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――話によっては、ドゥーロンを出なくてはならないかもしれない。
これは少々以上に飛躍した思考ではあった。
何しろ、ライネが若い見た目によらず、開拓者組合の上層から命じられた調査員であった場合の話だからだ。
別に、長爪竜に瀕死の重傷を負わせた事と、それを黙っていた事が問題なのではない。
最終的に止めを指したトッドの功績に疑いを抱かせるのは避けたいが、終わった昇級を今更やり直すような真似は、組合の信用に関わる。
よってそこまでやる可能性は極めて低い。
それよりも、ザインが瀕死の重傷を負わせるも取り逃がすに至った流れ、特に出来る限り秘密にしている厄介な体質が、公になる事の方が心配だった。
何より、体質以外にもマクスも知らない秘密を、ザインはまだ複数抱えている。
その中には、場合によっては集落を追われる理由になり得るものすらあった。
体質がきっかけで、それらの秘密にまで調査の手が伸びる事態が、最も恐ろしい。
下手に騒ぎになるくらいなら、その前に自分から出て行った方が後々に禍根を残さないで済む。
――今夜にでも、出るか。
だがそんな負の方向に高速回転するザインの思考を、さらにライネの行動が追い越していった。
唐突に、ライネが再び席を立ち、その場で深く頭を下げたのだ。
「ごめんなさい!」
「……はい?」
急な謝罪に完全に思考が停止するザイン。
負の思考を蹴り出して頭の中いっぱいを占めた疑問は、頭を下げたまま告げられたライネの次の言葉で氷解する。
「あの長爪竜を逃がしたのは、私なんです」
ライネは、あの時の長爪竜の討伐依頼を請け、手傷を負わせるに留まった武装開拓者のパーティ、その内の一人だった。
「なるほど、えーと……まず、まず最初に確認しましょうか」
想像もしなかった急展開に、ザインは眉間を押さえるしかない。
まさか、そんな方向から人が会いに来るとは思っていなかったのだ。
武装開拓者も結局の所、人の生業である。
であればこそ、ザインの経験上でも、筋を通すべき線はある。
そして逆にその一線を踏み越えないものであれば、基本的に追及はせず、されない。
例えば、依頼を請けたパーティの獲物を、何の縁も無い別の開拓者が明確に横取りするような事件があれば、この場合はとことんまで行く。
勿論、事故や救援の結果であれば問題は無い。報酬は依頼を請けたパーティに支払われた後、金銭と獲物から手に入る素材を貢献度に合わせて分配する。
これは当事者間の話し合いだけで決まるが、基本的に揉める事は無い。
特に救援への難癖は、揉めた事実が一発で周辺に知れ渡る。
持ちつ持たれつの部分が見た目以上に大きいのが、武装開拓者である。
信用を失って同業者から避けられるようになったパーティは、長くは保たない。
対して横取りの明確な証拠があれば、開拓者組が横取りを仕掛けた側に厳罰を下す事になる。
等級の降格、免許の剥奪、さらに悪質な場合は開拓集落からの追放。
だが、これはまだ穏当な結末である。
横取りか否かで揉めた時、多くはその場での武装開拓者同士の殺し合いに発展する。
自らの手に武器を持ち、魔獣との戦いに自らの命をかけるのもまた、武装開拓者だ。
同業者に舐められて、はいそうですか、と引くような人間に続けられるものではない。
ザインのような人間は例外中の例外であり、だからこその万年最下級ソロ開拓者とも言える。
横取りされかけた側が勝てば、横取りされかけたと報告して終わり。
横取りを仕掛けた側が勝てば、獲物の所有権だけを得られる。報告は基本されない。
請けたパーティ以外は報奨金を受け取れない仕組みになっているのだ。
横取り行為に利を与えて横行させないための決まりである。
当然どちらが勝っても無傷で終わる事は少なく、怪我の補償などあるはずもない。
このように、武装開拓者同士の獲物と手柄の奪い合いは、紛争当事者がどちらも得をしないようになっている。
だからよほどはっきりとした証拠と利益が無い限り、後から自分の権利を主張してくる人間は多くはいない。
リスクとリターンが釣り合わないからだ。
自分の非を認めて報告に来る人間はなおさら少ない。
リスクしか無いからだ。
無論結果として死傷者や重傷者、特に武装開拓者ではない一般の開拓者の被害が出た場合はこの限りではない。
武装開拓者全体の信用問題になるため、開拓者組合も必死に犯人を追跡、特定に努める事になる。
以上を踏まえて今回の長爪竜のケースを考えると、まず被害者はいない。
加えて、止めを刺したのはトッドである。
ザインも、立場上はライネと同じ、手傷を与えた上で取り逃がした側の人間だ。
であれば、謝られるのはザインではない。
まずはその点を確認すべくザインは口を開いた。
「あの長爪竜を仕留めたのは、トッド君……トッド=グリーク氏です。謝る相手は俺ではなく彼なのでは?」
なお実際のところは、ザインが与えた手傷は切り落とした爪を証拠とすれば、部分的な報酬を要求できるだけの功績が認められる代物である。
だが本人に、手柄を要求するつもりがない。
組合に引き取ってもらった爪も拾得物扱いにしている。
この時点で、ザインは自他の扱いにおける自分の矛盾に、自覚が無い。
ザインとはそういう男であった。
「トッドさんの方には、もう伺いました」
「……左様で」
内心で、ザインは肩すかしを食らってずっこける。
きちんと順番を踏んで、ライネはザインに辿り着いていた。
だが、ザインはトッドに何も伝えていない。
この二人の線はどうやって結ばれたのか。
「その時聞かれたんです。首の火傷を追わせたのは私達か、って。私は違いますと答えました。私達は長爪竜に大きな傷は負わせられませんでしたから」
ライネは席に腰を下ろし、真っ直ぐにザインの目を見てくる。
大きな目、小さな鼻、柔らかくすらりとした頰の輪郭。
可憐と読んでよさそうな容貌から放たれる視線に、ザインは密かにたじろいでいた。
――目力が尋常じゃ無い。
揺るがない視線の主を、ザインは大勢知っている。
その多くは、何かの信念を持っている人間だった。
自分の中に信じて頼る芯を持つ人間が、こういう目をする。
――あるいは俺も、こんな目をしていたのだろうか。
心の中で溜息をついたのは、過去形である事を自覚するせいだ。
『御山』より下山するよう告げられた時に、ザインの心棒はへし折れている。
だから、今のライネの視線が、ザインにはひどく眩しかった。
そんなザインの心情など知る由も無く、ライネは自分がザインに辿り着いた敬意の説明を続ける。
「私達四人の中で、魔術士は私だけでした。その私も、長爪竜を瀕死にするほどの強力な火炎は扱えません。そんな火傷には憶えがありませんでした」