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銀河をかけて  作者: ウロボロス
第1章 始動
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第17話

 武装商船の側はファイによるしらみつぶしの捜索を経て、最後の道のりを見出していた。

「ファイからの通信です。偵察艦が013星系で目標の工場を見つけたかもしれません」

「でかした!して、その画像は?」

「こちらです」

 彼女のデバイスからブリッジのメインモニターにその画像が送信され、映し出される。


 それは、星に似ていた。恒星ではない、惑星だ。ほぼ球体で……大きなハッチがいくつもあるように見える。準惑星級の大きさ。全体的にHAIの船と似た雰囲気の、黒くて刺々しく、捻じれたような建造物が無数に見える。そして、その表面には……雲のようなものが見えていた。拡大して画像をよく見ると、それらは無数のドローンである。小さなドローンが、あの工場の各地をつないで部品や物資を運搬していた。表面にはトラックのように車輪を付けたコンテナが自走しており、ドローンよりも大型の輸送船のようなものが、塔から射出されて別の塔へと飛行し、ドッキングする。運河のように流れているのは、工場からでた廃液だ。それはカタパルトに乗せられて、別の星へと打ち出される。一方で、星系各地から船が集まってきて、塔に着陸する。さらにどこかから集められてきた小惑星が、工場の軌道上で粉砕され、吸引機のような見た目の穴へと落下していく。

 画像を引きで見ると、背景にこの星系の主星が見えた。だが、その輝きが少し暗く見える。無数の黒点が雲のようにそれを覆っている。アステロイドベルトだろうか?いいや、違う。それらは、HAIが作り出した宇宙太陽光発電機。恒星の軌道上を周回する、無動力の無数の太陽光発電パネル……ソーラーアレイと呼ばれるものだ。これらはHAIの作業船によってメンテナンスと維持が行われ、それらが生み出した電力は中継基地となる宇宙ステーションへと集約される。そこから、工場の主星側の面に建てられた巨大なアンテナへ向けて、ビームとなって送り出されていた。


 このすべては、HAIが作り出したものだった。人類の敵対者にして不俱戴天の仇。その彼らが持つ技術は、無人化に関しては到底人類が追いつけない次元へ到達している。第2のHAIを生み出さないため、あらゆる方法で対策されたAIの開発と使用に関する規制法。それは、人類の守護者であって、一方では人類のこの域へ達するまでの技術の進化を妨げてもいた。


「これは……この規模のものはさすがに初めてみましたね……。大学のアーカイブにもありませんでした」

 そういうイチカと、同意したようにうなずくマイヤー。この場で2人が知らないということは、つまり誰も知らないということだし、それは、帝国全体でも前例がない規模であることも示唆している。

 マリアは納得したようにうなずいた。

「なるほどな。かつてないHAIの大量発生の背景には、やはり前例のない事態が起こっていたということか」

「帝国内の工場惑星でも、こんなものはなかなか……」

「すべて材料にしたら、何隻くらい船が作れるのでしょうか」

 彼らが思い思いに感想を言っている中、

「それで、これはどうやって破壊するんですか?」

 と、通信士が言った。

 確かに。と皆が思った。あまりにも巨大で、どこから手を付ければいいのか、さっぱりわからない。弱点らしい弱点も見えず、内部への開口部になっている吸引機のような穴は、見たところ内部は破砕機になっているらしい。あれでは多少の砲撃ではびくともしないだろう。

「さて、どうしたものか……。生産工場を破壊するために魚雷はいくつか持ってきてあるが、それで破壊できるとは……」

 マリアはゆっくりと考えだしたが、ややあって、おもむろに口を開いた。

「ダメだな。どんな方法でも大概時間がかかる。マイヤー殿、マキナ・テクニカは爆弾や大砲を開発していないか?」

「ええ。ありますよ。それが何か?」

「あるだけ持ってきてくれ。すべて買い取らせてもらう」

「は?総計数千万クレジットは下りませんよ?」

「問題ない。避難民の護衛で稼いだクレジットがある」

「あまりいいお金の出どころではありませんね」

「マキナ・テクニカは慈善団体だったか?」

 と、マリアは嫌味な笑みを浮かべながら言った。これには、マイヤーも口を閉じざるを得なかった。

「金の出どころは問題じゃない。重要なのはその使い道だ。さあ、我々の生活を脅かしている、この恐るべき敵の基地を破壊しよう……。ただし、それが完了するまで、このことについては、このブリッジにいるもの以外には、完全に秘密にしなくてはならない」

