第12章 第5節 永遠の瞬
『ハーフガンは夢を見る。
酒樽抱いて宝の夢。』
遠くでハーフガンの詩と手拍子が聞こえる。
『ハーフガンは酔っ払い。
海でもないのにふーらふら。
ハーフガンは酒浸り。
今日もちびちび、ぐでんぐでん。』
振り向いて見下ろした舞台の端で、
酒宴を始る男女が居た。
『ハーフガンは酔い覚ます。
目覚めて宝はどこへやら。』
客席では男達が四時の札遊びをして、
賭け事に盛り上がる姿もあった。
騎士で護衛の、酔っていないハーフガンが
わたし達の後ろを歩く。
わたしは彼を良く思っていない。
彼はエルテル領の騎士で、
以前のサンサをずっと監視していた。
肩書きを利用してお酒を飲み続けていたし、
選考会で孤児がやってくる度に追いかけた。
館に迷い込んだ孅い羊に、
牧羊犬と野犬の群れの区別はつかない。
以前のサンサは彼を叱りもせずに接し、
いまのサンサも彼が護衛になって
後ろに立つことを許している。
お酒を飲んでいなくても、
わたしは彼を信頼できない。
膝の砂が払われたとしても、
倒れた時に傷は付くものだし、
痛みは記憶になって残り続ける。
どう接するのが良いのか、
ずっと分からないままになっている。
『あれが彼の、償いなのよ。』
いまのサンサも、難しい言葉を選んだ。
赤い目をしたサンサが、
わたし達を見上げた。
「サンサー。遅れてますよぉ。」
イオスを抱えて客席の階段を上る彼女は、
またわたし達より下を歩いている。
彼女が石造りの客席にイオスを降ろしても、
石段に足を掛けた彼女の太腿を利用して
彼女の身体に跳び乗る。
彼女は諦めてイオスを抱え、
また階段を上り始めた。
彼女の黒のソックスはイオスのせいで
いつも傷だらけになっている。
わたしは1年前にこの場所に立っている。
昼と夜が交わるこの空を見た。
今日と同じく彼女が居て、
スーとトリンが居た。
その二人はもう居ない。
「サンサが登ってくるまでに、
まだ時間が掛かりますね。」
隣に立つクイナに言ったけれど、
彼女は劇が終わってから
なにかをずっと考えていた。
「どうしたんですか? クイナ。」
「さっきの劇、
『アラズ興亡詩』なのかなって。」
「アラズ?」
「大陸語の本。
ニクスは読んでないの?」
大陸語はまだ読めないし、
ファウナの部屋に置かれていた本なので、
わたしが手にすることもなかった。
「どんなお話?」
「貴族と庶民の悲哀を描いた話なのよ。
…庶民が貴族に娶られる話ではなくて、
貴族が庶民と駆け落ちする、
っていう変わった結末の物語。」
本の話になると彼女は声を弾ませる。
「でも劇の方は
王女に助けられる王子になっていて、
男女の役割も入れ替わってるのよ。」
「あれ、サンスァラ王女の話ではないの?」
クイナの話に疑問を感じ、
戯曲を書いたいまのサンサに真相を訊ねた。
『雪は解けて、布は褪せても、
想いは咲き零れる。』
サンサが一つの詩を諳誦した。
真白な布の上に鮮やかな色が置かれて、
その詩によって鮮烈な花が描かれる。
「なんだか哀しい詩ですね。」
「アラズ興亡詩の序文なのよ。」
「色々と混ぜて脚色した劇よ。
女だけの戯曲を書いたって、
貴族や上流階級のお客さんからは
『品がない』って貶されるだけだもの。」
わたしは階段を下りて彼女に抱きつくと、
挟まったイオスが驚いて悲鳴を放つ。
「開始からカヴァの娼婦団でしたからね。」
「好評だったでしょ? 上品で。」
「えぇ…?」同意を求められて頭を捻る。
1段下の階段に立ついまのサンサは、
わたしと同じくらいの背の高さがある。
「また背が伸びました?」
「もうこれ以上、成長しないわ。
ニクスに追い越される日は近いわね。」
彼女の豊かな胸元に抱きつく
イオスが鳴いた。
「わたしが成年になるまでは、
まだ5年も先もあるんですよ。」
「でもあなたはたったの1年で、
美しい銀髪の立派な画工になったのよ。
これから先に起こる話なんて、
誰にも決められないのだから、
なにも不思議ではないわ。
イオスは分かる?」
サンサがイオスに話し掛けると、
ミャオと返事が返ってくる。
「これから分かることなんて、
せいぜい天気くらいよね。」
彼女は言って笑った。
「また、おかしなこと言ってるのよ。」
クイナは呆れてわたしに言う。
「それなら遅れた詫びに、
イオスをクイナに持たせてあげる。」
「重ぉい!」
サンサにイオスを押し付けられると、
クイナは抱えてその場で回転した。
彼女は館の外で
イオスを独り占めできることを喜んだ。
