第12章 第3節 想像の余地(第3項)
「なぁ、ニクス。これなんだけど。」
粗野な言葉遣いのファウナが、
自分の部屋を抜けて日陰の庭にやってきた。
いつもの沈んだ目に、
伸びてまとめた黒髪が揺れる。
薄白い手で1枚の手紙をテーブルに置いた。
「これは、ミカからだわ。
思ったより時間が掛かったのね。」
「ミカ?」
「銀行屋のマイダスの子供ね。」
ミカの性別については、
クイナにはまだ明かさないでおいた。
ムネモスは頷き、手紙を見る。
「なんですか? なんです、これ?」
ファウナは手紙に書かれた
数字の羅列を見て疑問を浮かべ、
ムネモスもクイナも首を捻った。
ミカは魅力を感じさせない手紙を
ムネモス宛に送ってきた。
「この街に出入りする
金地金の量を調べて貰ったのよ。」
「あ、入植暦がありますね。
15年も前からですか?」
「オル銅貨と大陸硬貨から、
ルース硬貨に統一された頃からね。」
大陸からの輸入に依存していた金貨を、
サンスァラ王女達が偽造した。
その影響でエルテル先代領主のエリクは、
島独自の硬貨を新たに用意しなければ
いけなくなった。
「オーネック家の銀行が
この街に出来たのもその頃だもの。
ミカなら調べるのも、
それほど難しくはないでしょう?」
「こんな依頼をなされたんですね。」
「信用は行動で示すものよ。
それに口実を与えるのが
わたしの仕事よ。」
ムネモスに告げてみても、
ミカに好意を向けられているムネモスには、
数字だけの手紙は迂遠で評価に値しない。
詩歌の一つも添えていないので、
この反応も当然と言える。
「んなの調べて、どうすんだ?」
ファウナはジャムとお菓子を好きに頬張り、
クイナが冷たい視線を彼女に送っている。
「ミカを褒めてあげるわ。」
「はぁ?」
「調べたのに対価も得られず
評価もされない仕事なんて、
ファウナも引き受けはしないでしょう?
それにこの依頼は
内容や意味ではなくて、
こちらの狙いをあの子に
読み取って貰う為のものだからよ。」
「今度はまた、なにを企んでるんだ?」」
ファウナが察するので、
わたしは笑みが零れる。
「あっ、見てください。
冬に前年の流入量に近い金地金が
流出してますね。」
「カヴァにお金を貸したのかな?」
ムネモスとクイナのせいで話が逸れる。
「次は宝石か、花にでもしましょうか。」
「花? なんで花だ?」
「生活に必要のないものって、
街の豊かさを示す指標になるもの。」
「調べさせるにしても、
銀行の範疇を超えてるぞ。」
ファウナの指摘する通り、
調査は広範になって
ミカでは調べられそうもない。
ムネモスが興味を湧かせ、
惹かれるものを代わりに提案してみた。
「…それならエルテルの織物と、
カヴァの細工のが良いかしらね。」
「それはわたしも知りたいです。」
わたしの予想通りにムネモスが釣れた。
この二つなら馬の生産頭数よりも、
色気のある内容が期待できる。
イオスを抱いているファウナは、
眉を歪ませて納得していない。
認証管理を行うファウナは、
手紙の内容から大陸語の意味も理解する。
けれども数字だけを見て思考を理解するには、
ミカという人物を知る必要が出てくる。
「ムネモス~。ちょっと見てぇ。」
サラシュの声が2階から聞こえた。
「いかがなさいましたか?」とムネモス。
銀髪のサラシュが銀のドレスを手にして、
舞踏室からチュール生地の
肌着姿のまま下りてきた。
もう日が傾き始て、
お客さんの姿は無かったのが幸いした。
「サラ。
浅ましいわよ。そんな格好で。」
サラシュはカヴァの第一王女で、
わたしよりも前に成年を迎えている。
どこかの貴族を捕まえて、
婚姻を結んでもおかしくはない時期だった。
サラシュは国を出て分水街に住み着き、
いまは賓客としてサンスァラ王女の部屋の、
