
薄白い肌の来客は、
切り揃えた艶のある黒髪が
歩く度に綺麗に揺れる。
黒のキャシュクに黒のスラックスと、
銀糸の飾緒を胸元に渡らせている。
オーブ領の黒装束姿で来るお客さんは
この館では珍しかった。
秩序正しく編まれた褐色のサンダルには、
泥さえ付いていない。
飾緒をした身分のある人物で、
身長と年齢はレナタに近い。
「オーブ領の方?」
エルテル領出身のムネモスは
相手の服装を見ると、隣接する南の
オーブ領の子と勘違いして呟く。
「オーネック・マイダスの子、
ミカでしょう? 銀行の。」
「お前、オレに会ったことがあるのか?」
困惑するミカを見て、
サラシュが笑いを浮かべて西側の席に座る。
年少らしい高い声が耳を撫でると、
イオスは耳を伏せて警戒心を見せた。
この粗野な喋り方は、
オーブ領から来たフルリーンや
洞窟港出身のファウナにも似ている。
「あなたの父、マイダスとは
禁足地で会ったわ。
その椅子に座る前に、
館の規則には従いなさい。」
テーブルを指先で小突くと、
わたしの環指に通した金と銀の指輪が光る。
「護衛が居なくて、心細いのは分かるわ。
でも刃物の持ち込みは禁止よ。」
ミカは帯布の背中側に、
短剣を佩いて隠している。
わたしからは短剣が見えなくても、
帯布に巻いた革の帯紐が主張していた。
「オレはオーネック家の後継者だぞ。」
「ここでは誰であっても、
館の規則には従いなさい。
これ以上子供扱いされたくなければね。」
ミカはなにも言い返せず、
護身用の短剣を外してテーブルに置いた。
「サラはそれを預かっておいて。
後で返してあげなさいね。」
「心に留めるわ。」
彼女は自分が招いた状況を愉しんでいる。
席に着いたミカは、
初対面のわたしに妙なことを訊ねる。
「サンサは死んだと耳にした。」
「あなたは他人の言葉を信じて、
自分の目で見たものは
信じないのかしら。」
「オレを愚か者と見下してるのか?」
サラシュに連れてこられたとはいえ、
強く警戒するミカから放たれる
言葉の端々に棘があった。
「館は流言を好まず。
根拠不明の噂を餌に垂らして、
気を引こうとする安い人間なんて
誰も相手にしないわ。
銀行を営むオーネック家でも
そこは同じでしょう?」
「舌の回る女だっ。
その舌で男を巧みに舐め回すのか?」
――マイダスが自分の子を、
『生意気盛りのガキ』と評するわけね。
ムネモスは目を細めて下手な欠伸をし、
彼女の向かいの席のサラシュが笑いだした。
サラシュが笑ったせいで、
冗談が受け入れられたと勘違いしたミカは
これに気を良くしてしまう。
サラシュがムネモスに向け、
欠伸の真似を上手にしてみせると、
太腿のイオスに欠伸が伝播した。
「品のない言葉遣いは
家名を汚すだけよ。
それともまだ子供扱いが
お望みなのかしら?」
この言葉で再びミカを黙らせてしまう。
「あなたにわたしは買えないわよ。」
「お前は誰にも買うことのできない娼婦
らしいが、それはオレの父親の、
銀行責任者のマイダスでもか?」
「えぇ。」わたしは首を縦に振ってみせる。
「これを見せても同じことが言えるのか?」
ミカが、胸元の革袋から取り出して
見せたのは1枚の旧金貨。

