
収穫祭を迎えて、サンサの持つ劇場は
大勢の客で賑わっていた。
壁画の作業が一段落したわたしは、
サンサに誘われて劇場の最前列に座る。
ケープの頭巾の中には、
長くて光を吸い込む黒い髪を
三つ編みにしたいまのサンサ。
今日はわたしが、彼女の髪を編んだ。
彼女の赤い髪の色は変わってしまっても、
彼女の中にある輝きは変わっていない。
「雪烏みたい。」
クイナがサンサの髪を見て呟いた。
「雪烏? ってあの招待札の?」
黒地に白い羽根を持つ雪烏は、
以前のサンサの招待札の絵柄になっている。
この街では見ることのない南部の鳥で、
老人や子供を狙って捓う悪賢い性格なので、
ルービィはいまのサンサにも
同じ絵柄を与えた。
クイナも同じ意味で言ったのかもしれない。
彼女は胸元を握って、
祈りの姿勢を取る癖がある。
「避難所の知り合いにも、
斑点模様の変わった髪色をした
街娼が居たのよ。
星鳥って名前の。」
「斑点模様?
流行なんですかね?」
サンサとクイナが揃って首を捻った。
ここに居る3人共、流行には疎かった。
「ねぇサンサ。
どういう仕組みなのよ? その髪。」
「これをニースというの。」
フードから取り出した三つ編みの毛先は、
日光に晒されると透けた銀色に変化する。
その様子はまるでわたしの作った壁画の、
明暗で変化するサンサの髪にも見えた。
「画工ニクスの壁画を真似してみたの。」
「真似できるものではありませんよ。」
壁画を作ったわたしにも、
サンサの髪の仕組みはわからない。
「『ニース』ってどこの言葉?
ニクスは夜の女神だよね?
由来は同じ?」
「ニースは別の語源よ。
『分からないもの』
って意味で使われる鄙言ね。
愚かだとか脆いって意味から変化した
大陸の古語だわ。」
「頭が? ではなくって、髪がニース?」
言い間違えたクイナが自分で笑っている。
「わたしのことなのかしらね。」
いまのサンサが宝飾巾を吹いて言う。
わたし達は同じ黒のドレスに
白色の頭巾付きのケープを着て、
フランジに戻った気分になる。
今日のサンサは黒のアームカバーと
リボンの付いた新作のソックスを合わせ、
以前のサンサが好んで着ていた
黒羊毛のコートを肩に掛けている。
いまのサンサも黒羊毛がよく似合う。
サンサは葉っぱで包んだお菓子を
イオスに取られないように、
わたしとクイナに配った。
「あなたの食い意地は
誰に似たのかしらね。」
サンサはイオスの目を見て
猫を相手に会話をする。
イオスが唸り声を放っていた。
彼女はもう排水溝に落ちた野猫に見えず、
日陰の庭の誰にも買うことのできない
ドレイプになった。
サンサはこの街の東側では
以前から貴族達からの評判が高い。
いまのサンサは
どんな噂が立っても評判を落とさない。
誰にも買うことのできないドレイプは、
着る服はどれも最高級品ばかり。
手紙には大陸の美しい詩歌で返し、
彼女が楽器を手にすれば
踊り出さない娼婦はいない。
西門の閉鎖で立場を危うくした総督を助け、
女を見下す元老院議長まで絆した。
エルテル領の先代領主は娘を預け、
カヴァの王は彼女に籠絡されると、
剣を納めて同じく娘を差し出した。
噂を信じた者の中には
自分の娘を夜の館に置き去りにしたので、
これについてはマルフが厳しく罰した。
いまでは地方の貴族化商人が、
サンサとの会談を求めて手紙を送る。
各地の大農場主は
自分の土地の農作物をサンサに売り込み
送られてきた頂戴物が倉庫に収まらず、
暮相の館や孤児院に配られた。
彼女を見たひとは血の巡りが良くなり、
病気にもならず商売も繁盛して
子宝にも恵まれる。
街の人々は彼女の噂を囀っていた。
わたしの通ったアイリアの工房では、
サンサは大陸のとある王国の娘
という噂まで立っていた。
以前のサンサは元から知られた存在なのに、
わたしがアイリアの工房に顔を出すと
年長の生徒達から、いまのサンサの
肖像を描きたいとお願いされた。
豊富な知識と美貌を持つ彼女を描けば、
名声を得られると考えてのことだった。
生徒達の欲の透けたこの提案は、
アイリアが止めて叱ってくれた。
こうした噂を認証管理のファウナが集め、
羊皮紙に記してドレイプ達に読んで共有して
在りもしない内容を楽しんでいる。
いまのサンサの器量が周囲に褒められると
ムネモスやサラシュも喜ぶ。
サンサも館のひと達を観察して
それを楽しんでいた。
わたしの隣でクイナが、
お菓子を包んでいる葉っぱに
鼻を近付けて熱心に嗅いでいる。
「葉っぱは食べられないわよ。」
「そのくらい、知ってるからね。」
冬を前にやってきたフランジのクイナは
わたしと同い年で、いまのサンサの元で
同じように振り回されている。
後ろの席にはハーフガンと護衛のディーゴ、
それからムネモスの弟のクロノが座って、
年少の彼だけ周囲を警戒していた。

