「サンサ!」「サンサの!」
慌ただしく書室にやってきたのは、
ファウナのフランジをしている黒髪の双子。

ミニとアミがわたしの両脇に腕を入れ、
反対方向に引っ張って引き裂こうとする。
「どうしたの二人共?
痛いわよ。」
「すぐに来て!」と、ミニ。
「急いで来て!」と、アミ。
――『ミニは慌ただしく、
アミはより慌ただしい。』
そんなファウナの曖昧な説明では、
区別が困難な二人の性格。
同じ藍色の瞳をわたしに向けて、
書室から東のドレイプ棟へと引っ張り出す。
サラシュは双子を前にしても気にせず、
状況を愉しんで二人を促している。
「歩けるから放しなさい。」
「ファウナが呼んでたの!」
「サンサ、サンサを呼べって。」
混乱している二人を振り払って
冷静な会話を求めるよりも、
いまは自ら出向いて観察した方が早い。
それに振り払えるほどの力も無い。

ドレイプ棟1階の北端。
10番部屋は認証管理の部屋で、
館が受けた手紙をファウナが精読する。
ドレイプ棟の中では
上の階のサンサの部屋と同じく、
お客さんを入れることがないので
個室風呂は設置されていない。
部屋には手紙を保管する棚と、
資料として使う本と、
ファウナ達の趣味の本が詰まっている。

天井に吊るしたランタンが部屋を照らす。
その部屋には中老の男が座って腕を組み、
足音に振り向いて腫れた瞼で
睨みを利かせている。
「騒がしい館だな。
サンサはまだか?」
見覚えのある金色の義髪を揺らし、
驕奢な腕輪を見せた男の肩には
豊富な飾り布を掛けていた。
「ファウナぁ。」
ミニとアミが
息を揃えてファウナを呼びつける。
「なんで連れてきたのっ!」
ファウナは席を立ち、
叫びたくなる衝動と
その独特な声を抑えた。
「ファウナってば、
いつからお客さんを持つように
なったのかしら?」
「…私はしてない。けど…。」
ファウナは背中を曲げてしまう。
空気に男の体臭と酒の匂いが漂い、
男が飲んでいたことが分かる。
スパイスティーを思わせる刺激臭に、
発酵の際に生じる甘く張り付く臭気。
外廊下で状況を観察しているミニとアミが、
未だに慌てて小声で騒ぎ合う。
察するにこの男を館に入れた双子も
原因に関与している。
――繁忙期のせいかしらね。
「酔ったお客さんには、
護衛を呼ぶのが正しい手順では
ないのかしら?」
夜の館は、表向きには酒を提供しない。
「…私が悪かったんだよ。」
後悔するファウナだけれども、
わたしは反省を求めてはいない。
「ミニ、アミ。
護衛棟にいるハーフガンか、
居なければディーゴを呼んできて。
慌てなくていいわよ。」
「分かった。」「急いで呼んでくる。」
失敗の挽回に急ぐ双子に、
認証管理になって間もないファウナが
深く溜め息を吐いた。
ファウナの背中を撫でて彼女を慰める。
ミニとアミは大陸のエンカーンが読め、
ファウナが認証管理の補佐に指名した。
入ったばかりのミニとアミは
すぐに仕事を覚えて忙しさに慣れ、
気が緩んでいたのかもしれない。
サラシュがわたしを見て、
顎の横で細やかに手を振った。
招待していない彼女を
夜の館に入れてしまったのも、
失敗の積み重ねによるものかもしれない。
事件と繁忙期の影響もあり、
平静を失ったファウナの部屋に
男を館に入れてしまった現状に至る。
ミニとアミの指導役のファウナは、
その責任を別の形で取ろうと考えた。
男には彼女が隠していた酒を提供し、
酔い潰して追い出しを企んだ形跡が
テーブルの上に多く残っている。
失敗を厭うファウナらしい判断で、
問題を問題で包み隠したところで
収まりはしない。
ファウナは護衛に助けを求めたものの、
男の要望を勘違いしたミニとアミが、
サンサの代わりにわたしを呼び出して
ファウナにとって望まない状況となった。
館の不手際にも関わらず、
護衛に頼んで男を追い出したとしても
この肩書きの相手では別の問題が生じる。
わたしは部屋に入って金色の義髪の男、
エイワズの肩に触れて呼び掛ける。

「ごきげんよう。エイワズ議長。
わたしになにか用かしら?」
「おぉ、お前がサンサか?