「図書館でこの金貨を使って、
本を騙し取った女が居るはずだ。
そいつを警備に突き出す、
と言ってもか?」
ミカが半ば脅しに近い発言をしてきた。
――二人の忘れ物ね。
この旧金貨はユイガス金貨と呼ばれ、
サンスァラ王女が書室に保管していた
偽造金貨の1種。
宝飾巾をした男の肖像は、
メーニェ島海戦で敗走した
北方ソーンのユイガス王の姿。
彼女がオーブ領に隠れていた時に、
先々代の領主グレイ老と作った偽貨。
図書館で司書から写本を買い取る際に
ユイガス金貨を使ったのはスーなので、
責任は彼女のドレイプだったサンサの
名前を使っているわたしに向かう。
ミカはテーブルに置いた金貨を、
細い指で弾いてわたしに見せる。
自信を示すミカに、
わたしは諦めに近い溜め息を吐く。
「あなたにとってわたしは、
そんな脅しが通じる相手と
思っているのね。
見下されたものだわ…。
金貨1枚の出処を明らかにするのに、
なぜあなたを娼館に寄越すのかしら。
ミカは使用人でもできる仕事しか
与えられないのね。
父から期待も信頼もされていない理由は
孤児院の孤児でもわかるわよ。
労力の無駄でも、子供を遣えば
お金が掛からないから良いわね。
それともこれは、娼婦を買うお金として、
マイダスから偽貨を与えられたのかしら。
市場で遊ぶお金に困っているのなら、
わたしが立て替えてあげましょうか?」
わたしはミカを子供扱いし、
相手の望む解決案を示して見せた。
でもいまのわたしは、
お金を持ち合わせていない。
ミカはわたしのこの提案を、
顔に出さないように努めても、
次の言葉を完全に失っていた。
前年の冬にヘッペがミカを誑かし、
この館に来る可能性もあった。
来るものは選び、貴族の子供であっても
夜の館への入館は許されない。
ミカの期待を打ち砕き、
サラシュはわたしの対応を愉しんでいる。
「このままなにもせず、
帰って貰うのが良いのかしらね。」
「え?」サラシュが先に驚く。
「手紙のやり取りをしてもいなければ、
わたしが招いたお客さんでもない。
噂を言い広める口の軽さといい、
決まりを守らない品のない人間に
来館されても迷惑なのよね。
特別扱いしたら、
他のお客さんに示しがつかないでしょう?
どんな身分や地位の相手でも、
勝手な来館はこの館の名を貶めるわ。
それは金貨の中の偽貨と同じよね。」
――お客さんの品性は、館の品格に繋がる。
偽貨を手にしたわたしにそこまで言われ、
ミカは目に涙を浮かべている。
「それは言い過ぎでは?」
「わたしはこの子を連れてきた、
サラに失望してるのよ?」
「うっ…。」
わたしのお客さんはミカでなくても良いし、
今回のサラシュの行動を許せば
館全体の評判を貶めてしまう。
特にミカは父のマイダスが、
ペタの次代領主を騙るヘッペと
繋がりがあり、可能であれば
不要な接触は避けたかった。
わたしがミカの望む
交渉の席に着いたところで、
なに一つ利益は得られない。
ミカからの交渉に応じれば、
わたしは裁判所の窪地に立たされ、
責任を追及されて館は破滅してしまう。
ただしこのまま追い出すのも、
反感を与えるだけで得策でもない。
そこでわたしは右側の席に視線を送る。
「せっかく足を運んで頂いたのですから、
もっとお喋りしてはいかがでしょうか?
お菓子を食べてもいいのよ?」
ヘッペを知らないムネモスが、
ミカに救いの手を差し伸べた。
身分のある中老の肥満男が相手ではなく、
ミカが年下の子供というだけで
ムネモスは根拠のない自信を持っている。
元はエルテル領主の娘で、勉強会を開いて
フランジに教えている彼女からすれば、
分水街の子供に貴賤は無いのかもしれない。
「あなたなにか
お話したいことはありますの?
例えば乗馬とか、
厩舎で動物のお世話とか。」
「馬ばかりね。」言って笑うサラシュ。
わたしのお給金をムネモスに預けると、
彼女は馬を見て故郷を偲ぶサラシュの為に、
白銀の毛を持つ厳寒馬を厩舎に仕入れた。

