第10章 第4節 銀色の冠(第2項)
サンスァラ王女は
テーブルを指先で小突く。
「さて、陛下は此度の遠征に
どのような決着をつけるおつもりですか。
分水街への進軍は敵対行為です。
総督のマルフは
この暴挙を許すでしょうか?」
「…やっぱりマルフの遣いで来たのかっ?」
カーゼルが勢いよく椅子を立ち上がった。
寝ていたイオスが驚き、
耳を後ろに伏せて周囲を警戒する。
「分水街を攻め落としても
カヴァの勝ちにはなりません。」
王女が落ち着いた口調で続けると、
オルドラスは横に手を伸ばして
カーゼルを座らせる。
「遠征は議会が決めたことだっ。
陛下の妹とて女が政治に口を挟むな!」
――女は夜。
政治は女の遊び道具ではないものね。
わたしは頭の中で呟いた。
憤るカーゼルに対しても
サンスァラ王女は口撃を続ける。
「余生の短い老人達に尻尾を振る
忠実な犬ね。
そんな犬がドラスに仕えるなんて、
軍司令官の胸甲の内側は
酷く汚れているのでしょうね。」
「なにぉっ!」
カーゼルは拳を固く握る。
それでも彼はテーブルを叩いたり、
殴りかかりはしないだけの
自制心を持っている。
それを良いことに王女は挑発を繰り返す。
「それとも陛下は
分水街を攻め落とせば、
全ての娼館が手に入ると
思っているのかしら。」
「王女とはいえ愚弄は許さんぞっ!
口を慎め!」
自分が仕えている王子を嘲られ、
顔を真赤にするカーゼル。
オルドラスはテーブルを打ち、
彼が拳を振るわないよう注意する。
カーゼルの怒りの感情は鎮まりはしない。
「あなたがどうして
軍司令官なのかわかったわ。」
サンスァラ王女は
カーゼルの顔を下から覗き見る。
「あなたは元老院から
特別な躾を受けたのね。」
「汚れた涸れ噴水めっ!」
「カーゼル。座れ。」
再びオルドラスが牽制する。
「ふふっ。
分水街の西門が開放されているのに
すぐに攻めもせず、お酒を浴びて
裸になって踊る道楽者達よ。
娼婦団も笑っていたわ。
元老院にも囚われて、
捕虜王子は臆病者なのかしらね。」
「陛下は慎重なのだっ!
欲に塗れた爺共は関係ないっ!
民衆や兵士の家族を考えて――。」
「此度の遠征は、ただの威嚇に過ぎん。」
カーゼルが元老院を非難し、
オルドラスを擁護したことで、
頷いたオルドラスはようやく意見を発した。
――侵攻は交渉の最終手段…。
――二人の会話の目的が見えてきたわ。
サンスァラ王女はなおも続ける。
「遠征を企てたのは陛下ではなく、
元老院の強硬派ね。
かれらの裏には
メルセと繋がっている人間が居るわ。
再び前線まで駆り出される理由を、
陛下は理解しているはずです。
肩書きのみの王子。元老院の傀儡。
戦略の成否は関係ありません。
かれらの欲は無限の噴水です。
略奪し、支配し、都を遷しますか?
かれらは陛下に
なにをお望みでしょうか。」
「…述べよ。」
「これは雷霆です。」
禁足地でソーマの死因になった言葉。
「なんだ、それは。」
「陛下の死と、新たな王――。」
その言葉でオルドラスは立ち上がり、
カーゼルより先に剣を抜くと、
その剣先をサンスァラ王女の首に向けた。
「首を斬って黙らせたところで、
天秤は逆には傾きません。
言葉に鍵をかけられるでしょうか?