待っとったぞ。」
エイワズはわたしを半眼で凝視する。
わたし達は収穫祭の日に、
劇場の最前列で隣席していた。
いまは頭巾付きのケープに
宝飾巾をしているせいか、
わたしの顔までは判別できていない。
「むかぁしに一度、手紙を送ったが、
返事がなかったんで、
俺は捨てられたものと思っていたぞ。」
「手紙の輸送中に不運な事故でも
あったんでしょうね。
昔のことだもの。違うかしら。」
わたしは護衛が来るまでのあいだ、
エイワズの向かいの席に座る。
部屋の扉は開けたままにしておく。
「マルフからは黒髪の、
若い女とは聞いていたが、
あいつ、ワシを謀ったな?
赤髪の、小娘ではないか。
それに腕が…。」
腕の中でイオスが鳴く。
「わたしを疑っているのね?
これから裁判所にでも、
連れて行かれるのかしら。
ふふっ、畏ろしいわね。」
言葉とは逆に戯けて見せる。
イオスが振り向いて見上げるので、
わたしは狭い額を指で撫でる。
「いや…、そんなことを
言いに来たのではない。」
エイワズは杯を呷る。
「先日のカヴァ軍の一件、
苦労をかけたな。」
口髭を濡らし、酒臭い息を吐く。
「それを言う為に赤土の丘に?」
「元老院の長が
礼の一つもせぬのでは、
不義理というものだ。」
それが来館の理由には聞こえず、
エイワズは薄い唇を舐めて笑う。
サンサではないわたしは、
エイワズの望むものを持っていない。
「苦労したのは指揮官になったマルフと、
カヴァの軍を率いたオルドラスだわ。
二人共、元老院の札遊びに
振り回されただけだものね。
兵士達も迷惑を被ったわね。」
「だが元老院の若い議員の中には、
『西門を開けたマルフを罰せよ。』
という声もあってな。」
「開放を要求したサンサも、
裁判にかけるおつもりなのね?」
険しい顔のエイワズが疑いの表情を見せ、
ファウナとサラシュの視線を感じ、
わたしは失敗に頭の中で頷いた。
「ふははっ。
まるで他人事ではないか。」
臭い唾を飛ばして機嫌よく笑う。
わたしの太腿の上のイオスが、
悲鳴を放って外へと跳び出した。
冗談と受け取るエイワズに、
サンサではないわたしは、
肯否も訂正も言及を避けた。
「…それで館に押し掛けて
ドレイプを味見してから、
マルフが利用した『運命の女』に
責任を擦り付けるつもりね。」
この男の品のない考えを並べて
わたしは反応を窺う。
相手を怒らせるつもりはないけれど、
エイワズはサンサが招いていない人物。
来るものは選ぶのが館の決まり。
この程度で怒って暴れる人物であれば
早めに追い出して、一夜限りの夢とでも
思った方が互いの為になる。
エイワズはわたしではなく
本物のサンサとの繋がりを求め、
招待も無く館に入ってきた。
元港長の娘のファウナも、
議長という肩書きを持つ客を得る目的で、
功名心に逸った可能性もある。
わたしのこの挑発に
エイワズは息を吸って胸を膨らませると、
脂ぎった太い腕を組む。
「ふん。
どうあれ現場の責任者はヤツだ。
議会がこんな小娘に
街の責任を擦り付けたとあれば、
街の名誉を毀損するだろう。」
エイワズは鼻息を荒くする。
飲み続ける彼の呼気から
酒の臭気が広がる。
