第11章 第3節 抱擁の刑(第1項)
マルフの邸宅に着くと、
3台もの馬車が停まっていた。
2台の荷馬車には肉体労働者が、
大量の干し草や瓶などの
荷物の運搬を行っている。
館の主であるマルフが
忙しく指示を出していた。
わたし達は使用人のマーリャに案内され、
奥まった書室に入った。
「あら、イオスまで来たのね。」
サンスァラ王女に呼び掛けられたイオスが、
わたしの腕の中でミャオと鳴いた。
王女は館の主のように座っていた。
溶かした蝋を手紙に垂らし、
摘んだ指輪を押し付けて封蝋を作る。
三つ編みにした鈍色の長髪を背中に払う。
王女はもう日陰の庭に佇む
黒髪のサンサではない。
「サンスァラ王女様は、
ずっとこんな場所でなにしてるの?」
「なにってお仕事よ。
それはもう毎日大変だったのよ。」
「外はマルフが馬車に荷物を積ませて
用意をしていましたよ。」
と、サラシュが告げた。
「ありがと。
サラも一緒に行く気になったのかしら。」
「長旅はわたしの性分に合いません。
わたしは行きませんが、
こちらのサンサが行きますよ。」
「え? サラシュは行かないの?
だって行き先はカヴァでしょ?」
「サラってば言ってないの?」
「向かう先を知っている旅なんて
退屈ですからね。」
口角を上げたサラシュに
サンスァラ王女も笑う。
「どこに連れて行くつもりなの?」
「これから禁足地に行くのよ。
ネルタを経由してね。」
彼女は指輪を台に挿して固定し、
ブラシで掃除を始める。
頭の中の整理がつかない。
サラシュは隣で溜め息を吐いた。
――ネルタに? これから?
「はい。これ。」
サンスァラ王女は、
先程封蝋で閉じた手紙をわたしに向ける。
「…この手紙、どうするの?」
「これはスーに返そうとしたら、
あの子は受け取らなかったのよ。
ルービィに渡す大切な書類なの。
あなたが預かっておいて。」
色々と言いたいことはあったのに、
スーの名前が出てきたので言葉を呑んで、
手紙を鞄の隙間から奥に入れた。
「わたしの想像していた
サンスァラ王女と違って、
叔母は愉快な方ですね。」
サラシュは部屋の椅子に同じ姿勢で座って、
わたしに同意を求めてくる。
サンスァラ王女が先に異議を唱える
「『献身の王女』なんて呼んで、
あなた達はどんな認識をしているの?」
「サンスァラ王女は我が国の女神です。」
サラシュは両手を組み合わせて握り、
天井を眺め、祈りの姿勢をとる。
「止めなさい。
わたしを捓ってるのよ、この子。」
王女が姪の苦情をわたしに言う。
「カヴァはサンスァラ王女の
白金像を造ったのよね。」
「えぇ。国宝として飾られています。」
「せっかくオーブで作った偽貨なのに、
それを溶かして奇妙なもの作ったのよ。」
「王家の象徴、いいえ、女神像ですね。」
「不敬罪よ。王家全員吊るすべし。」
サラシュが演技を続けたので、
憤慨したサンスァラ王女の裁定に
笑ってしまった。
「かつて王女は王座に座って、
元老院に意見していたというでは
ありませんか。」
「それはあなたの父、ドラスであって、
わたしは王座に座っていないわよ。」
「元老院に意見したのは
否定しないのね。」
「それは事実だもの。」
「また、なにしたの?」わたしは訊ねる。
「またってなによ。
人聞きが悪いわね。
記憶にあっても心当たりがないわよ。」
「馬を助けたのですよね。」
「その件ね。
わたしを蹴った馬の。」
王女はオルドラスから受け取った
金と銀の指輪を自らの環指に戻した。
「オルドラスの馬に蹴られたのよね。
それでいまもお腹に痣があるの?」
「7歳の頃かしら。」
「30年も昔?」と、わたし。
「29年よ、まだ。」と、訂正された。
「元老院の命令で、
父の馬が殺処分されかけたその時。
傷ついた身体を講堂まで引き摺り、
『馬にはなにも罪はないわ!』と
元老院の議員達に涙ながらに訴えた話は、
いまでも語り継がれてますよ。」
サラシュが演じたせいもあり、
サンスァラ王女からは想像もつかない
別人の姿に笑ってしまう。
「笑い話ではありませんよ。」
「王女様がそんなこと言ったの?」
「あれは酷く痛かったのよ。
馬車が事故を起こしたり
馬がひとを傷つけた場合には、
罰せられるのは当然
馬の持ち主でしょう?
