第11章 第1節 暮相の姿(第1項)
夜の館には
レデという名前のドレイプが居た。
明るい赤色の髪にやや濃い肌で、
男にも劣らない背の高さに加え、
脚の長さはドレイプからも評判が高い。
勉強会にもたまに顔を出して考えも鋭く、
自分に厳しいけれど、フランジに対しては
よく見て褒める優しさを兼ね備えている。
メノーの隣の2番部屋だったレデは、
楽器や踊りも上手で、フランジにとって
模範のような存在だった。
レデにはジールという一つ年下の妹が居て、
姉妹は2番3番部屋で人気も相応にあった。
彼女達はオーナーのルービィに依頼され、
ユヴィルの所有していた娼館で顧問として
娼婦達の指導を任されている。
ユヴィルの娼館は元は『闇の館』という
『夜の館』を騙る俗悪な呼称だった。
無産街から拐かされた赤髪の娼婦が多く、
夕空の色に準えて『暮相の館』へと
名前を変えた。
わたしも以前はこの館に顔を出し、
娼婦達から相談を受けていたけれど、
トリンの事件が起きてからは
右腕の傷を理由に行かなくなった。
ドレイプではないわたしに比べれば、
レデとジールの姉妹は適任だった。
姉のレデが休養日に夜の館に戻ってきて、
いつも書室で本を読んでいるわたしに
暮相の館の状況を丁寧に話してくれた。
――今日はレデの番なのね…。
大らかなメノーとは真逆で
張り詰めた表情のレデ。
半ば愚痴に近い仕事の報告でも、
久しぶりに耳にする暮相の娼婦達。
誇張のない話の中には多少は頼りなくとも、
活き活きとする彼女達の姿が
思い浮かんで嬉しくなる。
レデが話術に長けているからかもしれない。
ムネモスにはレデ達の為に、
厨房でデーンとお菓子の用意を頼んで
席を外して貰った。
「それで、婚姻の予定があるのよね?」
わたしが彼女に質問をすると、
真直に見つめていた目を逸らし、
恥じらいを覗かせる。
「でも相手は独立を望んでいて、
工房にはお金が必要に――。」
「レデッ、あんた婚姻すんのっ!」
レデの愚痴の元が叫んだ。
癖のある金髪に円な瞳で
少女のような体格と幼顔は評判が高く、
男の趣味も広く深いと自称するミュパ。
御不浄から戻ってきたドレイプのミュパも、
暮相の館に行き、娼婦達の指導役になり、
その技術を教える立場にあった。
ミュパの金赤の飾り布は
結び目を逆の肩側にして、
暮相の館の影響を受けている。
「ち、違うわよっ。
向こうの館の子の話よ。」
「なんだ…。そんなの…。
いや、誰の話? 名前は?
頭文字だけ教えて? 部屋の番号は?
ここだけの話。
誰にも言わないから。」
ミュパはわたしの太腿の上に居た
白猫のイオスを抱えて奥の椅子に座る。
ミュパに頭の匂いを嗅がれて、
イオスが低く長く鳴いて嫌がる。
「わたし、ミュパを信頼してないから、
絶対に教えないわよ。」
「酷い!
あたし達ずっと一緒だと思ってたのに。
ねえ?
酷いと思わない? 思わないの?」
わたしはミュパに同意を求められると、
目を閉じて返事を保留にした。
ミュパはサンサから『戒め』という
不名誉な二つ名が与えられている。
彼女達二人は同い年で、
同じ時期に夜の館に入ってきた同士。
喧嘩みたいな会話でも、
顔を見合わせて自然と笑みが零れる。
「その開業資金ってどのくらい必要なの?」
「それが8,000ルースなんだって。」
「8,000ルース…。
道端の街娼が、
1年間で稼ぐだけのお金ね。」
1日あたり22ルースが必要な街娼のことを
想定して要求した金額かもしれない。
「たった8,000なら、
レデが出せばいいじゃん。
闘技場なら一瞬だよ?」
「問題はそこではないわよ。」
レデが首を横に振る。
相談主はミュパと同じ感性を
持ち合わせていない。
「信頼と信用は別って話よね。」
わたしが言うとレデは力強く頷く。
「なにが違うのさ?」と、ミュパ。
ミュパはテーブルに用意した酒を飲み、
狭い書室に食べ物の匂いが充満する。
厨房から、燻製肉やチーズを持って来て
一人で食べている。
わたしはイオスが食べないように
その小さな顔を手で覆った。
「信用は過去の実績に対する評価。
信頼は未来への期待かな?」
「ふぅん。
信頼してないんなら、
婚姻は取り辞めた方がいいって。」
「それは嫌よ。」
テーブルの上の、レデの拳が握られる。
「ミュパ。相談っていうのは
意見を否定することではないのよ。」
「正論だけどぉ…。」
暮相の館の娼婦達の凝り固まった考えには、
指導を任された彼女達も苦労していた。
「そんなことで悩むんなら、
お金を払えばそれで済むじゃん。」
「周囲が助言をくれたのよね。
お金を貸さない方が良いって。
相談主を心配してね。」
「えぇ。相談主が。」
「婚姻の妬みを受けるから?」
「私情は切り離して考えるべきね。
お金を出して望んだ成果が
確実に得られるのなら、
誰も文句はないわよね。」
「成功したら成功したで、
周りの連中は見る目が無かったわけだ。」
「そんな悪い言い方しないでよ。」
「でも成功しなければ――?