東からの支援の厚い分水街ならば、
攻略はネルタ以上に難儀するでしょう。
川にはいくつもの堰が設けられ、
カヴァへの物流は途絶え、
冬はさらに厳しくなります。
いまの餓えたカヴァが
東部3領に敵いましょうか?」
「では王の座を血で汚せというのか。」
サンスァラ王女は首を横に振る。
「仕える王が変わったとしても
かれらにとっては他人です。
王が法を逸脱すれば
それがかれらの次の手札になります。
自分が新たな王になるものと思って、
王座の側で笑って見ていることでしょう。
王となる者は常に、
相手を正しく見なければなりません。」
「王の道は途絶えているのか。」
オルドラスは視線を下げ、
眉間に皺を寄せた。
「誰も通ることのない道であれば、
それは指導者が拓くものです。
それが陛下だけの、王の道です。」
「おれの…?」
「えぇ、ドラスだけの道よ。
その道には、あなたの名前が付く。
永遠とまではいかないけれど、
後の歴史に残るわね。」
王女の不自然だった口調が元に戻った。
オルドラスは理解が追いつかずに
まだ困惑している。
剣を鞘に納め、
倒れながら椅子に背を預けた。
「長く戦争を続ければ
国が疲弊するのは事理明白よね。」
「それもわかっているつもりだ。
スァラ、お前はなにを考えてる。」
「人間の歴史は
戦争の歴史でもあるわね。
利益と繁栄を目的に競い続けるのは、
生物の定義とも言えるわ。」
サンスァラ王女は北に指先を向ける。
「あなたの道は奪うのではなく競い、
斬るのではなく穿つのよ。」
天幕にはなにもなく、
見上げれば月が透けて映る。
「…なんだ?」カーゼルが警戒する。
「ゼズ山脈…?」わたしは疑問を呟く。
「えぇ、ゼズ山脈に隔てられた洞窟港。
そこまで続くトンネルを掘れば、
荒れ地の王も海に出られるわよ。」
「大言壮語だ。
おれ達に
海に出て海賊になれというのか?」
「『山をも穿つ、カヴァの執念。』
戦争で山を削ったカヴァにとっては
難しい話ではないわよね。」
「道の敷設で山を削るのと、
穴を掘るのとは危険性が違うだろうが。」
カーゼルの言う通りで、オルドラスも頷く。
「雇用が生まれて、
ついでに鉱物も採れる
かもしれないわよ。」
「楽観が過ぎるっ。
そんな一大事業に
誰が金を払うんだっ!」
「投資というのは先を見るものよ。」
「栄えた港に必要なのは、堅牢な船か…。」
オルドラスが呟く。
「えぇ、それは鉄の船ね。」
彼女は自分の発言を愉しんでいる。
◆
「鉄の船などと誑かして、
国家ごと沈めるつもりかっ!」
王女の発言にカーゼルが何度も喚くせいで、
イオスもわたしも耳が疲れてしまう。
「沈まないわよ、ねぇ。」
「小娘が口を挟むな!」
わたしが白猫のイオスに呟くと、
忠実な犬の尻尾を踏んだ。
カーゼルは小娘の呟きを聞き逃さず、
怒り、騒ぎ立てる。
「述べよ。」
手を伸ばして犬を鎮めるオルドラスが、
わたしに向かって静かに促す。
長いあいだ戦争を続けてきた彼らを
一概に否定してはならない。
それではまた尻尾を踏んでしまう。
わたしは勉強会での説明のつもりで、
相手の知識と理解の度合いを探る。
「木から造る船は水に浮くけれど、
鉄で造ったところで船は重くて沈む
と考えてるのよね。」
「その通りだろうがっ。」
カーゼルは言って顎を突き出す。
わたしは首を捻って見せる。
水を吸い上げて成長する木の中には、
水よりも重くなる種類もある。
木材を均一に乾燥させる時には水に沈める
と言ったところで、カーゼルは納得しない。
迂遠な説明は避けて言葉を選ぶ。
「鉄よりも比重の大きな――
鉄よりも重い銀も浮かぶはずはない、
という見解でいいのかしら?」
「当然だろうっ!」
カーゼルが組んだ腕を解いて、
手のひらでテーブルを叩く。
「鉄より重い銀でも水に浮くのよ。」
言ってわたしは椅子から立ち上がる。
イオスが腕から肩に登り、
ケープの頭巾に入って収まった。
飾緒で首が締まって、少し苦しい。
