

浴場を出てメノーの居る
フランジ棟2階の部屋に入ると、
彼女は既に破水していた。
部屋はデーンが作ってくれたお湯で、
気温と湿気が保たれている。
「メノー。」
苦しむ彼女の名前を呼ぶ。
「痛ぁい。」メノーは喚く。
「まだ元気みたいね。
ほら、呼吸を整えて。」
「もぉやだぁ!」子供みたいに喚く。
ドレイプを代表してカーミャとハーリャ、
ボーシャの三姉妹がメノーの部屋で
外からお湯やタオルを受け取った。

部屋にはオルドラスの娘、
サラシュ王女まで居た。

誰にも追い出せない王女様は、
扇持ちを引き受けていた。

「サンサ姉様。助産師はいつ来ますか?」
ムネモスはメノーの陣痛からずっと
彼女の手を握って額の汗を拭い、
声を掛けて励ましている。

わたしは深く息を吐き、
濡れた髪をタオルでまとめる。
「助産経験のあるわたしがやるから、
間に合わなくても平気よ。
そのうちレナが
ルービィを連れてくるから安心して。」
「不安しかなぁっぃ…。」
荒い呼吸に前髪を濡らし、
汗を流すメノー。
子宮の収縮活動が原因で痛がっている。
胎内の赤子を押し出す際に、
母体に刺激を与えて出産を促す。
ベッドで仰向けのまま苦しむメノーの
張ったお腹には、乾燥を防ぐ為に
オレームの油を塗っていく。
わたしはランタンを棚に置き、
羊水に濡れた彼女の両の足を開かせる。
破水した時に股布はもう脱いでいた。
股のあいだに指を入れて触診を試みると、
外子宮口は開ききっている。
「メノーは病院を持ってて、
出産の知識はあるわよね。」
「でもぉ、だってぇ…。
自分がやるのと…大違いよぉっ。」
痛みに時々悲鳴を放って訴える。
破水しても赤子はすぐには産まれない。
赤子の頭が子宮を出られるように、
母体の骨盤が割り広げられる。
同様に赤子は骨盤を抜け出すべく、
頭蓋骨を窄める形になる。
出産には多くの痛みが伴い、
痛みに耐える母子の体力にも限りがある。
「はい、息を吐いて、深く吸って。
呼吸を続けて脱力して。」
「痛いんだってぇっ!」
助産学の本の内容は
彼女も知っているはずだけれど、
痛みの中で行動するのは難しい。
「頭が見えてるわ。」
――逆子ではなくて良かった…。
もし頭ではなく
足や手が見えていたら、
逆子はわたしでは対応しきれない。
逆子での出産になると
細い身体は産道を通れても、
大きな頭が骨盤に引っ掛かって
難産になりやすい。
他にも、臍帯が首を締め付けて
赤子が窒息する危険性などもあり、
最悪の場合も考えなければならない。
「んんーっ!」
呼吸を止めて力を入れると、
メノーは顔を赤くする。
「メノーっ。
口を開けて、呼吸を整えて。
空気が足りなくなって、
赤子が苦しむわよ。」
「見てるだけでつらいです…。
サンサ姉様っ、
どうにかできないんですか?」
骨盤が完全に開くと、
細い髪をした頭が出てきた。
薄く透明な羊膜に包まれている。
「それならムネモスは
メノーのお腹を切って、
赤子を取り出してみる?」
わたしの提案を
メノーが笑って震えている。
「オーブはそれを
猟師の夫がやるのよ。」
「そんなことしたら、
メノーが死んでしまいます。」
「あははっ、もうダメ…。」
「ダメではないから、意識して。」
笑って力を失ったメノーの
内腿を手のひらで叩いて促す。
「痛ぁい!」
「サンサお姉様が使ったあの、
痛くならない薬がありましたよね。」
わたしの右腕の治療に用いた、
セリーニの塊茎のことを
ムネモスは言っている。
わたしは深く息を吐いて、彼女を見た。
「どうかしらね。
産まれたとしても
神話みたいに女神に見初められ、
目を開けないかもしれないわね。」
――セリーニの神殿に預けられた赤子は、
『黄金の祝福』を受けて死に至る。
「平気よ、ムネモスゥ。
わたし! 精、励、する、からぁ!」
「頭が出たわっ!
精励して。」
「精、励、して、るぅ!」
メノーの叫びが室内に響く。
息を切らしたオーナーのルービィと
レナタが部屋に入ってきた頃には、
外はもう日が落ちていた。

