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破剣のザイン  作者: 椚 右近
1.都合のいい男
5/23

05

 ――不味い。


 ザインに出来たのは、とっさに剣を斜めに掲げる事だけだった。

 今までとは段違いの衝撃が腕を襲う。

 長爪竜の振り下ろした右前足の爪が、掲げた長剣と真っ向から噛み合っていた。

 押し負けこそしなかったが、かけられた重さで剣が動かない。

 人間同士なら、鍔迫り合いになったかもしれない。

 だが、相手は亜竜である。

 さらに一歩、踏み込んできた。

 四角い顔が、縦に開く。焼けた鉄を掴もうとする、やっとこのように。


 ――噛み付き、来る!


「おおっ!」


 思わずザインは吠えていた。

 身体を捻り、渾身の力で爪を受けた剣ごと身体を左に捻る。

 渾身の力が長剣にかかった後、不意に抵抗が消えた。

 つんのめるように斜め前に逃れる。がちん、と耳元で歯の鳴る音が聞こえた。

 そのまま二歩を大きく走って向き直り、剣を構え直す。

 湯気が出るほどだった全身の汗は、すっかり冷えていた。


 ――しくじった。


 手応えが消えた瞬間から、嫌な予感はあった。

 長爪竜が唸っている。先ほどまでの単純な怒りによるものではなく、強い不快感と、若干の戸惑い。

 その右前足の爪三本の内、二本が根元近くから消えていた。

 折れ飛んだのだ。

 今までと同じ力で斬りかかる事はもう出来ない。明らかな弱体化ではある。

 だがザインは喜べない。

 その代償が目と鼻の先にあるからだ。


 長剣が、曲がっていた。


 切っ先から刀身の三分の一ほどのところで、緩く反り返っている。

 さらによく見れば、剣を為す鋼の色が黒く、また一部がほの赤く色変わりしている。

 熱を持っているのだ。先ほどの押し合いのせいである。


 これがザインの、難儀な事情だった。

 強く力を込めると、得物が熱を持つのだ。

 これがただの魔術による強化なら、武器の表面を火や熱が覆うだけで済む。

 だがザインの場合、熱は握った柄から先端に向かって内に籠もる。

 結果、槍なら柄が燃え、剣なら切っ先が焼ける。

 そんな状態で振るわれる事を想定して作られた武器など、無い。


 ――否。無論何事にも例外はある。


 ザインの意識は、自然と腰に差した凝った装飾の短剣に向かっていた。


 この短剣はかっての居場所を出る際に、大恩ある師に餞別として渡されたものである。

 なんと、ザインが握って熱を帯びても、折れも曲がりもしない大業物だ。

 だがしかし、抜くわけにはいかない。

 そんな都合の良いだけの物なら最初から抜いている。

 旨味だけの話なぞこの世の中にあるはずもないのだ。

 有り体に言って、この短剣は呪われていた。

 みだりに抜けば、災いを呼ぶ。それこそザイン一人では済まない災いを。


 ――御師様も質の悪い悪戯をなさる。


 内心の苦笑を、ザインは必死に顔に出さぬように務めた。

 目の前の相手に弱みを感付かれたくない。せめてもう少し、剣が冷えるまでの時間を稼ぎたかった。

 だがその弱腰をこそ、亜竜の嗅覚は嗅ぎ取ったようだった。


 踏み込みが、深くなった。

 折れた爪を補うように、噛み付きを多用し始める。

 折れたと言っても、右前足にはまだ一本爪が残っている。むしろ連動するものが無くなったせいで、一本だけの動きが見づらくなっていた。

 それでも右手の爪が少なくなった事で、左回りにさばく事には少し余裕が出た。出たのだが、その分を埋めるように長爪竜が矢継ぎ早に攻めてくる。

 音が、風が、追いかけてくる。

 がちん、と閉じる顎の音がする。

