第11章 第5節 理外の柱(第3項)
翌朝、オルデウスの天幕に
わたしは再び呼び出された。
カヴァの長靴を履き、
慣れない森の中を歩いていたせいで、
足底の皮が剥けてしまった。
久々の筋肉痛も相俟って、
立って歩く度に全身が痛い。
管理者の存在を目にした統治者達が
宴の時と同じく、オルデウスの天幕に
集まっている。
カヴァの王、オルデウス。
エルテル領の新しい領主、タルヴォ。
オーブ領の領主メテオラ。
丸く肉付きの良いメテオラは、
今日も黒・白・褐色の体毛を持つ犬を
足元に待機させている。
オーブの分家で銀行屋のマイダスと、
ペタの次代領主を騙るヘッペも集められ、
円形に並んで座り、わたしを見る。
分水街の総督、マルフが先に
わたしの隣の椅子に座った。
「サンサよ。
管理者に対する、
お前の見解を聞かせてくれ。」
オルデウスの低い声が天幕を震わせる。
イオスを抱えたわたしに視線が集まる。
こんな場で話をするのは勉強会以来になる。
犬の頭を模した杖を継いだタルヴォから、
その杖先で着座が促された。
わたしにも椅子が用意され、
座ってイオスを太腿に乗せた。
「光栄に思えよ。」無関係のヘッペが言う。
この程度の扱いで
統治者達と等しい椅子が与えられた、と
思い上がる浅ましい人間ではない。
――裁判所のオルタに立たされた気分ね。
頭巾と宝飾巾で顔を隠したまま、
わたしは息を吸って喉を開く。
「まずは経緯と事実を整理しましょうか。
ここの全員、サンスァラ王女から
手紙でネルタに呼び出されたのよね。
マルフ総督の署名付きで。」
統治者達の狙いを把握する為、
まずは近くのマルフに訊ねる。
「ネルタへの周遊目的で?」
「禁足地で20年の長きに亘る戦争だ。
カヴァでなくとも空白の土地ならば、
誰だって気にするだろう。」
「メテオラも?」
次に訊ねた相手は、
白い肌で艶の良い南部の男。
彼はフルリーンの父でも背は低く、
妾出の彼女には全く似ていない。
「表向きは…。」
メテオラがなにか探って、
視線を左右に動かす。
「この地の権利を狙っているのよね。」
他の誰かに訊ねるわけでもなく、
わたしの言葉に全員が頷いた。
「…それよりよぉ、
おれが知ってるサンサとは
別人な気がするがぁ?」
サンスァラ王女が想定していた通り、
彼はわたしがサンサを名乗っていることに
疑惑をかけてきた。
彼の娘のフルリーンは、
オーブに現れた森の賢女からか、
先々代領主よりサンサと名付けられていた。
以前のサンサを知る小心者のメテオラは、
小娘のわたしに対して強く出る。
「サーブラスッ。」
メテオラは犬の名前を短く呼び、
背を杖で強く叩いて立ち上がらせた。
「なんせ20年も前のことで、
顔なんざ覚えちゃいない。
タルヴォはどうだ?
この女ぁ、義理の姪子だろ。」
「そんな話をしに呼んだのではないぞ。」
「こんな場所で女を口説くつもりか?」
タルヴォを捓うメテオラに、
隣のマイダスが口を挟む。
「メテオラは酔っていて、
記憶にないのでしょ?
無理も無いわね。
わたしの寝室に夜這いした相手は、
あなたの妻だものね。
あの日あなたが自分の妻に
なにをしたか、いえ
なにをさせられたか。
あの日の秘め事を
再現して詳らかにしたら、
痛みと共に思い出すのかしら?」
メテオラは目を見開くと、
焦りを見せて周囲の反応を窺う。
事情を知るタルヴォが笑いを堪えて、
俯いたまま杖で地面を叩き続けた。
「皆に教えてやれよ、
メテオラ。」
身内の恥を知るマイダスが彼を煽る。
「小娘…いや若い娘で驚くだろ?