 と、彼女は言った。

「完全にですか?」

「そうだ。いまから、秘密契約の書類を送信する。電子署名をして私に送り返してくれ」

「そこまでやるんだ?」と、ステファンが言った。

「そうとも。このことが外部に漏洩すれば、我々ユニオンの優位性が失われる。破壊後にどれだけの規模のものを破壊したのかを伝えればいい。絶対に、重統連には知られてはならないからな」

 と、彼女は言った。マイヤーは、じっと彼女のことをみてから書類に契約署名をした。




 マキナ・テクニカから送られてきた大量の武装は、オルテガ・トランスポートの商船の半分を使って輸送された。もう半分は、変わらず難民の輸送に使用されていたが、それでも十分だった。なぜならば、HAIはもはや彼らの妨害をあきらめて、決戦に挑もうとしていたからである。

ついに喉元まで突きつけられたナイフは、HAIに全力の対処を促したのだ。彼らの工場はますます多くの艦を建造し、各地に散らばって星系の守りや探索に赴いていたHAI艦隊は一斉に根拠地たるこの工場に集結を開始した。彼らは最大戦力による、1度の戦いで決着をつけることをもくろんでいた。すなわち、艦隊決戦である。


「隣接している016星系にHAI 艦隊が集結しつつあります。工場と、私たちの現在地。そのどちらとも隣接する位置ですから、ここから動けば、背中を取られるし、先手を打とうとすれば、工場側から背中を取られかねません。少し引いた方がいいかもしれませんよ」

「いいや、ここで引くことはできない。奴らに防衛のための余裕はつくらせん。我々もファイの船を集めて、016星系を逆に包囲してやれ。それができるだけの数はあるだろう?」

「まあ、イレブンさんがとんでもない数のHAIを破壊してくれましたからね。あ、イレブンさんは出ますか?」

「俺はいい」と、彼は言った。

「そうだ。彼まで動いたら、私たちの守りはどうなるんだ。目の前にあるのはHAIの工場だぞ」

 イチカはえぇ、と声をもらした。

「じゃあ、戦えるのはファイだけですか?」

「そうだ」

「勝てますかね……」

「勝てると思うか?」と、マリアがイレブンに向かっていった。

「そもそも現段階で戦いにはならん」と、彼がいった。


 かくして、包囲が実行された。ファイは周囲の星系ごと包囲をしき、後から集まってくる艦を破壊し始める。すると、HAI艦隊はそれを救出するために何とかして包囲を破ろうとしたが、薄い包囲陣に見えても、足の速いコルベットでできているそれは、容易く陣を緩めたり、逆に締め付けたりして、結局、艦隊が包囲から逃れることを許さなかった。

 彼ら──性別不明だが確かに意思を持っている無機物のことを、『それ』と呼ぶのは難しい。だが、彼とも彼女とも呼び難い。ならば、Them(彼ら)と言わざるを得ないだろう──が逃げようとする方角が、ほぼ一方向限られていたのも作用している。工場に隣接する星系を社長たちがいる星系とは逆方向に回るようにしか移動しなかった。


「なんででしょう?彼らは私たちを倒すために集まっていたんですよね。むしろ、いま、この時に攻撃するしかないのでは?」

「それだけ俺を脅威に感じているのだろう。より圧倒的な戦力が整うまでは攻撃したくないんだ。俺か、包囲している艦隊か。そのどちらか一方としか戦いたくないのに、俺達がいる星系に来てしまうと、そのどちらとも戦うことになる。それに、工場からはなれてしまうと、今度はそっちが無防備になる。あいつらはもう、どこへ行くこともできない。直に工場に集結して決戦の時を待つことになるだろう」


 その通りになった。彼らは外から集まろうとした艦の救助をあきらめた。すると、外側から合流しようとやってくる船は、包囲されていることを知らなかったため、網にかかった獲物のように、いともたやすくファイによって破壊され、吸収された。

 こうして89区域全体に蔓延していたHAI艦隊は一掃された。つまり、問題そのものはほとんど解決したとみなすことができる。


 ところが、問題はそれだけでは終わらない。彼女の言った通り、最大の成果をあげたと主張するには、その根拠地を単独で破壊することが重要なのだ。

 そしていま、その最後の役者が舞台に上がる。


「社長。重統連の艦隊を捕捉しました。ほぼまっすぐこちらに接近してきています」

「ふむ。やはりそうか」

「どうするんだい?さすがにあの工場を破壊できるとは思えないけれど、発見されたらすぐに大艦隊が送り込まれてくるよ」

「策はある。イレブンを呼んでくれ。それと経営陣以外のクルーは、外へ」


 5分後。マリア、イチカ、ステファン、マイヤーの4人だけが残されたそこへ、彼がやってきた。


「何だ」

「仕事の依頼だ。イレブン」

「どうすればいい?」

「重統連の艦隊を……君の手で始末してくれ」

 彼女は微笑みを浮かべながら言った。


「ちょっと待ってください!」

 と言ったのは、マイヤーの声であった。

「帝国法において、私的な非正規軍事交戦は違法行為とされているのをご存知ではありませんか?にもかかわらず、商売敵であるからと言って勝手な攻撃を行うというのはいけません!」

