正六角形をした小さなパン菓子を摘んで、
口に入れると噛むほどに唾液が奪われる。
6つの同じ鈍角を持つ正六角形。
この島では同じ形を目にする。
古代のひと達は蜂の巣から着想を得ると、
様々な道具に意匠を取り入れた。
日時計島の鐘楼は正六角形をして、
館にも同じ形の石柱や棚がある。
養蜂の盛んなメルセ領では、
3個の正六角形を繍旗の図柄にしている。

小島のメーニェ近くにある
柱状節理などは、六角柱の石が
集まったものだと本には書かれている。
サンスァラ王女は禁足地の列柱を見て、
同様のことを言っていた。
テーブルの天板下にある網棚から
1枚の鏡を取り出す。

王女の部屋の壁に、
長らく裏返しのまま飾られていた古い銅鏡。
偽貨が入っていた浅い木箱に収めて、
裏返しのままマルフに見せた。
「部屋に戻すのを忘れるところだったわ。」
「普段は鏡なんて見ませんのに、
それを持ち出すなんて、
今度はなにをされるのかと
思ってました。」
ムネモスがわたしにそんな指摘をする。
「わたしも、鏡くらい見るわよ?」
「サンサ姉様は
自分の髪も梳かしませんのよ。」
「信頼してムネモス達に任せてるのよ。」
ムネモスはわたしの怠惰な点を
クイナにも聞かせてくれたおかげで、
便宜的な弁明をしなければいけなかった。
「総督に言っていたその鏡。
ソーマが持ち出した
ソーンの国宝なの? 国宝って…。」
クイナは自分の発した言葉を疑い、
まだ信じられずにいる。
銅鏡はソーンの繍旗と同じ意匠で、
蜥蜴の描かれた裏面は緑青に覆われ、
錫を鍍金した鏡面は曖昧な像しか映さない。
「これは価値のない、ただの古い鏡よね。
ガラス鏡の方が使い勝手は良いものね。」
「ソーマが盗んだ国宝って言ってたの、
全て嘘なの?」
「いまでは誰も作らない古い銅鏡に
ソーンの意匠があったのなら、
国宝の可能性もあるでしょ?」
「それを詭弁というのよ。」
わたしは結論ありきの妄想を述べ、
否定するクイナの意見に首肯する。
「さっきまでサンサが言ってた、
科学の5段階法はどこにいったのよ?」
「ソーンの国宝と証明できるものが、
この島に存在しないのは確かね。
保証書のないわたしの言葉では
根拠にならないでしょうね。」
「わたしは信じてますよ。」
「ムネモスはサンサの信奉者なの?」
クイナにそんな言われ方をしても、
ムネモスは構わず頷いている。
わたしは話が逸れないように続けた。
「想像してみて。
今日のわたしの話を信じたマルフが、
興奮して、噂程度に誰かに喋ったのなら、
どうなるかしら。」
「元凶のサンサが信用を失う?」
クイナの考えは真当で、
ムネモスは顔を覆って笑い出す。
「総督の話を聞いた元老院議長が、
議会の場で国宝の存在を仄めかすのよ。
これが他の領主にまで伝わると
どうなるかしら。」
「根拠がないから
誰も信じないのよ。」
わたしもクイナの考えに同意しつつ、
ある条件を加えて提案する。
「鏡が存在することで、
かれらが機運に乗じられるとしたら?」
「機運? 東部が…?
大陸との関係に?」
東部3領と深い繋がりのあるメーニェは、
大陸北方のソーンと古くから対立している。
「この島から得られる貢ぎ物を
独占したいメーニェなら、
銅鏡の存在を認めて要求したり
公にするはずもないわ。
大陸のソーンからしても、
300年も紛失していた古い鏡なんて
国宝にも認めはしないわね。
ソーンが島に攻め込む口実にするだけで、
大陸に宣伝したところで利がないわ。」
島からも大陸からも離れたメーニェは、
古い銅鏡1枚で動かせる相手でもない。
クイナは複雑に考えて首を捻る。
彼女よりもムネモスの方が先に、
わたしの考えに近い答えを導き出した。
「300年以上も昔の鏡でしたら、
総督以外に欲しがる『物好き』は
大勢居るでしょうね。
タルヴォ叔父様も
その内の一人です。
古代神話にある
レリーフを収集していましたね。」
――女神のお尻を追い求める男ね。
「大陸語の、ソーンズで書いた
文書でも作って添えましょうか。
ソーンの鏡っぽくなるわね。」
「それって偽造なのよ…。」
「証明する、とは言ってませんものね。
その文章は仮説の提唱に過ぎませんよ。」
ムネモスまでわたしの戯れに加担して
クイナを諭すように言う。
「噂を聞きつけたオーブのメテオラや、
メルセの領主、洞窟港の長、カヴァの王も
この銅鏡を見て存在を認めたのなら。」
――カヴァの王、オルデウスが
ネルタで探していた忘れ物が
この銅鏡なら。
サンスァラ王女が
この銅鏡を飾っていたのは、
なにか理由がある。
わたしはその先を見越して手札を握る。
――偽りの銅鏡でも、島の統治者達を
同じ交渉の席に着かせられる。
山脈のトンネルが完成すれば、
洞窟港との交易も盛んになる。

その次は島の外。
民間伝承に語られる外洋の竜が、
外敵から島と財宝を
永遠に守ってくれるとは限らない。
大陸で傷つき飢えた竜が島を巣穴にして、
こちらに牙を剥く可能性もある。
――結束して、大陸との競争に
備えなければいけない。
「島の学者も認めて公文書にまで記され、
美術館に何年も、何十年も
収められていたとしたら。
その価値はどうなるかしら。」
「島の統治者達で、
事実から目を背けるの?」
わたしの意図を読むクイナは察しが良い。
「統治者達に認めさせれば、
歴史捏造の共犯者にできるわ。」
「詐欺なのよ…。」
クイナは一言呟いて閉口する。
彼女の理想的な反応に、
わたしの口元が緩む。
「…誰の手にも入らないのに、
それにどんな利益があるのよ。」
土地や資産と違って、
出資者になる統治者達には
一つしかない銅鏡は分配できないが、
罪の意識があれば奪い合いも起きない。
「公文書と共に、証人となった
統治者達の名前が残りますね。」
「権力を持った者達の最期の望みは、
自分の名前を後の時代に残すことよね。」
「その者が生きていた建物や土地、
生まれた場所、道や橋の名前、建造物。
死者の為の石塔であっても、
その人物が死んだ後にも
名前は刻まれ続けます。」
石塔の主、エリクの娘が言った。
「不老不死とはいかないけれどね。」
「それだけで…?」
稚いクイナには想像が及ばない。
「民衆が欲しがらない古い銅鏡でも、
価値というのは必要なひとの数とは別に、
お金を払うひと同士の競争で決まるのよ。
嗜好品、美術品、ドレイプも同じよね。」
「飢えた領民に金貨を与えても、
お腹は満たせませんものね。
金貨は価値を測る為の、
天秤の錘に過ぎませんよ。」
ムネモスも彼女に告げる。
「偽貨も鋳直せば良い
なんてサラも言ってたわね。
誰かが捨てるものであっても、
ひとやものの見方、使い方次第で
新たな価値を与えられるのよ。」
クイナはわたしの目を見て、
頷きを繰り返した。
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