09_訪問者
レオナルド・オレンシアは、ルシャンテ宮殿の執務室で新聞を読んでいた。しばらく前のもので、ルムゼア王国の悪女、ウェスタレア・ルジェーンが公開処刑されたという内容だった。
記事には、彼女が清廉潔白な王女に嫉妬し、毒を盛って殺そうとしたと書かれている。そして、ウェスタレアは毒杯を賜り、大勢の観衆の前で惨めな死を遂げたと。
(何が――悪女だ。彼女はただ、ひたむきに王妃になることを夢に見ていた、どこにでもいる普通の娘だった)
レオナルドはまだ少年だったとき、ルムゼア王国の離宮で彼女に会ったことがあった。レオナルドが知る彼女は、純粋で、真面目で、努力家だった。とても人を殺めるような人ではない。
何度も何度も読み返している新聞は、強く握りすぎたせいでシワができている。それを引き出しにしまい、小さくため息を吐いた。
隠された令嬢の件はさておき、今日は朝から気になっていることがある。それは――皇妃選定一次の結果だ。全ての応募者の試験の採点が終わり、通過した100人分の身上書が届けられることになっている。
(あの娘は受かっているのだろうか)
ふと頭に思い浮かぶのは、皇妃の座を狙う密入国者コルダータのことだ。
傍若無人で自由奔放。散々ひどい目に遭わされたのに……なぜか憎めない。それに、初めて会った気がしなかった。
(白銀の髪をした女人に会うのは――2度目だ)
何年も昔、ルムゼア王国の王宮で会ったウェスタレアも、美しい白銀の髪をなびかせていた。
すると、扉がノックされて、中へ入れと促すと、側近ディオンが入室した。長めの髪を束ね、いつも笑顔を浮かべている。何を考えているか分からない軽薄そうな雰囲気の男だ。
「お届けものでーす。――未来の花嫁候補100人の身上書。まぁ、あなたの関心を引くようなものではないと思うんで、その辺にてきとーに置いときますね。それか山羊にでも食わせます?」
「いや、すぐに目を通す。貸してくれ」
「わ、意外」
ディオンはへらへらした様子でこちらに歩いてきて、100人分の書類を持ってきた。一次選考の成績順に並べてあり、身上書とセットになっている。成績が頭ひとつ抜けて優秀な娘は、爵位もない異国出身の者だった。――コルダータ・ツィニア。
経歴を見ても、平凡で取り立てて褒めるようなところはない。
筆記試験はほぼ満点。皇帝から出された詩題への回答もとても面白い。詩題は、『皇妃選定の実施について自由に述べよ』。唯一コルダータだけが、この皇妃選定への批判を書いていた。しかし、国家を軽視していると思わせないように、巧みな文章でほのめかしている。
「あーその人、面白いよね。一見国家を讃えてるように見せかけて、皇妃選定は意味のないものだと言っているようにも捉えられる」
「ああ。挑戦的だ」
コルダータが言及するのは、この国の識字率の低さ。全ての女性に応募資格を与えたところで、文字の読み書きさえできなければ、試験を受けてもその先はないとのことだった。
それは事実だ。しかし、この大規模な選定は、有能な女が国のどこかにいても見逃さないためというもっともらしい目的の他に、皇室の権威付け、つまり皇妃が数百万人から選ばれたひとりであるという――箔を付ける目的がある。国で最も優秀な女というだけで、求心力があるから。
そういえば、コルダータが最後に会ったとき、アルチティス皇国の識字率について語っていた。全ての女が皇妃選定を受けるのは、紙の無駄だとも。
(いや……まさかな。同じ名の別人だろう)
「その人、何が面白いって皇妃になりたい理由なんですよね。――ほら、ここ」
「志望理由?」
彼な指を差した場所を見て、レオナルドは半眼になる。そこには簡潔に、こう書かれていた。
『権力や名誉、富の全てを手に入れ、皇国の頂点に君臨したい』