「ほほう。もちろん存じているよ。マイヤー()

と、彼女はゆっくりと言った。

「安心してほしい。私は法律について詳しいからね。この場合、私がそういう指示をしたという事。私の指示でイレブンが暗殺任務を請け負ったということ。襲撃者の正体が彼であることがわからなければ、それは違法にあたらないんだ」

「すべて隠しきることができるとでも?」

「もちろん」と、彼女はわずかに歯を覗かせて笑った。

「ここをどこだと思っている?いやしくも、銀河帝国の外縁領。難民が10万人もでているのに、帝国軍が1艦隊だってやってこない、宇宙の孤立した領域だ!どのステーションからも何十光年以上も離れている彼らに、声1つあげさせずに始末することが、そんなに難しいことか?」

「量子もつれ通信があれば、直ちに向こうに伝わります」

「調べはついている。そんなものはない。彼らは単なる傭兵崩れの海賊団にして、元第3軍の兵士だ」

 彼女はそういって、プロジェクターに情報を映し出させた。迫ってきている重統連の船の見た目と、全く別の日時に撮影された傭兵団……もとい、海賊団の船の見た目、そのマークが完全に一致することが示されている。そして、そこに描かれた部隊章が、第3軍の機甲部隊の部隊章1覧にある第98機甲大隊のものであることがしめされた。

「ご存じの通り、第3軍の敗因の大きなところは、量子もつれ通信技術の遅れだ。そのために、ジャストインタイムの補給が不可能だったため、無駄になりそうな物資も何もかも、すべて詰め込んで持ち運ぶ必要があった。いわゆるパッケージ理論だな。

こいつらもそうだ。編隊の数に比べて、外部から見て取れるほどに補給物資のためのコンテナが大きい。いまだに古い理論にしがみついていることが見てとれる」

 マイヤーは、なおも文句を言おうとしていたが、反撃する要素が無くなってしまったことに気が付いて、口をつぐんだ。

「さ、もういいな?行ってくれ、イレブン」

「ああ」

 そして、彼は外へ出ていこうとした。

「待て!」

 と、マイヤーが叫んだ。しかし、イレブンが振り返ろうとしなかったため、慌てて走り出し、ブリッジの扉を出る直前、そのまえに割り込み、立ちはだかった。

「待つんだ!戦うんじゃない!」

「俺の雇い主はPRE companyであって、ユニオンでもなければ、マキナ・テクニカでもない」

「行くんじゃない!後悔するぞ!」

「どうして、そんなに引き留める?」

「それは、私からも聞かせてもらいたいな」

 と、マリアが言った。イチカも怪訝な顔で彼らのやりとりを見ており、ステファンは、少し楽しそうに薄笑いを浮かべていた。その表情は、社長の表情とリンクしていた。

「何の不都合があるっていうんだ。マイヤー()。彼は私たちのために、敵を倒しに行ってくれるんだ。完全に秘密のまま、抹殺してくれるんだよ」

「ふざけるな……!こんな違法行為が、何度も続くと思うな!」

「おやおやおや、企業忠誠義務及び機密統制法違反、特別背任罪容疑者グレン・マイヤー君!私に違法行為を説教してくれるのかね?」


………………。


 彼女の1言はすべての物体から熱を奪って、何もかもを氷漬けにしてしまった。1つの音も発されなかった。

 だが、その中で最も冷えていた男……すべての血を宇宙に捨ててしまったかのように青ざめているマイヤーが、何とか唇を動かした。

「…………」

 言葉にならなかった。何か、言おうとしていたが、肺が動いてはいなかった。


ただ、凍えて黙るということは、何か、図星なことがあったということを、雄弁に語っていた。

「そもそもおかしいだろう。どうやって彼らがまだ発見していないHAIの工場を見つけられるんだ。ここに一直線に向かってくるなんて異常だよ。HAIがどこへワープしたかなんて、どうやったって探れないんだから。私たちも何度も彼らをワープさせて逃してしまったが、そこから逆探知はできなかった。できてたらもっと簡単にここを見つけられただろう」

