第10章 第3節 燐光の蝶(第1項)
カヴァの天幕に運び込まれる板の塊。
二つに折られた板が開かれ、
曲げられた4つの棒が伸びる。
蝶番で折れ曲がる箇所には、
鉄の棒を挿して形を固定していく。
板の塊はテーブルへと変形した。
わたしが座る椅子も同じく、
折り重ねた板から組み立てられる。
夜の館の日陰の庭に
天蓋を取り付ける際に使う脚立も、
同じように折り重ねることができる。
カヴァの製造技術は、
機能美に満ちて目を見張るものがある。
テーブルを挟み、
オルドラスの向かいに異母妹のサンサ、
サンスァラ王女が座る。
王女の隣にはムネモスを、
わたしは離れて端に座った。
オルドラスの側には、
軍司令官のカーゼルと書記官が並ぶ。
イオスはわたしの太腿の上に座ると、
テーブルに前足を乗せて立ち上がり、
食事を待つ構えを取る。
残念ながら食事は提供されない。
そんなイオスの上腕骨を掬い上げ、
前足をわたしの太腿に降ろすと
文句の鳴き声が漏れ出た。
書記官は怪訝な顔を上下させて、
対面したわたしとイオスを交互に見る。
宝飾巾をした娼婦の格好のわたしと、
猫が目の前に座っているのだから、
書記官の不満は当然の権利だった。
「さて、スァラ。
お前はいままでなにをしていた?」
「娼館で娼婦の真似事をしていたわ。
母に似たのかしらね。
わたしの居る館では娼婦とは呼ばずに
ドレイプと呼ぶのよ。
おかげで総督とも仲良くなれたわよ。」
「分水街を操る女が、
まさかスァラとは。」
「あら、わたしに地位はないわよ。」
二人が揃って笑う。
「スァラ、それはお前の子か?」
「館で働くドレイプの、
手伝い役の子をフランジと呼ぶのよ。
『布の皺』と『飾り紐』は、
光を遮るカーテンの組み合わせね。
ドラスは子供がお望みかしら?」
「捓ってくれるな。
おれにも子は居る。」
「知ってるわ。」
――サラシュって名前だったかしら。
「ムネモス。
頭巾と宝飾巾を外して
顔を見せてあげなさい。
紹介が遅れたわね。
この子はエルテル先代領主、
エリクの娘のムネモスよ。
館で預かってるのよ。」
「おいっ! それを先に言えば、
お前に剣先を向けずに済んだぞ。」
「本当かしら。ね?」
サンスァラ王女が微笑する。
王女の言葉にカーゼルが頷きかけ、
首を横に振った。
「オランドル達を呼んでこい。」
「なにをしている!
さっさと行けっ!」
太い声のカーゼルが怒鳴ると、
近くに立ってイオスを見ていた若い哨兵が、
走って天幕を出ていく。
カーゼルの正面に座っていたムネモスが、
急な大声に怯えて萎縮する。
「スァラに縁のある娘ならば、
おれにとっては姪子も同然だ。」
「同然ではないわね。」と王女が言う。
「悪い扱いはせんよ。」
オルドラスは歯を見せて
不気味な笑みを浮かべたけれど、
ムネモスを怯えさせるだけだった。
そんな彼女の反応でも、
オルドラスは機嫌を損ねたり
怒りはせずに寛容さを見せる。
「おれの娘も近い年の頃だが
似た態度を取るぞ。」
「ここは軍事会議の場みたいだもの。
女のわたしでも萎縮するわね。」
「ふはっ。
議会の老人共を相手に意見するお前が、
物怖じしたことがあっただろうか。」
オルドラスは哄笑して、
その姿に周囲を驚かせる。
「敬意はあるわよ。」
「お前にも会わせたかったが、
娘とは今回の遠征で大喧嘩してな。
お前に似てしまった。」
「サラシュはあなたに似たのよ。」
――あのヘッペの相手をした子ね。
ペタの次代領主を騙る
放蕩息子のヘッペリオが、
カヴァを訪れた際に粗雑な扱いをした
王女の名がサラシュ。
カヴァの王家にしては
娘の名前に威厳や高貴さはなく、
響きの良い女性名だった。
「父上。」
天幕の入り口に、利発そうな若い男が立つ。
「ああ、入れ。」
「クロノッ!」
黙っていたムネモスが真先に声を放った。
銀髪の男の隣に立つ黒髪の少年は、