いまだかつて、こんなに欲望丸出しの志望理由を提出した女性はいるだろうか。レオナルドは、この答案の主はあの不法入国のコルダータだと確信した。
(頭はよくても、人格は大問題だな)
ふっと笑いを零しつつ、ディオンを見上げて言う。
「コルダータ・ツィニアについて調べろ」
「仰せのままに。――皇太子殿下」
応接間。午後に珍しい来客があった。
「突然押しかけてしまってすまないね。変わりはないかい?」
「ああ。そちらこそ大変だっただろう」
レオナルドに会い来ていたのは、ルムゼア王国の王太子――フィリックス・ネーゼロアだ。
ルムゼア王国は休戦中の敵国で、普段は積極的に交流を行えない相手だ。しかし、留学先が一緒だったときから彼は親友だった。ルムゼア王国とアルチティス皇国の和平交渉はそれぞれの国の事情が重なり上手くいっていないが、彼個人とはずっと親しくしている。
彼には同情している。婚約者であるウェスタレアが処刑され心中は複雑なはず。そんな状況の中で、はるばるここに来たのだから、何かよほどの用件があるのだろう。
「いや、むしろ大変なのはこれからさ」
「これから?」
「うん。僕はこれから、罪を暴かなければならない。――婚約者を陥れた本物の悪党たちのね」
彼の言葉を聞いて、小さく息を吐く。
「……冤罪だったのか」
「そうだ。ウェスタレアにはなんの罪もない。ただ……権力に翻弄されただけで」
「…………」
妃教育のために幽閉されているだけでも気の毒だったのに、あまつさえ命を取り上げられてしまったというのか。
(……無体な)
しかも、彼女を陥れたのは前王妃と王女だと言う。フィリックスはウェスタレアの潔白を証明するために、証拠を集めていた。
「君も変わったんだな」
彼は長いものには巻かれるような、権力に弱い男だった。優秀なのに向上心も反骨精神もなく、いつも前王妃の顔色を窺っていた。
「遅すぎるくらいだけどね。ウェスタレアに死刑が宣告されても僕は冤罪を訴えることができなかった。我が身可愛さでね。……最後に彼女と牢獄で会ってから、ようやく覚悟を決めたんだ。もっと早く変わっていたらと今も悔やんでいるよ」
「……彼女を愛しているんだな」
「ああ。……本人からは、ずっと兄のようにしか思われていなかったけどね。片思いだよ」
「…………」
幽閉されながらもひたむきに王妃を夢見て努力していたウェスタレアに、いつの間にか惹かれていったのだと彼は話した。
前王妃は、敵国ということで交易が禁止されているにも関わらず、アルチティス皇国の商人とやり取りをしていた。また、ルムゼア王国で流行している病に効く薬草を、アルチティス皇国や世界中から買い占めて高額で国内に売り、莫大な利益を得ている。
今回の事件においても、交易を禁止されている国との取引だったから、形跡を残さずに毒であるアギサクラギの種子を手に入れられたというのが、フィリックスの推測だった。アギサクラギはアルチティス皇国の山間部に生息している。
調べによると、前王妃は、仕入れた様々な毒を使って複数人を殺害している疑いがあるという。王宮内では前王妃に関わった複数人が不審な死に方をしていた。彼女は政敵を排除する目的で度々アルチティス皇国の商会から毒を入手していたと考えられる。
「デボラ商会か。……また闇が深い組織の名前が出たな」
「君の力でどうにか取引履歴を押収することはできるかい?」
その取引履歴さえ手に入れば、彼女たちを断罪する大きな証拠になる。しかし、ルムゼア王国の者がアルチティス皇国を自由に捜査することはできないから、レオナルドに依頼しに来たのだ。
フィリックスには、留学時はもちろん、皇太子になるまでかなり力を借りているので、できるだけその恩を返したい。
「こんなことを頼んでしまってすまないね」
