ヘンゼルとグレーテルの変(2025年、アニメ映画監督がヘンゼルとグレーテルにより謀反を起こされる)
私は映画監督、子供達に夢を与えるアニメ作品の映画監督。
今度の新作映画はヘンゼルとグレーテルにしよう。あの話を嫌いな子供なんて居ないのだから。お菓子の家には夢がつまっている。
とりあえずヘンゼルとグレーテルのあらすじとしては。
飢饉で飢え死にする時代。
ヘンゼルとグレーテルの兄妹は両親が自分達を森に捨てる話をしている。父親は反対するが母親におしきられる。悲しむグレーテルと安心するように言うヘンゼル。1回目はヘンゼルが夜光る石を目印代わりに転がしておいて帰りつけるが、2回目は石を用意できず、代わりにパンくずで代用し鳥や獣たちに食べられてしまう。
お腹をすかせる二人が神様に祈ると1話の白い鳥が現れ、お菓子の家を見つける。
お菓子の家は実はわるい魔女の住処で、2人は捕まってしまう。魔女は子供の肉が大好きなのだ。
目の悪い魔女はあばら骨から2人が痩せている事に気付き、太らせてから食べようと考える。
ヘンゼルを人質にグレーテルは仕事をさせられる。
ヘンゼルは魔女が来ると食事に出てきたあまりの骨を出してまだ痩せているふりをして生きながらえる。
それでもとうとう魔女が我慢できなくなり、ついに食べる事を決め、一緒に食べるためのパンをグレーテルに焼かせる。グレーテルは魔女を騙し、そのパン焼きかまを覗き込んだ魔女を窯に突き落とし焼き殺してしまう。魔女の宝を見つけた2人だけれど、帰り道に困っていると白い鳥が川の向こう岸に運んでくれ、見知った場所につき、無事帰ることが出来た。自分達捨てようとした母親もしんでいて親子3人幸せに暮らした。
というのがあらすじだ。
「これ無理なんじゃ?」私は悩む。
まず気になる所は、魔女を焼き殺す所だ。
例えわるい魔女とはいえこのご時世、目の悪い魔女を騙して焼き殺したりしたら、子供達のトラウマになるし保護者からも批判殺到だ。魔女とともに私が炎上する。
次に気になる所は白い鳥に助けられる所だ。
ご都合主義ではない。白い鳥は神様をあらわしているという事は誰でも分かるし神様が人に手を差し伸べる事は素晴らしい事と納得できる。”ただしキリスト教圏の人にとっては”仏教徒の多い国では伝わらないし、みんなキリスト教に鞍替えしてしまう。私の実家の寺は破産だよ!!!いっそアジア風に白い龍にでもするべきか、大きいと怖いので人化させて。
気になる所はまだまだある。
両親はなんで人買いに売るじゃなしに森に捨てたのだ。金ももえられないし、子供達も死ぬ。誰も得しない。 森に捨てたというのは当時から嘘で奉公にだした?女衒に売った?それなら魔女が2人をすぐに食べなかった事にも説明がつくか?
子供を捨てる事自体も現代では批判されかねないが、そこは元の話でも母は血はつながっていないという話もあるし、母親は魔女だったという話もある。
母が魔女ならそれは問題で、なぜ家で食べてしまわないのか、父親がいるから食べれないのなら、力関係はグレーテル<ヘンゼル<魔女<父となりしかも魔女は隙を突かれたらグレーテルにも勝てない。それでいいのか?そんなに敵が弱くて90分持たさられるのか?
魔女についてはまだまだある。
これは物語の根幹に関わる部分だが魔女がいなければ2人は飢え死にしていたという事だ。
魔女は口は悪いが実際には何も危害は加えていない。
食事や当時は高級品だったであろうお菓子まであたえている。魔女=女衒説が補強されてしまう。
どちらにしても子供達を楽しませる映画にする以上、悪い魔女を悪い魔女のままにしていいものなのか、魔女は魔女だから悪いとでもいうのだろうか。
助けてくれた魔女を殺すのか?
ヘンゼルとグレーテルの映画を作る上でのハードルはまだまだたくさんある。数え上げれはきりがない。私は考える。子供達を楽しませ皆を納得させる物語を。
某有名ギャグマンガの有名な無茶振り最終回のやつを思い出しました。




