指導者ソーマの死後以降、
各地の統治者達は条約を締結し、
分水街より南の地を禁足地と呼んで
占有を禁じた。
法を敷いたところで湖周辺には
その禁を犯してひとが住み、
各地で集落が形成されると、
やがてネルタという国ができた。
湖周辺に住むネルタの人々は、
天蓋山の麓の森を禁足地と呼んだ。
ただの森であれば、
禁足地を示す境界は存在しない。
しかし森の中には、
明確に境界を示すものがあった。
それは巨大な正六角柱――。
柱は劇場の列柱ほどの太さで、
高さは樹上を突き抜けている。
雨染みもなく、薄暗い森の中でも
弱い光を放って白く輝く不思議な柱。
その柱は等間隔に
視界の遥か先まで何本も並んで、
およそ何十本も建っている。
これが自然の物質か建造物なのか、
植物ではなければどこまで埋まっていて、
どこまで伸びているのかも分からない。
光っている列柱を畏れ、誰も近付かない。
先行していたオルデウスは呆然と見つめ、
兵士達の中には跪いて祈り、
柱を崇める者も居た。
ヘッペの使っていた橇を降り、
わたしは柱を見上げる。
「これが、禁足地…?」
「列柱に近付いたり、
あれより奥へ行ってはダメよ。」
王女が先に統治者達に諫言していた為、
近付く者は居なかった。
列柱に惹かれて近付く者には、
オーブ領のメテオラが連れていた犬が
吠えて臀部に噛みついた。
「劇場の列柱やメーニェにある
柱状節理にも似てるわね。」
メーニェの話を王女だけれど、
ここではその小島を誰も見たことがない。
「こんなに巨大な柱を、
管理者達が建てたの?」
「管理者達?
権限を持つ者が複数居たら混乱するわよ。
…あぁ。たしかあなた、
先住民説を推してたわね。」
「でもこんな柱が地面から生えてきたり、
空から降ってくるわけではないでしょ?」
「元から建っていた場所に
地面が出来たのよ。
考えて行動するのは
人間だけとは限らないわよ。」
サンスァラ王女の謎解きに、
わたしの腕の中に収まるイオスが鳴いた。
森に微かな地響きがする。
枝葉が擦れ、樹上の雪の塊が落ち、
一定間隔に近付く足音が下腹部を叩く。
耳を通じて、全身が不快感に包まれる。
「神だっ!」
「なんだよ、あれ!」
「静かにせんか!」と、オルデウスが叫ぶ。
「こりゃ竜か…、竜だっ! 逃げんかっ!
食われるぞっ!」
マルフが叫び、近くの兵士達を逃がす。
近付く巨大な影に
橇を引く厳寒馬が怯えて嘶き、
護衛や兵士達が散り散りに逃げた。
「おぉ! なんだ! なんだっ!」
そんな中で遅れてやってきたヘッペが、
禁足地の奥を見上げて目を輝かせた。
男達が剣を抜いて立ち向かったところで、
目の前に立ち塞がる影に敵うはずはない。
わたしはその姿を見上げ、息を呑む。
昼間であっても暗い禁足地の森で、
何者かわからないものが近付く。
牛の頭をした獣の、
赤い目がわたし達を見る。
羊の太い角がこちらを向いて枝を折り、
脚の爪先は馬と同じ厚い蹄が土を掘る。
身体に掛かった雪も
体温で溶かして蒸気を放つ。
短い体毛から浮かぶ筋肉質の肉体に、
分厚い胸筋と長い手足。
赤黒い鋭利な爪が、わたし達に伸びた。
柱を握って禍々しい口を開くと、
牛と羊を混ぜた低音で喚き、
わたし達を威嚇する。
暗い紫色の舌が垂れ、
周囲に唾液を撒き散らし、
雪の下の落ち葉を真黒に焦がした。
「管理者とは、竜だったのか…。」
「これが…竜…?」
マルフの呟きにわたしは疑問を抱く。
いまにも食べられそうな距離。
見上げた怪物の姿に、理解が追いつかない。
アイリアが入植十二画に描いた、
炎に包まれる猪や火を吐く蜥蜴。
2枚の姿の異なる未知の生物は、
レナタに竜と呼ばれていた。
わたしがいま見上げている竜は、
2枚の絵とも異なっている。
「言ったでしょ。これが管理者よ。」
「こんな怪物が、島の管理者だと?」
「マイダス、柱に近付かないで。」
『ミィダぁスぅ!』
管理者がその口で、低い声で、
歪にマイダスの名前を復唱すると、
驚いた彼は臀部を雪の上に落とした。
「こちらの言語でお話をしたいのなら、
その姿、どうにかしたら?