ディーゴは護衛の仕事をクロノに任せ、
配られたお菓子をすぐに食べる。
わたし達の隣には、
アイリアとマルフ達が座っている。

有料化した最前列の席は、金貨30枚分の
30,000ルースという高額な場所なのに、
予約の前段階で満席になったという。
この金額でもマルフは文句が無く、
去年のように金貨を投げるよりも
楽で安上がりだと喜んでいた。
一番安い中段の席が1,000ルース。
それでも近くで見ようと、
身分や階級を問わず大勢のひとが集まった。
階段に居座るひとが先を塞ぎ、
上段の無料席を目指して上る客に
場所を売りつけようとする。
当然、兵士達が暴動を警戒し、
階段のひと達は追い払われて
打ちのめされていた。
「去年のソーマの劇は
音と光の演出だったけれど、
炎を操るのは難しいのよね。
それで今年は花と演奏にしたの。」
「花…?」
クイナの声は、開演前に力強く叩かれた
大きなハンドベルの音に掻き消された。
客席が次第に静かになる。
間を置いて開演のベルが鳴らされると、
カヴァの娼婦団が嬌声と共に
舞台に勢いよく跳び出して
脚を蹴り出し客席に向けて踊る。
キャシュクの裾を蹴り上げて靡かせ、
動きを揃えると赤く塗った靴が派手に並び、
ファウナが考案した網のソックスが覗く。
最前列に座って見上げると、
チュールの生地で透ける股布まで見えてしまっている。
開演を待ちかねていた客が興奮し、
口笛を吹くと演奏に合わせて手を叩く。
カヴァから来た娼婦団の出演を
提案したのは王女のサラシュで、
ゼズ山脈の調査で分水街を訪れた
オルドラスを相手にサンサが交渉をした。
交渉のおかげで
来春の美術館ではカヴァの国宝、
『献身の王女』の白金像の展示も決まった。
クロノが夜の館に来たのも、
サラシュがムネモスの為に
オルドラスに頼んだとサンサは言った。
彼女には別の考えもありそうだった。
「治水工事でカヴァから
技術を持った指導役が来てたでしょ?」
「彼らが来たおかげで、
あれだけ長引いていた浚渫が
すぐに終わりましたね。」
サンサは目を細めて頷く。
「良い油圧ポンプが作れたわ。
その繋がりで来年には
試験掘り作業にカヴァが多く関わるから、
文化交流を深めるのが表向きの目的。」
「表向き?」
わたしに代わってクイナが訊ねる。
「新たな王、オルドラスは
サラの出演に反対してたのよ。
でも彼は身分や地位を捨ててでも
お姫様の出る劇を観たかったみたい。
演劇を禁止するカヴァの検閲法は
この街では適用されないものね。」
「王様を買収したのね。」
「交渉って言ってくれないと。
互いに望むものが手に入れられたのも、
全てサラのおかげね。」
娼婦団に興奮した客の中には、
舞台に上がろうとする者が居た。
前の席を取った客の中の護衛が
浅ましい連中を叩き出す。
貴族や上流階級が雇用する護衛達は
雇い主と舞台を守る。
大金を払った大勢のひとが居てこそ、
彼女達は安心して舞台に立てる。
後ろに居る護衛のディーゴは仕事を忘れ、
娼婦団に向かって口笛を鳴らすので
ハーフガンに小突かれていた。
「花はそこにあるだけで、
虫を引き寄せるものよ。」
いまのサンサがわたしの耳元で囁く。
娼婦達の中から
甲冑姿で男装した女が登場し、
娼婦と代わる代わる踊ってみせる。
男装の女は王子という役割で、
女に対して節度のない姿が描かれる。
「あれがオルドラス王子ね。」
「あ、レデですね。」
遅れて気付いたわたし。