ただそれだけの理由で、
クイナはサンサの隣で
フランジをするわけでもないと思う。
イオスがミャオと鳴き声を放つ。
「遊んでくれて良かったわね。イオス。」
太い声で鳴き叫ぶイオスに、
サンサが言って笑っていた。
「去年までの劇は、
ソーマの伝説が好まれてましたね。」
わたしの言葉に彼女は首を縦に振った。
「ソーマの伝説を演じたのは、
アイリアの作った入植十二画の
人気もあるんでしょうね。
王女のことだから逆かしら。
アイリアの絵を人気にする為に、
戯曲を書いたのかもしれないわ。」
「そんなひとでしたからね。」
「今回の劇はアラズ興亡詩の翻案なの。
大陸の物語を元にそのまま書いても、
他のお客さんには伝わらないのよね。
サラの目がとても厳しかったわ。
わたし達の知るサンスァラ王女と、
島で親しまれる娯楽を
組み合わせたのよ。」
「それが花と演奏だったんですね。」
開演前に彼女はそう言っていた。
「サラが演じてたのは、
彼女の中にある理想のサンスァラ王女。
ムネモスの考えた王女の衣装。
それと、あなたの作った壁画がある。
同じひとなのに観測したひとによって、
違いがあるのがとてもおかしいわね。」
入植十二画を作ったアイリアも、
見るひとに想像の喜びを与えたかった
と言っていた。
彼女は客席に座って、劇場を見下ろす。
舞台ではムネモスとサラシュが、
飾った厳寒馬を連れてくると
娼婦団から歓声が湧く。
ムネモスの近くには弟のクロノも居た。
ムネモスはわたし達を見つけ、
手を振ってきた。
わたしも両手を振って応えた。
隣で手を振るサンサの、
環指にした指輪に夕日が反射する。
サンスァラ王女が残した指輪は、
彼女が預かっている。
わたしやムネモスが手にするよりも、
託された彼女が持つ方が良いと
わたし達は判断していた。
「アラズ興亡詩という本は、
わたしでも読めるでしょうか。」
「興亡詩は4冊もあって長いけれど、
書室に大陸語の簡単な本も置いてあるから
勉強すれば読めるわよ。」
「『絵を描くのならもっと本を読んで、
想像と表現を膨らませなさい。』
ってアイリアに言われるんです。」
「王女がアイリアに言ってたわね。
無知は妄想に耽り、
知識は創造を形作るの。」
彼女が難しい言葉を選ぶと、
以前のサンサが言っているように聞こえた。
「つまり、
『勉強も愉しみなさい。』
ですね。」
いまのサンサが首を捻ってから言う。
「帰ったら書室で一緒に、
解剖学の本でも読みましょうか。」
「あれは怖いから嫌ですっ。」
「学習も娯楽の一つよね。
今日を誰かが語り継げば、
永遠に枯れない花を咲かせられるわ。」
「サンスァラ王女も、
同じこと言ってましたよ。」
わたしはサンサの隣に座った。
彼女は目で困惑して
宝飾巾の裏で口角を上げた。
以前のサンサと同じと思われる度に、
複雑な表情を見せる。
「あのひとが、スーの両親に
この劇場を作らせた理由が、
いまならなんとなく分かるわ。」
「資産というやつ、ですか?」
彼女は真逆の理由で頷く。
「ソーマが四時の札遊びを
作ったのと同じ理由ね。
彼女は遺された劇場を使って、
民衆に娯楽を提供した。
ひとは永遠に一瞬の娯楽を求めるの。」
「永遠なのに一瞬って、なんなのよ?」
クイナが前の席に立って首を捻った。
「どんなに楽しいことでも、
一つの娯楽が永遠に続けば、
それはきっと酷く退屈な拷問よね。
イオスもいまを楽しんでいるわね。」
彼女の言葉は分かりやすくて工夫がある。
「ふふっ。大丈夫ですか? イオス。」
クイナに散々振り回されて、
イオスが座席の上を不安定に歩いている。
「永遠なんて物質があっても、
存在を確かめられるかしら。」
「サンサの言葉遊びなのよ。」
彼女の謎解きに、クイナが忠告する。
「これはいまを生きるあなた達には、
ただの言葉遊びに過ぎないわ。」
クイナに抱かれたイオスは、
後ろ足を垂らした状態で持たれて
長い声で鳴いて嫌がった。
「あら、ニクス。」
わたしの頭の上に乗った、
布で出来た花びらをサンサが取り除いた。
『美人がお粧ししてるわね。』
その言葉が、食堂での過去を思い出す。
館を去っていったひと達を思い出した。
スーや黒猫のアル。前のサンサ。
メノーの指導役をしていたノーラ、
同室のフランジで病死してしまったウラ。
わたしはいまのサンサの右腕を抱き寄せた。
――わたしも寂しいよ。
「今日は疲れたかしら。」
彼女は黙っているわたしを心配する。
「サンサがまた、
