第10章 第3節 燐光の蝶(第4項)
カヴァの野営地に来た昼時に比べ、
夜になると哨兵の数が増えている。
西門を開放した分水街からの、
夜襲を警戒して篝火も多く灯る。
守るだけの分水街が、
宴のあいだにカヴァの軍を攻めるのも
一つの戦術になる。
宴を装い分水街から相手を誘い、
兵力を削るカヴァの作戦とも考えられる。
昼に西門の動きを見てきた限りでは、
総督のマルフは責任を持っていながらも、
ただの保険調査員に口出しされていた。
20年間戦争を行ってきたカヴァと、
防壁を築き守りを堅めてきた分水街で、
戦争に対する認識の違いが顕著に現れる。
サンスァラ王女の兄、
オルドラスに呼び出されて、
わたし達は天幕へ入れられた。
厳しい顔の男、カーゼルが彼の隣に立つ。
カーゼルはわたしを睨む。
「カーゼルは軍司令官として働く
おれの右の手だから安心しろ。
信頼できるやつらも
外に待機させている。」
――この場で信頼されていないのは
わたしになるわね。
「知っているわよ。
ドラスが捕虜だった時に
分水街で会っているもの。
でもカーゼルは、
わたしのことなんて忘れていたわよね。」
眉の端に傷を持つカーゼルが、
その眉を下げて頭を下げる。
それはあくまでオルドラスに対しての謝罪。
「陛下、その――。」
「お前が覚えてないのも無理はない。」
踊りで疲れ切ったムネモスは、
傾けた頭をわたしの肩に預けると
静かに寝息を立て始めた。
ここに来る前に別の天幕で汗を拭い、
肌着を替えた時から眠気と戦っていた。
わたしは彼女を起こさずに、
頭と肩を左腕で抱いて太腿に乗せ、
身体を冷やさないようにコートを掛けた。
――今夜も悪夢を見てしまうのかしら。
「スァラは右腕以外
あの時から変わってないのだからな。
女という生き物は奇妙なものだ。」
「再会する日が来ようとは、
思ってもおりませんでした。」
「構わないわよ。
理外の理に驚くのも当然よね。
これまでドラスの右の手として、
逃げ出さずに仕えてくれたことを
わたしから感謝するわ。」
サンスァラ王女が深く頭を下げたのを見て、
誘引されてカーゼルはまた頭を下げた。
「それで、そっちの娘は?」
「言ったでしょう。
わたしの部屋で手伝い役をしてる
フランジよ。」
王女はわたしの名前を言わず、
出自も明かさない。
「スァラの?
では代わりの右の手というわけか。」
わたしは目で否定の考えを示しても、
サンスァラ王女はこちらを見ない。
『あなたはわたしの右の手ではないのよ。』
彼女はマルフとの札遊びの際に、
わたしにそう告げて否定した。
訝しむオルドラスが、
ケープの頭巾と宝飾巾に隠れた
わたしの顔を睨みつける。
「赤髪か。ネルタの人間か?」
「この年頃の赤髪は、
どうしてもビンスが連れ去った
あの娘達を思い出しますな。」
カーゼルもわたしを見て、
オルドラスに向けて小声で言う。
「あぁ、ケイロウの娘を死なせていたな。
あれは妊娠していたし、
もっと病的で見るに堪えないほど
貧弱だった。」
「ヒュルゲン・ハス・ビンスという男には、
会ったことがないわね。」
サンスァラ王女が訊ねると、
オルドラスも頭を痛めて溜め息を吐く。
「東部の貴族化商人で横柄な男だ。
…戦場になど出ずに、
軍への出資だけならば
良かったんだがな。」
「口喧しい肥満男でしたな。」
「身代金目当てに戦利品を略奪した。
それで娼婦に殺されるなど、
最期まで迷惑な男だ。」
オルドラスの言葉にカーゼルが笑う。
――貴族病ではなかったの?
