20
短剣ほどの大きさの鋭利な爪を、左手で受け、擦り、流す。
相手の姿勢が斜めに流れる。
手首を返し、肘を曲げて、右腕を相手の喉笛に巻き付けるように下から振り上げる。
ぞぶ、と刃が食い込む感触が伝わり、ずるりと抜けていく。
甲高い悲鳴が響き、大型犬ほどの大きさの長爪竜、いわゆる通常個体が首筋から血を吹き出して転倒する。
同じように致命傷を負った長爪竜がもう一頭横たわっている。
ただそちらの主な傷は細い刺突剣で滅多刺しにしたような小さな無数の刺し傷であり、喉笛を切り裂いた鋭利な刀傷は止めに過ぎない。
気を抜く事無く最後の一頭に向き直り、構え直す。
前に左手。細く外側に曲がった鏝のような、拳を守る鍔のついた短剣。
重ねて下に右手。湾曲した刀身の内側に刃の付いた、ある種の山刀に似た片手剣。
刀身は共に青みがかった灰色。柄は艶のある黒。
銘は【爪剣】。
ザインが切り落とした爪はリザの手によって、左右一対の剣へと形を変えていた。
「左手用は丸く、右手用は鋭く加工してある。左で防いで右で攻めるスタイルだ」
請けた仕事に出立する日の朝、立ち寄った二人を眠そうに目を擦りながらリザが出迎えた。
およそ二日という突貫作業で完成させたとは思えぬ見事な二刀を揃えて。
「これは……凄いですね……」
「お前が、偃月刀が一番長く保ったと言ってたのに合わせた。右は相手の曲面に沿わせるように滑らせろ。大抵の肉と皮は切れる。ただ甲殻の類いは避けた方が無難だ。それこそ偃月刀の二の轍を踏む。どうしてもやるなら左で隙間を狙え。右より負荷に強いからな」
腰に鞘を固定して引き抜き、具合を確認するザイン。
同じく傍目に不自然な部分がない事を確認しながら、リザは注意事項を並べ立てる。
「一応持ち手は断熱製の高い革と塗装で仕上げて保存の魔装もかけたが、お前の熱対策としては恐らく不十分だ。だからなるべく慎重に扱え。……限度はあるだろうが」
「ありがとうございます」
「言っておくけどな、雑に扱って壊されるのは我慢ならんが、武器を庇って使い手が死んだんじゃそれこそ本末転倒だ。分かるな?」
「はい……すいません、いざという時は、存分に使い潰します」
「そうだ、それでいい。こいつには悪いが、お前に打つ武器としてはあくまで間に合わせだしな」
リザは肩をすくめると、かたわらにちょこんと立つライネを見やる。
服装は何時ものローブと部分鎧。その手は黒い長杖を握りしめ、胸にかき抱いている。
見るからに溌剌として、やる気に満ちあふれた姿だった。
「ただまぁ、ライネと一緒ならそんなに無理する必要は無いだろ」
「はい。引きつけさえしてもらえれば、後は任せてください」
「そう……なんですか?」
「ま、実際見りゃ分かる」
そういうリザは一体何処でライネの腕前を見たのかという疑問は、ザインの心の片隅に浮かぶだけ浮かんで消えていった。
「そのままでお願いします」
落ち着いたリザの指示がザインの背中に当たる。
次の瞬間、無数の銀の糸が背後からザインの体を回り込むように伸びて、長爪竜とその周囲に降り注いだ。
長爪竜に触れた糸は鮮やかな緑の皮膚に吸い込まれるように消えていく。
衝突音。地面に強く水を撒いた時とよく似ている。
血が飛沫を上げ、地面が小刻みに爆ぜる。
悲鳴を上げる暇も無く、軽石のように穴だらけになった長爪竜が、軽い地響きと共にその場に横たわった。
「うわぁ、凄まじいですね……」
「ザインさんもお見事です!」
ザインの畏怖のこもった感嘆の声に、ライネは朗らかに応えた。
その手には今も身長より長い漆黒の杖が握られている。
飾り気のないシンプルなデザインながら、杖頭に埋まった透明感のある握り拳大の蒼玉が目を引く。
そしてその宝玉の周辺に浮かんで揺れる、大小数個の水の塊。
銀糸の正体は、糸にしか見えないほど細長く伸ばされた水。
具体的には、水だけに作用する力の道を細く強く作り出し、そこに水を流した形になる。力の道に乗った水は強い力で押し出され、先端に弓矢のような貫通力を発生させる。この貫通力で長爪竜の頑丈な鱗と肉を貫いたのだ。
ライネは、水に特化した元素魔術士だった。
元素魔術は四大魔術とも言われる、最も一般的で汎用的な魔術の一系統である。
