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破剣のザイン  作者: 椚 右近
1.都合のいい男
3/23

03

 空気が変わったのは、日が中天を過ぎて大分傾いた後だった。


 もう少しすれば、空の色も赤らんでくる頃合い。

 午前中に仕事を請けて昼前から作業を初め、気付けば働き通しで時間が過ぎていた。

 草刈りが概ね終わって、保存食を囓って一息つく。

 これから路面の細かい点検と若干の補修、最後にもう一度掃除をして、今日の分の仕事を終える。そんな漠然とした予定を反芻していた最中の事。


 生き物の気配が消えた。


 ここそこで蠢いた虫の立てる葉擦れの音や、小鳥の鳴き声と羽ばたき。

 それらが一斉に、鳴りを潜める。

 いなくなったものもいる。だがその場で身を潜めているものも多い。

 生命の危機に関して、小さな生き物の感覚は人間よりも遙かに鋭敏だ。

 必定、人間にとっては先触れとなる。

 ザインも彼等に遅れて周囲を見渡し、耳をそばだてる。

 何も見えず、聞こえない。

 にも関わらず、感じ取れるものがあった。

 空気の緊張が、波のような指向性をもって伝わってくる。

 ザインは少し考えた後、手にしていたシャベルを道の外に放り出した。

 時に武器にもなる道具だが、そのための作られているものでは無い以上、腰の長剣ほどの信頼性はない。

 ただ長剣ですら、ザインに取っては十分に頼りになるとは言い切れないのだが。

 それでも道の真ん中に立ったまま、前方――封鎖中の伐採場に目を凝らす。


 少し待って、小さく動く物が視界に入った。

 米粒のような大きさにしか見えなかったものが、徐々に指先、そして拳大に膨らんでくる。

 それは小さく跳ねるような駆け足で、こちらに……ザインに向かって走り寄ってきた。


 全体の大きさは馬とほぼ同等。ただ四角い頭の位置は低く、ザインと同等か少し下。

 顔には蜥蜴と蛇の特徴を持ち、しかしそのどちらよりも頑強な顎と鋭く太い牙を供えている。

 発達した後ろ足の二足で直立し、比べて小さな前足は前方に垂らされている。

 背中と側面は草木と同じ鮮やかな緑。腹側は枯れ草に似たくすんだ黄色。どちらも細かい鱗の集合である。

 その鱗のあちらこちらに赤い点や線……矢傷に切り傷。つまり手負い。

 そして何より特徴的なのは、前足自体の大きさに不釣り合いな、片手剣ほどもある巨大な三本の爪。

 この爪こそが、この魔獣の代名詞になっていた。


 距離にして二十歩ほど離れた場所で、魔獣は立ち止まり、首を起こす。途端にザインの背丈を軽く頭一つ以上は上回る背丈へと伸び上がった。


「……長爪竜(バグラウ)


 ザインは半ば無意識にその名を呟いていた。

 魔獣の中でも亜竜(ドラギア)と呼ばれる、真竜(ドラゴン)の遠い眷族に分類される長爪竜は、亜竜の中では最も小さい部類である。

 ただしそれは、大型犬程度の一般的な個体の話だ。

 亜竜は全て、歳を取れば取るだけ巨大化する。

 ザインの目の前にいるのは、そうとうに歳経た異常個体だ。異常と言っても、この辺りではそれほど珍しい訳では無いが。

 勿論、珍しさと危険性は比例しない。


 長爪竜がザインを見詰めたまま喉を鳴らす。

 興奮を示しているだけで、人懐っこい訳ではない。

 いや、喜んでいる可能性もある。


 人間以上の知性体である真竜に比べて、亜竜は大分知能が低い。

 ただ低いと言っても、普通の爬虫類とは比較にならない。多くは小さな子供や訓練された犬に匹敵する賢さを見せる。飛竜(ワイバーン)のような真竜に近い存在になれば人語を操るものすら存在する。

 無論、どれも人には基本懐かないが。

 そして知能が高いという事は、悪辣、あるいは狡猾になれるという事でもある。

 報復という概念を持ち、自分より弱い者を蹂躙する事に喜びを見出しもする。

 食べるためではなく、楽しむために他者を襲い得るということである。


 ザインを見下ろす頭が、小さく傾ぐ。

 長い爪が揺らめき、何もない場所を引っ掻く。

 荒い鼻息と共に吐き出された、腐敗臭混じりの獣臭が漂ってくる

 品定めされている。ザインはそう感じた。


 ――討伐されかけて、逃げだしてきたか。


 身体に負った少なくない傷がその証しだ。

 ただ、見た限り致命傷は無いようだった。切り傷は浅く、刺し傷は臓器に至っていない。出血もほとんど止まりかけている。

 ザインは取り逃がした同業を責める気持ちにはなれなかった。

 亜竜の多くは好戦的で、武装した人間と戦闘になっても逃げだすのは大抵瀕死になった後だ。この傷の付き方を見るに、後から射られるのも構わず早々に背を向けたのだろう。

 恐らくは、もっと若い頃に対人戦を経験して生き延びた、老獪な個体だった。

 その事は、今ザインを前にして動かない事からも見て取れる。

 ザインが一人しかいない事に、自分の有利に喜んでいるのだ。丁度良い憂さ晴らしを見つけたと言わんばかりに。

 その事が同時に、ここで逃げる選択をザインに許さなかった。


 ――逃せば、こいつはまた人を襲う。


 何より、自分の後方には同じ仕事を請け負ったトッドがいる。彼もザインと同様一人、おまけに得物はザインの長剣より短い鎌状の片手剣だ。小回りの有利さで戦う武器は、俊敏なこのサイズの魔獣とあまり相性がよくない。

 少なくとも、無傷で通す訳にはいかない。

 ザインは、覚悟を決めた。


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