第12章 第4節 偽の演戯(第1項)
「ニクス! サンサが事故に遭ったって。」
「入った誰も生きては出られない、
病院の別館に運ばれたんだって。」
メノーに代わって
サンサが病院に出掛けた日のこと。
双子のミニとアミが玄関で得た噂を、
壁画の作業をしていたわたしと
他のフランジや従業員達に言い広めた。
サンサは普段から別館にも行くので、
フランジがするような話で
わたしは怖がったりはしない。
双子の噂ではペタの蜂蜜を
輸送する荷馬車との事故で、
サンサは積み荷に押し潰されたらしい。
通りかかって見ていたひとからは、
サンサは血塗れで病院の別館に運ばれた
という事細かな話も飛び交う。
わたしも知っている別館は、
ウラやスーが運ばれた場所で、
彼女達は館に帰って来なかった。
事故を知った夜の館のみんなは、
サンサの噂を囀る。
ムネモスとサラシュは囀りなど気にせず、
サンサが議長から預かった駱駝と、
馬達の飾り付けを厩舎でしていた。
「夜の館は流言を好まずなのよっ!」
わたしと同い年で、
サンサのフランジのクイナが
双子を叱責した。
言葉に鍵をかけることは誰にもできない。
「だってファウナは寝込んでるし。」
「仕事になんないよ。」
――あのファウナが
繁忙期に仕事を放棄するのかな?
騒がしい庭では作業にならず、
練ったモルタルを放置したまま
玄関の扉の前でサンサの帰りを待った。
風の冷たさで手の震えが止まらない。
クイナが熾火と黒羊毛のコートを持って、
わたしの隣に座って待ってくれた。
「クッションも必要よね。
臀部が冷たくなるから。」
「ありがとうございます。」
「サンサのことだから、
どうせすぐ帰ってくるのよ。」
クイナは自分でも根拠のない慰めをして、
胸元を握るとわたしから目を背けた。
「…ありがと。クイナ。」
「うん。」
改めてお礼を伝えると、
館に戻ってクッションと
膝掛けまで持って来てくれた。
みんなの心配を余所に、
サンサは大した負傷もなく
夕刻には館に帰って来た。
「身体中に染料と蜂蜜が付いて、
洗浄と乾燥が大変だったわ。」
金赤のあの綺麗な髪を、
夕日に染めたサンサは笑っていた。
サンサと一緒に戻ってきたハーフガンは、
説明できずに疑問と疲労を見せている。
「ただいま、ニクス。クイナも。」
と、サンサはわたし達に言う。
「どうしたの、その髪?」
荒くまとめた髪の色が、いつもと違う。
「蜂蜜は脱色する効果があるからな。
館の蜂蜜を一人で食べ切ると、
こんな風に髪がまとまらない
呪いにかかるぞぉ。」
ドレイプの一人が語気を強めて言うと、
新しく入ったフランジが怖がって笑う。
こんな話を好んで言い広めるのは
ファウナしかいない。
ファウナは賢く背の高いドレイプで、
背筋を伸ばすだけで目立って
フランジから注目を集める。
わたしと同じく髪の変化に気付いたひとは、
ファウナの説明に納得する。
サンサの髪の手入れは
同室のムネモスが行っていて、
深く考えるひとも居なかった。
「皆、誰かの流言に
振り回されてたのね。」
サンサはファウナの相手をせずに、
冷めた態度でドレイプの規範を見せた。
そんなやり取りを二人は態度に相反して
愉しんでいるように見える。
イオスを連れたサンサは
夕食も摂らずに揃って部屋に行った。
食事を後回しにしたサンサの行動には、
彼女のフランジのクイナも訝しんだ。
食堂ではドレイプとフランジが
サンサの事故の噂に対する思い込みと、
不安と緊張から解放されて恥じて笑い合う。
館で大騒ぎしていたミニとアミも、
厩舎から戻ってきたムネモスに叱られて
反省している。
「成長してないのよ。
あの子達。」
クイナが呟いた。
夜の館ではお客さんや業者を通じて、
ドレイプやフランジが噂を立てるのは
決して珍しいことではない。
ひとは噂を娯楽にする。
噂を信じるひとは事実を確認せず、
広めるひとは信用を損ね、誤解を与え、
対立を生み、人間関係を悪化させる。
噂を立てても、
自分を成長させる糧にはならない。
噂に夢中になっていた双子は、
繁忙期で溜まった仕事を見て
ファウナに泣きついていた。
流言を楽しんでいた双子に
ファウナは寝た振りをして耳を塞ぎ、
隠れて仕事に取り組んでいた。
彼女は認証管理になってから
仕事に対して意欲的で
他人を妬まなくなった。
流言を広める側だったファウナも、
二人の模範になる指導役に変化していた。
ミニとアミにとっては
今回のことは良い教訓になった。
「あんなに仕事に真摯なファウナも、
館に来た時はミニとアミに
似てたんですよ。」
「ニクスは気付いてないの?
