第12章 第1節 手掌の札(第4項)
「ミカがわたしに問いたいことは、
カヴァへ出資する理由よね。」
テーブルを指先で小突き、
ミカの顔を上げさせる。
わたしは誰か真似事をした。
「ミカがマイダスと同じ立場、
銀行の責任者だった場合。
あなたは飢えている彼女、
サラシュに一切の施しを与えず、
見捨てることができるのかしら。」
サラシュが両手でお腹を抑えて
空腹の演技をしてみせる。
「責任者であれば、
見捨てる覚悟をしなければ
いけないんだろ?」
わたしは首を縦に振る。
「広く、深く考えなさい。
彼女はこれで、カヴァの王女よ。
カヴァの衰退は彼女の死に繋がる。」
サラシュはミカと目を合わせても、
笑顔を作って穏やかに頷く。
サラシュが向けた優しさは、
ミカの浅薄な発言を後悔させ、
札遊びで負けた傷口を深く抉る。
「こちらのムネモスは
エルテル先代領主エリクの娘で、
弟のクロノはいまカヴァの庇護下よ。
この街がエルテル側に便宜を図れば、
弟は人質に利用され、最悪の場合
彼は殺されるでしょうね。」
暴論で極端な可能性を挙げると、
ムネモスはサラシュを真似し、
ミカに笑顔を向けてえくぼを作る。
ムネモスの笑顔はミカの表情を歪ませ、
罪悪感を覚えてくれた。
「民衆が家や労働の収入、
生活の拠り所を失えば、
犯罪が増えるのは必然よ。
東西がその均衡を失った場合、
被害に遭うのは挟まれたこの街なの。
あなたは自分の財産の為に、
二人に剣を持って殺し合えと
命じはしないでしょう。」
「次はなにを賭けましょうか。」
サラシュが余計なことを言い、
わたしはそれを聞き流す。
「計算が得意なミカは、
数字を信用しているんでしょうね。
でも、数字が世の全てではないわよ。」
サンスァラ王女から得た教訓を、
わたしはミカに送る。
「人間、生きていれば
多少の失敗は出るものよ。
一人ではできないことを知るのも
今後、大切な経験になってくるわ。」
唇を噛んで涙目で見てきたミカに、
慰めにならない言葉を足した。
――思い通りにはならないわね。
「あれですよね。諺で――。」
ムネモスは疎覚えのまま続けた。
「鏡を認識できない馬は、
鬣を編み込まない――。」
「『他人は前髪を気にしない』よ。」
と、わたしが訂正する。
「ムネモスにかかれば、
なんでも馬になってしまいますね。」
サラシュが笑う。
ムネモス自身が以前、
勉強会で例えた馬の話になっていた。
馬の鬣は、飼育環境下で
美的観点の為に整えるけれど、
馬が鏡を認識する以前に
鬣の手入れは必要ない。
ムネモスの願望に近い勘違いは
勉強会でたまに出現するので、
わたしも何度か訂正していた。
オーブ領を真似て、
四つ足の家具を馬と呼ぶ日も
近いかもしれない。
「ふふっ。前髪でしたね。
あなたにとっての失敗や挫折は、
他人にとっては些末な問題でしか
ありません。
いつまでも泣いていては、
次に同じことが起きた時に
なにもできませんよ。
大切なのは、
失敗を繰り返さないことですから。」
ムネモスの慰めが通じたのか、
黒い目の周りを赤くしてミカは頷く。
「…分かったよ。
もっと調査してくる…。」
「素直でいい子ね。」
お客さんを子供扱いするムネモスに、
ミカは彼女を見て立ち上がった。
「今度来る時は、
あなたを指名しても良いでしょうか?」
「えぇ?」とサラシュの方が驚く。
「ミカ、それはダメよ。
ムネモスはまだフランジで
わたしの大切なひとなのだから、
指名なんて出来ないわよ。」
「大切?」
ムネモスはわたしを見て目を輝かせる。
「わたしは?