わたしが使っていたベッドを占領している。
カヴァの出身であっても背が高く、
育ちの良さから豊かな肉付きを見せる。
クイナが彼女を凝視していた。
「洗った衣装が縮んでるのよ。
これでは踊り難いわ。」
「サラが姉様と毎日、
お夜食を口にしているせいでは
ありませんか?」
「太ったかしら。」
同室のムネモスはサラシュに対して、
こんな意地悪なことを言い合う仲になった。
不敬の罪にも問われない。
「食べ物が変わったのもあるわね。
身体は常に変化するものだから、
サラを責めてもいけないわ。」
「ヤゴウのお料理もおいしいですから。」
「ムネモス。
彼はおいしいものしか作りませんよ。」
諫むように言って冗談を笑い合う。
「クイナ、手伝ってください。」
「…はい。」
彼女が許可を求めてわたしを見た。
クイナはわたしのフランジであっても、
わたしが彼女の行動を判断する必要はない。
貯蔵室に侵入して、食べ物を取るなどの
問題を起こせば、ヤゴウの責任になる。
クイナは責任を理解していて、
館を抜け出す軽挙もない。
他のフランジ…特にミニとアミも
クイナを見倣って欲しくなり、
目の前に座る指導役のドレイプを見た。
「ファウナもお菓子ばかり食べてないで。
もうすぐ夕食の時刻よ。」
ファウナはお客さんが使う
南側の席でパン菓子にジャムをつけ、
背筋を伸ばしたまま静かに食べている。
ファウナの膝の上に立つイオスは、
お菓子の欠片を嗅いで口にしていた。
「こっちの甘くない方がおいしいな。」
「それは総督用に作ったものよ。」
「セセラがまた、
新しい本を手に入れてたぞ。」
「半分はファウナの物よね?
あなた達も『物好き』ね。
ファウナも石の裏に棲んでいないで、
日の当たる場所に出た方が良いわね。」
「日陰の庭の主が言っても説得力ないぞ。
でも今度は壮大なんだって!
山より大きな蛸が描かれてるんだ。」
「蛸って…蛸?」
洞窟港出身のファウナは、
海に棲むという軟体動物に
関心があるのかもしれない。
――蛸や魷も巨大なものは、
竜の一種になるのかしら。
干物の海産物しか知らないわたしは、
そんな想像を浮かべた。
「ミニとアミから目を離していいの?
認証管理は繁忙期でしょう?」
「それは良くない。
また議長にわたしの部屋を占拠されたら、
ニクスに追い出してもらわないと
いけなくなる。」
「いまのわたしは
ニクスではなくてサンサよ。」
「知ってる知ってる。
さぁ、仕事に戻るかぁ。
またな、砂糖。」
「イオスと呼びなさいっ。」
ファウナから押し付けられたイオスは、
力強くミャオと鳴いて抗議した。
◆
サラシュのドレスを直す為に
ムネモスとクイナは舞踏室へと上がり、
ファウナも自分の部屋に戻っていく。
日が沈み始めた庭は静かになって、
小石の擦れる音がまた耳を擽る。
「ふぅ…。」
わたしは椅子に深く腰を下ろし、
イオスを抱いたまま長い息を吐いた。
「お疲れですね。」
わたしの吐息を、
ずっと後ろにいた少女は聞き逃さなかった。
「レナ。」
振り向くと、レナタが道具を片付けていた。
わたしはイオスを抱き上げて立ち上がる。
レナタはストロー帽を取り、
汗と脂で固まった癖の付いた髪を
首に掛けたタオルで解した。
「今日の作業はもう終わり?」
「今日は乾燥していて、
モルタルが乾きやすいので
急いで済ませました。」
レナタはルービィの許可を得て
わたしからの依頼で、日陰の庭の北にある
面談室の外壁にモザイク壁画を作っている。
背景はまだ未完成でも、
すでに人物画の部分は完成している。
白い肌をした鈍色の髪の若い娘が、
銀色の冷たい瞳で黒猫を抱いていた。
夕闇の中で、猫の目は金色に輝く。
透明なガラス石で描かれた髪は
灰色のモルタルを透かし、