「指揮した者に責任だけ擦り付けて、
被害なく終わった今回の成果を
なにも認めてあげないなんて、
元老院というのは酷く狭量ね。」
「上意下達は徹底せねばならん。
平穏を脅かし統率を乱したのだから
安易な評価もできまい。
あやつは元は無産街の紐無しだ。
元老院は諮問機関といえ、
あやつを選出したのは我々だ。
立場を明確にし、躾けねばな。」
エイワズは自分の言葉に目を閉じ、
感慨深く顎に皺を作る。
――犬には首輪、ということね。
マルフは下流階級とされる無産街の出身でも
清浄屋の仕事で貴族化商人になり、
胸には長い飾緒を渡らせて
総督の地位にまで上り詰めた。
それでも貴族のエイワズからは
紐無しの賤民と蔑まれる。
階級の頂に立つ貴族の集まりの、
元老院の長であるエイワズからすれば、
与えた権利や肩書きより血筋が重視され、
差別意識は出て当然だった。
長年議員を務めるエイワズを相手に、
議論を交わしてもわたしは敵わない。
しかしそれ以前に、
相手の望む交渉に応じる必要が
わたしにはなかった。
「…議長は調査と審議を行う為に
わたしに会いに来たのね。
本来ならわたしが足を運ぶところを、
ドレイプという身分に配慮して
直接来てくれるなんて光栄ね。」
こんな上辺を飾った言葉でも、
酔っているエイワズは気分を良くする。
「議長も多忙な中、現場を調査し、
報告にも目を通すのよね。」
「報告は受けている。
解放すべきではないと、な。
まさかコロイド保険の
調査力を疑ってるのか。」
コロイド保険は彼が所有する保険会社で、
調査員を使って事故や事件の原因を調べる。
調査の対象は邸宅の火災や隊商の事故、
農地の水害から疫病にまで広範に対応し、
東部3領や洞窟港にも調査員は存在する。
分水街を束ねる議会の長であるには、
資産を有さなければ発言に影響を
与えられないこともあの日に学んだ。
――『解放すべきではない』ね。
調査員の報告というものに、
思想が含まれているように聞こえた。
「睨み合って膠着した状況に、
マルフは打開を試みた。
『運命の女』というのは
わたしからの提案よ。
どちらが言い出したかは
重要ではないわね。」
「ならばサンサがその口で
捕虜王子を籠絡したのか。」
エイワズは繰り返し杯を呷り、
品のない冗談を言って笑う。
「カヴァの軍は兵站に余裕があったわね。
近郊の村落への略奪を行わず
分水街へ攻め入る様子も見せず、
門から出てきた商人も襲わなかったわ。
わたし達を歓迎して
宴まで開いてくれたのよ。
カヴァの兵士と娼婦団を合わせても
1,000人規模でしかないもの。
厳重な警戒も無駄に終わったわね。」
エイワズと話しながら
わたしはカヴァの書記官や、
別の男の顔を思い浮かべる。

かれらの背後には、
分水街とカヴァの対立を望む者達が居る。
「信じ難いな。」
腫れた瞼でエイワズがわたしを睨む。
わたしはまだ彼に信用されていない。
「わたしが西門に着いた時には
不満を募らせた行商人達が集まって、
喧嘩もあって暴動の直前だったわよ。
調査員や見張り台の哨兵、
総督も知っているはずよ。
その報告も届いているわよね。
門の閉鎖は議会の総意?