足の短い厳寒馬を使うには
カヴァへの帰路は遠く険しく、
真意を理解したサラシュは喜んでくれた。
ムネモスの贈り物の成果もあって、
わたしはサラシュを夜の館に
引き止めることができた。
「馬は…。」ミカは首を横に振る。
銀行経営者の貴族の子供相手に、
ムネモスの望む話題は縁遠い。
「弟のクロノは銅細工を習ってるんですよ。
趣味や得意な学問の話でも構いません。」
わたしがこの館に連れてこられた時、
サンスァラ王女からの質問攻めを思い出し、
背筋が震えて笑いを堪えた。
「四時はご存知ですか?」
次のムネモスの提案にミカは頷いた。
「四時の札遊びでいいの?」
わたしが確認すると、
ミカは濡れた目を拭って輝かせる。
こうしたムネモスの働きもあり、
ミカを交渉の席に着かせた。
ムネモスがテーブルの網棚から
木製の札と札立てを出して、
わたしとミカは土地に札を並べる。
濃い黒眉に細長い唇で
えくぼを見せるムネモスの顔に、
ミカは上目遣いで見蕩れていた。
◆
「それで、なにを賭けますか?」
イオスを抱えたサラシュが
声を弾ませて訊ねる。
「なにも賭けないわよ。」
「えぇ~。分水街といえば
賭場の名所ではありませんか。
闘技場に競馬場、四時でも
違法な賭場が開かれてますよね。」
「総督とは劇場の権利を
賭けてらしたのよね。」
「元から勝敗が決まっているものは
賭けにならないのよ。」
サンスァラ王女はマルフを相手に
勝負の報酬として権利を見せつけ、
結果の見えた賭けを持ちかけていた。
「マルフを裏で操る
『運命の女』と聞いたが、
本当だったんだな。」
二人の会話のせいで
ミカはおかしな勘違いをする。
そんなミカが先手、わたしが後手になる。
「マルフがやっている
カヴァとの協定の件だが――。」
サンスァラ王女が、
分水街とカヴァとの衝突を避ける為に
提案した事業がある。
この街と洞窟港を隔てる
ゼズ山脈をトンネルで繋ぐ建設事業を、
困窮するカヴァに行わせて
この街が対価を支払う協定を結んだ。
しかもマルフには事後承諾で。
マルフとカヴァとの協定を、
議会はエイワズ議長の一存で
問題にはしなかった。
議会がカヴァとの協定を許したのは、
表向きはカヴァとの戦争の回避や
労働の提供になっている。
貴族が占める元老院議会は、
無産街出身のマルフとカヴァの氏族に
難民問題を押し付けたに過ぎない。
政治はわたしの預かり知らないところで、
川のように常に流れ、渦巻き、淀んでいる。
「それを取りやめて欲しい。」
ミカに請われても、
わたしの一存で協定を破棄する権限はない。
そのことを教える必要もない。
「マイダスも出資しているのよね?」
「父親にはオレからエルテル領の、
シルクの生産に出資すべきだ
と言ったんだ。」
「シルクの量産化は魅力があるものね。
あの煌めき。」
カヴァの王女サラシュが着ている服に触れ、
手触りや光沢を見せて悦に入る。

サラシュにキャシュクを贈った
ムネモスが頷く。
「カヴァの銅細工も、
負けず劣らず綺麗ですよ。
クロノが魅了されるのも分かります。
でもどんな織物もどんな細工も、馬の、
あの毛並みの美しさには敵いません。」
エルテル領出身のムネモスと
いつもの褒め合いが始まる。
「二人共、静かにしてね。」
目の前のお客さんを無視して、
会話を始るのは褒められた行為ではない。
――ミカは自信を持ってるだけあって、
並べる札に迷いがないわね。
2巡3巡でミカが並べた貝札に、
わたしは星札で相殺して凌ぐ。
手札の数でもミカの方が優位になる。
ミカが札立てに並べた手札は、
数字の順にはなっていない。
手札を不規則に置いて、
わたしに読ませないようにしている。