「レデ?」
館に来て間もないクイナは
レデのことを知らない。
「えぇ。
彼女は体型も魅力だから、
出演を快諾してくれて助かったわ。」
レデは去年まで館で2番部屋に居て、
いまは暮相の館で顧問として働いている。
赤髪のレデは背が高くて目に力があり、
彼女は女からも人気が高い。
舞台用に目元を強調する化粧を施して、
髪を脂で固めて、より男らしく見せている。
王子を演じるレデと赤い髪の女達。
肌を重ねて身体は鞭を打つように鋭く、
髪を揺らして腰を密着させる。
娼婦団は次々に舞台から去ると、
白い服に身を包んだ不気味な集団に
ドラス王子役のレデは囲われてしまう。
そこに一人の女が舞台に立つ。
上下に銀色のドレスを着た
サラシュの登場に客席が沸く。

「スァラァぁっ!」
「いまの叫びはオルドラスね。」
サンサが呆れる。
客席の右方から
オルドラスの声援が続く。

オルドラスはサラシュの舞台を見る為に
娼婦団を出演させ、出演料の一部と
高額な最前列の席の一つを獲得した。
サラシュはもうカヴァ国内や他領の貴族と、
婚姻を結んでもおかしくはない年頃。
オルドラスは娘で王女のサラシュが、
夜の館という高級娼館の賓客になって
舞台に立つ行為まで許容した。
カヴァでは王家と元老院の対立が懸念され、
政略での利用を拒むオルドラスが、
娘を匿う為にサンサに頼っている。
と、サラシュ本人が事情を説明してくれた。
カヴァ国内が緊迫した状況にも関わらず、
オルドラスが客席に紛れていると
色々と信じられなくなる。
サラシュの頭に置かれた
王女を示す銀の冠が、舞台上で陽光に輝く。
銀髪を下ろした王女の、真直な立ち姿。
馬を模した褐色の衣装の女達と共に
サラシュは足先まで美しく走り、
指先まで伸ばして上品に踊ってみせる。
彼女は白い腕を広げ、
集団に捕まった王子を見事に救い出した。
助けられた王子は、
サラシュにペンダントを預け渡す。
しかしサラシュは追っ手に捕まってしまい、
白い服の集団は彼女を囲むと
不気味な踊りを行う。
「あれ、サンスァラ王女なのね。」
わたしはようやく気付いた。
この舞台は彼女の一生を描いている。
「王女、なのでしょうね。」
戯曲を書いた本人が曖昧に答えた。
集団からロープで縛られるサラシュ。
大太鼓が低く唸り声を放ち、
笛の音が集団にさらなる狂乱を与える。
集団は手を広げて脚を絡め、
身体を重ねて乱れていく。
クイナが顔を手で覆いながら
艶美な踊りを指の隙間から凝視する。
白装束の集団の演奏が終わると、
目立つ王冠に白髭を蓄えた姿の女――、
王様らしい役割の人物が現れる。
同じく赤い髪の女が
不似合いな付け髭をしているから、
その姿だけでおかしくて笑ってしまう。
「あれがオルデウス王。」
説明するサンサが笑っている。
「演じてるのはジールなんですね。」

レデの妹のジールがわたし達に気付くと、
嬉笑してから咳払いの振りをして見せた。
黒色のコートに、金糸の飾緒と
黄金の腕輪がとても目立つ。
王の元に白装束の一人が
ペンダントを届けた。

王は王子を呼びつけると、
ペンダントを渡して
王子の肩に触れて慰めた。
弦楽器が悲鳴にも似た音を奏でる。
勢いを増す弦楽器が慟哭し、
王子は跪いて泣き崩れ、
サンスァラ王女を失って嘆いた。
その熱演に客席は静まり返った。
あまりの静けさに、
遠くで鼻を啜る小さな音も
耳元で聞こえてくるようだった。

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