18
奥の作業場は売り場の倍以上の広さがあった。
下手をすると三倍近い。
そこには小型ながら、必要な物を全て揃えた工房があった。
床は売り場が板張りなのに対し、作業場は砂と石灰の混ぜ物で舗装され、炉の周辺だけが一段下がって剥き出しの黒土になっている。
目に付くのは部屋の中央に気付かれた巨大な火床、いわゆる金属を熱するための炉である。直上には四角く煙突穴が切ってある。
そのすぐ手前に大小の金床が二つ。
他の道具は全て壁にかけるか、立てかけられていた。
金ばさみと金鎚は勿論、一般的に鍛冶屋ではあまり見掛けないような道具もある。
鋸、手斧、鑿、小刀、刷毛、様々な種類の鑢と鉋。果ては短剣のようなサイズの縫い針まで。
他には玉割りした丸太を丸く削ったようなものも複数床に置かれていた。
鍋釜や兜の曲面を作る際の型である。これに板金を乗せて上から叩くのだ。
部屋の一番奥には、部屋の横幅一杯に拡がるサイズの、据え付け式の作業台が鎮座している。
手前側の隅には作業台よりも小さなベッドとサイドテーブル。
どうやら作業場で寝起きまでしているようだった。
生活感と言えそうなのはその一角だけで、とても女性の住む環境には見えない
だが工房の中央に立つリザの姿は、まるで一枚の絵画のようにしっくりと馴染み、堂に入っていた。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったな」
リザは自分の豊かな胸元を親指で指し示す。
「私はリザ。リザ=エルケだ。ここの店主であり筆頭鍛冶師をやってる。ま、見ての通り私一人しかいないんで、筆頭も何も意味ないんだが」
物々しい自己紹介をすると、ザインに折れた剣を突きつけて言った。
「早速だが、こいつを折った時の状況、再現できるか」
「できます」
ザインは剣を受けとって、真横の壁に向かって構えた。
息を吸い、息を吐く。
深く、細く。
柄を握る。強く、強く。
腰から背骨を伝って、熱が這い上がってくる。
鼻の奥が張り詰める。後頭部が内側から押し上げられて軋む。
全身の神経が細い針金となって伸び、顔の中心に集まってくるような圧迫感。
熱は上昇と同時に腹腔に満ちて、ゆるゆると肺に向かってせり上がってきた。
だが熱が全身を満たすよりも早く、折れた剣の先は赤い輝きを放っている。
「えっ……凄い」
ライネの何処か的外れな感嘆の声に、しかしザインの集中は途切れない。
ただ柄を握った手の内が徐々に熱く、やがて痛みを訴える。
それがまるで、折れた剣自身の痛みと怨嗟のようで、ザインに力を緩める事を許させなかった。
「分かった、もういい」
故にリザが静止した時には、その掌は長爪竜を逃した時のように焼け爛れていた。
ゆっくりと解くように手を放した際に零れる血と体液に、意外にもライネが真っ先に反応する。
「大丈夫ですか!」
「ああ、大丈夫です。このくらいならすぐ治りますので、治癒も要りませんよ」
「いや、大丈夫じゃないでしょうこの火傷は! ちょっと待ってください、保護します」
素早く指を振って空中に秘字を描きながら、小さく呟いたライネがザインの掌に息を吹きかける。
すると途端にザインの掌をうっすらと輝くものが覆い、同時に痛みが薄れていく。
ちらちらと瞬くように光る自分の手を見詰めてから、ザインは光の正体に気付いた。
「これは……水?」
「薄い水の膜で患部を包みました。火傷の進行を止めて傷の治りを早めてくれます。治癒法術ほどじゃないですけど」
腰に手を当てて、幼い生徒に説教する教師のような姿勢でライネが説明してくれる。
元素魔術系の水創生と水操作に相当する魔術である。
驚くべきは、ライネの若さに対して随分と熟練した手際の良さだ。
だが本人にそれを誇る様子は無い。
ただザインの傷を心配していた。
「毎回こんな傷を負ってたら、その内指がくっついちゃいますよ! むしろよく今まで無事でしたね」
「ああ、実は一応私、法術士の心得も少しありまして……仕事中だと治癒法術で直してしまうのですが」
「そういう事ですか……いや、それでもあんまり感心しませんよ。軽傷でも治癒法術による治療は少しずつ寿命を縮めるんですから」
「はい、ありがとうございます」