事業が失敗した場合よね。
相手は仕事を失って収入は無い。
望んだ成果は得られず、
出したお金は消えてしまった。
相手の独立と結びつく婚姻は
解消されるかもしれない。
相談主が相手を養うのも
一つの選択でもあるけれど、
助言した周囲のひとはどう思うかしら?」
「分かりきった結末だと
賭けが成立しないよなぁ。」
「ミュパ!」
疑問を浮かべて笑うミュパの鄙言に
レデが睨みつけて叱る。
「…そこまでではないとしてもね。
まず相談主から信頼されてない
という事実に、周囲のひとは
残念に思うでしょう?」
「確かに。
もう一生口利いてやらないわ。」
「わたし、ミュパではなくて
サンサに相談しようと思ったのよ。」
「なんで指導役のあたしに相談せずに、
みんなニクスなんだよぉ!」
横で慟哭の真似をするミュパ。
ミュパを信頼していないレデは
最初から見向きもしない。
オルドラスとの会談から日が経っても、
サンスァラ王女は未だに館に帰ってない。
カヴァの軍を撤退させる目的で
偽造した協定書をマルフに頼み、
本物と同等のものにしなければいけない。
カヴァと交わした協定を事後に伝えて、
容易に承諾が得られるとは思えない。
分水街から洞窟港までの
トンネル掘削事業が成立しなかった場合、
孤立して困窮するカヴァに
この街を攻める口実を与える。
カヴァからはサンスァラ王女の生存は
まだ正式に公表されていないし、
サンサの出自を明かすひとも居ない。
カヴァの元老院議会が彼女を、
20年不在だった本物の王女と
認める可能性はほぼ無い。
「ニクスはどうしたら良いと思う?」
「わたし?」
「だってあなた、
サンサのフランジでしょ?」
「8,000ルースくらいあたしがあげるって。
だから名前教えてぇ。」
「ミュパはもう黙ってて。」
「ふへぇ。」
テーブルに突っ伏すと、
酔っているミュパは
頬を緩めたまま笑っている。
彼女は燻製した腸詰め肉を口にし、
イオスがわたしの指の隙間から
目を見開いて凝視する。
「話を整理すると、
相談主はお金を出して
婚姻予定の相手を手助けしたい。
でも助言をくれる周囲のひとを
蔑ろにしたくない。
レデはその相談主を助けたいのよね?」
「えぇ。
相談主は、同じことを言ってたわ。」
「きっと彼女の婚姻という目的と、
相手の工房を立ち上げるって目標が、
一致しないのが問題なんでしょうね。」
レデは何度も頷く。
「そんな時は貸すのがいいわよ。」
「貸す?」彼女はそれを意外に思う。
「お金を貸す代わりに婚姻をする、
なんて見返りで考えないでね?」
「お金を返し終えたら
婚姻は解消されるもんねぇ。」
「されないわよっ。」
レデが否定したものの保証はない。
「自分でお魚も捕れないひとに、
恩情でお魚を与えたところで
漁師とは呼べないでしょ?」
「魚なんて獲ったことないって。」
「そんなの例え話よ。」
「あ、レデのお客さんなら
何人か捕ったことあるわ。痛っ。」
「わたしが捨てたのよ。もうっ。」
笑うミュパの頬に
レデの手が押し付けられた。
わたしの迂遠な言い回しでは
ミュパには通じない。
レデの理解力の速さがあってこそ、
説明が通じている気がする。
「未来の話、信頼は融資と考えるの。」
「融資?」と、首を捻るミュパ。
わたしは首を縦に振って続ける。
「お金を貸すっていうことは
返してもらう前提よね。
お金を貸す場合、
まずは返済までの期限を決めるの。」
書室にあっても誰も読まない金融の
専門書の内容を思い出す。
「期限って、8,000ルースでいつまで?」
「5年くらいが目安かしら。
商売が安定するには
相応の期間が必要よね。」
「長ぁ…。」
