。
髪は義髪として売れるものでも、
ネルタ系の赤髪は決して高く売れない。
長くて髪質がいくら良くても、
赤髪は需要が無いので
500ルースにも満たない。
頭巾と宝飾巾を揃えるのも難しい。
金髪は貴族に人気で
10,000ルースほどで売られているのを、
私は孤児の頃に切って調べた経験がある。
娼婦が街娼として身分証を得るには、
年間3,600ルースの税を街に
納めなければならない。
街娼を買う者は22ルース以上の
報酬を支払わなければならない法を、
私の父親が議会に提出した。
足元には22ルースにも満たない
銅貨2枚を投げ落とされて、
投げた男がこっちの反応を見ている。
――たったの10ルース…。
これが男が見積もった、私の価値。
若くて館に属さずに髪を切らず、
太鼓さえ持たない娼婦ならば、
男から粗略な扱いを受ける。
街娼でもない私は銅貨を拾わず、
サンダルで砂を被せる動きをする。
太鼓を打っていた娼婦や笛吹きの男娼、
近くで遊んでいる子供が
少額の硬貨を目当てに群がった。
街娼を相手に律儀に法を守る人間は居ない。
ただし街娼も同じ考えで、
客を騙してお金を奪い、
殺し目当ての者も紛れている。
私を買おうとした男達は
侮辱されたことで諦めたり、
怒りの感情を態度で示すと
子供達を蹴散らして去っていく。
こっちの考えが通じるだけまだ良く、
あとは酔った人間か驕った人間の
どちらかになる。
川の浚渫作業をしていた監督者が、
集まる街娼を自分の天秤に掛けながら
私の近くにやって来た。

脂肪の塊が日焼けした肌で包まれた大男。
「見ねえ顔だ。
今日はお前でいいな。」
厚い手の太い指が、私の右腕を掴んだ。
反射で腕を引くと、
逆に相手の質量で引き寄せられてしまった。
川底には澱が存在する。
物質はより強い力には抗えない。
淀んだ目をした男の、
太い首に光る物が当たった。
「殺したらダメだよ、ラッガ。
浚渫のゴミが増えるから。」
通り過ぎる馬車から、
赤髭のラッガが跳び降りてきた。
監督者の首元に短剣の刃が光る。
「躾の無い手を斬り落とせば
少しは反省するさ。
なぁ?」
箱型馬車の屋根から
飛び降りたフルリーンが、
よく通る声で監督者を脅す。

「げぇっ! オーブの女傑っ…。」
フルリーンが隣に立てば、
彼女は監督者よりも背が高い。
フルリーンは西側を支配していた傭兵を、
拳一つで退けた『女傑』として
この街で顔が知られていた。
「フルリーンもだよ。」
彼女は佩いた剣を抜いて
監督者の腕に剣先を向けると、
この男は慎重に私の腕を解放した。
オーブの人間は敵と認めた相手には、
喧嘩でも命の奪い合うことに踟いがない。
二人が踟った時には、
私は死んでいたかもしれない。
「女傑の相伴が
こんなところに立ってんじゃねえよ。」
肥え太って飛べもしない雄鶏が鳴いた。
「あなたが女遊びに精励しているから、
浚渫がいつまで経っても
終わらないんだね。」
「溝女が生意気な口を利くんじゃねえ。
オレ達が居なけりゃ、
穴の一つも満たせねえ癖にっ――。」
私はアルを抱えたまま、
監督者の股間を蹴り上げた。
アルが小さく鳴いた。
フルリーンに倣った蹴り方で、
監督者の『ふぐり』の潰れる感触が
足を通じて耳にまで伝わる。
大陸訛りの彼の言い分にも一理あり、
浚渫作業で労働者が集まるので
街娼達も今日の食事にありつける。
こんな悪循環でも
私が無責任に破壊すれば、
近くの街娼に刺されかねない。
「娼婦に刺し殺されたりしないように
注意することだね。」
腰を引いて泡を吹く監督者の男にそれだけ告げて、
私は馬車の馭者台に乗った。
隣で笑う今日のゼオは、
また白髭を蓄えた老馭者の格好をしていた。