20年前に見た時と
顔も身体も変わってんだ。
偽者でなければ
お前は誰なんだよ。」
冥界の番犬と同じ名前が与えられた犬は、
メテオラに杖でまた臀部を強く叩かれ、
趾行してわたしに近付く。
イオスが怯えて全身の毛を逆立て威嚇した。
わたしはイオスを抱えて
望み通り立ち上がる。
「僕もメテオラと同じ意見だ。」とヘッペ。
「お前の意見なんざ聞いてねえ。
黙って座ってろ。」
「マイダスも溝女がお目当てだろ?」
自分の恥を雪ぐ為に、
メテオラが鼻で笑って見せる。
黙っているオルデウスが足を踏み揺らし、
苛立ちを顕わにする。
「安い喧嘩を買うつもりはないぞ。
捕虜王子と違って俺が女目当てで、
こんな荒れ地に足を運びはしない。
来る気はなかったが、こいつがな。」
メテオラやヘッペは
わたしに生娘のような反応を求めていた。
タルヴォやマイダスとは考えが異なり、
統治者達の狙いは統一できていない。
「話が逸れてるわね。
メテオラの質問に質問で返すわね。
あなたの中でのわたし、
サンサを構成する要素はなに?
それともおじいが居なくなって、
また新しい金貨がお望み?」
メテオラには通貨の偽造を暗示する。
わたしの質問に動揺を見せる彼の隣で、
タルヴォが含み笑いをした。
メテオラに嗾けられたサーブラスは、
わたしという獲物を前に牙を見せ、
まだ引いてはくれない。
王女から預かった短剣は鞄に入れたままで、
小さなイオスがサーブラスに対して
闘争心を見せる。
近付かれたイオスがわたしの肩に乗り、
前足で頭巾を抱えて威嚇を続ける。
わたしはキャシュクに隠れた
胸元の革袋に触れていた。
ここには王女の指輪と、
森で拾ったセリーニの塊茎がある。
――追い返すのは最終手段、ね。
わたしを試す統治者達の視線が集まる。
「サンサであることを証明する為に、
またオーブでネルタの人間を殺して
墓穴を掘るべきかしら。
20年前のように。」
わたしが問えばオルデウスが答えを求め、
メテオラを睨む。
メテオラはわたしからも目を逸らし、
首を横に振った。
彼はわたしへの疑惑に対して、
自分の中で明確な答えを
用意していなかった。
メテオラの知る『森の賢女』こそ、
彼の中にあるサンスァラ王女であり、
羊皮紙に収まる程度の薄い認識だった。
「…その豪胆な性格は認めるさ。
だがなんでこいつらも呼んだ?」
焦りを見せるメテオラは、
質疑から差別の問題へと摺り替える。
マイダスのオーネック家は、
オーブの分家になる。
統治者達の中に椅子を並べる銀行屋で
資産家のマイダスはまだ良いとして、
ペタの次代領主を騙るヘッペなどは
初めから呼ぶに値しない。
品性に欠けた者を招待すれば、
呼んだ者の品格が問われる。
「メルセ領主のペタリオ卿と
港長のドレンを呼んだはずで、
ヘッペは呼んでないわよね。」
「ペタだって条約に関係あるからさっ!
歴史に記載される管理者は、
島の支配者も同然でしょうよ。
狂気の女神を騙る
溝女に過ぎないこいつこそ、
追い出すべきだっ!」
ヘッペはサンサを狂気の女神と呼んで謗る。
彼は便宜的な言葉を並べ、
卑しい階級のわたしを口撃してきた。
王女の右の手でサンサを名乗るわたしには、
統治者の集まるこの場は不相応で
わたしの居場所ではない。
ヘッペに責められたからと言って、
小心者のメテオラのように動揺を見せたり、
生娘のように泣いて同情を乞う必要はない。
「言い掛かりをつけるなっ。」
ヘッペを叱責したのは、
メルセ領に隣接する
エルテル領主のタルヴォだった。
オルデウスも隣のマルフも、
タルヴォの発言に頷いた。
いまのわたしは
オルデウスの天幕に招かれた彼の賓客で、
随伴は分水街の総督のマルフになる。
「お前が外へ出たければ、
いつ出て行っても構わんのだぞ。」
マルフが言うとオルデウスまでもが頷く。
わたしを天幕から追い出したければ、
メテオラとヘッペは統治者達を
説得しなければいけない。
わたしを謗れば、
天幕に招いた彼らを貶める発言に繋がる。
メテオラとヘッペが日頃の行動で、
信用を得るには手遅れだった。
統治者達を相手に、
いまさら信用を買うことはできない。
「舌の回る溝女がっ――。」
タルヴォが杖の先で地面を突くと、
ヘッペ達は顔を見合わせて黙ってくれた。
「島の支配者か…。ケイロウも昔、
そんなことを言っておったな。」
オルデウスが髭を指先で捻る。
わたしはサーブラスから目を逸らさず、
一歩前へと踏み出した。
長い口吻の鼻筋に深い皺を刻み、
忠実な犬は太い牙を見せて虚勢で脅す。
わたしはサンサを名乗っているに過ぎない。
舞台に立って生娘の役を演じてはいないし、
サンサを真似て犬に怯える演技も必要ない。
「管理者は人間ではないから、
島の支配なんてできないわよ。」
「あれを見て人間だと思う者が居るか?」
「あれこそ竜と言えるだろう。」とマルフ。
「竜だと? 言葉も通じやしなかったぞ。
サンサよ。
なんでお前は話しておった。」
口々に意見する中で、
オルデウスがわたしに訊ねる。
統治者達だけでは話がまとまらず、
管理者と会話を試みたわたしが呼ばれた。
わたしが歩いてサーブラスに近付くと、
低く濁った唸り声で警戒を続ける。
「管理者という名前で
なにを管理するのかしらね?
