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ライネは、まるで当たり前のように魔術士という言葉を使った。
この世界に魔獣を生み出した根源とも言われる秩序の綻び、漂着した異界の断片、深淵を満たすもの、混沌。
その混沌によって歪められた秩序法則こそが魔法。
そして魔法を人の手で利用する神秘にして技術という矛盾を、魔術と呼ぶ。
かって創造神が創世に利用したとも言われる秘儀。
その神代の秘儀を、遙かに劣化させながらも引き継いだ者達。
それが魔術士だ。
再創者とも言われる、強大な異能力者達。
目の前のうら若い女性がそうだと言われて、しかしザインは納得する。
一つには、ライネが武装開拓者としては華奢に見える事。
無論何をどう言い繕おうと、武装開拓者は肉体労働者である。ある程度健康的でなくては話にならない。
ライネも年頃の女性としてはかなり活発そうな外見をしている。手足の太さや肩幅、腰つきに頼りなさは見られない。
だがやはり武器を構えて魔獣と相対する人間は、自然と体に厚みが付く。
逆に言うと、付かないと保たない。
ザインも全体のシルエットとしては細身ではあるが、女性として平均的な身長のライネより頭一つは背が高いせいでもある。胸板もそれなりには厚く、二の腕と太股に関していえばおそらくライネの倍に達するだろう。
一見して、ライネは武器と鎧を身につけて走り回るタイプには見えない。
だがそれでいて武装開拓者と信じさせたのは、やはりライネの目に宿る力の強さである。
日常に生きている人間と、生死をかけた鉄火場に身を置いた経験のある人間では、やはり纏う空気が違う。
それは、必ずしも良い事でも幸運な事でも無いのではあるが。
となれば、魔術士という職種は妥当なところだった。
魔術士には再創者の他に小さき王という別名がある。
魔術の行使には高い集中力の維持が求められる。神々の遺した秘字と秘語によって呼び出した魔法、つまり混沌の現象をこの秩序世界に留めるためだ。
集中が乱れた瞬間、魔術は良くて雲散霧消、悪ければ暴発し思わぬ結果を生む。
そのために魔術士は必ず、自分の精神と感情をコントロールする術を学ばされる。
どのような窮地であっても、突発的、衝動的な感情で術式の集中を乱さないために。
小さき王とは即ち、自分という最小の領土を完全に支配した者という意味なのだ。
そんな魔術士達は、魔術士であるという自負そのものが意志の中軸になっている者が少なくない。
――魔術士故の眼光、という事か。
そんなザインの納得を他所に、ライネの言葉は続く。
「そしたら言われたんです。『オレの前に、誰か弱らせてくれた人がいる。謝るならそっちにしてくれ』と」
「トッド君……」
――真面目だなぁ、彼は。
最初に浮かんだ感想はこれだった。
そこは自分の手柄として受け取っておけばよいだろうに、と。
この時、完全に自分の所業についてはザインの頭から抜けている。
「で、トッド君は俺の名前を出したんですか」
確かに、警戒の狼煙を上げたのがザインだという事くらいは、トッドも分かっていたはずだ。
長爪竜討伐後、組合から注意喚起の知らせもない。
つまり、狼煙の原因が長爪竜だという事も想像はつく。
とはいえ、隣り合った担当場所で仕事を請ける仲ではあっても、肩を並べて戦った経験は無い。互いの腕前までは知らない間柄だ。
当然、自分の因果な体質についてもトッドが知っているはずはない。
ザインには、トッドが自分の名前を出した理由を思い至れなかった。
「はい。それと私が確認して、もし本人だったら伝えてくれとも」
「それは、なんと?」
「『そういうのホント気持ち悪いんで、やめてください』、だそうです」
「……ぷっ」
思わずザインは噴き出してしまう。
どういう訳かは分からない。
分からないが、トッドにとってザインは『そういう事をやりそうな人間』に分類されていたらしい。
――いらないお世話だったか。
これはもう、ザインとしては笑うしかない。
「ちょっと意味は、よく分かりませんでしたが……」
「く、くくく……」
