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破剣のザイン  作者: 椚 右近
1.都合のいい男
7/23

07

 いつの間にか、日が大きく傾いていた。

 夕焼けに照らされて、緑の木の葉が黒と褐色の影に落ちていく。

 それほど長く戦っていたはずはない。

 だが、戦いの中で時間を忘れていたのは確かだった。


 引き攣る痛みを憶えて、右手を見る。

 握った剣を手放そうとして、痛みが鋭さを増す。

 痛みを堪えて無理矢理手を開くと、ばりりと皮が破れる感触があった。

 柄に分厚く巻いた握り皮と、右手の平が焦げた体液で引っ付いていたのだ。

 剥き出しの肉からにじみ出る血を見ながら、ザインは小さく呟く。


「鉄火神よ――」


 ――打ち直し給え。


 ぽうとほのかな橙の燐光が掌を包んだ。

 見る間に掌の赤みが薄れ、盛り上がるように白い皮膚に覆われる。

 同時に爪に引っかかれた額の傷も塞がっている。


 治癒法術。

 神の力を借りて行う秘蹟の中でも、最も有名で最も強力なものの一つ。

 魔術や呪術は攻撃においては法術を上回るが、癒やしに関しては法術が他の追随を許さない。

 だが、それも万能ではない。

 術式である以上消耗はする。また目に見える傷は塞げても気力体力は回復しない。

 あまりにも重傷である場合、治癒法術で傷は治っても心の臓が力尽きるという事はままあるのだ。

 無論今のザインはそれほどの傷は負っていない。

 だが、戦闘や傷の痛みでつのった疲労はそのままである。


 体が重い。

 骨に鉛を流し込まれたようだった。

 呼吸もまだ落ち着かず、胸に締め付けるような痛みがある。

 それでも、立ち上がる。


 ――急がねば。


 曲がった剣を無理矢理鞘に差し込み、念のため折れた刀身を拾い上げて腰当てのベルトの間に押し込む。

 そうして今晩泊まる予定だった物置小屋へと小走りに戻り、常備されている薪と松明、そして乾燥したカルブレ松の皮を持ち出した。


 大雑把に薪を組み、その上に樹皮を置いて、上に火を付けた松明を重ねる。

 松明の火が樹皮に燃え移ると、盛大に赤褐色の煙が立ち上る。

 太陽はまだ落ちきっていない。今しばらくは煙の色の判別がつくだろう。

 それでも、運が悪ければ見つからない事はある。


 自分の足でせめてトッドには伝えに行くべきか、ザインは焦れる。

 焦れながら、それでもじっと待つ。

 見えていれば二度手間、狼煙の火の始末もある。

 何より自分自身、万全の身でもない。

 理性は動くなと言っている。

 だが、恐れが尻を焼いた。


 やがて空の色が茜から藍に移る間際に、里の方向から二つ、同じ色の煙が立ち上がる。

 一つはトッドが焚いたものだろう。


 ――間に合った。


 ようやく、ザインは一息をついた。

 赤褐色の狼煙は警戒を示す。これが上がった時、里の周辺に出ていた者は集落を囲う防壁の中に避難する。見張りも立つだろう。

 あの長爪竜相手にそこまではいらないかもしれないが、手負いの魔獣の行動は危険な方向に予測がつかない。念入りにやって不味いという事は無い。


 地べたに腰を降ろして、ザインは深く息を吐いた。

 その視界で、何かが動く。

 小さなそれを、ザインはつまみ上げる。

 親指の先程度の大きさの、光沢のある緑がかった黄色の甲虫だった。

 ただつるりとしているのではなく、背中を覆う前羽の表面には小さく凹凸がある。

 ザインは目をすがめた。


地小金(ジゴス)か」


 よく知っている虫だった。腐葉土から朽ち木、腐肉、生の木の根まで食べる雑食の虫で、ハンマーで叩いても潰れないほどの非常に固い甲殻を持つ。

 ドゥーロン周辺には広く分布しているが、多くは密集した木々の根元やうろ、つまりは森の中に生息している。森のすぐ側とは言え、開けた場所に出てくる事は少ない。


 そして一つ、この虫には困った特性がある。

 と言っても、虫の側に非のある話ではないのだが。

 羽はあるのにあまり飛びたがらない地小金は、摘ままれた状態でわきわきと足を蠢かせている。摘まんだ指を押す足の付け根は、軽く驚いてしまうほど力強い。


「む」


 ザインが小さく唸る。

 また動くものが目に入ったのだ。

 別の地小金である。

 それも複数。

 ザインは腰に着けていた携帯用の革袋を一つ外すと、摘まんでいた地小金を入れた。

 さらに目に付いた地小金を片っ端から袋に放り込んでいく。

 すっかり日が落ちて焚き火の周り以外は何も見えなくなる頃には、革袋は掌いっぱいに膨らんでもごもごと蠢いていた。

 おそらくは、暗闇の中にこの何倍もの数が這いずり回っている事だろう。


「これも、報告した方が良さそうだな」


 独り言を呟いて、ザインは一先ず採取を諦める。

 その後は焚き火で湯を沸かして、糧食を口にする。

 冷え込む夜気の中で、ビスケットの甘さと白湯の温かさが身に染みた。

 その後で火の始末を行い、小屋に入るとこれも常備されている毛布を、鎧を着たまま上から被って横になる。

 その胸には、折れた長剣がしっかりと抱え込まれていた。



 よく朝、ザインが目を覚ましたのは日の出を大分過ぎた後だった。

 若干寝坊した事に少し落ち込みながら、顔を洗うために小屋の外に出る。

 そこでザインが目にしたのは、里の方から上がった狼煙。


 ただ里にしては距離が近い。

 とすれば、その間にあるのはトッドの担当する範囲に置かれた小屋だけだ。

 昨日の狼煙はとっくに消えている。そもそも、色が違う。

 警戒の赤褐色ではなく、応援を要請する白色。

 緊急を要する場合は一緒に赤褐色も焚かれて、桃色に近い赤になる。という事は、怪我人などが出た訳では無い。


 それでも慌てて支度をする内に里から白い返答の狼煙が上がり、少しして先に上がっていた狼煙が消えた。

 応援が到着したようだった。早さからすると、馬か何かの騎獣で出たのだろう。

 昨日警戒が出たばかりだ。開拓者組合も念には念を入れたのだろう。

 しかし、となればもうザインの出る幕もない。

 ビスケットだけの朝食を取りながら狼煙が両方消えるのを見届けると、ザインは昨日やり残した仕事を片付けにかかった。


 アクシデントはもう過ぎた。

 やるべき事は、やらなくてはいけない。

 諸々を済ませてザインが里に戻ったのは、昼を大きく過ぎてからだった。


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