おかしなこと言ったのよ。」
「まだなにも言ってないわよ。」
「まだって、まだって言った。
またなにか言うつもり?」
「クイナにはね。」
「わたしにっ?」
「クイナも疲れているのなら、
ハーフガンが背負ってあげるわよ。」
「わたしのこと子供扱いしてっ!」
二人のやり取りを聞いていると、
湧き立つ寂しさは失せて笑みが零れた。
クイナはいまのサンサを目標にする
おかしな子なので、それが嬉しかった。
『よく見て、変化を見つけて。』
そんな言葉を思い出す。
寂しさと嬉しさで濡れる目に、
涙が零れ落ちないように顔を上げた。
客席から見える防壁より向こうに、
厚い雲と雪を被った天蓋山が聳える。
「王女も、スーの魂も、
きっとあそこにあるんですね…。」
彼女は頷いてはくれない。
わたしの顔を見て、
否定もせずに目を瞬く。
「スーの名前は流れ星なのだから、
輝いて見えても月や恒星とは違うわね。
スーってひとつの場所に留まるような
ひとではないものね。」
根拠はないけれど説得力のある言葉で、
わたしの方が頷いてしまう。
「猫に飾緒ね…。」
呟いた彼女は指輪を付けた右手で、
東へと流れる川に指先を向ける。
「湖から溢れた水は、
川になって海に流れるの。」
ウラの魂の話をした時に、
彼女の口から聞いたことがあった。
「あ。その詩、知ってる。」
と、突然クイナが言った。
「なんですか?」
クイナは一度空を仰いでから、
一つの詩を歌った。
「湖水溢れて川となり、
荒ぶる水は岩を砕き、山をも穿つ。
大地の乾きを潤し、
道は清濁を分かつ。
大海を識り経た果ては、
雲霧となって雨水を生み、
大地に還る湖水群。」
それはウラを弔って
緑の上でスーが歌った詩。
「スーの詩?」
「湖と川の詩よ?」と、クイナ。
わたしはサンサの顔を見た。
彼女は首を横に振る。
「生命の在り方を歌った詩よ。」
「えぇ? あ、そんな詩なの?
確かに…繋がってる。
循環? っていうのよね。」
彼女は首から下げた紐を取り出して、
金属の装飾品を見せてくれた。
蹄鉄の形をしたお守りは赤い銅製で、
紐は飾緒と同じ金糸だった。
「クイナも持ってるんですか?」
それはサンサが劇場の客席で、
スーにあげた鍍金の物と同じにも見えた。
わたしも銀の、同じ蹄鉄のお守りを見せた。
「お揃いね。」
と、サンサがわたしに向かって言った。
「これは星鳥の贈り物なのよ。」
「星鳥? ふふっ。」
鳥の名前を聞いてサンサは笑う。
「命は生まれ、育ち、変化して、死ぬ。
それは生命の物差しと言えるわね。
イオス。」
サンサが呼び掛けると
イオスはクイナの胸元を跳び出して、
彼女の太腿の上に座る。
「大きくなったわね。
これで普通の猫のつもりなのかしら。」
彼女はイオスの狭い額を
指で押さえつけて撫でる。
イオスが空を見て小さく鳴いた。
わたしも赤紫色の空を見上げると、
去年と同じ弱々しく頼り無い光点が流れる。
「サンサ、見てください。」
わたしはまた光点を指示した。
「あそこ、流れ星。」
「あれは球電かな?」
と、クイナが言った。
「球電に指を向けると、
そのひとに雷が落ちるのよ。」
「え…?」
クイナの説明に驚き、
わたしはすぐに指を下げて
サンサの腕を掴んだ。
「クイナ。
あなたがおかしなこと言うから…。」
「畏がらせてごめんね、ニクス。」
「畏がってませんっ!」
言って否定しても
クイナは客席で寝転がって哄笑し、
サンサも堪えられずに笑っている。
「もー! サンサまで笑わないでっ。」
「あれは、遥遠代の星ね。」
「遥遠代の星?」
星鳥が空を舞って黒い雲を作ると、
流れ星は見えなくなってしまった。
「星鳥の目指した星座かしらね。」
「あんなに動く星なんて、
星座にならないのよ。」
「星座の星って、恒星ですよね。」
クイナの指摘にわたしも続けた。
――それに星鳥の星座の話は…。
火葬場で聞いたサンサの考えた作り話。
「『星を掴む』なんて、迂遠な計画ね。」
いまのサンサが呟く。
彼女は立ち上がると、
わたしの手を引いて立たせた。
柔らかな手でわたしの頭を撫で、
頬に優しく触れる。
彼女は隣で呆れるクイナを見て、
宝飾巾の奥でまた口角を上げている。
「帰りましょうか、わたし達の館に。」
赤い目を細めてサンサは微笑した。
その瞳は宝石に内包された灯火のようで、
常に光を放ってわたし達を惹き付ける。
彼女の胸元で、
白猫のイオスがミャオと鳴いた。
◆ 第12章 『赤土の丘』 おわり