そんな姿では喋り難いでしょう。」
サンスァラ王女がマイダスの前に立ち、
彼女より何倍もの巨体の相手に呼び掛ける。
「おい、なんだ…。言葉が通じるのか?」
「マイダスも早く下がりなさい。
火遊びの火傷では済まないわよ。」
『女ァ、手厳シぃ。』
声に高音と低音が入り交じる。
管理者の足元から水が湧き上がって包まれ、
黄から緑、青から紫、赤から黄色へと、
光が自在に変化を繰り返す。
『威光オ、示ス。』
「あなたとは初めて会うけれど、
案外、俗な考えをするのね。
さて、皆に紹介するわね。
手紙に書いた通り、これが管理者よ。」
管理者は全身が泡に飲み込まれると、
今度は何倍も縮んで見せた。
少女のような細い身体は、
光る液体のチュニックに身を包み、
周囲の光素を歪ませる。
黒い毛をした猫の頭で、
暗い目がわたし達を見つめる。

「女かぁ…?」マイダスが疑問を浮かべる。
『同であり、異なる。』
頭が猫で首から下は少女の身体に変わると、
言葉は聞き取りやすくなった。
相反した意味の言葉を使うので、
分かり難さは続いている。
「まともに会話を試みると、
きっと1,000年は掛かるわよ。」
「管理者というのは
島の権利者とは違うのか?
島の権限はどうなっておる?」
ある程度の言葉が通じると分かれば、
オルデウスが管理者に向かって訊ねた。
彼はいまも剣先を向けて警戒を解いてない。
『管理者と、呼ぶ。』
「ほらね?」
柱に照らされるサンスァラ王女は、
薄白い顔でこちらを向いて笑う。
「管理者なる者よ。
なぜあなたはここに居る?」
『ここにある。故にここに居る。』
マイダスが丁寧に訊ねてみても、
彼が期待していた答えは返ってこない。
「あれがニースよ。
本を読んだところで、
『分からない存在』でしょ。」
サンスァラ王女がわたしに近付き、
彼女は声を震わせて静かに呟いた。
王女は帯紐から短剣を取って、
それをわたしに押し付ける。
「え? なにするの?」
「オルデウス王。
長生きしたければ、
剣を手放した方が良いわね。」
王女は環指の指輪を母指で緩めると
唇で挟んで外し、指で摘んだ。
「浅ましいかしら?