「テンザン重工とわが社は敵対している……」

「もともと関係があったんだろう?同じ第3軍取引企業だったんだから」

「どこでそれを……」

「すぐわかったよ。病室でいっていただろう?第3軍のパイロットが云々と。おかしいじゃないか。彼のことは、まあ、詳細は伏せるが、第3軍の機密事項にある兵士なんだよ。それおを知っていたのはおかしい。さらに、通信が途絶えている中、ニューロの戦争について知っていたのもおかしい。マキナの武器を運んでくるように手配したら、どさくさに紛れて小型艦を出しただろう。そいつに情報を積んでいたのか?重統連の空母に合流していくやつがいたのをファイが確認している」

「……しょ、証拠は!証拠はあるのか!」

「これから手に入るんだから、必要ないよ」

 マイヤーは、ますます震え上がった。

「重統連の艦隊との連絡は、もうできないんだな?そうだろう。彼らはあまりにもここに近づきすぎた。彼らがジェネレーターにチップと……小型艦を投げ込んで証拠を抹消するほど、賢ければいいな?ただのデータ消去では、ログが残るぞ」


 もはや、マイヤーはあまりに絶望的な状況に追い詰められ、打ちひしがれ、なにも言うことができなくなっていた。


「私をなめていたな。愚かものめ。もともとはシオドア・カヴァナに警戒を促すほどに私を恐れていたのに、すっかり怒りに飲まれてしまった。その一方で、イチカにはいい顔をしようとして、結局、どっちつかずで何もなせない。それが、お前の敗因だよ」

「あ……あ、あああ。あああああぁぁぁァァアアア!!」

 マイヤーは叫びながら立ち上がり、マリアに向かって猛然と突進を繰り出した。追い詰められ、打ちひしがれ、もはや何もなくなり、理性すら消し飛ばされたのである。

 しかし、彼女はそれをまったく冷ややかな目で見つめ、ただ、左手をつきだした。

 彼女のコントロールデバイスが赤く光り、何かが飛び出した。


ギャアアアァアアアアアァァァァ……


 獣の咆哮だ。人間がその生命の根幹に根差した自然界の法則を思い出した時にだけ絞り出されるもの。断末魔。それは、生きていることを示すもの。まだ息をしている獣があまりの生の高みからの転落の際に発されるもの。痛み。それも、生半可ではない、極限の痛みによって発された。

「痛いか?そうだろうな。そういう刺激を与えたんだから」

 もはや、マイヤーからの答えはなかった。先ほどとは別の理由で。あまりの痛みにそれどころじゃなくなっていた。社長の手の甲から蛇のように自由に動く、金属の鞭が飛び出している。その先端にみえる針が彼の痛覚神経の中枢へ刺激を与えたのだ。

「これを食らった人が言うには、生皮をはいで塩を揉みこんでからバーナーであぶった時の痛みを10倍したようなものらしいな。実際に試してみたいところだ。ほんとうにそれだけ痛いのか」

 マイヤーは依然として床に沈んでいた。液という液が体中から流れ出ていた。

 だが、社長は彼に歩み寄り、その髪をつかんで顔を上げさせた。涙だか鼻水だか涎だか、いや、その全部があふれ出ていた。彼女はその口に手を据えると、先の鞭を中に突っ込んだ。

 恐怖によってか、うめき声をあげたマイヤーだったが、彼が予期していた痛みはやってこなかった。ただ、彼女が鞭を引き抜いたとき、その先端が丸くなっており、明らかに短くなっているように見えたことで、遅れてさらなる恐怖を植え付けられた。

「2度と私に逆らうなよ。いつでも先の痛みを与えてやってもいいんだ。生体電流で動くから、電池切れなど期待するな。もしも反抗的な態度をとるようなら、お前が意中の人とともにいるとき、町中をあるいているとき、公の会議に出席しているとき、好きなようにお前から叫びを絞り出させてやるからな」

 それから、彼女はふと振り返り、イレブンのことをみた。

「イレブン、敵を殺してくれ。やつらに声1つあげさせないまま、永久に黙らせるんだ」

 彼は扉に向かい、その向こうへ消えながら答えた。

「了解」




 それから数分後、彼は出撃のためにジャックが格納されたコンテナへの道のりの、最後のエアロックの前にたっていた。コンテナ自体が密閉されているため、ここからジャックのコックピットへ、直接乗り込むことになる。

