第10章 第4節 銀色の冠(第1項)
わたしの太腿をクッションにし、
熟睡しているムネモスの上にイオスが座ると
彼女はまた苦しみだした。
「もう…やめて…踊れません…。」
ムネモスはそんな唸り声を漏らす。
いつもの悪夢ではないことに
わたしは安堵する。
サンサがムネモスの額の髪を撫で、
眠る様子を見て笑っている。
「起きなさそうね。」
「カーゼル。天幕まで運んでやれ。
スァラの護衛に任せてもいい。」
カーゼルがその太い腕で、
ムネモスをコートに包んで天幕を出ていく。
イオスはカーゼルを避け、
わたしの胸に跳び込んできた。
それでわたしも椅子から立ち上がった。
「わたしもついて行くわ。」
「…サンサはここに残りなさい。
ドラスが話をしたいみたいよ。」
「そんなことはない。…いや。」
サンスァラ王女が深く頷くので、
わたしは天幕に残される。
「姫様から娼婦好きと
聞いてはいたけれど…、
冗談にも限度があるわよ。」
「ふふっ。
勘違いしてるわね。
娼婦好きな性格は否定しないわ。」
オルドラスはわたしを見て困惑し、
サンスァラ王女を睨みつけて口を開く。
「妹であっても不敬の罪に問うぞ。」
「ただでさえ硬貨偽造の重罪人なのに…。」
「それは『サンサ』がやったのよ。」
指示する王女が自らの罪を、
サンサを詐称したわたしに被せた。
「わたしが裁かれないのは、
まだ罰せられる時ではないからよ。」
共犯者にさせられたわたしは
諦めて溜め息を吐く。
「スァ…サラシュも
見た目はお前くらいの年頃で、
なにを考えているのかわからん。
まぁスァラも大概だが。」
王子という立場も忘れ、
不満を呟く姿を見せた。
「他人の考えなんて
誰にもわかるはずないもの。
あなたも知られたくない秘め事を
抱いているでしょ?
それで均衡が取れるわ。」
「息子のオランドルのように権威に忠実で、
欲に実直な子を望んでいるのかしら。」
わたしの意見にサンサは笑って喜び、
オルドラスは眉を顰めるので続けて言う。
「ヘッペの相手をさせられれば、
不信感を抱くのは当然かもしれないわ。」
ヘッペことヘッペリオは
ペタの次代領主を騙り、
夏近くまでカヴァに滞在していた。
「あぁ。あいつめ。
奸佞邪知で老人共を騙して、
取り入ろうとしおったのだから
サラシュが追い出したのだ。
長々と居座っておいて、
処々方々で我が国を侮辱してくれた。」
「アレを賓客扱いしなかったのは
サラシュの判断でしょう。
ひとを見る目があって
思慮深く、聡明な子なんでしょうね。」
サンスァラ王女から発せられる、
いつか言われた同じ言葉。
「当然だ。
あいつは我が国の宝だ。」
――『お姫様』、ね。
胸の内で呟くと同じ考えだったのか、
サンスァラ王女が笑いかけてきた。
「で、そんなサラシュと喧嘩したのよね。」
「あぁ、オランドルは
遠征に連れていくと言えば、
それを前に城を飛び出してな。」
「あのお城に居ても良いことはないわね。」
ネルタで捕虜になった兄と、
代用品にさせられた王女が言う。
――経験からくる言葉ね。
「どこで遊んでおるのやら。」
「案外近くに居るかもしれないわよ。」
「くははっ。お前ならやるだろうな。」
オルドラスは傷だらけの腕を組み、
胸を張って納得する。
「人聞きが悪いわね。」
「心配いらん。
ここには3人しかいない。」
「イオスも居るわよ。」
わたしの太腿で寝ようとしたイオスが、
名前に反応して弱々しく鳴いた。
「スァラ。
それでお前の弟のことだが…。」
オルドラスが、声を抑えて言い淀む。
「あぁ、彼もお城を飛び出したのよね。
話は聞いているわよ。本人から。」
「は? おれは聞いてないぞっ。」
知らなかった彼は声を放った。
「ドラスには息子のオランドルも居て、
王家の継承権も序列が低いのだから、
妾腹の彼は出ていって当然よね。
あなたへの信用と国への信頼は別よ。
生存していることが分かれば、
国の中には命を狙う者も居るわ。」
「弟って、ラッガではなくて?」
「ラッガは弟ではないわよ。
オランゼオルって長い名前で、
8歳も年下の道楽者。」
――道楽者…? 銅板の?