これ預かって。
あなたの好きに使っていいわよ。」
「サンサ?」
「それはもうあなたの名前よ。」
薄白い顔で肩を震わせる彼女が、
力無く微笑を浮かべる。
指輪と短剣を受け取ると寒さで手が悴み、
重い短剣雪の上に落としてしまった。
イオスを抱えたまま短剣を拾い上げると、
サンスァラ王女が言った。
「ソーマ。子供を守りなさい。」
「言われずともやるさ。」
ハーフガンが応えた。
「ふふっ。頼もしい言葉ね。」
サンスァラ王女はマイダスの肩に触れ、
もっと下がるように指示する。
マイダスは佩いた短剣を抜き、
それを地面に置いてから後退する。
「おい! 愚かな真似はやめろ!」
犬を抱いて怯えるメテオラが、
遠く離れた場所から叫んだ。
王女は管理者に近付く。
柱に、禁足地に近付く。
「待って!」
サンスァラ王女の命令で、
わたしはハーフガンに肩を掴まれた。
「あなたの見ている流れ星の夢に、
わたしも付き合ってあげる。」
『行動了承。理解困難。』
「あなたに分からなくても、
いずれ分かるわよ。」
――ニースだわっ…。
「待って! 離してっ――!」
眩い閃光が目を襲い、
激しい雷音が空気を破って耳を劈く。
真白になった視界が少しずつ戻る中で、
地面に倒れた王女の姿を全員が見た。
「なんで…。なんでっ!」
わたしの疑問、叫びは
サンスァラ王女の耳には届かない。
管理者の足元に泡が湧き出て、
倒れた王女の身体を包んだ。
泡は瞬時に真黒に染まり、
中から白くさらに細かな泡が湧き立つ。
泡が弾け飛ぶと周囲の雪は消え、
サンスァラ王女の姿は泡と共に消えた。
理解を越えた光景に目を疑い、
次々と思い浮かぶ言葉も、
泡玉のように弾けて消える。
「なにをしたんだ…。
スァラになにをしたっ!」
オルデウスは取り乱し、
疑問を誰に訊ねるでもなく呟き、叫ぶ。
彼の問いに答えられる者は、
この場には管理者しか居ない。
『実体を消化、分解、吸収。』
次は自分の番と畏れ、
顔を見合わせ首を横に振る。
「スァラになぜ、こんなことを!」
『望みを与える。実体を失う。』
オルデウスは再び剣を取り、
剣先を向けたものの、
あの雷を畏れて近付けない。
「お前の目的はなんだ。」
『排除。変質。保護。羸痩。衰退。
創造。収斂。包摂。共生。排斥。
肥大。繁栄。破壊。拡散。』
「――なにを! なにを言っておるっ!」
彼は届かない距離で剣を振り回すが、
その行為は意味を成さない。
『種の選別。思考の伝達。過程の構築。』
「それが、なんだというんだ!」
『競争。情報。知能。』
管理者の言葉は再び、単語の羅列に戻る。
相手の狙いが分からず、
常軌を逸脱した相手を前に、
オルデウスの剣先が下がったままになる。
「あなたはこの島で
戦争を望んでいるの?」
疲労を見せたオルデウスに代わり、
わたしは声を張って管理者に訊ねた。
管理者の難解な言い回しから思考を探る。
『正であり、誤である。
答えに等しく、遠く離れている。
手段であり、目的ではない。』
――当たっているけれど違う…?
この管理者の言葉とわたし達の概念では、
物差しや天秤の錘が異なっている。
「ネルタとカヴァの戦争は、
あなたの狙いでは無いのね。」
『競い、争う。剪定。
選別は種の必然である。
言語の異なる仮定、伝達は不可能。
構築された意志は崩壊する。』
――戦争までは想定していない?
言語は同じであっても、
標準の異なる管理者の意志は
理解が困難だった。
種の選別は生物の繁殖ではなく、
氏族の盛衰を意味していた。
「それで彼女を利用したのね。
両国を争わせる目的で。」
『伝達された思考。
末梢の行為。』
思考の伝達は、言葉や文字に相当する。
――サンスァラ王女の言っていた
思考の起源。
オルドラスの代用品として、
ネルタで右腕を失った王女は、
オーブ領に逃げ延びて名を変えた。
エルテル領で仮初めの身分と
肩書きを得てから、分水街に身を隠し、
ネルタが滅びるのを待った。
『我々の望みと異にする。』
「我々…?
管理者は個人ではなく群集なのかしら?」
――他人の考え、群集の行動は
誰にも分からない。
『管理者とは古き意志。』
「古き意志?
それが群集の理想なのね。
ではあなたの理念は?」
『個の理念…。』
黒猫の頭をした管理者は瞳孔を丸く拡めて、
暗い網膜から光素を反射させる。
『完全なる還元。』
その言葉の意味するものが、
この島の言語や大陸語には存在しない。
――ニースだわ…。
「それが流れ星の夢なのね。」
過程の構築とは、管理者の目標。
管理者は目を細めて猫の顔で微笑する。
『また会いましょう。金赤色のサンサ。』
管理者の全身は泡に飲み込まれると、
液体と化して形を失うと土に溶けた。
残った泡もすぐに弾けて、
姿を消してしまった。
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