「その短剣で穴を作ってやれば、
あいつも道端に立たせられたぞ。」
ゼオは自分の放った下品な意見に
自ら歓心して頷く。
「私があんな小者相手でも、
殺すと脆い均衡は簡単に崩れるんだよ。」
「あいつは捨て置いて良いのか?」
「ゴミの始末は
マルフ総督の仕事だからね。
「農場には行かないからな。」
ゼオの冗談に私も鼻で笑う。
「マルフ総督がまた胃を痛める。
さぁ、早く行こう。」
ゼオは目で頷き、
手綱を振って馬車を進ませた。
ラッガとフルリーンも
監督者を置いて馬車に跳び乗った。
私達には目指すものがある。
◆

街道を走らせる4頭立ての箱型馬車が、
境界になっている東門を抜けた。
私は馭者台に立って、
屋根の上に座るフルリーン達を見る。
「フルリーン。
馬車に乗っても酔わなくなったの?」
「屋根の上なら酔わないぞ。
大発見だ。」
「移動を楽しんでる内は、
別のことに集中しているから
酔い難いってサンサも言ってたね。
でも揺れは大きくなるから、
居たら酔いやすいはずだよ。
こっちに来て座ったら?
郊外は道が荒れるし、揺れて落ちるよ。」
長旅の始まりに燥ぐフルリーンも
私の忠告を素直に受け入れ、
彼女は身軽に馭者台に降りて座る。
フルリーンの母親は
カヴァから来たオーブの曲芸師なだけあり、
彼女の身体の使い方は巧みだった。
平衡感覚の優れた彼女が酔い易いのは、
三半規管が原因とは思えない。
「金地金は用意できたんだね。
約束通り来てくれて嬉しいよ。」
「これ全て稼いだのはスーだろ。
偏屈爺が生きてたら、
妬いて憤死してただろうな。
爺も行けなかった大陸に
これから行くんだからな。」
『大陸』と言葉にして彼女の口元が緩む。
私がフルリーンをこの旅に誘った時、
彼女は理由も事情を詮索せずに快諾した。
フルリーンはサンサの手紙で請われると
生まれ育ったオーブの土地を離れて、
分水街までの長旅にも関わらず
彼女は徒歩でやってくるほどだった。
サンサを訪ねて館に来た彼女に、
私達は図書館へ案内したその帰り、
ユヴィルの傭兵達に襲われた。
オーブ領で生まれ育った彼女には、
彼らを追い払える強靭な肉体と
豪胆な性格があった。
私達はオーナーの猥本を作る為に
アイリアの離宮で偶然再会してから、
お互いに大陸の知識もあったので
仲良くなるのに時間は掛からなかった。
賢くて逞しく
勇敢でいて決断も早い彼女は、
私に無いものをいくつも持っている。
「ゼオとラッガ、フルリーンが
私を守ってくれたからだよ。」
フルリーンの存在無しでは、
この旅は実現不可能だった。
「ラッガを闘技場に売らなくて済んだな。
荒稼ぎしてくれたおかげで、
何度襲われたことか。」
屋根に乗っているラッガも黙って頷く。
「ここは法を掲げた無法の街だもんね。
賭け事を規制しておいて、
闘技場や競馬場の権利を持ってるのが
この街の総督なんだから。
後ろ暗い人間ほど
声高に規制を訴えるのは、
相反するけどよくある話だね。
長い戦争が終わってくれて、
郊外から来る星鳥で街が賑わうから
冬なんて稼ぎ放題だよ。」
冬を前に肥えた星鳥が街にやってくる。
秋の収穫を終えて
かれらが蓄えた資金を狙い、
私は大陸までの旅費を稼いだ。
同時期にカヴァの軍が
近郊に駐留したので、
予定よりも早く稼げた。
西門が閉ざされて足止めされたひとが、
退屈を紛らわせる為に四時の札遊びに興じ
街から抜け出せなくなっていた。
私は混乱に乗じて、
西門近くの無産街に即席の
違法な賭場を設けた。
防壁の見張台で現場を指揮するマルフは、
賭場を規制している状況でもない。