四大の元素とは即ち地水火風を指す。自然物の多くはこの四つの元素を源として成立しているとされ、元素の組み合わせによって様々な現象の再現が可能であるとされる。
この再現を実践するのが元素魔術であり、元素魔術士である。
ライネの使った魔術は水創生と水操作。ザインの掌を癒やしたのと基本的には同じ魔術が、魔獣を蜂の巣にする攻撃をも可能としている。
ちなみにかってザインが戦った長爪竜の異常個体が負っていた矢傷や切り傷も、この魔術が生み出した物だった。流石にサイズと共に頑強さも桁違いだったため、深手を負わせる前に逃げられたのではあるが。
完全に獲物の息の根が止まった事を確認しいて、ザインは手早く仕留めた三頭の長爪竜の剥ぎ取り作業にかかる。
ただ、今回の討伐における主な目当ての素材は魔獣の消化器官だが、これは剥ぎ取って運ぶのには向いていない。爪や大型の歯などを切り取るに止めて、大部分がそのままの獲物に標旗を突き立てる。
標旗は討伐依頼を請けた際に割り当てられる旗の付いた矢である。
後ほどこの標旗を目印に、回収班が大型の荷台で獲物を回収してくれる。
回収班とは多くは青銅斧が臨時で組んだ即席パーティである。
ザインも何度か参加した経験がある。
道路整備と同じく、下級の武装開拓者が従事する日雇い仕事の一つなのだ。
一般的に討伐依頼は、仕留めた獲物を自分で持ち替える以外にも、依頼の完了を待って派遣される回収班に運搬を任せる事が出来る。
回収された獲物は狩猟市場に運ばれ、専門の解体業者によって解体された後、卸問屋に引き取られて現金化される。
この代金から解体の手間賃と回収班の取り分が引かれた後、討伐した武装開拓者の副収入となる訳である。
当然今回の場合目的の部位がある事は組合を通じて問屋に連絡が入っているため、内臓は現金化されずに問屋で保管され、後ほど保管料と解体の手間賃を支払って引き取る形になる。
この辺りは割と討伐者寄りに融通が利くようになっている。
それでも余分な軋轢を生まないよう、持ち運びの利く稀少な部位に関しては、討伐した際に討伐者が剥ぎ取って保管する事が慣例にはなっているのだが。
「うーん、事前の話だともっと数がいるかと思ったんですが……見当たりませんね」
「既に何回か討伐隊は入ってるはずですから、群れの大部分は移動した後かもしれません」
「確かに。でもだとするとちょっと拍子抜けですね。折角のリザの剣のお披露目としては物足らないというか……」
「いやまぁ、ライネさんと一緒にいる限り、どっちみち出番はそんなになかったんじゃないかな……」
杖を両手で頭の上に掲げる形で伸びをうつライネを横目で見ながら、ザインは控え目に意見を述べた。
今二人がいるのは、森の縁に当たる場所だ。ただし鬱蒼と茂る森はその一番外側に何十という切り株を晒している。ここ最近は時期的に雨が少なかったせいか、断面はまだ生白さが残る。
居並ぶ切り株を椅子に見立てれば、森の薄闇を垂れ幕に望む舞台のように見えなくもない。腰掛けるには少々高さが低いせいで、観客は子供か小人になるかもしれないが。
ここは閉鎖中の伐採場である。
かってザインが整備した道路の終点であり、長爪竜の異常個体が逃走の果てに森から出てきた場所でもある。
トッドが異常個体を仕留めた後、一度開拓者組合はこの伐採場に青銅斧のパーティを偵察に出した。その結果、すっかり長爪竜達の縄張りに呑まれている事が分かったのだ。
大型の魔獣同士がぶつかり合う段階は既に終わっていたらしい。
大型の魔獣は比較的餌が少ない森の外側に長く居着く事を好まない場合が多く、縄張りの空白さえ埋まれば立ち去る事はかねてからの開拓者の経験によって分かっていた。
その後は茸猪や笛馬亀などの比較的大型の草食獣か、長爪竜のような小型の肉食獣の縄張りとなるのが一般的である。
とはいえ以前から可能性は十分にあったものの、小型とはいえ肉食の亜竜が里の近くで彷徨いているのが分かって放っておく訳にもいかない。
結果、しばらく前から定期的に討伐依頼が組まれる事になった。
何故定期的かと言えば、一度に全滅させるのは現実的ではないからだ。長爪竜の群れは少数のグループに分かれてはいるがその総数は群れ全体で百頭近い。