以前、館に押しかけた男は言っていた。
「ドラスはその娘が生きていたら、
なにをさせるつもりだったのかしら?」
サンスァラ王女の突然の問いに
オルドラスの目つきは鋭くなり、
口の端を上げて笑う。
「利用して、飼い殺す。」
彼の意見にカーゼルも黙り、頷いた。
「ふふっ、畏ろしいわね。」
王女は言って喜び、わたしの反応を窺う。
「お前もそのくらい弁えているだろう。
カヴァの王家には立場がある。」
オルドラスは銀杯の酒を呷る。
「ネルタ王族の生き残りが、
カヴァの庇護を受けて
生き長らえているなど考えてみよ。
臣下や民衆が快く思わぬだろう。
女であっても鍍金の王の胤子だ。
ネルタの遺民、難民連中が
煽動に利用しない理由はなかろう。
思想に染まった大人連中が
小娘に縋るんだぞ。
気分が悪い。」
オルドラスは想像し、唾棄した。
「ドラスにしては辛辣ねぇ。」
「おかしな話ではない。
小娘に背負わせるには荷が勝つんだ。
だからおれが縛り付けて、
おれが死ぬまでおれを恨ませる。」
「あの父に似てないのが、
ドラスの良いところね。」
「人聞きが悪いことを言うな。」
二人だけの冗談を
隣で聞くカーゼルは笑えずにいる。
ネルタで捕虜になったオルドラスに、
カヴァは彼の妹のサンスァラ王女を
政略の道具として使い、代用品にした。
間もなく革命が起きたネルタでは、
サンスァラ王女が行方不明になり、
カヴァには彼女の右腕だけが帰ってきた。
それから20年も戦争に明け暮れていた。
彼の顔には傷以外にも深い皺が刻まれ、
銀色の髪には白髪が交ざって、
過ぎた年月を感じさせる。
わたしは感情を抑え、口を開いた。
「ケイロウの娘、長女のラミーは
ヒュルゲンの館の牢檻で病死。
次女のニクスも死にました。」
「ようやく喋ったな。
だが見せもせぬ舌を信じろというのか?」
オルドラスがその鋭い目をわたしに向ける。
宝飾巾の下で、
唇が震えるのが分かって軽く噛んだ。
「この街の南にある、
火葬場の記録を調べればいいわ。
わたしの言葉よりも街の記録の方が、
いくらか信じられるわね。」
「名乗らぬ小娘の言葉など、
信じるはずなかろう。」
杯の底でテーブルを小突くオルドラスは、
わたしが想定した通りの苦情を述べた。
「いつまで経っても
姫様が紹介してくれないもの。
わたしの名前はナルシャのサンサ。
この子はイオスよ。」
隣に座るイオスは紹介されると、
テーブルに前足を乗せて返事をした。
ムネモスが後ろ足で踏まれている。
わたしは春に死んだ赤髪の孤児、
ウラの死を利用し、サンサ本人の前で
サンサを騙った。
「ご要望通り名乗っても
まだ信用に足りないのかしら。
これはきっとこの名前のせいで、
日頃のやらかしが原因なのね。
わたしの好きな本と食べ物を挙げたら
信用して貰えるかしら?」
「言わなくてもいいわよ、サンサ。」
わたしの提案に、
サンスァラ王女は笑いを堪えて震えている。
「なぜお前がそれを知っている。」
「娘達の死は、
わたしの遣いが確認を済ませているわ。
東部3領でも高名な
『森の賢女』の言葉を疑うのなら、
まずはわたしを疑うべきね。」
――森の賢女って…。
サンサを名乗ったせいで、
王女がオーブで民衆から付けられた敬称を
わたしに押し付けてきた。
身分証を持たないわたしは、
なにも証明できない。
軍を率いるオルドラスもこの街に入れず、
火葬場の記録を調べることはできない。
――わたしの顔を覚えていなければ…。
信用は行動で示すしかない。
わたしはケープの頭巾を取り、
宝飾巾を首元に下げて彼らに顔を見せた。
汗で額に貼り付いた前髪を整える。
「…ふん。どうだ?」
オルドラスがカーゼルに意見を求めた。
「ネルタで見た娘は全員痩せ細って、
似たような顔ばかりでしたからな。
去年に一度見ただけの小娘なんて…。
だが気丈で豪胆な性格は、
サンスァラ嬢に似ておいでだ。」
「お前が認識してるスァラが、
おれと一緒であることを願うよ。」
「わたしの顔も
覚えていなかったカーゼルよ?
それ、詳しく聞きたいわね。」
サンスァラ王女が二人の会話に参加すると、
カーゼルが口を開いたまま首を横に振った。
――サンスァラ王女に似てるだなんて、
これを侮辱と受け取って
怒って見せるべきかしら…。
感情を沸かせて怒る機会を窺っていると、
オルドラスが銀杯をわたしに差し出す。
「ドラス、その子は飲まないわよ。」
「酒は入ってはいない。
これはただの和睦の証だ。」
「男臭いわねぇ。」
サンスァラ王女は笑う。
わたしは銀杯を左手にし、
彼の動作を真似て掲げる。
偽名による仮初めであっても、
彼から許しを得たわたしは
これ以上の追求をされずに済んだ。
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