「だ、大丈夫ですか?」
笑いの衝動を抑えきれずに腰を折るザインに、初めて戸惑った表情を浮かべるライネ。
傍から見れば、確かに文句のような言葉を伝えられて、何故突然笑い出したかなど分からない。大分不気味な光景には違いない。
しかしザインとしては、ばれないと思っていた悪戯が友達にまんまと見つかっていた子供の心境に近い。
――多分、本当に嫌だったんだろうな。
いつも以上に仏頂面をした若者の顔を、ついつい思い浮かべてしまう。
トッドからすれば真に勝手な感想だろうが、こればかりは仕方が無い。
笑い過ぎて零れた涙を拭いながら、ようやくザインは返事を絞り出す。
「……ありがとうございます。今度トッド君に会ったら、改めて謝ります」
「謝る、事なんですか」
「謝る事ですね、これは。多分、間違いなく」
まだ収まらない笑いを、どうにか飲み込んで、ザインはライネを見詰めた。
見詰められたライネが、反射的に居住まいを正す。
目尻を僅かに濡らしたまま、ザインは微笑みと共に自らの行いを認めた。
「……そうです。長爪竜の首に傷を負わせたのは、俺です」
「やっぱり、そうなんですね」
表情を硬くしたライネが、深く頭を下げた。
かれこれ三度目の辞儀になる。
「この度は、私達の不始末でご迷惑をおかけしました。本当に、申し訳ございません」
「ああ、いえいえ。相手が悪かったでしょう。最初から魔獣に逃げを打たれたら、人間にはどうしようもありませんよ」
頭を下げたままのライネを、軽く手を振ってザインは諫め、止める。
だが続く言葉に、思わずザインの口が大きく開いた。
「ですが、その……そのせいで、長爪竜との戦いで武器を壊してしまったと伺いまして」
「あっ……マクスさん!」
ザインを今度こそ大声を上げてカウンターを振り返った。
他言無用の禁を破った事を目で責めるザインに対して、マクスに悪びれる様子は無い。
「なんだよ、本当の事だろ」
「あれは、俺自身の不始末ですよ」
「何言ってんだ、運が悪過ぎただけだろ。それとも他に何か理由があるのか?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
自らの体質に関して大っぴらにしていない以上、ザインは呻くしかない。
下手に有名になってしまうと、片っ端から壊されるのでは商品の外聞が悪くなると思った武器屋から、武器を売ってもらえなくなる可能性がある。
そうなれば武装開拓者廃業まっしぐらである。
事前にライネから事情を聞いたマクスは、ザインが借りていた武器を壊して弁償する羽目になった事だけをライネにばらしていた。
ザイン同様、ライネに不備があったと責める気はマクスにも無い。
だが、多少は恩を着せても罰は当たるまいとも考えていた。
それはマクスのややお節介な親切心であり、同時に開拓者組合の社員としての勘でもある。
マクスが普通に考える限り、ザインのような人間は長生きしない。
武装開拓者なら尚更である。
特に新人の半分は半年持たない。怪我か、死ぬか、心が折れる。
なのに、ザインはまだ生きている。
去年ドゥーロンにやって来るより前の事は知らないが、一年少々を経て未だに武装開拓者を続けている。
運の無さと損な性格を埋め合わせてなお釣りが出るだけの、何かがあるはずだった。
それが何なのか明らかになるまで、武装開拓者を続けさせるべきだと思ったのだ。
武装一般を問わず、開拓者はどうしてもある一面を持つ。
それは山師の顔だ。
あやふやでも、まるで確証が無くても、自分の心に刺さる輝きの片鱗を見つけてしまえば、賭けずにはいられない。
その意味では、ドゥーロンに生きる以上マクスもまた開拓者であった。
「相手の気持ちも汲んでやれよ。筋を通しておくのは今後の信用にも関わる事だ。無下に扱うもんじゃない」
「そうはいいますがね……」
軽く手を振って促すマクスに対して、ザインは渋面を隠さない。
「あ、あの!」
一体何を要求しろというのだと、言い返しかけたザインを遮ったのは、ライネの真剣な声だった。
「もしよければ、私に壊した武器を弁償させてもらえませんか!」