人格を示す名前でもないわよね。」
「王が王と名乗るのと同じではないのか?」
オルデウスの意見に
他の統治者達も同調する。
わたしも頷いて見せる。
「つまりはただの肩書きよね。」
島の権利を望む彼らの果てのない願望と、
わたしの観察とでは解釈が異なる。
「わたし達が見た管理者というのは、
人間ではないと推測するわね。
雷霆を意図して起こしたのであれば、
雷素、球電のような現象に近いのかな。
もしくは、光素が作った
鏡像なのかしらね。」
わたしはそんな言葉を並べる。
「鏡像…?
おれが見ていたものが鏡だと言うのか?」
「観察から出た推論に
仮説を立てただけよ。
禁足地の柱、
列柱からこちら側には出てこなかった。
非力なわたし達を襲わないのは、
なにかしらの理由があるはずよね。」
「スァラに気付いたからか?」
「初めて会ったと言っていたぞ。」
オルデウスとマルフが
朧気な記憶を照らし合わせる。
「生物が身を守り、外敵を威嚇する目的で、
身体を大きく見せることはあっても、
形、骨格を変えるなんてできないもの。
霧の中で太陽に照らされたひとの影が、
大きく見える現象もあるわよね。」
管理者は竜と呼ばれた異形から、
猫の頭をした少女の身体に変わっていた。
その原理はこの場の誰にも説明できない。
「鏡像や現象でなければ液体かしら。
最後は泡になって消えた。
固体だった雪が水という液体に変わり、
沸騰して気体へと変化するようにね。
禁足地という巨大な檻や水槽に入った
神話時代の生物かもしれないわね?
管理者はあの土地から出られないのよ。
分かったことと分からないことは、
区別して考えるべきね。」
わたしがまた一歩前に出ると、
サーブラスはさらに後ろに下がる。
威嚇の唸り声が止み、
サーブラスはわたしと背後のメテオラを
振り返って交互に見つめる。
「あれこそオーブの神ではないのか?」
「あんな悍ましいものを、
おまえ達は神だというのか。」
怯えるメテオラの発言に、
オルデウスは反駁して興奮する。
「待って二人共。
事実を整理するだけよ。
曖昧な定義は想像が飛躍するのよ。」
「落ち着け、メテオラ。
オレ達はこいつの見解を聞いてる最中だ。
領主が取り乱してどうする。」
「オルデウスよ。
ここはお前の天幕だが、
荒れ地の王座ではないぞ。」
この中では比較的冷静な
マイダスとタルヴォに助けられる。
「続けてくれ。」
マルフがわたしを促した。
「神って存在は、
竜と同じで古代の言葉遊びよね。
神話や星座は、ただの歴史の道標。
自分達の祖先の時代、遥遠代、
さらに古代の偉人にまで遡るわ。
大陸の統治者達は昔から
神という肩書きを好んで用いたわね。
『わたし達はどこから来て、
何者で、どこへ行くのか。』
退屈を持て余した人々は、
思想という答えのない謎解きが
好きみたい。
管理者がこの島の神か神でないか
なんて定義に鍍金をしたところで、
その謎解きに答えはあるのかしら。」
思想は主張を権威付ける道具になる。
わたしの説明に、
オルデウスがメテオラを黙って
睨んでいるせいで彼は怯えている。
「神、ではないとしてもだ。
あの雷は、まるで
ソーマを殺した雷霆ではないか。」
タルヴォが訊ねる。
「ソーマを殺したのは管理者か?」
「神の次はゼズ島冒険記の話かい。
ぐぉっ!」
ヘッペがタルヴォを捓うと、
隣のマイダスが彼のお腹を殴って黙らせた。
見下ろせば、
サーブラスは尻尾を股下に隠し、
鼻先を濡らしてわたしの様子を窺っている。
「ソーマというのは知っての通り、
複数の人間を元にした創造の人物よ。
管理者という竜は、
ソーマの伝説のように
討伐できる相手ではなかったわね。
ソーマを知るなら、画工アイリアの
入植十二画をご覧になるといいわね。
