23
「ザインさん、最初に会った時から思ってました。私以上にはっきり線引きしてる人だって」
肩越しにかけられた言葉に、ザインはどう答えればいいのか分からず逡巡する。
そもそも、初めて開拓者組合の事務所で会った時は何故待ち受けられていたのか分からず警戒していた。
後始末と手柄の横取りに関する謝罪と知ってまた警戒した。
わざわざ申告しに来なければ恐らくは問題にならない話だったからだ。
今ならライネの立場が分かっている以上、尚更断言できる。
万が一ザインが文句を唱えたとて、組合側が積極的に事を荒立てないよう仲介の形で取りなしただろう。
ライネの歩みをつまづかせる石を取り除くために。
――その辺の思惑とか算段を、この人全部自分の足で踏み潰してここまで来ちゃったけど。
その後武器の弁償を申し出られて、鍛冶師のリザを紹介してもらった。
その上で、武器を作ってもらう都合上、背負っているものの幾つかを開示する形になった。
が。
――考えてみると、今のところ全部この人にも開示する羽目になってるんだよな。
だとすれば、あまりつまびらかにしたい話でもないので、席を外してくれなどと言えただろうか。
――無理だな。
頭の中で一瞬で結論が出る。
つまるところ。
「……ライネさんの距離の詰め方が急過ぎるんじゃないでしょうか」
「えー、私のせいですか?」
不満げに頬を膨らませて見せるライネに、ますます頭が痛くなるザイン。
ここに来て急激にあざとくなるのは何なのか、分からない。
さっきの会話で致命的ハニートラップである事を自白したようにザインは思ったのだが、記憶違いだろうか。
「逆に聞きたいんですけど、なんで俺にここまでしてくれてるんですか。正直に言って謝罪の域を超え始めた気がするんですが」
「長爪竜の事は申し訳ないって思ってるのは本当ですよ。ただ、今こうしている理由は謝罪というつもりはあんまり無いですね」
会話する間も、二人の間に空間は空かない。
ライネが小さく頷く動きが、肩の摩擦で伝わってくる。
否が応でも。
「ただ、そうですね……今はザインさんの事がもっと知りたいと思ってるのは間違いないです」
「なんでですか?」
「なんででしょう。ただ一つ言えるのは、私、目の前に壁があると乗り越えて進みたくなる性分だって事でしょうか」
ライネの口調は、どこか楽しげですらあった。
「私に対してそんなにはっきり壁を作る男性、ザインさんが初めてですよ」
無邪気な顔で見上げられて、思わず天を仰ぎそうになるのをザインは必死にこらえた。
まるで食虫花に近づいてしまった虫の気分である。
――なんで今こんな事になってる?
視界の森が遠い。
くすぶりながら燃え続ける餓鬼玉が酷く小さく見える。
臭いが分からない。
水の膜は完全な遮断ではない以上、まったく臭わないという事は考えづらい。
なのに分からない。
まるで鼻が麻痺したようだった。
「気になったらとことん調べないと、気が済まない性分なんです」
「なるほど、とても魔術士的だと思います……」
ザインとしては自分の方にそんなガッツを向けないで欲しかった。
かなり切実な問題として、ザインは自分の荷物の全てをライネにも、リザにも広げて見せていない。
『御山』――自分の主神たる鉄火神ガタリの本神殿を降りる事になった日から、ザインの夢、あるいは悲願とも呼ぶべきものは潰えている。
その後の生は夢破れた余生として、武装開拓者という枠の中で細々と慎ましやかに送る、はずだった。
そんなザインの安寧にとって、ライネの知的好奇心は危険でしかない。
分かってるのだ。
ライネと距離をとり続ける事が身のため、身の程であると。
あるのだが、ライネの積極的なアプローチに対して甘く動揺してしまっているのも事実なのである。
つまりザインはこれほどあからさまな仕掛けに対して、心ならずもちょっとときめいてしまっていた。
あまりにも恋愛経験、否、対人経験が無い。
ザインは自分の精神的修養の至らなさを心から恥じた。
恥じても至らなさはそうそう埋まらないのではあるが。
「でもライネさんが調べて面白いような話は、俺には無いですよ」
目を逸らしてとりあえず口先だけの牽制を放ちつつ、ザインは半ば頭を空転させながら現状への対応索を思案する。
――例えば……そもそもこの会話は果たして彼女にとって効率的なのか?