光沢が作用して銀髪に見える。
日が沈んで周囲が暗くなると、
壁画は闇に溶けて暗い黒髪へと変化する。
薄い唇の端には
小さな黒い点のホクロがあって、
口元が笑みを湛えて見えた。
「ふふっ…。」
壁画に描かれたメノーと同じく
この壁画の肖像にも気品がある為に、
見ていると自然と口元が緩んでしまう。
「いかがですか?」
アイリアの工房で描いていた、
サンスァラ王女の肖像画を
レナタは壁画にした。
「顔はあのひとだけれど、
これは…胸が豊かになってるのよね。」
「それは…
サン…スァラ王女が言ってましたよ。
見るひとがまた見たくなるように
理想化しなさいって。」
「サンサは自分が
理想化されて描かれるなんて、
想定していたのかしらね。」
「ニクスもいまはサンサですよね。」
「…うん? わたし?」
彼女の言葉の意味するところが、
読み取れずに頭を捻った。
「この壁画は、
永遠に枯れない花なんです。」
レナタの言葉にわたしは首を縦に振る。
「壁画を見て、分かったことがあるわ。」
「…どんなことですか?」
「戯曲もなければ劇団も役者すら居ない
空虚な劇場の権利なんて、
わたしには必要なかったわ。」
「でもサラやムネモスは、
楽しんでいましたね。」
「ええ。
彼女達が居なければ
戯曲は書けなかったもの。」
サラシュはひとを惹きつける逸材で、
ムネモスや彼女の母、ベリーの協力があり
立派な衣装が完成した。
「口実として必要だったのね…。」
――わたしをこの館に残す為に。
「お姫様はいま、
どこに居るんでしょうね。」
壁画を見つめるレナタは、
藍色の瞳を濡らして目を細める。
「ルービィには館を去った
って伝えたけれど、
いまも禁足地に居ると思うわ。」
わたしは南の方角を見た。
「天蓋山の麓には管理者っていう、
会話の成立しない相手が居たのよ。」
「それって、竜のこと?」
アイリアは入植十二画に異なる竜を描いた。
「マルフは竜に見えたんでしょうね。
見るひとによって、
見える姿が違うみたい。」
「サンサが見たのは、
どんな姿だったの?」
「わたしが見たのは
スーの持ってた四時の、
季節札に描かれた動物達だったわ。」
「季節札? ってあの星札の?」
「牛の頭に羊の太い角。
馬の脚を持つ巨大な怪物。」
「おかしな動物だね。」
朝は春に耕起する輓獣の牛。
昼は夏を前に毛を刈られる羊。
夕は大地を駆ける秋の馬。
夜は厳寒の冬でもおいしい兎。
「尻尾はきっと兎のように丸かったのね。」
想像して口元を緩めるレナタ。
「鳴き声も気になります。」
「ひとの姿に変わって喋ったのよ。
猫の頭でね。
会話になったのかしら?
管理者の言葉のほとんどが、
難解な単語の羅列なのよ。」
「そのひと?
管理者はなにか言ったの?」
『完全なる還元。』
――また、元に戻ることよね…。
管理者との会話の内容を覚えていても、
いまでも理解はできていない。
「分からなかったわ。
でも名乗ってもいないのに、
『また会いましょう。金赤色のサンサ。』
ってわたしに言ったのよ。」
「それは、魂…?」
レナタは首を捻った。
「わたしの考えは、
子供騙しに聞こえたかしら。」
レナタは首を横に振って、
肩まで伸びた銀色の髪を揺らした。
宝石のような藍色の瞳が、
空を埋め尽くす羊の群れを眺めた。
「…想像の余地ですね。」
レナタは目を細めて口角を上げる。
横顔を見るわたしは
レナタの頬に触れる銀の髪に、
乾いたモルタルを見つけて
それを剥がし取った。
レナタの口元に、
小さな黒い点のホクロが見える。
――サンサの忘れ物ね。
突然レナがわたしに抱きつき、
挟まれたイオスがミャオと鳴いた。
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