 かりり、と一本爪が肩をかすめた。

 ぶおん、と尻尾が目の前を行き過ぎる。

 反転ではなく、ザインの動きを追いかけるような順転からの尾の一撃。

 ザインの下がるタイミングが、僅かに遅れる。


 その瞬間。

 長爪竜が、跳んだ。


 一瞬で眼前から巨体が消える程の跳躍力。

 ここまで見せてこなかった飛び掛かりに、対応がさらに遅れる。

 目の前に後足が、その先端から伸びた太い蹴爪が迫る。

 長さは前足の半分以下、代わりに太さは三本分。

 直撃すれば、顔に目玉がもう一個入るほどの大穴が空く。

 ザインは身体を捻る。

 右へ。

 長爪竜も左回りに体が慣れていた。跳んだ方向が僅かに左に傾いでいる。

 だから右に隙間が出来る。そこに身体をねじ込むように跳び込んだ。


 衝撃。

 それも、二度。


 ザインを打ったのは、遅れて通り過ぎた尻尾だった。左に傾いで跳んだせいで、尾が外側に膨らんだ軌道を取ったのだ。

 左肩に直撃し、ザインは弾き飛ばされて転倒する。

 だが、すぐに立ち上がった。

 素早く身体を揺すって確かめる。打ち身の鈍い痛みこそあれど、他に怪我らしい怪我は無かった。

 幸運だったのは、長爪竜も狙って放った一撃ではなかった事だ。事故という意味ではザインにとっての不運になるが、意図されたものであれば骨が無事であった保証が無い。

 何より、不運は別にあった。


 長剣がうねっている。

 先に曲がった場所より根元に近い場所で、逆方向に曲がっている。

 二重の衝撃の正体は、回避ざまに長爪竜の蹴爪が剣をひっかけたせいだった。


 適切ではない加熱が加えられた鋼は、強度が落ちる。

 腕のいい鍛冶屋でも、元に戻す事は難しい。手間も非常にかかる。頼むと大抵は鋳溶かしてしまった方が早いと言われる。

 今握っている長剣も、もう長くは保たない事はザインも経験上分かっていた。


 ――致し方ない。


 息を深く吸って、吐く。

 曲がった剣を、それでも真正面に構える。

 長爪竜もすでに向き直り、爪先で地面を蹴立てながらザインの様子を伺っていた。

 気配は興奮を増している。勝利の匂いを嗅ぎつけたようだった。

 武器の変形を、亜竜は理解しているように見えた。

 笑みを浮かべるように、牙を剥き出す。

 その牙に、ザインは静かにに、しかしはっきりと腹を括った。


 ――すまない。


 同時に心の中で長剣に詫びる。

 次の衝突で、おそらくは再起不能になるまで使い切ってしまう事に。

 ザインの手に握られなければ、この剣はもっと長く働けただろう。


 ――すまない。


 ザインはどちらかと言えば道具に愛着を持つ方だった。

 だからこそ、自らの体質が後ろめたい。

 これまでに何本もの武具を壊している。

 武装開拓者を辞めれば、あるいはもう少し穏やかな生活を得て、わずかなりとも壊れ物を減らせるかもしれない。

 それでも、そんな生き方が自分にかなう気がしない。

 それでも、他に生きる術が思いつかない。

 今もまだ、生きる事を諦めていない。

 目の前に、流血と死の匂いを感じてなお。

 いや、むしろ感じればこそ。

 執着が残る。

 生きたいと、生きようと、言葉になる前の感情が湧き上がってくる。

 衝動か。本能か。

 どう呼ぶかは、些細な問題だった。

 結局、自分は何度でもこの場に戻ってきてしまうのだ。

 この熱に当てられて、心臓まで灼かれてしまった身の上なのだ。


 ――業腹だな。


 ただそう思う。


鉄火神(ガタリ)よ――」


 戦いの中、初めてザインが言葉を発した。

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