ギルバ砦と初依頼
ギルバ砦の門をくぐった一行は、そのまま商人レストンの案内で、街の中心部にある彼の屋敷へと向かった。
「ここが私の屋敷だ。君たちには助けてもらったから、しばらくはここを宿代わりに泊まっていくとよい。隣には商業ギルドも併設している。」
レンガ造りの屋敷は豪奢ではないが堅実で、大きな荷車や交易品が運び込まれており、商人ギルドの規模の大きさを感じさせる。
応接間には先に入っていたパーティーがいた。先ほどあったグリムゾンブレイドの面々たちだ。
「改めて紹介しよう。この五人は『クリムゾンブレイド』。うちの商会の専属として、今回の採取依頼を受けてくれた熟練の冒険者パーティだ」
「俺たちは最果ての森にも慣れてるから、何かあれば遠慮なく言ってくれ」
リーダーのカイルは背の高い剣士で、鋭い目つきと鍛え上げられた体が印象的だった。
「この子たち、まだ若いわね。無茶はしないでね」
穏やかな笑みを浮かべるのはヒーラーのセリア。長い金髪を三つ編みにしており、どこか姉のような雰囲気を醸し出している。
「俺は料理担当でもある! 野営飯の腕はなかなかだぞ!」
そして豪快に笑ったのは、髭面で腕の太い斧使い、ブランドック。
「ギルバ砦にはよく来るから、私たちが案内してあげるわ」
偵察担当のネヴィアは小柄で猫のように軽やかな身のこなし。紅いマフラーを巻いている。
「私はあまり話すのが得意ではなくてな、不快にさせたらすまん。」
最後は弓使いのテリアン。落ち着いた雰囲気で、鋭い視線を持つ女性だ。
こうして、トウマ、ティレア、ライガー、ライターの一行は、グリムゾンブレイドの案内で冒険者ギルドへ。
一方アキラは、レストンの紹介で併設している商業ギルドへと足を運ぶことになった。
道中、カイルがふとトウマに言う。
「それにしても、お前……あの最果ての森を抜けて来たってのは本当なのか?」
「うん……僕と、仲間と一緒に……なんとか」
その言葉にブランドックが口笛を鳴らす。
「すげぇな、ガキのうちからあんなとこを踏破するなんて、並みの冒険者でも無理だぜ?」
「雷を出す狼と火を吐くトカゲって、どう考えても幻獣級よね」とネヴィアがライガーとライターをまじまじと見つめる。
「僕の大事な仲間たちなんだ。名前も……僕がつけたんだよ」
その言葉に、彼らの視線が少しだけ柔らかくなる。
そして到着した冒険者ギルド。重厚な石造りの建物に、多くの人影が出入りしている。
「さぁ、ここが砦の冒険者ギルドだ。まずは受付に登録しようぜ」とカイルが先導する。
こうして、砦での冒険者登録が始まる――。
その日は冒険者ギルドに登録する所で解散となり、レストンの屋敷に一行は戻った。
* * *
一方そのころアキラは、レストンに連れられ商業ギルドの受付を済ましていた。
受付自体は簡単だったが、既存の商会員の紹介が必須となったので、そこをレストンに任せた。
「おいおい…レストン商会長じきじきの推薦か…。珍しいな」
周りがザワザワとしているが、アキラには聞こえてなかった。
「はい、ではこちらが商会員を証明するプレートとなります。」
笑顔の受付嬢から金属製のプレートを預かる。
商業ギルドでは、特許の登録や、新規事業の融資、銀行業務、冒険者の斡旋等も行っているらしい。
「アキラさんはどういった商売をお考えで?」
レストンがアキラに尋ねる。
「屋台のような形で軽食と酒を提供しようと考えている。これでも料理人なんでね。旅をしながらどこでも開ける屋台のような物をイメージしている。」
「ほぅ…。もし良ければこの後にでも私にふるまってはくれませんか?」
レストンの屋敷に戻ったらアキラが料理を作る事になった。
* * *
夕暮れどき、砦の空が朱に染まるころ。
一行はレストンの屋敷へと戻っていた。
「今日は俺が夕食を用意しよう」
アキラがそう言うと、レストンは目を見張った。
「おや、よろしいのですか? こちらにも料理人はおりますが…… アキラさんには屋台で出す料理だけを作っていただこうかと思っておりましたが…。」