わたしはオルドラスから預かった和睦の証、
空の銀杯を手にして見せる。
「科学に、オルドラス卿の威光は関係ない
とだけ先に言っておくわね。」
オルドラスは名前を勝手に使われて訝しむ。
「銀杯が水に浮かばなければ、
不敬の罪に問われるのかしら。」
「なんのつもりだ…。」
苛立つカーゼルは自分の銀杯を呷り、
酒を注ぎ、また腕を組み直す。
酒に頼ったところで判断は鈍り、
酒は理解を促してはくれない。
「その杯を持って、こちらに来なさい。」
山間の田舎者とも蔑まれている
カヴァの兵士が、船に馴染みがなくても
身近なもので理解できる方法がある。
わたしは腰ほどの高さの瓶の横に立つ。
子供でも運べる大きな瓶には、
火災を防ぐ為の水が入っている。
吊るされたランタンの灯火があっても
瓶の底は暗い。
覗き込むイオスがに落ちないように
銀杯を持つ手で顔を抑えた。
「鉄より重い銀の杯は
この瓶の水には浮かばないのよね?」
確認を取るとカーゼルはなにも言わず、
瓶の上から銀杯を手放した。
酒の入った杯は落下の勢いで水柱を立て、
すぐに瓶の底へと沈んで
小さな音を聞かせた。
カーゼルは鼻息を吹くので、
わたしもこの結果に喜び
首を縦に振った。
「沈んだわね。」
音を耳にして王女も座ったまま言う。
「鉄よりも比重の大きな銀でも、
中に酒が入っていなければ
船と同じで全体の密度は低いの。
同じ理由でわたしの空の銀杯は、
この瓶に浮かべることができるわね。」
カーゼルを目で呼び、
銀杯を底面から瓶に浸けた。
瓶の水に浸した空の銀杯は
手を放しても水面に縁を出して揺れる。
「杯が水を押し退けて沈む力よりも、
水が杯を押し上げる力の方が
勝っているわ。
杯は完全に沈まずに一部が水面から出て、
杯が浮いていると言えるわね。
これを平衡状態というの。
鉄の船を造った場合も同じように
体積を大きくして密度が低ければ、
海から押し上げる力が働くわ。
鉄の船でも海に浮くのは事理明白ね。」
「お、おう…?」
カーゼルは首を捻って同意した。
「理解が早くて助かるわ。
オルドラス卿の裁量と
カヴァの金属加工の技術が合わされば、
鉄の船を造るのも不可能ではないわね。
カーゼルが察する通り、
二人は詩的な比喩を交わしたのよ。」
「おうん?
その通りだろう…。」
もうカーゼルは大声で否定せず、
わたしから目を合わせず、
浮かぶ銀杯を見つめていた。
「くははっ。」
オルドラスが哄笑する。
サンスァラ王女も困惑するカーゼルを見て、
お腹を抱えて笑っている。
「サンサと言ったな。おかしな娘だ。
恒星とは驕った名前だと思ったが、
お前の豪胆な性格はその知識と
器量が備わっておればこそか。」
――その名前は
元はあなたの妹のものよ…。
わたしは銀杯を取り出し、
水を払ってからテーブルに置く。
カーゼルの沈んだ銀杯は彼に任せる。
頭巾に入ったイオスを出そうとすると
嫌がられた。
「おれも娘にそんな堅実な名前を
付けてやれば、良かったか。」
わたしからすればサンサという名前は、
堅実という所感から遠く離れていて、
抗議を意味で元の名前の持ち主を見た。
「わたし達の王座遊びに
あなたが混ざるなんて。
おかしな子よね。」
「王座遊び…。」
演技めいた喋り方をしていた王女には
悪巧みを感じていた。
王家の遊びに付き合わされたカーゼルも
わたしと同じく言葉を失った。
「おれは戯れで王座に座っただけなのに、
スァラが臣下の真似事をしたのだ。
それで叱られるのは
いつもおれだったぞ。」
「わたしも叱られたわよ。」
「オランドルとサラシュが、
王の不在時に同じことをやって
遊んでいたんだと。」
「そこは父に似たのね。」
「褒められた行為ではないが、
これは喜ぶべきことか?」
問われたサンスァラ王女は頷いていた。
「しかし…なんの成果もなく
帰還して良いんでしょうか。」
右手を肘まで濡らすカーゼルが
考えを吐露した。
「成果ならあるだろう。目の前に。」
「帰らないわよ?