街を出られない商人達からの不満が噴出し、
暴動に発展する恐れもある。
防壁の兵士やエイワズが所有する
コロイド保険の調査員までもが、
賭場に通う姿を見て荒稼ぎを控えた。

孤児院近くの空き地で、
四時の札遊びに興じていた
浮浪者達の顔を見たことがあった。
かれらは無産街での賭博で資金を失い、
故郷に帰れなくなった
享楽的なひと達だった。
「しかし、あそこまで勝てるか?
負け無しだったろ?」
ゼオは老馭者の姿をしていても
格好だけで演技まではしていないので、
戯曲が無ければただの浮浪者に見える。
「札を買ったばかりの
星鳥が相手だったからね。」
「1回でも負けたことがあったか?」
フルリーンがラッガに訊ねると、
彼は無言で首を横に振った。
サンサくらい同じ思考の相手なら
相性は重要だけど、10巡勝負では
6巡も札を出せば勝ち方は見えてくる。
「ゼオが四時の札を作れる
器用なひとで助かったよ。」
ゼオはル-ビィの本で用意した
銅板のスタンプで札を量産した。
「あなたは知らないと思うけど、
私の札を作ってくれたのも
ゼオなんだよね。」
彼はサンサから道楽者とも呼ばれていた。
「動物を描いた季節の札か。
昔、スァラが頼んできたやつな。
この前も鉄と銅の板に絵を彫らされたな。
短期間であんな数の札を作ったのは
初めてだぞ。
出来なきゃ娼館に売り飛ばす、
なんて脅しやがって。
「言ったのはフルリーンだよ。」
「あれも孤児達の仕事に変わったが。」
ゼオは無産街を熟知していて、
路上暮らしをする孤児達に
四時の札造りと売り方を教えた。
ゼオはサンサと違い、教えるのが巧い。
量産された四時の札は賭場で売られ、
地方から来た星鳥が買っていく。
「相手が増えれば賭け金も集まって
稼ぎやすくなるもんね。」
「その荒稼ぎのせいで
何度襲われたことか。」
「病院の別館と
マルフの農場が豊かになったな。」
ゼオの批難の言葉に、
ラッガも屋根の上から同調してきた。
別館送りにしたのはフルリーンだけど、
農場送りにした数はラッガの方が多い。
「年内には街を出なくちゃいけないから、
上手に稼ぐのは大変なんだよ。
これから大陸に行くのに、
無法者達からの恨みなんて
気にする必要ないもんね。」
「お嬢様は踟いがねえなぁ。」
「今日はフルリーンが来てくれなかったら、
私は無産街に売られてたかもね。」
私の冗談にフルリーンが哄笑する。
「あたしの名義を使えば、
銀行で金地金も交換できるからな。
マイダスには開業資金ってことで
騙しておいたぜ。」
今回の旅は、彼女の協力が不可欠だった。
「マイダスに例の話、言ったんだね。」
想像しただけで私は口元が緩む。
「言ったぜ。
『オーブに帰って新しく硬貨を作る。』
ってな。
黙って怒って、嫌な顔で許可したなぁ。」
「あははっ。
見たかったかも。
硬貨にだって擦れて削れて、
偽造されたりで寿命があるもんね。
偽造されない硬貨を作るのは、
人間が真贋の判別をする限り
無理だよね。」
アルが胸元でミャオと鳴いた。
私は馭者台に立ち上がって
屋根の向こう、地平に遠ざかる街を眺めた。
生まれ育った土地を離れ、
視界に収まってしまった街を、
母指と示指で輪を作って囲み、
その小ささを確かめる。
「また会いましょう…。」
誰に言うでもなく私は告げた。
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