「問題ない。俺の得意分野だからな。ぜひ味わってほしい」
調理場へと案内されたアキラは、厨房にいた料理人たちに軽く挨拶をすると、手際よく素材の確認を始めた。彼が持参したアタッシュケースがテーブルの端に置かれ、必要に応じてそこから器具や調味料を取り出していく。
「うお……包丁の使い方が尋常じゃない……」
「え、手元が見えなかったぞ……」
屋敷の料理人たちは、その動きをただ見つめることしかできなかった。トマトの皮をまるで布のように剥ぎ、ボア肉をミンチにして丁寧に捏ね上げる。調味料の分量、火加減、焼き上がりのタイミング、すべてが“職人”だった。
「す、すげえ……ドンドン料理が出来上がっていく…。」
ふわりと立ち上る香ばしい香りに、厨房全体が沈黙する。
アキラが仕上げたのは、ふっくらとしたボア肉のハンバーグと、砦の市場で見つけた野菜を使ったスープ。そして特製のガーリックバターを塗った香ばしいパンだった。
厨房から皆が待つ食卓へ料理を運ぶ。
「さて……最後の仕上げだ」
アキラは静かにアタッシュケースに手を伸ばし、小さな魔法陣を指先で描く。
――ポンッ。
そこに現れたのは、深紅のボトル。ラベルには『ロマネ・コンティ 1990』と書かれていた。
「ま、雰囲気重視ってことでな。合わせてくれ」
そのボトルの精巧さに思わず息を飲む。グラスに注がれた液体は、深く、艶やかに輝いていた。グラスに注がれた瞬間に芳醇な香りが部屋全体に広がった。
レストンをはじめ、普段から食べなれているトウマ達も、息を飲みながらそれぞれの皿とグラスを手に取った。
「……いただきます」
ひと口。誰もが、表情を変えた。
「……これは……!」
レストンの目が大きく見開かれる。
「肉の旨味が、噛むほどに舌に広がる……パンとの相性も抜群だ……」
「スープも、体の奥から温まるような優しい味だ……」
「このワインとの組み合わせが……まるで王都の高級店だな……」
ティレアも、黙って一口ずつ味わっていたが、ふと口元を緩めた。
「アキラ……やるわね。こんなに、丁寧で、温かい料理……」
「……アキラさん、すごいよ!」トウマが目を輝かせて笑った。
「ふっ……喜んでくれたなら、それで十分さ」
そんなアキラの言葉に、誰もがまた、笑顔になり食を進めた。
* * *
冒険者ギルドでの登録を終えて翌日。初めての依頼に挑むことになった。
その朝、ギルドの掲示板を囲む冒険者たちの間を縫って、ティレアと僕は依頼書を受け取った。
「今回の依頼は、砦の西側。街道沿いで最近コボルドが目撃されてるらしいわ」
ティレアが指で紙をなぞる。
「コボルドって、あの小さくて、犬みたいな顔した魔物だよね?」
「そう。だけど注意して。ここらは最果ての森が近い分、魔物も強い傾向にある。コボルドでも侮れないのよ」
「そんなに違うんだ……?」
「ええ。同じ種でも個体差が大きいの。地域によって魔力の濃度や習性が違うから、最果ての森由来の魔物は凶暴で知恵も働くわ」
僕はゴクリと唾を飲み込む。
初めての依頼。緊張が高まるのを隠せなかった。
「ほらよ、出発前にはこれを食っとけ」
後ろからアキラが現れ、包みを差し出してきた。中には熱々のミニハンバーガーとスープ。
「おじちゃん……ありがとう!」
「冷めないうちに食え。飯は力だぞ」
僕が手を伸ばすと、ライガーもじっと見つめてくる。「ほら、君たちにも」僕はパンの端をちぎって渡すと、ライガーとライターは尻尾を振って頷いた。
「俺は砦の真ん中の広場で屋台でも開いてくる。気を付けてな」
そう言い残しアキラは去っていった。
* * *
砦の西門を出て、街道を歩く。両脇には密集した木々が生い茂り、霧がうっすらと地面に漂っている。
「天気が悪いな……」僕は呟く。
「霧が出ると視界が悪い。敵にも、こちらにも不利ね」
ティレアが慎重に周囲を見渡す。
「僕……ちゃんとやれるかな。ちょっと、怖い」