「いや。お互い様だ」
貴族を相手に、毒や麻薬、武器などを売るデボラ商会は、アルチティス皇国でも度々問題になっている。しかし、商会の経営には、筆頭公爵家のレイン家が絡んでいるため、警察組織も手を出せずにいるのだ。レイン公爵家。この国の大きな闇のひとつだ。
「分かった。内密にこちらで人を動かそう。亡くなった彼女の憂いを晴らすために」
「…………」
まだ彼は何か言いたげな様子でいる。煮え切らない態度に、どうしたのかと尋ねると、彼は重い唇を持ち上げた。
「もうひとつ君に頼みたい。……もし、白銀の髪に紫の瞳をした背の高い娘に会うことがあれば、力を貸してほしい」
「まさか、生きているとでも? ウェスタレア嬢が」
すると彼は驚いたように、こちらを見据えた。
「白銀の髪がウェスタレアだとなぜ分かる? ウェスタレアの本当の髪の色を知っているのは、彼女の家族と僕くらいのはずなのに」
ウェスタレアは世間では、赤い髪をしていると認識されている。しかし本当は、白銀の髪を隠すように赤く染めていたのだ。
レオナルドが人生で初めて見惚れた相手。それは、ルムゼア王国に和平交渉で随行したとき、離宮で会ったウェスタレアだった。もうはっきりと顔を思い出すこともできないが、彼女の秘密である白銀の髪を見てしまったことは覚えている。
「まぁいい。確証はないけれど、恐らくね。他でもない僕が生かすために協力したから」
その言葉は、レオナルドに衝撃を与えた。罪人を逃がすということは、国法を破ったということ。王族であれ、国家を軽視したと非難されてもおかしくはないことだ。
悪女ウェスタレアの遺体は盗掘人に盗まれ、医学研究のために解剖体にされたと言われている。
だが実は、彼女は元婚約者フィリックスに解毒薬を用意させ、死んだ後は沢山の花と宝石を棺に入れてほしいと頼んでいた。その目的は、墓の中で仮死状態になっているところを盗掘人に掘り起こしてもらうため。
「解毒薬で、命が助かる確率は半々……ってところらしい。毒を中和しきれなければそのまま死ぬ」
「突飛な発想だ。もっと言えば、仮死のまま運ばれて全身バラバラかさえ、運次第という訳か?」
「彼女は生きている。ここで死ぬようなタマではない。僕は、前王妃の勢力を敵に回しても、ウェスタレアが名前をもう一度取り戻せるように力を尽くすつもりだ。これは彼女が処刑台送りになるまで、何もしてやれなかった償いと、王太子として果たすべき務めさ」
「……そうか」
しかし、今はウェスタレアがどこにいるのか、生きているかさえ分からない状態だ。
「だが、会ったところで確める方法がないな。変装をしているかもしれないだろう。他に何か彼女を示す手がかりはないのか?」
「前王妃の監視があって、僕も彼女とそう深く交流できた訳ではないからね。彼女は品行方正で大人しく、淑やかな人。……それくらいしか分からない」
白銀の髪ということで、ふとコルダータのことが思い浮かぶが、フィリックスの言う特徴とまるで違うので、無いなと思った。
(……あれは凶暴で淑やかさの欠片もない女だった)
そして、フィリックスが続ける。
「ああでも、一度だけ髪を結い上げている姿を見たことがあった。――首の後ろにほくろが3つ並んでいたのを覚えているよ」
「そうか。心に留めておこう。まぁこの国で偶然遭遇するなどということは、滅多にないだろうがな」
「いいや。会うことになるよ。もし仮に――彼女が生きていたとしたらね」
しかし、フィリックスがなぜわざわざ自分にウェスタレアのことを託そうとするのか、会うことになると確信しているのか、レオナルドは疑問に思った。
星の数ほど人間がいる中で、彼女に会う確率はどれだけ低いことか。
それこそ、皇妃選定を受けて勝ち上がってくるなどしたら――話は別だが。