マルフはサンサからの
脅迫めいた説得に屈し、
兵士達に門の開放を命じた。
元老院議会の命令で閉ざされた西門も、
現場を指揮する総督の判断で
短時間の開放を強行した。
「ペタの次代領主の意見など、
わしの知ったことではないわっ。
お前はメルセ領の飼い犬か。」
マルフが薄白い肌の男を罵倒する。

「元老院から直々に派遣された私に対して、
なんという口の利き方だっ。
無産街の紐無しめっ。」
驕った男もマルフを罵倒する。
男同士の品のない口喧嘩のせいで、
兵士達がこちらを見て足を止める。
わたしは抱えているイオスを
ムネモスに預けて左手を振り、
黙って兵士達に作業を促す。
左腕に抱きつくムネモスが
睨む兵士達を怖がっていたけれど、
この無意味な罵り合いは
予想通り長くは続かない。
「ならば下っ端の調査員如きが、
総督の決定に吠えるな。」
「捕虜王子に尻を差し出すつもりかっ。」
「口寂しいのならば、
お前は主人に振った尻尾でも咬んで
黙っておれ。」
罵倒の応酬の末に、
保険調査員という男をマルフは追い払った。
敵前に立たされる兵士達が、
総督や調査員を相手にして
街娼のように諂う必要はない。
それでも上官から命令を受けた場合、
兵士は速やかに実行すべきであり、
上官からは叱責を受けていた。
興奮するマルフはわたし達を見て、
長く息を吐くと冷静になり、
眉間に深い皺を寄せた。
後のことを考えればマルフは責任を問われ、
元老院から与えられた総督の地位を
失う可能性は高い。
川の水量が増え始めた。
西門の影に隠れる川には水車があった。
歯車が接続された水車によって
巨大な門が軋み、垂直に持ち上げられる。
わたしの住んでいたネルタでは、
水車は見たことがなかった。
水車があれば水の流れる力を利用して、
石臼を回し、水碓で搗き続けられる。
重い石臼を手で回して
ブレズの粉を挽かなくても済む。
水車を有するこの街では、
粉挽きという仕事は存在しない。
エルテル領で作られたブレズの子実は、
街が一括して買うことで
パンの価格の高騰や下落を防いでいる。