さらに言えば全滅させる必要も無い。一定数数を減らして縄張りを縮め、伐採場よりも奥に追いやれば十分なのである。
勿論、長爪竜にこの伐採場を譲る選択肢はない。
今現在好調な他の伐採場も、何れ何らかの魔獣の縄張りにぶつかり、一時的に操業が止まるだろう。そうなれば減った取れ高を他の伐採場で補わなくてはならない。
危険度の高い大型の魔獣がうろつかなくなった今、この伐採場を何時までも遊ばせておく訳にはいかないのである。
他の動物の縄張りを侵す事は、森の中では常に行われている事でもある。
自分達の居場所を主張し続ける事こそが森で生きるという事だった。
人間もまた、その原則から逃れる事はできない。
剥ぎ取った素材を乗せた荷台を押し出す前に、ザインは腰に収めた爪剣に手を置いて、差し具合を確かめた。
しっかりと固定されている事を確認しつつ、改めてその軽さと、振るった時の切れ味を思い出して小さく身震いする。
――しかし、十二分に切れるな。
使ってみた感想としては、とても繋ぎ用の急拵えとは思えない見事な業物だった。
かって使った偃月刀とは逆方向の反りである。どうしても具合は変わると思っていたが、不安は杞憂に終わった。
主に左用の短剣のおかげである。
これも反りの内側に刃があるが、峰が厚く丸く造られており、攻撃を受け止めて滑らせるのに適している。
この左で受け止め、受け流し、右で刈る。剣の重心がやや先端に寄っているのだが、それを相手に投げつける、あるいは巻き付けるように手首のスナップを利かせて斬り付ける。すると内側の曲線が相手の表皮を沿うに滑り、吸い付くように深く切れるのだ。
偃月刀が表面を擦り斬る剣なら、爪剣は撫でるように掻き切る剣と言えよう。
間隔としては剣と鎌の中間くらいの手触りである。
右一本なら防御はかなり神経を使っただろうが、左のおかげで安心して振れる。
今のところ、不要な力みは殆ど発生していない。
――後は、硬いところに当てない事だけ気をつけないとな。
どれだけ切れ味が鋭く力を入れずに斬れると言っても、骨に食い込んだりざらざらとした部分に先端を引っかけてしまえば意味が無い。
むしろ鋭い分、刃は熱で簡単に駄目になるだろう。
神経の使いどころだった。
ただ、これも現状心配のしっぱなしに終わる可能性が高い。
「このままだと、思った以上にあっさり終わっちゃいますね」
「ほとんどライネさんのおかげですけどね。結果的に任せっきりになって申し訳ありません」
「そんな事ないですよ、前に立ってくれる人いてこその後衛ですから!」
ライネが一緒だからだ。
ライネの元素魔術の殺傷力は、ザインの剣を軽々と上回っている。
「いやそれにしたって、魔術の速度と威力がかなり高い気がするんですが……本当に白銀なんですか」
「元素魔術は結局、創生の量とスピードが全てみたいなとこありますから。一定量を生み出して保持すればあんなものです。まぁ私の場合はこの【フェルガーユの泉】がある限り、水創生というより水召喚なんですけどね」
ライネはそう言って捧げ持った杖を軽く揺らす。
その度にころころと軽く澄んだ音が杖の先端から転がり落ちてくる。
「【フェルガーユの泉】……杖の銘ですか?」
「はい。この杖は我が家に代々伝わる魔道具なんですが、この杖頭の宝石、実際には宝石ではなくて、小さな異界なんだそうです」
「異界!?」
「漂流遺跡ってあるじゃないですか、この森の奥にも幾つか埋もれている、秩序世界の外側に漂う滅びた異界の断片。この杖も元々はその一種だったものを、杖の形に加工したんだとか」
「はぁ……」
「元が異界の遺跡のせいなのか、杖自体にうっすらと意識のようなものがあって、波長の合う人間にしか使いこなせません。なので他の家族を差し置いて私が相続したんですが……それはともかくこの杖の宝玉は、見渡す限りの湖しかない異界を内包した存在だそうです。そのおかげで、この杖を持っている限り殆ど無尽蔵に水を呼び出して操れるんです」
「いや、操れるんですって……とんでもない代物じゃないですか」
あっけらかんと説明するライネに、ザインはどう反応すればいいのか分からず間抜け面を晒す事になる。