先ほどまでの会話を思い出し、その文脈から突っ込んで緊張感に満ちた会話を終わらせられないかとザインは思案する。
「ザインさん、いいですか。興味があって調べるという行為は、それ自体が面白いものなんですよ」
牽制で放った囮は呆気なく四散した。
効率の方向に話を振るのも無駄と悟った。ライネに取って手段こそが目的だとすれば、だが。
それ自体が欺瞞の可能性はあるが、ザインに判別はつかない。
「だから今は、ザインさんの話なら何でも聞いてみたいですね」
「何でも、ですか……」
「何でも、ですね。だからあまり短い付き合いだと困ります。話が聞ききれません」
暑くも寒くもない快適なはずの水の膜の中で、ザインは背筋に冷たい汗が流れ落ちるのを感じる。
先ほどまでの抱きつかれている時とは異なる緊張感だ。
抱きつかれるのが首筋にナイフを添えられているのだとすれば、今の状態は近距離で向かい合ったまま相手が懐に手を入れているようなものだ。
なおこちらは諸手を上げている。
つまり対処不能。
「そういえば、初めてお会いした時から、ザインさんずっと私の事警戒してましたよ」
「……正しい判断だったんじゃないでしょうか、今思えば」
「また酷い事言って。……でも一度だけ、警戒が緩みました」
「え?」
心当たりの無い指摘に驚いて視線を戻すと、そこではライネがどこか意地悪そうに微笑んでいた。
「トッドさんからの伝言を伝えた時、あの時だけはザインさん、心から笑ってましたよ」
「あー……」
反論できずに言葉が詰まる。
――確かにあの時は、仕方ないな。
聞いた瞬間に、嫌そうな顔をしてこぼすトッドの顔がありありと浮かんでいた。
言いそうだな、と心から思った。
自分でも想像以上に解像度が高い事に笑いが堪えきれなかったのである。
「正直、ムカっときましたよ」
「なんでですか」
「目の前にいる私の事、殆ど目に入ってないなって分かったので」
「ヒッ」
喉の奥で小さく悲鳴が漏れかけた。
――この人、言う事の危険度どんどん抑えなくなってる……ッ。
ライネのこの距離感は、やはり単純な好意ではないとザインは理解する。
これはプライド、矜持の問題だ。
仕留め損ねた獲物に執着する狩人の感情なのだ。
好意じゃない、好意じゃないんだと自分に言い聞かせる。
ほんの僅かながら緊張が緩み、同時にその分だけ胸に隙間が空いたような気分になる。
――男って奴は本当に……救いのない……。
「まぁ、利に聡い人のやる事じゃないのは分かってましたけど、想像以上に淡泊で驚きました」
「淡泊じゃなかったらどうするつもりだったんですか」
「そうですね、多分そこで興味が無くなってたんじゃないですか」
「なるほど……」
「今からでもそう出来たらとか考えてます? 多分無駄な足掻きだと思いますけど」
「無駄な足掻きは流石に酷いんじゃないでしょうか……」
「いいじゃないですか。もう諦めちゃって、素のザインさんで私とお話しましょう」
餓鬼玉は当初よりも火の周りが悪く、まだ三分の一くらいが燃え残っている。
火そのものは消えていない。まだ少し、この場にいる必要はありそうだった。
「それこそ、何処で生まれて育ったのか、くらいから始めませんか」
「始めませんかって……」
「じゃあ私から。実は実家はイオニア山水連邦なんですよ」
「問答無用ですか……ライネさんも北からいらしたんですね」
「ええ。と言ってもこのナルガルズとの国境に近いところですから、そこまで遠くからという訳じゃないですけど」
そこではっとしたようにライネが目を見開き、差し込んだ光で瞳がきらめく。
「私も、ということはザインさん、もしかして同郷ですか?」
「あー……ええとですね、半分はそう、かもしれません」
ザインの言葉は端切れが悪くなる。