レナタの描いたメノーの絵を、
銅板で作った人物と同じ呼び方をされた弟。
サンスァラ王女は口角を上げる。
「わたしがカヴァを発つ前は、
『立派な指導者になる!』と言って
自慢の棒切れを振り回してたわね。
迷える仔羊みたいに。」
「褒めてるのかな? それ。」
「元気にしているのか。」
「成年になっても指導者ではなく
迷える仔羊だもの。
揃って主体性に欠けるのが問題ね。」
「まさか、
娼館に入り浸ってはないだろうな。」
「あなたと同じ扱いでは
憐れみを覚えるわね。」
「生きていたのか。
いや、聞かなかったことに
するべきだな。」
外の足音を耳にして、
彼は言ってから深く息を吐いた。
カーゼルが天幕に戻ってくると、
オルドラスが眉間に皺を寄せる。
「クロノの妹は、
天幕まで届けましたよ。
外で書記官がまた騒いどりました。」
「ところであなた達はクロノを連れ回して、
エルテル領と戦う兵士にでも
育てるつもりかしら?」
「お前に話す理由はない。」
わたしの質問はカーゼルに一蹴された。
「サンサはエリク卿から、
ムネモスのことを任されてるのよ。」
彼女の言うサンサとは王女自身のことで、
隣で名前を騙るわたしではない。
「…信頼されてるのだな。」
オルドラスが頷いて言うけれど、
わたしは首を横にはできない。
「ドラスがクロノをどうするつもりなのか
気にして当然よね。」
サンスァラ王女にそこまで言われ、
オルドラスは口を開く気になった。
オルドラス娘に甘いだけでなく
腹違いの妹にも甘い。
「正直に言えば、扱い倦ねている。
カーゼルはどう見ている。」
「オランドルも気に入ってますからね。
無口な性格に気が合うのか、
あの書記官もなにも言いやしません。
陛下にとって重荷でしたら、
元老院に扱いを委ねてもいいでしょう。」
「養子に迎えるのはどうか。」
「なんと。」
オルドラスのそんな意見に、
カーゼルは小さく驚く。
「サンサ、あなたの意見は?」
サンスァラ王女がわたしに発言を促す。
彼女の言動は王女であっても変わらず、
いまさら驚いて慌てる必要もない。
「まず王女はこの二人の意見が、
揃って最悪だと忌憚なく伝えるべきね。」
結果を分かっている王女が、
首を捻って疑問を抱く振りをする。
「…述べよ。」
カヴァ王家について、
わたしが知っていることは
かれらよりも少ない。
「王位の継承権は序列が決まってるわね。
オルドラス卿は王座に一番近く、
オランドル王子はまだ遠いのよね。
捕虜のクロノには権利もない。
彼を養子にしたところで、
権利は与えられはしないわ。
元老院の意見を覆さない限りはね。」
「不敬だぞっ。」
カーゼルが声を放ったけれど、
わたしは気にせず事実を並べる。
「ところで、
サラシュ王女自身に
権利は無いのかしら?」
わたしのこの疑問に、
誰も肯定も否定もしない。
オルドラスは口を閉ざし、
カーゼルは言葉を失い、
サンスァラ王女も笑わない。
――男は昼、女は夜ね。
傀儡国家の王女に継承権は無いに等しい。
「オランドル王子の下に
クロノがつけば継承権は無くても、
臣下は良い顔をしないでしょうね。」
「臣下の顔を立ててやる道理はない。」
隣でサンスァラ王女が頷いて、
心にも無い同調をしてオルドラスを煽る。
「…でしたらクロノの考えは?」
「クロノがそれを望むのであればどうだ?」
オルドラスはわたしの質問を質問で返す。
わたしは間を置かずに、
首を横に振ってから告げる。
「…それも良くないわね。」
「理由を申せっ。」
オルドラスはテーブルに拳を乗せる。
「エリク卿がクロノをカヴァに託したのは、
エルテルとカヴァの均衡が目的だもの。」
オルドラスはもう片方の拳もテーブルに乗せ
両手を組んだ。
「カヴァが他所の連中に、
なにを諂う必要がある。」