分水街のマルフ総督の館にあって、
画工は彼の婚姻者よ。
分水街の至宝だものね。」
紹介を受けてマルフは照れている。
「さて、タルヴォ卿の疑問は
王女の不明瞭な狙いによるものよね。
サンスァラ王女はどうして禁足地、
あの列柱の向こう側に行って
雷霆を受けたのかしら。
彼女は前もって諫言してたから、
誰も柱の向こうには行かなかった。」
事実と、王女の不可解な行動。
全員が同じ仮説を思い浮かべて、
沈黙が天幕を支配する。
わたしはその仮説を口に出した。
「サンスァラ王女の行動を、
自殺と捉えるのが正しいのかしら?」
「そんなことがあってなるものかっ!」
オルデウスが根拠もなく、
感情を沸き立たせる。
わたしは彼の意見を肯否しない。
統治者達が並ぶ円の中心に立つと、
サーブラスは頭を下げて震え、
上目遣いで足元の香りを嗅ぐ。
右手を軽く握って鼻先に向ければ、
横臥して大きなお腹を見せてくれた。
「彼女は管理者と雷霆を見せたかった。
それを手紙に記しても、
ニースは誰にも理解できないものね。」
「ニース…?」オルデウスが呟く。
「この中で誰か、あの地に戻って
彼女が死んだのを確認したのかしら?」
「いや…。
もう近寄りたくはないな。」
「小心者め。」
怯えるメテオラをオルデウスが罵倒する。
「オルデウス王も、
勇敢と無謀は別ということは、
知っているはずよね。」
「むぅ…。」
オルデウスがそれを真に理解していれば
1,000人規模の遠征で、分水街を落とせと
自分の息子に命じたりはしない。
服従の姿勢を見せたサーブラスの
お腹を撫で止めても起きてくれない。
大きなお腹のこの犬は、
イオスのようには抱えられない。
イオスが前脚で叩こうとするので、
顔に息を吹きかけて叱る。
「雷霆に倒れたサンスァラ王女を見た。
その後、身体は無くなっていた。
管理者はなんて言っていたかしら。」
「望みを与える、とか?
彼女の望みってなんだい?」
「話が逸れとる。」叱責するマルフ。
サンサの口癖で代弁したみたいで、
わたしは嬉しくなった。
「欲がヘッペの思考を止めたのね。」
「実体を失う、と言ったな。」
「肉体…とは違うのか?」
タルヴォの言葉をオルデウスが確認する。
「どうなのかしらね。
わたし達が定義する死の概念が、
管理者とは違うのかしらね。」
「つまり? …どういうことだい?」
ヘッペが捓い、訊ねる。
「スァラは生きている、
ということか?」
「死を確認できない以上、
彼女は生きているとも死んでいるとも
断定できない状態よね。」
「そりゃただの言葉遊びじゃないか。」
「言葉なんてただの表現だから当然よ。
それならこれから禁足地に行って、
ヘッペを投げ入れて検証しましょうか。」
「ふっ、そりゃいい。
よし、連れて行くか。」
鼻で笑って興味を示したマイダスが、
ヘッペの脹脛を蹴って彼を跪かせた。
「待ってくれっ。
僕ぁはまだ死にたくないっ!」
「言葉遊びかどうか、確認するだけだ。
お前が俺に貢献できることを感謝しろ。」
「ペタリオ卿には、
ワシから直々に弔詞を送ってやろう。」
ヘッペ相手に辛辣なマイダスと、
渋顔のタルヴォまでもが同調する。
「じょっ冗談じゃないぞ!」
ヘッペリオは地面を這いながら、
天幕から逃げ去った。
オルデウスは彼の姿を見て哄笑した。
「見に行かなくて良いのか?」
マルフがわたしに訊ね、促してきた。
「良いのよ。」
わたしは宝飾巾の奥で、
震える唇を噛んで答えるしかない。
『かれらは識ることを畏れた。』
不可侵の条約を取り決めて、
ネルタを禁足地にした祖先に向けて放った、
サンスァラ王女の言葉を思い返した。
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