総督は水量の調整を指揮し、
水車を動かす権能はマルフが持っている。
水碓を使って大量に製粉されたものが、
業者を通して夜の館にも入ってくる。
忙しく隊列を作る兵士を数え、
無意識に2進法で指を動かしてしまい、
肘から全身が激痛が打たれる。
防壁の見張台に立つ哨兵が声を放つと、
12の騎兵が門の外に出て、
50の兵士が剣を立てる。
兵士は外には出ずに警戒する。
起こり得る民衆からの暴動も
抑止しなければならない。
――マルフが内憂外患に胃を痛める理由は、
サンサにもあると思うわ。
サンサは兵士達の先導を拒み、
わたしはムネモスと並んで
彼女の後ろを歩いた。
「ニクスはドレイプと遜色ないわね。」
「これは悪目立ちっていうんだよ。」
サンサとムネモスは黒羊毛のコートで、
ケープも宝飾巾も全て黒色に揃えている。
わたしは白羊毛のコートを着て、
赤色のケープと宝飾巾は遠目でも目立つ。
右腕を隠す為に肩に結んだ黒地の飾り布と
白毛のイオスで対比が出来ている。
わたしのケープは留め具が壊れてしまい、
穴に金糸の帯紐を通して代用した。
胸元に垂れた帯紐が飾緒に見えるせいで、
マルフはドレイプと勘違いしていた。
一番目立つのは黒色のソックスだった。
これはスーが用意してくれたものだから、
履かないわけにもいかない。
この街にやってきた時に見た西門を通ると、
街と同じ鈍色の空が広がる。
ムネモスが怯える背後には、
兵士ではないひと達が居る。
徒歩の行商が数人と
老いた驢馬を引く老人が、
織物を背負ったまま後ろをついて歩く。
かれらは元は防壁の外に住んでいたひと達。
『愚者か、道化か。』
少なくともわたし達は、
かれらの指導者ではない。
後ろを歩くハーフガンは、
行商人達が近づかないように
牽制してくれている。
「ずっと見てきますね…。」
ムネモスが後ろを何度も振り向いて怯える。
彼らは前を見て歩いているに過ぎない。
「無力な民衆を恐れるのは
エリク卿の教えかしら。
前を歩いている騎馬の方が強いのよ?」
わたしは言ってムネモスに前を向かせた。
そんなわたしはすぐに息が上がってしまい、
ムネモスに支えられながら歩いた。
警鐘が激しく鳴り、騎兵が街に戻っていく。
振り向けば外側から見た防壁が、
分水街を覆い隠している。
山脈の麓にまで伸びた防壁の
北側は未完成で、無産街側から
通り抜けることもできた。
防壁も西門も、最初から無いものと言える。
カヴァはまだ、この欠点を突いて
兵を送り込むには至っていない。
マルフに門の開放を命じたサンサには、
民衆の憤懣を解消させる狙いがあった。
西に伸びる川沿いの街道を下ると、
野営するカヴァ軍の炊煙が見える。
門の開放に気付いて、
偵察の騎兵が近付いてきた。
西門はすでに閉ざされている。
騎兵の槍に垂らされた
鮮やかな赤地の繍旗には、
カヴァの国を示す蹄鉄の
銀糸で縫った図柄が光る。
他領の繍旗と異なり、
カヴァの図柄は白糸で縫わない。
騎兵の磨かれた銀色の胸甲が、
曇り空の下でも輝いていた。
「女ぁっ! 娼婦といえど
これ以上、軍への接近は許さんぞぉ!」
低く厚みのある声で威嚇する。
サンサは騎兵を見上げ、声を張った。
「本隊に戻って
あなた達のご主人様に伝えなさい。
『右腕の主』が会いに来た、とね。」
騎兵達は顔を見合わせると、
後方の2騎が拠点へと走り、
残った2騎がわたし達を
先導する形で前を歩いた。
「右腕の主…?」
ムネモスがわたしを見て疑問を復唱する。
――わたしはサンサの右の手ではないわよ。
ムネモスに首を振って否定する。
――父、ケイロウを殺したオルドラス。
――過去にネルタで捕まった王子、
オルドラスの身代わりになった
献身の王女が居た。
――20年も昔の出来事で、
産まれる前のムネモスは知らない。
――西門を開放した奇妙な娼婦を、
カヴァの軍を率いるオルドラスは
どう見るのかしら。
わたしの中で色々な考えが渦巻く。
――彼が短気で癇癪を起こす暗愚なら、
軍を待機させたままにはしないはず。
――西門が開放され娼婦を送り込まれても
分水街を攻めなければ
彼は臆病者と嘲られるわね。
騎兵に誘導されて街道を離れると、
兵士達が列を成してわたし達を包囲する。
護衛はハーフガンだけの頼りない手札。
背の何倍も長い槍、
銀装飾の鉄帽、馬が描かれた胸甲、
腰の左右に長剣と短剣を佩いている。
列の向こうには、
幾人かの女や子供の姿もあった。
質素な格好をした彼女達は、
軍に付き従う『娼婦団』だった。
前方を歩いていたサンサが振り向いて、
後ろ歩きのままハーフガンに呼び掛けた。
「あなたは剣を抜かずに黙っていなさい。
あなたは――。」
「子供を守るのが仕事だろう。」
「頼りにしているわ。」
ハーフガンは腕を組んで不満を顕わにし、
サンサは垂らした髪を左右に揺らした。
騎兵に代わって眉の端に傷のある大男が、
険しい顔でわたし達の前を歩いた。
胸甲も着けていない少年達は、
いくつもの穴を掘っている。
わたし達の向かう先は墓穴ではない。
野営地の奥まった高い場所に設置された
円柱状の建物を目指している。
木と布とロープで組み立てられた、
アイリアの離宮ほどの大きさがあった。
無産街で見かけた獣皮を重ねただけの、
背の低い簡易な住宅をテントと呼ぶ。
テントと同様に簡易な建物であっても、
ひとが立って歩けるだけの大きさの住宅を、
カヴァでは天幕と定義して呼称した。
馬の刺繍がされた天幕には、
矢傷の穴を補修した形跡がいくつもある。
サンサは腰のナイフを哨兵に預け、
飾り布を解いて義腕を外した。
「ムネモス。持ってあげて。」
わたしが言うと大男が前に立ち塞がる。
わたし達と護衛のハーフガンは、
天幕の外で待たされることを意味する。
「カーゼル。
そっちの二人も中に入れなさい。」
名乗ってもいないのに
名前を呼ばれた大男のカーゼル。

「娼婦のお前が命令できる立場か。」
銀色の瞳を見開いて、
剣の柄を握ってサンサを威嚇する。
ムネモスが悲鳴を漏らし、
イオスが嫌がる声で低く長く鳴く。
「軍の男がそんな怖い顔で
女子供を相手に威したって、
格好がつかないわよ。
これ、前にも言ったわね。」
カーゼルが眉間に深い皺を刻み、
鼻で笑ってから頷いた。
「ならばその細首なんぞ
いつでも斬られると思え。」
顎を軽く突き出してわたしを目で呼ぶ。
「豪胆なお姫様ね。」
ムネモスに向かって囁いたのに、
前に立つサンサは聞き逃さない。
「豪胆ってそれ、あなたのこと?」
「黙って入れ、傷物め。」
私語を続けるサンサに
カーゼルが彼女の髪を引っ張った。
サンサは驚いて悲鳴を漏らす。
「女の扱いが下手な男ね。」
「なんだとぉ!」
わたしがカーゼルを侮辱すると、
彼は顔を赤くして興奮する。
「理解できないようなら、
もう一つ言わせて貰うわね。
彼女相手に失礼が過ぎれば、
あなたの首が斬り落とされるわよ。
ケイロウみたいにね。」
「言わせておけば、このぉ!」
「なにを騒いでおるっ!
早くせんかっ。」
天幕から現れた 線の細い男。