「陛下は支配者にでもなるつもりかしら。」
「おれは王座を継ぐ男だ。
ならぬ道理もあるまい。」
「政治もわからぬ小娘がっ!」
カーゼルも腕を組み、
胸を張って吐き捨てる。
――まるで暗愚の言葉ね。
戦争に明け暮れた彼らの
凝り固まった考えでは、
小娘の言葉に耳を傾けるはずはなかった。
わたしは別の方向から言葉を選び、
勉強会で本を諳誦する時のように言った。
「…ある国のお姫様が
他国の英雄と恋に落ち、
祖国を捨てて駆け落ちしました。」
二人の男は顔を顰めて見合わせる。
「お姫様を失った王は悲しみ憤り、
英雄の国を攻めましたが、
王の国は戦いに負けて
滅んでしまいました。
…こんな話を知ってるかしら?」
「知らんな。」
「『アラズ興亡詩』ね。」
サンスァラ王女は引用元に気付いて、
わたしも口元を緩めて首を縦に振った。
「大陸の物語の一節。
歴史にある可能性の話をしたのよ。
養子になったクロノは、
スァラ王女と恋仲になるかもしれ――。」
「それは困る。大いに困るぞ。」
オルドラスの険しい表情が
動揺を見せて崩れる。
「クロノが政略の道具になれば、
育った牙と研がれた爪が
ドラスの首に刺さるわね。」
王女が脅すように言って兄を捓った。
「ならば飼い殺せとでも言うのか。」
「元老院からすれば事理明白ね。
カヴァの兵士の中にも、
エルテルを疫病の原因と見る者も
多いはずよ。
望まれないクロノを
受け入れることは難しい。
犬には首輪を
というのはエルテルの考えね。」
わたしは自分が放った意見に頷けずに
首を捻る。
オルドラスは額に組んだ手を当て
悩んでみせた。
「クロノの得意なものを
二人はなにか知ってる?
ムネモスは計算が得意で賢く、
将来は銀行で働くかもしれないわ。」
「銀行はどうかしら。」
サンスァラ王女が疑義を呈する。
「あいつの得意なもの?」
オルドラスがカーゼルの顔を見る。
「兵士の胸甲をよく見てますよ。あいつ。」
「そんなもの珍しがるのか。」
「カヴァが作った銅の浮き彫り細工も
ムネモスが気に入ってるわ。」
市場で買ったレリーフを
ムネモスは隠していたけれど、
最近は棚に飾ってそれを眺めていた。
「エルテルの織物は見慣れていても、
カヴァの細工は珍しいのでしょうね。」
「戦場ではいつ死ぬかわからんのだから、
身綺麗にするのは当然だ。
カーゼルも見ただろう?
スァラの護衛の
あの男の酷い髭を。」
オルドラスは冷笑する。
「あれが分水街の流行なんでしょうかね。
真似したくはねえですが。」
「そんなはずないわよ。」
サンスァラ王女が言う。
本人不在の天幕でハーフガンは罵られる。
「ムネモスの将来は
わたしではなくて彼女が決めるのよ。
わたしが彼女にすること…
してあげられることなんて、
大人になった時に選べる自由と
責任を与えるくらいよね。
あの子の人生は
あの子のものだから――。」
わたしは言って、あることに気付いた。
「わかったわ…。
これが普通なのね。」
サンスァラ王女が
わたしの顔を覗き見て口角を上げた。
「あなたらしい考えね。
戦争がなければ
身分や階級に関係なく、
個人や集団の能力が
評価される時代になるわ。
それがドラスの望んだ明日でしょう。」
オルドラスは椅子に寄り掛かり息を吐く。
「サンサと名乗ったな。」
オルドラスは言って頷く。
「姿見を送ってきた
分水街の娼婦とはお前のことか。」
カヴァにガラス鏡を送ったのは王女だった。
「…スァラの右の手よ。
お前の意見は参考にさせてもらう。」
「右の手って呼ばれるの嫌ね…それ。」
わたしは右の手を自称も自認もしていない。
嫌がるわたしを見ると
サンスァラ王女は微笑を浮かべる。
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