「その感覚は正しいわ。怖さを忘れた時が一番危険。でもね、あなたには仲間がいる。連携を忘れなければ大丈夫。それに…トウマはあの森で生き抜いてきたのだから、この辺のコボルドくらいだとまったく問題ないわね。」
ティレアの言葉に、少し心が軽くなる。
「うん、ありがとう。頑張るよ」
ライガーが鼻を鳴らし、ライターが小さく火を吹いた。きっと、僕の気合に応えてくれてる。
* * *
しばらく進んだその時、藪の中から低い唸り声が響いた。
「……来たわ。気を引き締めて」
「ライガー、前に出て威嚇して!」
僕が指示すると、雷光を帯びたライガーが一歩前に出て地面をかき鳴らした。稲妻が走り、空気が震える。
「ライター、左へ! 火で囲って!」ティレアが続ける。
「ピッ!」と鳴いたライターが跳び、火球を吐いて茂みを照らす。
霧の中から、4体のコボルドが姿を現す。牙をむき、棍棒を振りかぶって突っ込んでくる。
僕の目の前にリーダー格のような大柄な個体が突っ込んできた。
獣ではなく、人型の明確な殺意。目の前がスローモーションになるような錯覚。
だが、トウマは冷静だった。
「下がって!」ティレアの声と同時に、銀色の糸が放たれた。魔糸がコボルドの足に絡まり、勢いを殺す。
僕は右手に雷を集中させた。指先がピリピリする。そのまま叫ぶ。
「これでっ!」
雷撃が放たれ、目の前のコボルドに直撃する。煙とともに、相手はその場に崩れた。
残るコボルドは、ライガーの咆哮とライターの炎に包まれて後退する。
「トドメは任せたわよ、トウマ」
「任せて!」
* * *
数十分後、戦いを終えてギルドに戻ると、受付嬢が目を丸くして僕たちを出迎えた。
「えっ、もう帰ってきたんですか? 怪我は……? あの、コボルドは?」
「全部、やっつけたよ」
「ほ、本当に……?結構な数が居たかと思うのですが…。」彼女は報告書に目を落とし、信じられないといった表情を浮かべた。
「すごい……初依頼でこれって、将来が楽しみですね」
冒険者ギルドを出て広間に向かう途中、ティレアは柔らかく笑って僕の肩を叩く。
「あなた、堂々としていたわよ。初めてとは思えないくらい」
「えへへ……ありがと」
「よくやったな、トウマ!」アキラが屋台の裏から顔を出す。
「よし、今日は特別に“ダブルチーズボア肉バーガー”だ!」
「わーい!」僕とライターが声を揃えた。
ライガーは控えめに尻尾を一振りして、それでもどこか誇らしげだった。
――こうして、ギルバ砦での本格的な生活が、静かに、確かに幕を開けた。
***
翌朝、まだ太陽が屋敷の庭を柔らかく照らしはじめたばかりの時間帯。広々としたダイニングには、アキラが早起きして用意した朝食が並んでいた。
「おはよう、トウマ、ティレア。朝ご飯できてるぞ」
アキラの声に誘われてダイニングへ足を踏み入れたトウマの鼻を、香ばしい匂いがくすぐった。
晩御飯をふるまって以降、アキラは屋敷の厨房に自由に出入りできるようになり、料理人に色々と教えながらたまに料理を作っていた。
「わあ……いい匂い……!」
テーブルの上には、焼きたてのパン、ハーブで風味を付けたスクランブルエッグ、薄くスライスされた果物に、スープ。素朴ながらも丁寧に仕上げられた朝の献立は、まだ寝ぼけ気味の体にじんわりと染みるようだった。
「うま……これ、朝から贅沢すぎるって……」
トウマが頬を膨らませて呟くと、アキラは軽く笑って肩をすくめた。
「簡単なもんさ。昨日の残りをうまく使っただけだよ」
ティレアも静かにスプーンを口に運び、目を細めた。
「不思議な人ね……こんなにも、心まで温かくなる料理……」
「父さん……」
トウマがぼそりと漏らすように呟いた。ティレアがちらりと横目で彼を見た。
「何か、思い出した?」
「うん。昔、父さんも朝ごはんをたまに作ってくれてたなって思ってね。……今みんなでこうしてご飯を食べてると、その時の空気に、ちょっと似てるんだ」
「それは……大切な思い出ね」
二人の言葉を背に、アキラは静かにコーヒーを淹れはじめた。誰かに必要とされる感覚が、湯気の奥からふわりと胸を温めてくるのを感じながら。
そんな、優しい朝だった。