「ドレイプの稼ぎと比べたら酷だろ?」
わたしもレデの意見に頷く。
「そこに対価を用意して貰ってね。
ユヴィルみたいに高過ぎない割合でね。」
「対価って…、
お金貸してんのに貸した相手に、
さらにお金払わせるってことぉ?」
「利子だっての。
160ルースくらい?」
「8,000ルースなら
5%から20%くらいかしら?」
「開きがあるな。」
「期間が長いからね。
貸したお金を早く返せばその分
利息を低くしてあげるの。」
「なるほどね。
そうすれば早く返したくなるのか。」
「もう100%でいいじゃん。
16,000ルースになるんだよ。」
ミュパは適当なことを言って笑う。
「無理せず返せる割合にしないとダメよ。
それと期限を過ぎた時に、
代わりに返してもらう保証人を
相手に用意させる必要があるわ。
相手からお金が返されない場合にも、
保証人にお金か資産で賠償して貰う。
相手側の家族、資産を持つ人間を
保証人にすることね。」
レデは次第に目つきを鋭くさせる。
「それと、必ず返済を約束させる
借用証書を作ること。
これは銀行で作れるはずよ。
融資って銀行もやってることだもの。」
「難しいぃ。」と、ミュパ。
彼女は飲み食いに意識して、
話を半分以上聞いていない。
「婚姻する相手に、そこまでするのか?」
「婚姻するからといって、
お金の管理を一つにする法律は
ないでしょ?
農家が作物を増やすのに、
肥料や水が同じ量のままなら
収穫はどうなるかしら?」
「あぁ、なるほどねぇ。
工房って畑を増やす話だからか。
あたしも分かってきたぁ。」
酔ってはいても
ミュパは理解する力がある。
「もしも工房の立ち上げに失敗しても、
これで相談主の損失は防げるもの。
利益も得られるはずよね?
周囲の助言があったからこそ
とも言えるわよね。」
「んで別の相手に融資して
婚姻を迫ることもできるわけだ。」
「ミュパッ!」レデが彼女の軽口を諫む。
「ミュパの言葉に同意はし難いけれど、
畑を別にすれば疫病も防げるかもね。
これはあくまで
サンサの考えそうなことを
わたしが代わりに言ったまでよ。
話半分にして欲しいわね。」
「その言い方、狡いわぁ。」
「本当にサンサみたいよ、あなた。」
「えぇ…。」
二人が揃ってわたしを非難する。
「でもいいわ。」
わたしの相談主は、
納得した様子で立ち上がった。
「ありがとう。色々話ができて良かった。」
「感謝するのはわたしの方だわ。
話してくれてありがと。」
「とても勉強になったわ。
暮相の館の子達にも伝えておくわ。」
「今度の休養日はジール連れてくんね。
こっちに来たがってたけどさ、
向こうで教えることが
まだ多いんだって。」
「あんたもジールくらい、
教育熱心だと良いんだけどね。」
レデの苦言はミュパには通じない。
「今度はわたしが暮相の館に行くわ。
レデのおかげで暮相の子達の
元気な顔が見たくなったもの。
ミュパも変わらず
元気でいてくれて嬉しいわ。」
「あたしの魅力といえば
そこだけだかんね。」
「あなたが気付いてないだけで、
レデやジールが羨むくらい
ミュパは多くの魅力を持ってるのよ。」
「妬いてるの?」と、ミュパ。
「嫉妬するわけないでしょ。
話が通じないわね。ミュパは。」
苦労するレデと喜ぶミュパ。
「…だからイオスは置いていってね。」
ミュパに両前足を持って抱かれたイオス。
真黒な瞳孔を広げると後ろ足を泳がせ、
聞いたこともない声で喚く。
去り際のレデは目元が柔らかく、
口元を緩めていたのが見えた。
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