08
「只今戻りました」
里に戻ったザインは、その足で開拓者組合のカウンターへと向かっていた。
仕事の完了の他に、幾つか報告したい事もある。
一見すると大型の酒場のような店内は、何時も仕事にあぶれて暇な武装開拓者の溜まり場になっている。半分近くは常に席が埋まっていると言っても良い。
にも関わらず、ザインが訪れた時にはベンチにもカウンターにも人の姿はまばらにしかなかった。
空いているカウンターに近づくと、よく見知った男性の受付が早速応対に来てくれる。
「おう、ザイン。無事だったか。狼煙が上がったから心配したぞ」
「お陰様で。ところで、少し人が少ないようですが」
「おお、ちょっと事件があってな。皆で賑やかしにいってる」
ザインは事件と聞いて一瞬びくりとするが、男性の楽しげな笑顔を見て、災難ではなさそうだと緊張を解く。
「悪い事件じゃなさそうですね」
「おおよ。トッド=グリークは知ってるよな」
受付の言葉に、素直に頷く。
「そりゃあ、昨日の仕事でもお隣でしたし」
「あいつが亜竜を一頭仕留めたんだよ。それも一人で」
「おや」
ザインはただただ、目を丸くした。
「昨日上がった狼煙でトッドも一度柵の中に戻って、朝早くに持ち場に出直したんだ。そしたら番小屋のすぐ側の茂みに長爪竜の大物が横たわってたんだってよ」
柵というのは里を覆う丸太の防壁を指す。開拓地の集落はこの魔獣除けの柵で何重にも覆われているのが常だ。
何重にもなるのは、人が増えるにつれ集落自体が拡大するためだ。柵の外側が耕され、家が建ち、またそれを守るように柵が立つ。
言わば集落にとっての、樹木の年輪のようなもの。
受付の男は流暢に続きを語る。もう既に何人かに語ったであろう事が分かる、こなれた口調で。
「既に討伐されかけの瀕死だったから、そのまま寝首をかけたらしい。まぁ最後の一暴れはあったそうだが、目立った怪我も無く終わった。ただ、仕留めた相手が随分歴戦のベテランでな。一人じゃとても運べないんで、応援の狼煙を上げたって訳だ」
最終的には荷車に乗せて、八人掛かりで押して運んだという。
向かった連中、予想外の大物が転がってたもんだから顎が外れかけたってよ、と受付は豪快に笑う。
単独での亜竜討伐は一種のステータスになる。
まだ若いトッドが成し遂げたとすれば、確かにそれはちょっとしたお祭り騒ぎだ。
武装開拓者の多くは、そういう鯨飲の種に飢えている。おそらくは今頃獲物を運び込んだ狩猟市場の一角で宴会騒ぎになっているだろう。
騒がれるだけではない。
武装開拓者としての等級も、最下級であれば一つ、場合によっては二つ上がるほどの手柄である。
等級は受けられる仕事と基本報酬にも関わってくる、武装開拓者にとって極めて重要な身分証明だ。
「拾い物でも星は星だ。トッドもこれで晴れて白銀斧だな」
まるで自分の事のように、受付は誇らしげに胸を張る。
開拓者の免許証たる斧の徽章、その材料となる金属がその開拓者の等級を示す。
白銀はいわゆる一人前、中堅と見做される等級である。
下級が青銅、上級が黄金、更に上の一握りたる最上級が白金。
ザインも、昇格前のトッドも青銅である。
ちなみに等級の頂点、特級は貴金属では無い。
黒鉄だ。
金属の価値ではなく、自らの身一つで未開の地を拓く、真の開拓者を示す称号。
だがこの鉄の称号を持つ者は、ドゥーロンにもたった一人しかいない。
ふと、受付の笑顔が複雑そうに曇る。
「置いてかれちまったな」
「彼は若いですから、いずれそうなるとは思ってましたよ」
気を使われた事に、特に何も思わずザインは微笑みを返した。
「馬鹿言え、お前も十分若いだろうが。年寄りくせぇ台詞を吐くには十年、いや二十年は早いってんだ」
少し慌てたようにまくし立てる受付に、ザインはただ少し困ったように微笑み続ける。
口にしたのは紛れもない本音だった。トッドの手柄には喜ばしくこそあれ、悔しいとか妬ましいというような、負の感情は無い。
あえて言えば、寂しさはあるかもしれない。
数少ない知り合いが、少し遠くに行ってしまったという感覚は、ないではない。
大した会話も無いとはいえ、である。
「俺は、当分はこのままですよ……ああ、そうだ」
話題を切り替えようとして、ふとザインは悩む。
普通に考えて、トッドが仕留めたのが手負いの長爪竜だと言うのなら、ザインと戦ったのと同じ個体であろう事は想像に難くない。
繰り返すが、止めを奪われたという認識は無い。
むしろ自分が仕留め損なった相手を何の被害も出さぬ内に仕留めてくれた事には感謝すらしている。
だからこそ、トッドの祝い事に水を指したくない。
結果的にでも手柄を主張するような真似は避けたかった。
出来れば話題に上げずに済むように、報告を済ませようと足らぬ神経を働かせる。
先に述べておくと、この努力は全くの無駄に終わるのだが。
「まずはこれなんですが……」
ザインは腰に付けていた革袋の一つを外し、口を開いて中身を一つ取り出して見せる。
もう動かなくなった、緑がかった黄色に輝く甲虫を。
「地小金か」
「ええ。担当の道路周辺に、相当数いました」
一目見て正体を察した受付に、ザインは頷いてみせる。
「この分だと、里の周囲にも来ているかもしれません。採取依頼を出した方がいいかと」
「なるほどな……分かった。手配しておく」
受付は何かに納得したように綺麗に伸ばした顎髭を撫でた。
地小金のはた迷惑な特性。それは一部の魔獣がこの虫を好んで食する事だ。
極めて強固な外殻を持つ地小金であるが、一部の亜竜を含む魔獣達はこの虫を丸呑みにして消化してしまう。
長爪竜も、この中に含まれている。
どうやら地小金の外皮に含まれる鉱物を取りこんで、自らの爪や歯、鱗などを強化する事ができるらしい。
実際地小金を好む亜竜の中には、並の武器や魔術ではまるで歯が立たない、緑がかった金色の鱗を生やす種が存在する。
ここで問題になるのは、この地小金が大量発生すると、普段森の奥や地面の下に棲息している危険性の高い魔獣が、この虫を目当てに人里近くに現れる事なのだ。
そのため大発生の兆候が出ると、下級の武装開拓者向けに大量の採取依頼が出る事になっている。
「今回の長爪竜も、地小金が目当てかね」
「どうでしょう、既に手傷を負っていたので、元々討伐対象だった可能性が……あ」
口を滑らせた事に気付いたが、時既に遅し。
ザインという男は、隠し事をするにはすこぶる向いていない。
そういう性分なのだ。