ライネの言葉は間違いではない。ナルガルズより北にある国家はイオニアしかないため、他に候補はない。
当然、そこに突っ込まれる。
「半分というと?」
「育ったのはイオニアになるんですが、生まれはガゼットリア、のはずです」
ガゼットリアは正式名称をガゼットリア森王国という。
イオニアとは逆、ナルガルズの南側に位置する隣国であり、その名の通り五大王国で最大の森林面積を誇る。
また五大国家でも最も神代からの記録を多く残す、物質的な意味で最も古い歴史を持つ国家である。
他にも人類の三大人種の一つ、森人の起源と言われている。
残り二つの人種の内、平地人はイオニアで、岩人はガゼットリアのさらに南、バルボア炎帝国で生まれたというのが通説となっている。
ただ、あくまで発祥の地と言われているだけで、混血が進みに進んだ現在ではそれを実感する機会は少ない。ザインも平地人の中に僅かに岩人が混ざっているらしいが、教えられるまで意識する事は無かった。
ライネが小さく首を傾げる。
「随分と曖昧ですね」
「俺自身、曖昧なんです。もう良く憶えていないので」
自然と、ザインの目は空中を彷徨う。
見えない何かを探すように。
だが映るのは、薄く消えていく煙の影と、平然と揺れる梢だけ。
「憶えてるのは……一面の火、くらいでしょうか」
「火、ですか……え、それって、まさか」
「はい。俺の生まれた村は、もう存在しないはずです」
息を呑むライネに対し、自分でも驚くほど冷静にザインは頷き返していた。
「竜……それも亜竜じゃない、真なる竜によって、滅ぼされました」
真竜。
亜竜という言葉が生まれるまで、竜とは彼等の事を指した。
神代から生き続ける、世界最強の生物。
殺されぬ限り死ぬ事は無く、殺される事も滅多にある事ではない。
ありとあらゆる魔獣も幻獣も、彼等と並び立つ事はない。
人はおろか、邪神も悪魔も魔神も、彼等の暴力の前を上回る事は無いという。
彼等を確実に殺せる存在がいるとすれば、それは秩序の神々の中でも強い力を持つ一握りだけだろうと言われている。
故に彼等は特別扱いされている。
魔獣による被害は獣害の一種だ。だが、竜による被害は、火山の噴火や洪水と等しく、災害として扱われる。
そんな竜害によって年に二三の街や開拓村が消滅していると言われているが、基本的にそれは防ぎようのない物とされ、破壊されるよりも多くの開拓村を興して対処しているのが実情である。
ザインの告白に、ライネは素直に顔を伏せた。
「ごめんなさい、無神経が過ぎました」
「ああ、いえ。それは大丈夫です……触れ回る事じゃないと思ってますけど、隠す事でも無いし、さっきも言いましたが殆ど憶えてないので」
――こうところは素直でまともな人っぽいんだけど。
口にはしないが大分失礼な事を思い浮かべつつ、ザインは言葉を続ける。
「俺は唯一の生き残りだったそうです。偶然近くを通りかかった司祭様に助けてもらえてそのままイオニアのガタリ神殿に預けられたんです」
「ガタリ……鉄火神ガタリ、でしたっけ。すいません、私あんまり聞いた事なくって……その神殿ってどの辺にあったんですか?」
「火神アイゼン様の従属神ですが、大分土地神に近い神なんで、仕方ないと思います。神殿も、俺が入った本神殿以外には大きい神殿が無いみたいですね」
これまでにも何度か繰り返した憶えのある説明を口にした後、ザインは一瞬言葉を止めた。
この後の、具体的な場所についてはあまり、人に話した憶えが無い。
「神殿があったのは、イオニア中央の山岳地帯なんですよ」
「山岳……って、まさかとは思いますけど……」
ライネの声が、これまでで一番の驚きに揺れていた。
「飢竜山脈……?」
答えようとしたザインの耳が、不意に物音を捉えた。
草を踏み分けて近づく、何者かの足音を。