似てるって感じるのは、
ドレイプの過ちを見たフランジが
罪を共にしているからなのよ。」
「…そうかも。」
フランジの戒めにもなっている行動は
ファウナに限らず、ミュパやセセラ、
従業員に至るまで心当たりが多くある。
館に入って間もないクイナの、
鋭い指摘にわたしは否定できなかった。
◆
夜が深まれば囀りも止み、
小鳥達は寝息を立てる。
わたしは夜中にサンサの部屋を覗くと、
彼女はまだ起きていた。
彼女の髪は天窓からの月光に照らされ、
反射して眩しい金色に見える。
「迂遠な計画ね。」
サンサはテーブルに座るイオスと
話をしていた。
イオスの横には銅鏡が立てられている。
――おかしな子なのは変わらないね。
以前のサンサもよく、
こうしてイオスに話し掛けていた。
「あら、レナ。
今日はこっちで寝るの?」
「うん…。サンサは、変わってない?」
心配するわたしに、
サンサは腕を広げて首を捻ると鼻を鳴らす。
「普通に見えないかしら?
蜂蜜の匂いが残ってるわよ。
嗅いでみる?」
「嗅ぎませんよっ。」声を抑えて言った。
サンサはわたしを部屋に招き入れる。
この部屋にはムネモスとサラシュが、
それぞれのベッドで静かに寝ている。
「クイナは寝室棟で寝てたかしら?」
「はい。」
「こんな時期にまで
書室で寝てたら風邪を引くものね。」
孤児院での生活に馴染めずに、
別館で過ごしていたクイナは
夜の館でも孤立を好む。
「サンサはまだ寝ないの? 眠れないの?」
「昼に長く寝てたからね。
イオスに話し相手に
なってもらってたの。」
目を光らせるイオスが声を控えて鳴いた。
サンサは立ち上がると、銅鏡を壁に掛けた。
「眠れないのはお腹が空いてるから?」
「空いてないわ。
不思議よね。
レナは? お望みなら
これから貯蔵室に侵入しましょうか?」
わたしはそんな提案に首を横に振った。
「…一緒に寝ましょう。」
「分かったわ。
イオスももう寝ましょうか。」
部屋の奥の片隅には、
アルとイオス用のベッドが置かれている。
もうアルも居なくなって、
いまではイオスだけが使っている。
イオスが使うと白い体毛が食み出して、
ベッドが縮んだように錯覚する。
天窓に浮かぶ月が、
遠く離れた恒星の光を反射している。
「また体調が悪くなったのかしら?」
「違います…。」
「ふふっ。」
ベッドで横臥すると、
サンサは赤色の瞳でわたしを見て笑った。
新月の日のわたしは体調を崩しやすかった。
前にもサンサのベッドに黙って侵入して、
メノーやスーに笑われたことがある。
「違うわよ。あれは満月の日よね。」
「…なにがですか?」
「スーが居なくなった日の夜ね。
トリンに刺されたのは、
サンスァラ王女のベッドに入った
レナだとずっと思ってたの。」
「わたし? なにもされてませんよ。」
その日は寝室棟の従業員の部屋で
メノーと一緒に寝ていたら、
ムネモス達に起こされて
フランジが大騒ぎしていた。
サンサは血塗れになっていて
メノーはスーを連れて病院に行き、
ニクスはずっと目を覚まさなかった。
「あれからセリーニの塊茎のせいで
身体が思い通りに動かなくて、
部屋から出られなかったのよ。
冬にはカヴァのドラスがこの街に来たり、
王女はマルフの館に入り浸ってるし。
色々あってレナはアイリアの工房にも
居ないのかもって。」
「わたしは居ますよ。わっ。」
彼女の両腕に抱かれた。
柔らかな身体に蜂蜜の甘い匂いがする。
「ニクスは、寂しくはない?」
ニクスが名前を呼んだ。
「わたしは寂しいよ。」
彼女がわたしの頭を撫でて頬に触れる。
「やっぱり、死を受け入れられない。」
声を震わせて言ってから、鼻を啜って笑う。
「ふふっ、サンスァラ王女がね。
わたしにおかしなことを言ったの。
舞踏室で踊った、
去年の農休みの日よね。」
「またですか?」
「また? またではないわよ。
王女からお願いされたのよ。
レナを守って、って。」
「わたしを?」
いまのサンサが、
わたしの頭の上で頷く。
月が雲に隠れると、
照らされていたサンサの金の髪は
暗い黒へと変化する。
「それを思い出して目が覚めたから、
わたしは館に帰って来られたのね。」
「…おかえりなさい。」
サンサを抱きしめて言った。
わたしもサンサが居なくなる不安を
いままでずっと抱いていた。
「ただいま。」
頭を撫でられ、頬に触れ、耳元で囁く
彼女のその声がとても心地良かった。
彼女を抱いて涙が零れないように、
その胸元に顔を埋めた。
――おかえり、ニクス。
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