20年も居なかった妾腹が、
いまさら帰ってきたところで
わたしに王座は用意されないし、
国を混乱させるだけだもの。
王座を望んでいるわけでもない王女の言葉に
わたしは息を吐く。
「代理品の次は戦利品になるわね。」
わたしの意地悪な見解に、
サンスァラ王女が目を細めて舌先を出す。
「元老院の手札になるなんて嫌よ。
わたしを退屈で縛り付けるだけで
なにも解決にはならないもの。
カヴァは演劇を検閲法で禁止してるのよ。
森の賢女のあなたが
なにか考えてあげなさい。」
「またわたしに押し付けて…。」
不満を呟いたけれど、想像は付いていた。
「分水街に入って
観光するってのはどうでしょうか?
部下の慰労を兼ねて。
なにせあの街は娼館が多い。」
濡らした腕をキャシュクで拭きながら
嬉しそうにするカーゼルの提案に、
わたしを含め全員が顔を顰めた。
「ドラスの右の手だけあるわね。」
「おれまで貶めるな。」
「陛下も言ってたではないですか!」
「20年も昔の話だ。
いまさら穿り返すな。」
オルドラスはカーゼルの椅子を
軽く蹴りつけた。
わたしは一つ、
おかしなことを思いついた。
「カヴァは検閲法があっても、
四時の札遊びもするのよね。」
「王家を貶める演劇は禁じ、
賭け事ならば厳しく取り締まるぞ。
札遊び程度なら許すが…。
分水街のようになっては困る。」
「ユイガス金貨まで賭けて
わたしに負けたものね。」
サンスァラ王女は口を挟んで懐かしみ、
オルドラスは彼女から目を逸らした。
「…なにか案があるのなら述べよ。」
「娼館はやめて闘技場ってのは?」
「はぁ…。」
カーゼルの男らしい代案で、
わたしの代わりに王女が溜め息を吐いた。
「いまのカヴァの状況を
四時の札遊びに見立てた時、
残っている手札はなにがあるのかしら。」
「分水街より弱いとでも言いたいのか?」
誤解するカーゼルに首を横に振ってみせる。
隣のサンスァラ王女は
わたしを見て頷いてくるので紛らわしい。
「カヴァには浮き彫り細工や、
宝石から装飾品を作れる
優れた技術があるわね。
国宝の白金像とかね。
それはとても大きな数字の札ね。」
サンスァラ王女は呆れるけれど、
カーゼルは胸を張って国を誇って腕を組む。
「疫病や飢饉が戦争を招く。
これを恐慌状態って呼ぶのは
知ってるわよね。
逆順になってるのなら、
大さな数字ばかりの手札は
不利になって見えるわね。」
「事実ね。」
サンスァラ王女がもう一度頷く。
「でもこれは
ただの言葉遊びに過ぎなくて、
言い回しを変えただけだよ。」
「なんだぁ?」
わたしの狙いを王女に伝えたもので、
カーゼルが理解できないのは無理もない。
「それ良いわね。
やりましょう。
カーゼル! 紙とペン、
インクの一式を持ってきなさい。
早く。」
オルドラスよりも先に
意欲を漲らせるサンスァラ王女は、
部下でもないカーゼルに命じた。
オルドラスがなにも言わずに顎を突き出し
カーゼルを走らせる。
「え、良いの?」
「お前達のやりたいように
やらせてみようと思う。
責任は我が王オルデウスにでも
取らせよう。」
――妹はいまもドラスのお姫様なのね。
わたしはそれを決して口には出さず、
オルドラスの判断に首を縦に振った。
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