箱型馬車の馭者台には
ハーフガンが護衛に立たされ、
不満を顕わにわたしを睨んでくる。

隣の馭者は、厩舎で働く若い男の従業員。

馬車に揺られて赤土の丘を下り、
サンサの言っていた西門を目指す。
ずっと部屋で過ごしていたせいか、
太腿の上のイオスが普段よりも重く感じる。
馬車に乗って座っているだけでも、
疲労からすぐに溜め息が漏れた。
口元を隠す宝飾巾が揺れて、唇に触れる。
宝飾巾のパイル生地の感覚は、
掃除の時などで身に着ける口布とは違って
すぐには慣れない。
白羊毛のコートの上に掛ける
頭巾付きのケープが、
両肩を押さえつけられている気もして重い。
ドレイプが外出時に顔を隠す宝飾巾と、
ケープは髪の色に合わせ、わたしは赤色、
ムネモスは黒色を着用する。
サンサの髪は鈍色に変わっても、
以前から着用していた黒色の
頭巾と宝飾巾をしている。

まだ見慣れない鈍色の髪のサンサに、
白色のケープは似合うとも思えなかった。
痛みの出るわたしの右腕は革で包み、
布紐で首に下げている。
肩から繋がっている右腕も、
首にまで負担が掛かって革も重たい。
右腕を革ごと黒色の飾り布で覆い隠し、
肩側で布の結び目を作った。
この飾り布はサンサの飾り布を借りていて、
布からはお菓子に包まれたように
甘い香りがする。
「飾り布のこの結び方は、
本当に流行しているの?」
サンサが疑問を口にすると、
わたしに結んでくれたムネモスが言った。
「これがいまの最先端らしいですよ。」
サンサも同じく、
飾り布の結び目を肩側にさせられている。
ムネモスがわたしの顔を見てくるけれど、
流行に疎いわたしは同意しない。
議長のエイワズが連れていた情婦や
暮相の館で働く娼婦達が、
飾り布をこのように肩側に結ぶ。
わたしが娼婦達から教わった結び方を、
ムネモスが誇張して伝えたに過ぎない。
疑惑を向けるサンサの視線に目を逸らし、
わたしは黙って車窓から流れる景色を見た。
収穫祭の時よりも
車内に入ってくる空気は冷たく、
木々は枯れて寂れて見えた。
運河を越え、日時計島を挟む川を下る。
東と西、無産街を隔てる分岐点から
馬車は西に進む。
道に敷かれた石は割れたままで
馬車を激しく揺らし、
人通りは疎らで店は少ない。
鮮やかに染色された布が
街道を彩って眩しかった西の街は、
曇り空のせいで酷く色褪せて見える。
――サンサが西門を目指す理由…。
広く、深く、見下ろして考える。
ムネモスはイオスの額を撫でながら、
わたしの腕に抱きついている。
ムネモスには小さな円環がある。
エルテル領でエリクの養女になった
サンサの円環と接点を持っていた為に、
分水街に連れてこられて、夜の館で
フランジとして庇護を受けるムネモス。
先代領主の娘でしかない小さな円環を、
カヴァという大きな円環に近付けると、
群衆と衝突してしまう。
馬車が速度を緩め、止まった。
大勢の馬車が西門に着けずに
街道に溜まり、行き詰まっていた。
罵声と嘶きが飛び交う。
「歩いて行くしかないわね。」
馬車を降りると街道では、
馭者達が車の旋回に苦労している。
「事故、でしょうか?
もう帰りますか?」
「帰らないわよ。」
帰りたがるムネモスにわたしは言う。
「防壁の向こうに
カヴァが軍を構えているのよ。
臆した元老院議会が警戒して、
困ったことに門を閉じたのよね。」

閉ざされた西門が原因で
隊商や行商人達が街から外に出られず、
道を塞いで座り込み、商売を始め、
絨毯を敷いて横臥する者も居た。
民衆の中には、暴動を警戒して
胸甲を着けた街の兵士を見かける。
胸甲は民衆が自弁するような
鉄製の華美なものではなく、
街が支給した褐色の革製品が多い。
以前、エルテルの騎士団が来た時の
祭りのように賑やかな騒動とは真逆だった。
民衆は焦燥し、苛立ちを顕わにし、
兵士達には緊張感があった。
わたし達が街道を歩くだけで、
行商人や兵士からも冷たい視線が集まる。
ドレイプが着ける頭巾と宝飾巾は、
冷たい風だけは防いでくれた。
ムネモスがわたしの左腕に抱きつき、
ハーフガンも剣の柄を握り締める。
飾り布にしがみつくイオスは
寒風を受けると目を細めた。
「か、帰りましょうよぉ。」
ムネモスがいまにも泣きそうな声を漏らす。
「いま帰ってしまうと、
せっかく来てくれた
あなたのお客さんが悲しむわよ。」
「私の? …どなたですか?」
まだフランジの彼女に
お客さんなど居るはずはなく、
法律がそれを許さない。
サンサは彼女の質問には答えない。
「こうなるって、いつから分かってたの?」
わたしはムネモスを引っ張りながら歩く。
「他人の考えなんて、
ましてや群集の行動なんて
誰にも分かるはずないわ。」
わたしから疑いの目を向けられても、
サンサは気にせず前を歩く。
巨大な防壁に、群衆に近付くにつれ、
ムネモスが周囲の視線に怯える。
「おいおい、娼婦のお出ましだ。」
「カヴァに売りに行くんだろう。」
「山間の田舎者共をさっさと追い出せ!」
「ガキばっかりじゃねえか。
ゴミ屋は法を守れ!」
腹立ち紛れに行商人達が、
わたし達に罵声を浴びせる。
飾り布の結び目を西側に合わせれば、
娼婦とドレイプの区別はつかない。
主に西側で働いている彼らは、
東側のドレイプを見ることはない。
広場でわたし達に言い掛かりをつけて、
銅板を高く売ろうとした店主の方が、
品があるように錯覚してしまう。
「頭巾や宝飾巾をしてたら、
街娼と同じ扱いなのね。」
「手札に余裕がないのよ。」
「余裕?」奇妙な言い回しに首を捻る。
「広く、深くよ。」
――考えなさい、ね。
わたしは首を縦に振る。
サンサはそれだけ言うと
一人で先に前を歩き、
門前に立つ兵士を相手に
防壁の見張台に指先を向けた。
それを見たムネモスが顔を上に向ける。
曇り空と巨大な防壁に圧倒された彼女は、
わたしの腕を掴んで後退りした。
――空の鳥はわたし達を
どう見ているのかしら。
鷹が獲物か番を探して、
上空を旋回している。

イオスがなにかを見つけてミャオと鳴いた。
周囲を見渡すと、
川向こうの無産街では
賭け事の札遊びで盛り上がり、
それが激化して喧嘩が始まっていた。
西門の開放を望んだ人々が集まり始める。

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