02
トッドとザインが二人で分担するこの道路は、今はあまり使われていない木材の伐採場に繋がっている。
使われてないと言っても皆無では無い。実際、伐採場からは今も優良な木材を採る事が出来る。必要な場合には木樵達が入って材を採る。
武装開拓者のパーティを連れて。
森の周辺部から木を切っていく内に、少し深入りし過ぎたのだ。縄張りを侵されて怒った魔獣に襲われ、死者こそ免れたものの木樵達に大勢の怪我人が出て、一旦伐採場は閉鎖となった。
当の魔獣は武装開拓者によってすぐに討伐されたものの、閉鎖は今でもまだ解かれていない。
理由の一つは、里の周辺に他にも優良な伐採場が複数存在する事。
他の伐採場でも問題が起きない限り、一度木樵達を再分配した手前、すぐに人を戻すという事は効率が悪い。
もう一つは、切り開かれた森での縄張り争いが落ち着くのを待つためである。
魔獣が討伐されたため、森の中に縄張りの空白地帯が生まれている。他の魔獣達がそれに気付けば、当然新たな餌場を我が物とすべく乗り込んでくる。
そこで同じぐらいの力を持つ二頭以上が出会せば、当然喧嘩が始まる訳だ。それも、人間が巻き込まれれば一溜まりも無いような野生の暴力の応酬が、長い時は数ヶ月続くのである。
そんな状況で、おちおち仕事なぞ出来るはずがない。
とはいえ、永遠に封鎖する必要は無い。
縄張り争いが一段落すれば、森の切り拓いた部分から少し奥に縄張りは引き直される。また縄張りにぶつかるまで、伐採は進められる。
ぶつかったらまた少し待つ。
その繰り返しで、ずっとやってきたのだ。
森の奥深くに済む魔獣達にも、日光の有無や餌となる動植物の生息具合など、そこに住む理由がある。
人の手によるものでも何でも、森の形が変われば、生き物はそれに合わせて住処を変える他に無い。
それこそ森そのものを動かすような、よほどの超越的な存在でもない限りは。
担当範囲に入ったザインは、まず全体を一度歩き回って状態を観察する。
作業のおおよその段取りを確認するためである。
この時一人で動かすには無理のあるサイズの、大岩や倒木が道を塞いでいた場合、その部分は手を着けずに報告だけに留める。この報告は次回複数人をあてがう仕事の元になる。
今回は見たところ、そのような大物は見当たらない。奥の方ほど森に近づくため、周辺の草木が成長して道に被さってきているのが主な整備箇所だろう。
後は全体的な整地と軽い掃除で済む。
とはいえ、それなりに広さがあるため、全てを終わらせる前に日が暮れるだろう。担当範囲毎に物置と非常時の番小屋を兼用する小さな掘っ立て小屋があるので、ザインは端から今日はそこで一晩を明かすつもりだった。
ザインの担当範囲はトッドのそれよりも伐採場に近いが、それでも入口から幾らか離れた所までになる。
伐採場を再開する場合は、また一度状況を確認するため武装開拓者のパーティが派遣され、その後でまた周辺の整備計画が立てられる事になるだろう。
この通り、それなりに安全には考慮されている仕事だが、それでもこの道路整備には武装開拓者があてがわれる。
ここにも幾つかの理由がある。
一つ目は最前線に立つには歳をとり過ぎたが、経済的な理由などで武装開拓者を続けなくてはならない人間のための、一応の福祉支援の役割を担っている事。
ある種の年金と言ってもいい。開拓地は何処も活気があるが、それは常に人手が不足している事の裏返しでもある。そのような場所では、働けない人間の居場所は狭くて冷たい。
二つ目は、安全を考慮してなお万全とは言い難い仕事である事。
開拓地は人と人外の領域の境界線、それも徐々に人外の地へとめり込んでいる線上である。人を何人も回すほどの予算が無い以上、最低限身を守れる人間を派遣するという建て前が必要になる。
そして三つ目は二つ目に若干関連するが、武装開拓者という立場の存在意義。
口さがなく言えば、武装開拓者と開拓者における、命の値段の違いである。
開拓地を切り盛りする主体がどちらかと言えば、それは日用的に開拓作業をこなす非武装の開拓者だ。
にも関わらず、金銭的にも武力的にも、時には社会地位的にも、武装開拓者の方が一般の開拓者より特権的な立場にある。
これはあくまで、武装開拓者は開拓者を守る事を仕事以前に義務として担う、という考え方が前提にある。
つまり、開拓者の死が武装開拓者の死より、先んじる事は許されないのだ。
この道路も、魔獣の出現で閉鎖された伐採場に続く道である以上、魔獣の出現確率は他の何も無い場所に比べて比較的高い。もし何かあった時、被害者が武装開拓者かそうでないかは開拓地全体に与えるショックに大きな差があり、集落を運営管理する開拓者組合の活動にも無視できない影響を与える。
――間違ってはいない。
ザインはこの武装開拓者の命の安さについて、漠然とだが納得していた。
力を持つ者が持たない者の盾になる事は、社会という群れを作る生物としてむしろ正しい。群れが持続する事が回り回って自らの益になる。
多分、多くの同業者も同様だろう、と考えている。全てではないにしても、だ。
納得してこの場に立つ方がいい。
さもなければ後悔するだろう。
では自分は、とザインは考えを巡らせる。
後悔するのか、しないのか。その時が来た時に、憐れにも泣き叫んで運命を呪うような事にはならないのか。
――分からない。
正直に言えば、そうとしか評しようがない。
そもそも、自分が運命を呪う状況とは何なのか。
無為に無価値に、ただ虫けらのように殺されようとする時か。
為す術も無く、全てを奪われて蹂躙される時か。
成し遂げた成果の全てが、全くの無駄だと断じられた時か。
――いや。そんな暇は、無かったような気がする。
そのどれについても、その場にあってはただ心が死んで何も感じなくなった、ような気がする。
あえて言うなら、蹂躙される間際にあっては、逆に一瞬遅れて燃え上がる物があった。
生きる意志。
あるいは衝動。
一秒一瞬後に、まだ息をして動くために自らの全てが一点に集中する感覚。
無我夢中とは、ああいうものを言うのだろう。
結局のところ、自分が今我が身の運命を呪っているのか、ザインには判断がつかなかった。
自分自身の事にも関わらず。
あるいは、だからこそか。
なんとなくおかしさがこみ上げて、ザインはくすりとほくそ笑む。
そして、奥の伐採地側から、苛烈に生い茂った雑草の刈り込みに手をつけた。