「この術式では治癒法術ほどは早く治りませんから、半日はそのままにしておいてくださいね。何か物を取りたい時は言ってください。私が代わりに取りますから」
「え、いやそれは」
「水の膜は薄いので、何かに触れると簡単に剥がれてしましますから。我慢してください」
軽い言い合いになる二人を他所に、壁から取ったやっとこでまだ熱の残る剣を拾い上げると、リザはそれをしげしげと穴が空くほど眺めていた。
「なるほどな……マジで灼けるのか」
「リザ! 分かっててやらせたんですか!」
「すまんて! あんな火傷するより早く手ぇ放すと思ってたんだよ!」
ライネの剣幕に諸手を挙げて弁解に走るリザ。
先ほどの一喝といい、どうやらリザはライネに頭が上がらないようだった。
手を包む水の心地よさもあって人心地つきながら傍観していたザインに、不意にリザが振り向く。
話題を変えようとしたのかは、定かでは無い。
「強く握るだけで熱が籠もるのか」
「その通りです。当然構えているだけじゃなく、斬り込んだり攻撃を受ける、受け流す場合でも同様です」
「厄介だな。基本熱された状態で使われる想定の武器なんか無い。そりゃあ片っ端から壊れる訳だぜ」
「でも凄いですね、一切の詠唱も記述も無しに、魔術に近い現象を引き起こすなんて……呪いというよりは一種の魔法的な体質ですね」
「そう言われると、魔族に近いのかもな」
話題に上った単語に、ザインは反応しそうになる自分を密かに押さえつける。
魔族。
生まれながらにして魔法の影響を受け、魔術に似た異能を生まれながらに使う人間。
だがその力は制御が難しく、また多くは巨大な欠点を併せ持つ。
力の暴走に無関係な人間を巻き込む事も少なくないため、辺境では特に迫害される立場にある。
「確かに、魔族の中には特定の魔術の効果を高める代わりに、同じ魔術によって傷を負いやすくなる人達がいますけど……あれはあくまで魔術そのものに対する影響で、無詠唱で魔術を使うような能力じゃ無いですからね。邪視者の魔眼や呪言者の魔声はまさに無詠唱無記述で魔術を行使するようなものですけど、ザインさんにはどちらの身体的特徴も無いし、そもそも触れた物限定で効果を発揮するものじゃありません。そう考えると独特ですね」
「新種の魔族だったりしてな」
「だとしたら大発見です!」
勝手に盛り上がる二人を横目に、内心冷や汗もののザインだった。
実際のところ、新種の魔族ではない、はずではある。
「で、どうにか出来そうですか」
「出来ないとは言わない」
ライネの問いに、リザが腕を組んで答える。
「だがその前に、もう一度確認だ」
リザの視線はライネではなく、ザインに向いた。
「ザイン。お前、本当に剣が欲しいか」
ザインの目に映るリザの目が輝く。
まるで火を呑んだように。
「そんな訳の分からん体質を抱えてまで、自在に、全力で振るえる剣が、本当に必要か」
ザインはその言葉の意味を考える。
そもそも武器を持つ仕事など辞めてしまえ、という意味か。
ついさっき会ったばかりの相手に言われるには、あまりに勝手で失礼な言葉に思える。
――であれば、違うのだろう。
意味も無くそんな事を言う人物とは思えない。
剣を何本も折ったというザインにリザが向けた怒りは本物だった。
だからこそ、それでもなお剣を握り続けるザインへの、問いかけだと思った。
何を問うのか。
――おそらくは、覚悟。
本当に、望んでいるか。
辞めてしまう口実に使う心は、欠片も無いと言えるのか。
打った剣を、さらには折った剣を、無駄にしない事を誓えるのか。
リザにではない。
今までと、これからの、自分自身に。
「……ええ」
剣を握らないで、本当に生きられないのか。
答えは決まっていた。
剣を握れない、戦えない自分に、ザインは存在する価値を認められない。
この身は証さなくてはいけない。
証し続けなくてはいけないのだ。
性能を。
戦闘能力という、たった一つの機能を。
例え滑落したとて、かってたった一つの悲願を胸に、――――――へと至る門を叩いた者として。
ザインは、リザを見た。
リザの目を見た。
真っ直ぐに、あらん限りの力を込めて。
「俺には、俺のための剣が必要です。どうしても」
しばしにらみ合うように視線をぶつけ合わせた後、リザが呟く。
「……いいだろう」
静かで、硬い言葉だった。
鉄すら刻む金剛石の刃のような。
「お前の剣、私が打ってやる」