「イレブンさん!」

 と、そこへ声をかけたものがいた。イチカだった。

「イレブンさん……」彼女は彼の前で立ち止まると、苦しそうに肩で息をして、呼吸を整えている。しかし、やがて彼のことを、はっきりと意思が宿された瞳でみた。

「もしも!もしも、あなたが敵を倒したくないとか、相手が降参したりしたときだったりとか……そういうときは、そのときは……殺してしまう必要は、ありませんからね!」

 と、彼女が言った。

「だが、情報が破壊されるだとか、漏洩するだとかのリスクがあるだろう。殺してしまった方が手っ取り早いだろう。社長がそう言ったのだから……」

「だめですよ!あなたの同胞なんでしょう!」

「とはいっても顔も知らない相手だ」

「それでも、私が思うに……」

 彼はそのとき、初めて気が付いた。彼女の瞳は黒色だということに。いつも青く光っているその瞳は、いま、宇宙の深みのような黒を映していた。きっとそれは、デバイスの関係ない、本来の彼女の瞳の色であって、いま、デバイスの電源を切っているのだろう。なぜ?

「私が思うにあなたは、せめて選択肢を持つべきだと思います。誰かが定めたただ1つの道じゃなくて、これをしてもいい、これを選んでもいい。そういう複数の選択肢。それがあれば、あなたは少しでもいい方向へ進んでいけます」

「いい方向へ……?でも、俺は……」

「なにも、人らしくどうだのこうだの、そういうことを言いたいわけじゃありません。そういう意図はないみたいですから。でも、あなたがどういう生き方を、在り方を選ぶにせよ、きっとこれは、必要なことです。

人は、すべてが自由じゃなくてもいいんです。そんなの、何をしてもいいっていわれたら、誰だって何をするべきかわからなくなってしまいます。私が思うに、イレブンさんはあまりにも自由になりすぎて、何もかもが定められていた世界から、自由な世界に突然放り出されて、混乱していたんだと思うんです。だから、やるべきことを指示してくれることを望んでいたんじゃないでしょうか。

でも、何もかも自由じゃなくても、いくつかの選択肢があれば。それ1つしかなかったからしたことなのか、それとも、いくつかあった候補から選び取った1つなのか。それだけで、同じ選択でも価値が変わるものですよ」

 彼は口を開きかけて、何も言うことがないために、ただつぐんだ。言い返すことなんてない。一体、どこが正しくないといえる?

 拒絶するべきなのだろうか。この、新しくて、彼のこれまでの10年間を無に帰す言葉を?


 しかし、どういうわけか。彼には、それを拒絶するような気は全くしなかった。むしろ、どういうわけだか、彼はその言葉に、胸の奥が突かれたような。いや、痛みではない。それは、何か温かいものが滲みだすような。自然と力が抜けていくような。そういうものが感じさせた。

 だから、彼は答えた。

「ああ。もしもそんなことがあったら、そうしよう」

 それからコックピットに乗り込んでいった。イチカはその姿を見送った後、ブリッジにもどった。彼が戦いに行ったのと同様に、彼女も戦わねばならないことがあるのだ。


 ブリッジでは、先ほどマイヤーが倒れていたところには、何の形跡もなくなっていた。クルーが戻ってきて、マリア、ステファンが星図を見ながら話し合っている。

「イレブンは見送れたか?」

 と、マリアは彼女に背中を向けたまま聞いてきた。

「ええ、はい」

「それは重畳」

 いま、彼女は自分の心がわからなくなってきていた。この社長についてきたこと。それは、果たして正しかったのだろうか?彼女の夢をかなえてくれるから、とついてきた。内定を蹴ってまで。そう、彼に言った通り、ほかの選択肢を蹴ってまでこの道を選んだのだ。

 しかしいま、手に持っていた道の先を照らしてくれる灯が実は人脂を燃やす灯りだったかのような、そんな気持ちになっていた。

 本当に、正しかったのだろうか?

「どうした、イチカ。ここに来てくれ。私にはお前が必要だ」

 そういった彼女の笑みを、どこまで信用していいものなのか。彼女の真の企みとは何なのか。

 イレブンと食べたレストランでの会話を思い出す。

『俺を雇うときに社長が言っていたことは、どこまで本気なんだ?』

 それは自身にもいえることではないだろうか。

 どこまでが方便で、どこからが本気なのか。

 89区域を手に入れてどうするつもりなのか。目的は、地球を見つけることなのか。それとも、彼女に語った通り、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 それでも。と、彼女は思った。


 それでも、前に進まないといけないときがある。きっと、真実はその先にあるのだから。


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