王子だから罰を受けない
なんて道理はないわ。」
「話が変わってきたわね。
全てサンスァラ王女の仕返しよね?」
王女は当然のように頷き返す。
「我が父は妹への償いで、
彼女が寝付くまで毎晩
大陸詩の朗読を課せられたんです。
素敵な話でしょう?」
盛り上がるサラシュが両手を広げ、
わたしの反応を窺っている。
「素敵なのかしら…。
こういうところは、
オルドラスに似てないと思うわ。」
「似てるわよ。」
わたしの意見を伝えても、
サラシュの叔母本人によってすぐに否定される。
サンスァラ王女は立ち上がって、
黒羊毛のコートを肩に掛けた。
「さて。出掛ける前に、挨拶しないとね。」
王女は書室の扉を開けると、
わたし達に部屋を出るように促した。
「あれからドラスは女を口説くのに、
詩の朗読を始めたのよ。」
「偵察という口実で
分水街の娼館で遊んでいた時に、
お金が尽きて捕まったんです。
捕虜王子の誕生です。」
「それでネルタに売られた
あなたの父の恥ずべき王家の秘め事よ。」
指摘されてもオルドラスの娘は笑っていた。
「笑いどころが分からないわ…。」
二人の会話に
わたしは抱いたイオスに共感を求めた。
◆
書室の建物から繋がる別の建物の2階は
アイリアの工房になっていて、
近付くと鼻腔を突く塗料の匂いがする。
部屋の窓は換気の為に
ガラス板も解放されていて寒い。
工房には、塗料で汚れた
黒のチュニックを着たレナタが
独りで絵を描いていた。
「レナ…?」
驚いたわたしは反射的に
彼女に呼び掛けていた。
「あ、ニクス。どうしたの?」
立ち上がった彼女に、
サンスァラ王女が先に抱きしめる。
「あっ! ちょっとサンサッ!
いまはやめて!」
作業中のレナタを抱いた為に、
手にしていた絵筆が王女の顎に当たった。
「サンサ…ァラ王女はもう!
わたしのこといつまでも
子供扱いしないでくださいっ。
それもこんな場所でっ。」
「ふふっ。
ここではなければ良いのかしら?」
「そんな話ではありませんっ。」
わたしの視線を気にして、
レナタは顔を耳まで赤く染めた。
――レナ…生きてたのね。
トリンの事件以来、
レナタの姿をずっと見ていなかった。
わたしはレナタが、
あの夜にトリンに刺されたと思って
事件の話を誰にも聞けずにいた。
館にはあの夜の事件を口にしたり、
原因を作ったわたしに
訊ねるひとも居なかった。
――それならトリンは、
部屋の奥で誰を…
なにを刺したのかしら?
新たな疑問が浮かんだけれど、
久々にレナタの顔を見て、
気持ちが溢れそうになる。
「もー。また子供扱いしてっ!」
「わたしから見たらレナなんて、
ずっと子供なのよ。」
レナタは夜の館ではしない、
年齢相応の表情を見せる。
「レナタも顔に付いてるわ。」
工房に戻ってきたアイリアが言った。
レナタの描いていた絵は、
夜の雷雲を背景に目を細めて
微笑を浮かべる銀髪の、
サンスァラ王女の肖像画。
王女とレナタの顎や髪に、
鈍色の塗料が揃って付着している。
「アイリア。
こちらのサンサを連れて
出掛けてくるわね。」
「ニク…、あなたも行くの?」
「王女様達に拐かされたわ。」
「サラが悪いのよ。」
「旅なんて退屈でなりませんよ。」
「それはサラの場合でしょ。」
行き先を黙っていたサラシュは抗議しし、
聞いていたレナタは呆れて笑う。
「わたしも行けばよかったかなぁ。」
「ムネモスが後で
ケーキを届けてくださるんですよ。」
「…えっ? ケーキ?」
レナタは寂しさを湛えた目で
わたしを見ていたのに、
サラシュの言葉に目の色を変えた。
「最近ムネモスとデーンがずっと
お菓子作りをしているのよ。
ケーキは届かないけれど、
館に来た新しい子をたまには見てあげて。
夜の館にレナが居ないと皆、
物足りないみたいなのよ。」
「この作業を終わらせたら、
顔を出す予定でした。
ケーキも楽しみですが、
メノーの子にも
早く会いたいですからね。」
「食べたらちゃんと歯を磨きなさいよ。」
「分かってますっ。もうっ!」
また子供扱いされたレナタ。
今度はサンスァラ王女に優しく抱きつかれ、
彼女は絵筆を握ったまま抱きしめ返した。
「行ってくるわね。」
「…行ってらっしゃい。」
「背中…。」
王女のコートの背中に、
塗料が付着したのを見てわたしは呟く。
隣に立ったサラシュが
笑いを堪えて苦しんでいた。
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