55の商品、双札と十札の連結を成立させて、
土地から4枚の報酬を手札に加える。
0・1・6の数字札を札立ての左側に、
朝の星札は札立ての右端に並べる。
ミカは星札での還付を受けながら、
わたしの札の並べ方を目で追っている。
――わたしの手札を読んでるのね。
わたしの手札は小さな数字札が
左側にくるように並べている為に、
サンスァラ王女に手札を見抜かれた。
「カヴァへ出資すべきではない、
とするあなたの主張には
相応の理由があるのよね。」
ミカは力強く頷く。
「ゼズ山脈ほどの大規模な工事なら、
調査から完成までに20年以上は掛かる。
試算では年間1,000万ルースも
消費する事業だ。
トンネルの利用に税を設けたところで、
回収にはさらに10年どころか
20年以上は掛かるはずだ。」
「出資に見合うか
分からないくらいの大事業ね。」
淀みなく数字を並べるミカは
とても自慢気にしている。
市場に並べられた札も自信に溢れている。
――わたしの残りの星札は朝と昼。
相手は夕と夜に恐慌札を持ってる。
ミカが昼の星札を含めたので、
わたしは16の貝札を並べて
9・0・1の段札を作ることができた。

6巡目。
恐慌札を含めた貝札を並べた後に、
直近の商品をヴェールする。
手札の枚数は同じでも、恐慌札を使って
いま並べられない星札を2枚も手札に残し、
わたしは不利な状況まま進んでいる。
ミカは札をヴェールをしていないので、
市場から回収することもなかった。

「カヴァの人口や生産量は、
年々減少の傾向にある。
産業が衰えを見せ、
この街でもカヴァから来た犯罪者が
10%以上も増えている。
カヴァはひとも税収も減り、
もはや衰退国家だ。」
年齢に似合わず、驕った演説を披露する。
それを聞いたサラシュは口の端を固く結び、
わたしを横目に見た。
――わたしが言い返すのを期待してるのね。
「わたしがあなたに負けるようなら、
あなたの主張を受け入れてあげるわ。」
手札は確実にわたしの方が劣っている。
手元に優位な札は限られて、
すでに包囲されつつあった。
ミカが失敗する可能性はないし、
劣位な数字札が手札では
勝てる見込みもない。
――挑発にしては分かりやすいかしら。

8巡目でミカが恐慌札を並べた影響で、
わたしは市場でヴェールした9・0・1の
段札の中から、左端の1枚を手札に戻せた。
9巡を終えてわたしの手札が2枚。
わたしは最後の星札だった昼の星札を並べ、
ミカの手札は残り3枚になった。
わたしは数字札の9と8を
2枚ずつ市場に並べている。
――簡単には勝たせてくれないのよね。
先手のミカは目を輝かせ、
笑いながら手札3枚をテーブルに広げた。
「雷霆だっ。」
「わっ! 100?」ムネモスが驚く。
3枚の貝札。
昇順で100より優位な数字はない。
10巡目で手札もなくなり、
ミカは見事に勝利を決めた。
「手札を先に無くした、あなたの勝ちね。」
「約束だぞっ。オレの――。」
勝負は10巡ルールなので、
後手のわたしも残りの手札を見せる。
数字札の0を2枚。

「はぁっ?」ミカが声を放つ。
「雷霆の解除。
これであなたの訴えは
棄却されるわね。」
手札に残した2枚の0は
相手が雷霆を出した場合にのみ、
その勝利の無効化ができる。
ミカは札を見て、顔が血色を失う。
「そんなはずあるかっ!
ヴェールしておいて…、
9を取らないなんて!
おかしいよっ!」
手札の数字札を左から低い順番に並べて、
ミカにわたしの手札を読ませた。
9・0・1の段札をヴェールの際に
裏返す方法を変え、回収した0は
手札の右側に置いて9に錯覚させる。

わたしの企み通り、
勝ちを確信したミカは
100の雷霆を並べてくれた。
ミカがまだ喚いている。
「ただの札遊びで騒がしいわね。
最初からあなたを勝たせるつもりで、
わたしの手札を読ませていたのよ。」
『勝つことだけが勝負ではない。』
サンスァラ王女の言葉の真意を
わたしは見つけた。
「先に言ったでしょ?
元から勝敗が決まってるものは、
賭けにならないのよ。」
ムネモスとサラシュにも告げる。
「うぅーっ!」
テーブルに突っ伏して
叫ぶのを堪えるミカは、
隠せないほどの悔しさを見せる。
ミカの市場の並べ方は理論的な分、
雷霆への狙いはとても読みやすい。
わたしの分かりやすい挑発に応じ、
驕ってしまったミカは、
この結果に導かれた。
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