「こいつらただの娼婦だ!」
感情を昂らせたカーゼルは男に怒鳴る。
「あんたが判断することではないっ。
偽者と判別した後で、
好きに拷問でもすれば良かろう。」
胸甲を着用していなければ
剣も佩いていないこの男は、
毅然とした態度でカーゼルを叱った。
「チッ! 偉そうに…。」
舌打ちをして不満を漏らすカーゼルは
なにも言い返せない。
隣で義腕を抱いたムネモスは、
拷問という脅し文句に怯えていた。
「さて、ドラスはどんな顔を
見せてくれるのかしらね。」
サンサを警戒したまま天幕の入り口が開き、
わたし達は中に入れられた。
◆
カヴァの兵士は大陸の奴隷に比べ
小柄に見える。
天幕の中の兵士は屈強な肉体を持ち、
痛々しい傷が露出していた。
灰色や銀色の瞳はわたし達に敵意と、
警戒の色を強めている。
ムネモスは怯え、そんな生娘の反応を
楽しむ若い兵士の目もあった。
わたしはハーフガンに慣れていたので、
エルテル領の騎士とカヴァの兵士を見比べた。
厳しい顔でも髪や髭は整えられている。
胸甲は丁寧に磨かれ手入れが行き届き、
独自の美的理念を持つ。
――ハーフガンも見倣うべきね。
「詐欺女、もっと近付け。
その首を斬り落とせるくらいに。」
天幕の奥に座る
暗い銀髪の男の低い声に、
わたしは目が離せなくなった。
――オルドラス。

ネルタと20年に及ぶ戦いを続け、
オルドラスは頬や額に傷を残している。
ネルタの王、
ケイロウの処刑から1年が経った。
――彼はわたしを知っている。
天幕を揺らす風でわたしの背中が震え、
右腕は激痛に打たれる。
わたしはオルドラスに
名前と出自を明かしていて、
顔が覚えられている可能性は高い。
「献身の王女を詐称する娼婦が、
いまになって出てくるとはな。
これはマルフの謀りか。」
「20年ぶりの再会なのに、
冗談を嗜むようになったのかしら
ドラスは。」
「娼婦がおれをその名で呼ぶな!」
空の銀杯を彼女の耳の横に投げつけて
剣を引き抜くと、その剣先を
サンサの首に向けて脅す。
「ふふっ。
あなたが知っての通り娼婦の娘だもの。
別れ際に貰った、
右手の指輪はもう無いから、
示せる証拠も限られるわね。」
彼女は失った右腕を見てから、
頭巾と宝飾巾を外す。
「オルデウスの娘、
カヴァ・ナルシャ・サンスァラが、
あの日の約束通り会いに来たわよ。」
「この剣を前にまだ虚言を弄すか!」
否定するオルドラスが叫ぶ。
サンスァラ王女を名乗る女の顔を見て、
驚きと恐怖に近いものを抱いていた。
「娼婦のように肌でも見せたら
信じて貰えるのかしら。」
ドレスの上着を捲り上げ、
浅ましく肌を見せている。
オルドラスの変化する表情を見て、
彼女の口元が微笑を浮かべているのは
背中越しでも想像がつく。
「まさか…。亡者か?」
「娼館通いで女を見る目は多少
養われたのでしょうけれど、
異母妹と亡者の区別も
つかなくなったのかしら?
ふふっ。
これも以前、同じことを言ったわね。」
オルドラスは剣を地面に突き立てた。
首元から首飾りを取り出すと紐を解いて、
金と銀で作られた指輪を震える手で摘む。

オルドラスはサンサの前に片膝を突き、
彼女が差し出した左手の環指に
その指輪を通す。
「わたしには過ぎた指輪ね。」
サンサの言葉はオルドラスに確信を与えた。
「もう会えないものと思っておった。」
「馬に蹴られて目覚めた時にも
同じことを言われたわ。」
部下の前でオルドラスは苦笑いを浮かべ、
憚らず涙を零した。
「あれは犬が吠えたからだぞ。
スァラ…。会いたかった。」
「知ってるわよ。…わたしもよ。」
オルドラスはサンサの手に接吻し、
額をつけて頭を下げると許しを乞う。
サンサは不確かな出自を示し、
理解できるのはこの場のオルドラスのみ。
カーゼルや彼の側近は困惑している。
20年前、捕虜になったカヴァの王子、
オルドラスの代わりに、腹違いの妹、
サンスァラ王女がネルタに送られた。
――『献身の王女』。
ネルタに入った彼女は行方を晦ませ、
右腕だけがカヴァに戻ってきた。
わたしの腕を引っ張るムネモスは、
状況を理解できずに疑問を浮かべていた。
わたしもオルドラスの前では発言できず、
イオスの額をまだ動かない指で撫でた。
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