必要とおっしゃいましたよね?」
サラシュが感情を湧かせ、
対抗意識を抱かせてしまった。
「サラも大切よ。
序列を与えるものではないわよ。
こんな場所で
なにを言わせるのっ、もう…。」
辛いものを食べたわけでもないのに、
顔が熱くなって右手であおいだ。
「またここに来たければ、
今度は先に手紙を書きなさい。
相手の気を引く目的の、
色気と知性のあるものをね。
館は来るものを選ぶのよ。」
「あぁ…。分かったよ…。」
「楽しみにしていますよ。」
「はいっ。」
ミカはムネモスの時に限って
良いお返事をする。
イオスを抱いたままのサラシュに
案内された子供は、北側の出口に消えた。
館を出る最後までムネモスを見ていたミカ。
「エイワズの相手よりも疲れたわ。」
「でも楽しかったですね、札遊び。
あの雷霆を解除されるなんて。」
「もう大変よ。
わたしも札遊びは、
それほど強くはないもの。
ミカが10巡目で雷霆を狙ってるのが、
分かってたからできたのよ。」
「もしかしてサンサ姉様は、
ひとの考えがお分かりですか?」
ムネモスの突飛な想像につい笑ってしまう。
「でしたら簡単に、
勝てるのではありませんか?」
「相手に勝利の確信を与えないことには、
同じようにやるのは難しいわね。」
「『運命の女』が彼を拐かしたんですね。」
勘違いを続けるムネモスは、
自分の胸に手を当てて喜んだ。
「それはわたしではなくて
ムネモスのことよ。
ミカに気に入られたわね。
雷霆を使ってあなたに
良いところを見せたがってたのよ。」
「彼も雷霆は上手にできましたね。」
言っても本人は気にしない。
ムネモスに惹かれるミカに気付き、
彼女をわたしの交渉の席に着かせた。
――ミカに同情するわね。
「あ、あの子。短剣を忘れてるわ。」
サラシュが預かっていたミカの短剣が、
テーブルの網棚に置かれていた。
「いいわよ。
急いで届けなくても。
去るものは追わず。
この忘れ物を口実にして
館に来たがるでしょうから、
ミカを玄関で追い返す前に
銀行に送りつけましょうか。
そうすれば彼女も諦めて
手紙を送ってくれるわね。」
そんな話をしていると、
サラシュが日陰の庭に戻ってきた。
「…彼女?」ムネモスが訊ねる。
「ミカは女よ?」
わたしの言葉に、
ミカを連れてきたサラシュも頷く。
「娼婦の真似をするわたしでも、
子供であっても男のひとなんて
連れて来はしないわよ。」
「あら…。本当に?」
ムネモスは自分だけが
気付いていなかったことに頬を染める。
「でもお名前は?」
「銀行の後継者を、
マイダスは男のつもりで
育てているのかしらね。」
ミカという名前は、
それほど珍しくない男性名になる。
「親の理想は、子の理念ではないもの。」
ナルキック族のトリンと同じく、
生まれた娘を後継者にする為、
男同然に名付ける親が居る。
「せっかく連れてきたお客さんなのに、
サンサはすぐに追い出してしまわないか
気が気でなかったわ。」
「わたしは悪くないわよ。
館はお客さんを選ぶものだから、
おかしな相手を連れて来ないこと。」
「そこは反省してますよ。
でも、いつまで経っても
『それ』を書き上げない
あなたが原因ですよ。」
サラシュはテーブルに置いたままの、
なにも書けていない羊皮紙を指示した。
「う…、戯曲を書くのって、
こんなに難しいとは思わなかったのよ。」
「書けもしませんのにわたしを引き止めて、
劇場で演劇をさせるなんて、
おかしなことを考えるわね。」
娼婦団で出会ったサラシュの起居には、
ドレイプが倣うほどの気品がある。
夜の館のドレイプに馴染み、
オルドラスやサンスァラ王女にも似て、
耳目を集めるだけの魅力を持っている。
『役者は選ぶべきね。』
これはサンスァラ王女の教訓。
わたしはサラシュに
役者としての可能性を感じていた。
「劇場の権利を持ったところで、
演じられるひとがいなければ、
数字の0と同じだものね。」
劇場の権利を名前と共に引き継いでも、
劇団も解散しており、戯曲も持っていない。
去年の収穫祭の公演以降、
座長は人攫いに遭ったという流言を
慎みを知らない娼婦から耳にした。
その座長の名前はゼオと呼ばれ、
ユヴィルの裁判で証人に立った老馭者と
同じ名前ということしか分からなかった。
「役者が居ても戯曲がなければ、
わたしは浮浪者も同然ですよね。」
サラシュがテーブルに身を乗り出して
催促する。
イオスがテーブルとサラシュに挟まれたので
わたしに向かって鳴いている。
わたしがサラシュを誘った為に、
戯曲を用意しなければならなかった。
戯曲を書いた経験はあっても、
カヴァのオルドラス達が演じたものは
王女の代筆に近く、正式なものではない。
サンスァラ王女はこの日陰の庭で、
仕事以外にもフランジに勉強会を開き、
オーブの協力の下で発明に勤しみ、
統治者達に手紙を書き、戯曲も綴った。
「やることが多いのに
できることは少なくて、
いまのわたしはサンスァラ王女に
遠く及ばないわね。」
近くで見ていた小柄な王女が居なくなると、
存在の大きさに打ち拉がれる。
ムネモスとサラシュが顔を見合わせた。
「お姉様はもっと適当でしたよ?」
「叔母って、
いまのサンサより怠け者よね。」
「えぇ?」認識の違いに耳を疑った。
「だって、食事は好き嫌いが激しくて、
服のお着替えも毎日しません。
お風呂にも入りたがらないんですよ。」
「総督の館に居た時も。
自分が傷物という理由で
他人任せなひとでもありましたね。
レナタ…ニクスも呆れるくらい、
叔母の世話係を日々していましたから。」
「いまのサンサ姉様は、
お姉様らしくはありませんね。」
「サンサはどんな叔母を目指していたの?
あ、それ、書いてみたら?」
「それをサラが劇場で演じるのですか?」
「捕虜王子の身代わりになった
悲劇の王女様だものね。
オランの前で何度も演じたことがあるわ。
『ドラスも馬に蹴られて、
1回死んだらいいのよっ!』」
サラシュが立ち上がると、
イオスがテーブルの上に逃た。
「観たい! お母様に
ドレスを用意して貰いましょう。」
サラシュ達の共有するサンスァラ王女が
想像できない。
逡巡するわたしを余所に二人は盛り上がる。
これで諦めがついた。
「それならこれからは、
わたしもサンスァラ王女みたいに
二人にもっと頼るわね。」
イオスを胸元に抱き寄せて冗談を告げると、
二人は黙って困惑しつつも
口元を緩めて喜んでくれた。
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