「メノー! 産まれたの?」とルービィ。
助産師も来たけれど、手遅れだった。
「あぁっ!」メノーは声を枯らして叫ぶ。
「産まれましたっ!」レナタが言った。
けれど赤子は産声を放たない。
――ダメだわ…。
最悪の予想は当たってしまった。
わたしはすぐに赤子の鼻口を口で覆い、
肺に直接息を吹きかける。
ネルタの地下の食料貯蔵室に居た、
老助産師の仕事を真似した。
老助産師でも赤子は産声を放たず、
永遠の眠りから目を覚まさなかった。
それでも指先で胸を数度、細かく押し、
心臓に拍動を促して再び息を吹きかける。
――止まってはダメよっ。
これまでに読んだ医学書や解剖学、
助産学の本で得た知識に縋って、
同じ動作を繰り返し試みる。
――起きてっ!
赤子の皺だらけの顔に力が入り、
放った産声がわたしの耳を撫でた。
赤子の胸に耳を押し当てて、
安定した拍動と横隔膜の動きを確認する。
産声が続けば、唇の色も良好になっていく。
唇の形はメノーによく似ていた。
「ははっ。良かったぁ…。」
用意した糸で臍帯を結紮し、
震えの止まらない手で
握り鋏をレナタに渡す。
「レナ。隣に来て。
臍帯を切ってあげて。ここよ。」
レナタはメノーに寄り添っていた
ムネモスの顔を見た。
泣いているムネモスは
涙を振り払うように首を横に振ると、
レナタに向かって強く頷いて励ます。
レナタは手にした握り鋏で、
震えながら臍帯を切り落とした。
切り落とした後も、
彼女の表情は強張っている。
臍帯を切った跡には
用意した布切れに酒を染み込ませ、
根元まで拭いて消毒する。
「ムネモス。レナを手伝って。
身体に付いた羊膜や血を洗ってあげて、
皮膚の皺になってる関節も、
丁寧に洗ってね。
仕上げにタオルで優しく拭って
綺麗にしてあげて。」
わたしは部屋の前に立つ、
従業員の少女を見た。
「ありがとう、デーン。
これでもうお湯は必要ないわ。」
新しいお湯を持ってきたデーンが
灰で白く汚れた顔を涙で濡らし、
玉石の庭に向かって泣き叫んだ。
普段はドレイプの模倣をして
感情を控えている物静かな彼女に、
外で待っていたみんなは驚いていた。
部屋の前で待っていたサーブラスが、
デーンを真似して遠吠えする。
イオスが遠吠えの騒がしさに怒って唸り、
サーブラスの首元に跳び掛かり叱った。
サーブラスの短い悲鳴が庭に響き、
犬に困惑していたみんなが笑っていた。
レナタとムネモスが
赤子の柔らかい身体を、
好奇心と畏怖に苛まれながらを洗う。
「お疲れ様。」
サラシュが、泣いているデーンと、
汗まみれのわたしを労って
タオルを差し出す。
「まだ、ちょっと待って。」
「えっ? なに? なにぃ? あっ!
待ってっ! ひっ! ニィクスッ!」
出産直後の痛みと疲労で
半分意識を失っていたメノーは、
身体の違和感に混乱している。
わたしは彼女の胎内に右手を入れて、
臍帯を指先で手繰り寄せる。
彼女の腿に頭を腕ごと締め付けられて
肩を蹴られた。
「やっと取れたぁ…。痛ぁ…。」
右手にした赤黒い器官の胎盤に、
初めて見る子達は言葉を失っていた。
「良く、やったわねぇ。」
ルービィが目尻や頬に皺を作り、
褐色の目に涙を浮かべて言った。
「館に帰ってきてすぐは疲れたわ。
皆が手伝ってくれたから
なんとかできたのよ。
皆、ありがとう。」
わたしは床に膝を突いて、
胎盤を手にしたまま
濡れたベッドに身体を預けた。
胎盤は母体の子宮壁に付着し、
この臓器から臍帯を通じて
胎児の不要物を母体に渡しながら、
胎児へ栄養などの交換を行う。
母乳を作る為の栄養が、
この胎盤に多く含まれているとされる。
両手にした胎盤を見て、
わたしは思い出して立ち上がる。
「…メノー。胎盤を、焼いたら食べる?」
「…た、食べない。」彼女は首を横に振る。
「ふふっ。」
食料不足のネルタの地下とは違い、
焼いた胎盤を食べる必要はない。
胎盤は銅貨の味しかしないと、
下女達からも不評だった。
「手慣れてたわねぇ。」
サラシュの隣に立つ、
中年の助産師がわたしを褒める。
「…ありがと。
仕事を奪ってしまって悪かったわ。」
「そんなことないわよ。
わたしも安心して見ていたわ。
臍帯の後処理や、
胎盤の娩出もやってたものねぇ。
あの子には産む前に色々と教えたし、
わたしはもうやることもないわねぇ。」
助産師は産湯で洗われた、
赤子の状態を確認する。
産湯に浸けて胎脂を取った後は、
乳液で肌の保護と保湿を行う。
「サンサ、あなたが臍帯を
切らなかったのはどうして?
全てあなたがやっていたのに。」
サラシュがそんな質問をした。
「力が抜けて手が、
震えが止まらなくて。
それに…。」
――長年メノーのドレイプをしてた、
レナがやるべき仕事だもの。
「自分より若い女に切らせるのよ。
たぶん、経験を身に付ける為ね。
助産師が切るのは最期。」
「最期?」
「命を断つ仕事まで行うのが、
助産師なのよ。
助産師に功績という考えは必要ないの。
母親の出産に対する責任感を分散させ、
命を背負うだけの覚悟が必要よ。」
ルービィによく似た風采の
助産師の彼女が説明したので、
わたしはなにも言わずに顎を引く。

「ニクスは100人も
赤子を取り上げたんでしょ?
キーア達が言ってたわ。」
カーミャが興味深く訊ねてきた。
「多いわねぇ。」と助産師も驚いた。
「どこでそんな仕事してたの?」
緊張が解けて椅子に深く座ってから、
タライの中の冷めた水で肘まで洗う。
「100人は言い過ぎよ。
それがね…。」
わたしは声を抑える。
「実はほとんどの子は、
ちゃんと産まれなかったのよ。」
死産だったラミーの赤子。
彼女の未練を断っておけば――、
わたしを恨むことで活力になれば、
生に執着してくれたのかもしれない。
そんなことをいまになって考えてしまい、
わたしは首を横に振る。
「だから今日は、とても安心したわ。」
赤子を抱いて顔を見て安堵するメノーに、
ネルタの地下で見た下女達の姿を重ねる。
「メノーも元気だし、
あの子の成長が楽しみね。」
わたしは室内の湯気に当てられ、
鼻を啜った。
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