ムネモスの双子の弟、クロノだった。
彼は跳びついてきたムネモスを
受け止めて抱きしめる。
色濃い肌に黒い目は、
天幕の中でも爛々としている。
「元気そうだな。
俺が居なくて心細くなかったか?」
「クロノこそっ。
私が居なくて、寂しかったでしょう。」
急な再会に強がりを言うムネモスも、
言葉とは真逆に喜び、涙を零す。
小さな円環が、重なり合い
接点を作った。
「おいクロノっ! 弁えろ。」
オランドルが年下の彼を叱責した。
先代領主エリクの薨去によって、
故郷のエルテル領を追い出される形で
カヴァに入れられたクロノは、
半ば捕虜の身でもあった。
「オランドル。今は良い。
カーゼル、席を変わってそこに座れ。
お前にも関わりのある賓客だぞ。
クロノ。
お前達は外に出ていろ。
積もる話もあるだろう。
客用に天幕の用意させている。
後で呼ぶ。
勝手はするなよ。」
オルドラスはクロノに諫む。
オランドルの命令によって、
端に座っていた書記官が席を追い出され、
わたしの前にはカーゼルが座った。
カーゼル相手に威嚇するイオスを、
撫でて落ち着かせる。
カーゼルも猫を相手に腹を立て、
歯茎を剥き出しにして威嚇し返す。
彼の口臭にわたしは顔を顰めた。
オランドルは、サンスァラ王女を前にして
緊張しているのか、わたしを見てくる。
「おれの息子のオランドル。
こっちはおれの異母妹のサンスァラだ。」
「本当にサンスァラ叔母ですか? あの?」
オランドルは目を見開いて
親の顔を窺う。
「白金像より若く、美しく見えます。」
「女誑しの常套句ね。
口説き文句は、
ドラスに教わったのかしら。」
「おれまで悪く言うな。
こいつが娼婦団に入れ込んでるせいだ。」
「ほら、顔といいドラスに似てるのよ。」
王女は鼻で笑う。
「どういう意味だ。」
「お二人共、捓わないでください。
それより父上、
お食事はいかがなされますか?」
「今日を祝わずにいられるか。
宴を開くぞ。
お前達、娼婦団も誘ってやれ。」
その言葉を聞くと、
オランドルは強張った表情を柔らかくする。
天幕に来たばかりのオランドルは席を立ち、
会食の手配で天幕を去った。
「なんと悠長なっ…。」
息子のオランドルの代わりに書記官が。
席に戻ってすぐに苦言を呈する。
「今日ばかりは構わんさ。
300年も昔に祖先の作った街だ。
ネルタ征伐で守るばかりの分水街は、
こちらが攻めずとも逃げたりはせん。」
オルドラスが杯の底で軽くテーブルを叩く。
300年前の分水街の治水工事から、
カヴァの氏族の名前が登場した。
思想の衝突で大陸南方のクレワを去った
カヴァの氏族は、メーニェの民と合流して
ゼズ島の開拓事業を行った記録が存在する。
大陸ではいまも神の名を巡り、
北方のソーンと南方のクレワは
対立を続けている。
西のカヴァは建国当時から
王が政治を主導していたけれど、
エルテルや分水街の政治を模倣した結果、
元老院議会に立法権を掌握されてしまった。
議会が出来たのは先代カヴァ王の退位後で、
議会の操り人形になった王や王政に対し、
他領からは傀儡国家とまで揶揄されている。
「いまは妹との再会を祝う席だ。
お前も元老院への報告を怠るなよ。」
「はぁ…。」
書記官が溜め息のような返事をする。
彼はオルドラスから目を逸らし、
座っているわたしを凝視した。
「それともお前はこれを秘めて、
王位の簒奪でも企んでいるのでは
あるまいな。」
「じょっ冗談が過ぎますぞっ!」
書記官が叫ぶ。
オルドラスの意地の悪い言い方を、
サンスァラ王女が笑って聞いていた。
この書記官やカーゼルなどからすれば、
王女を称する身元の怪しい娼婦になる。
わたしは頭巾と宝飾巾をしたまま、
彼らの表情をずっと追って見ていた。
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