それとも議長の願望?」
エイワズは口を半開きにして、
言葉を失っていてもわたしは続けた。
彼は酔っていて、
話に集中できていないのかもしれない。
「利益を求めた先での争いを、
わたしは否定したりはしないわよ。
生物は生存と種の繁栄を理由に競い、
常に争いを求め続けるものね。」
「人類の歴史上、
災害と戦争の無い時代などありはせん。」
反応したエイワズに
わたしは微笑を浮かべて首を縦に振る。
「カヴァの行く末がどうなろうと、
わたし達には直接関係しないものね。
戦争が始まれば街に難民が増える。
人々は迷信に揺れる船の上。
民衆の不安を煽るほど保険料を得る
あなたの会社は儲かる仕組みね。」
「そこまでは考えてはおらん。」
突き出した顎に触れ、
鼻で笑って身体から臭気を放つ。
わたしは彼の狙いを理解して返答した。
「それで真に利益を得るのは
奸佞邪知の企みだもの。」
言葉の意味に驚く彼は目を見開いた。
わたしの知るサンサは、
こうしてテーブルを指先で小突く。
「報告は事実に相違ないはずよね。」
「調査報告に勝手な思い込み、
思想による歪みがあってはならん。」
エイワズは義髪の頭から汗を流し、
全身からも臭気を発する。
「議長は、ペタの次代領主を騙る
ヘッペを知ってるわね。
メルセ・ハス・ヘッペリオ。」
この名前を耳にして仰け反ったエイワズは、
跳ねて椅子を立つと足を縺れさせ
背中から倒れた。
ヘッペという男は
カヴァの元老院に遠征を提案し、
この街との対立を望んでいる。
――マルフが内憂外患に胃を痛める原因は
彼らによるものだったのね。
「あら、大丈夫?」
「…あぁ。」彼は頭頂を手で抑える。
「立場を明確にし、
責任を取らせるべきだったわよね。
裁判所の窪地、オルタに立って
ハンドベルを叩くのは議長かしら?
それとも総督のマルフかしらね。」
わたしは倒れたままの彼を見下ろす。
「…飲み過ぎたみたいだ。」
「気持ちよく酔っているものね。
酒に頼っても酒はあなたを
立ち上がらせてはくれないわよ。
ディーゴ、ハーフガン。
彼に外の空気を吸わせてあげて。」
サラシュの後ろに護衛のディーゴと
ハーフガンが待ち構えていた。
「迷惑を掛けたな。」
「いいえ。
とても有意義な会談だったわ。
今度は街の警備か
次代領主を騙る男でも連れて、
裁判所に招待されるのかしら。」
「…次が許されるのならな。」
脅し文句でも
震える彼の口調に畏れがあった。
「素敵なお手紙を待ってるわ。
それから酒は控えた方がいいわね。
酒に責任は擦り付けられないもの。」
エイワズはわたしに深く頭を下げて、
揺れる足取りで部屋を出ていった。
彼が出ていった部屋の後には
体臭と香料、酒の残り香が充満する。
――分水街とカヴァとの対立で、
ヘッペはなにを得るのかしら…。
考えてもまとまらず、
サラシュの抱いていたイオスを預かる。
「悪かったわね、話の途中だったのに。」
エイワズには西門解放の責任を問われ、
サラシュには不敬の罪に問われていた。
「お気になさらず。
とても有意義なものを
見ることができたわ。」
細めた碧色の瞳が笑う。
「見世物小屋ではないわよ?」
様子を窺うディーゴに手を振って
護衛をこの場から外させる。
「サラシュも護衛の見送りが必要かしら?」
「わたしも彼と同じように
『味見』をしに来た側になるのね。」
わたしの使った猥言の比喩を愉しみ、
サラシュは考えを読ませてはくれない。
「わたしは売り物ではないわよ。」
「あなたはカヴァの国宝よりも
価値がありそうだものね。
さて、お出掛けの準備をしましょうか。」
サラシュがわたしの右腕に手を差し込むと、
腕を組んで白い顔を近付ける。
「どこに連れて行くつもりなの?」
「もちろん。あのひとの元ですよ。」
笑顔を向けてサラシュは言った。
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