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73_ふたりの皇妃候補の勝敗(1)


 花集めの集計まで残すところ二週間となった。今日はふたりの皇妃候補に与えられた倉庫に幕が下ろされて、中が見えないように措置が施される。集計の日を迎えるまで、結果を予測できないようにするためだ。


(まだ、足りない。もう少し集まらなくては――エリザベートに追い付けない)


 ウェスタレアは早朝、倉庫にひっそりと訪れた。昼間は大勢の使用人や騎士たちが行き交っているが、早朝であれば倉庫の見張りの者以外はいない。


 倉庫の周りには、手入れの行き届いた花壇があり、朝露に濡れた花々がみずみずしく輝いている。立ち並ぶ木々や湿った土から、朝の匂いが鼻腔をくすぐる。

 清々しい空気にもかかわらず、ウェスタレアは険しい顔つきでふたつの倉庫を交互に見比べ、爪を噛んだ。今の段階では、ウェスタレアよりエリザベートの造花の数の方が多い。


 人の目があるときには余裕のない姿を見せないように心がけてはいるものの、こうして集計までの日が差し迫った中で、目に見える形で劣勢を思い知ると、焦ってしまうものだ。


 皇帝が勅令を出す前のことを思えば、随分と花は集まってきている。順調に集計の日まで集まっていけば、エリザベートに勝てる余地は十分ある。それでもあと二週間、どう転がるか予想できなかった。


「そんな格好でいると風邪を引くぞ」

「!」


 頭上から聞き覚えのある声が降ってきたかと思えば、レオナルドは自分が着ていたジャケットをこちらに羽織らせた。薄いナイトドレスのまま部屋を出てきたが、朝は冷え込む。ジャケットには彼の体温が残っていて、ほのかに温かい。


(レオはいつも、絶妙なタイミングで私の前に現れる)


 ジャケットが肩から滑り落ちないように、片手で生地を抑えながら問う。


「今朝は随分とお早いのね。どうしてこちらに?」

「たまたま早く目が覚めて、散歩にでも行こうかと思い立ってな。お前のことを思い浮かべながら歩いていたらここにたどり着いた」


 レオナルドはいつも、ウェスタレアのことを心にかけてくれている。ウェスタレアにとって、彼の存在はとても心強かった。彼は倉庫の様子を見据えながら、こちらの手に肩を置いた。


「不安か?」

「……少しね」

「人事を尽くして天命を待てと言う。あとは運命に任せるしかない」

「運命……ね。たまに思うの、神様なんているのかしらって。順風満帆に生きる人もいれば、想像を絶するような理不尽に遭う人もいて、この世界はなんて不平等なんだろうって。幸せなことだけが起こればいいのに」

「俺が思うに、そもそも生きる目的は幸せになることに置かれてないんじゃないか。酸いも甘いも味わって心を磨き、豊かな経験を重ねて成長することにあるのだと思う。辛かった試練も、一生懸命頑張って乗り越え、あとになって振り返るとことさら美しい記憶になったりするだろう? それに、平等ではないかもしれないが、ひたむきに生きている者には公平に救いが与えられるものだ。もし俺が神なら――」

「ふ。何よその仮定」

「まあ聞け」


 彼はこちらに見つめて言った。


「俺が神だったら決して、こんなに頑張っているお前を放っておきはしないな。立ちはだかる壁を倒れるまでともに押し続け、走り続ける背中に扇を仰いで追い風を吹かせて、時にはともに汗だくになったりしながら全力で応援するはずだ」

「随分と過保護ね」

「それが、平等ではないが公平であるということだ」


 そのとき、ウェスタレアたちの背中にびゅうっと強い風が吹いた。今朝は風なんて吹いていなかったのに。強風はウェスタレアの白銀の髪をなびかせ、スカートを揺らした。レオナルドが言ったように応援されているような気がして、目を伏せる。


「悪足掻きだと揶揄されてもいい。最後までやれることをやるわ」


 すると、レオナルドは近くの茂みから紫色の花を摘み取り、ウェスタレアの耳にかけた。


「俺は神ではないが、辛いときにはお前の傍にいる。ひとつひとつ乗り越えてきたことは決して無駄にはならない。……だから、大丈夫だ」


 ウェスタレアは耳にかけられた花を指でつうとすくい、真剣な表情で小さく呟く。


「もうひと押し……。そうだ、お金さえ払えば……譲渡にはならないわよね」


 ウェスタレアは何を考えているのかと、そのときレオナルドは首を傾げた。

 



 ◇◇◇




 それからとうとう、皇妃選定最後のお題『花集め』集計の日を迎えた。


 最後の二週間は、ふたりの倉庫に重厚な幕が張られて、造花の数を外から目視することができなくなっていた。


(どっちが……勝つ?)


 幕が降りて、皇妃候補本人すら倉庫の中を確認することができない。


 少なくとも、最後に倉庫を見たときには、エリザベートの倉庫の方がまだ造花数は多かった。


「あらあら、怖い顔。そのように眉を寄せていては、しわになりますわよ」

「……」


 複数の侍女と騎士たちを付き従えたエリザベートが、ウェスタレアの前に立ちはだかり、自身の眉間をつんと指差して、からかうように言った。


 ウェスタレアは彼女にずいと迫って、にこやかに微笑みながら言い返した。


「あなたこそ、底意地の悪さが人相に出ているから、直した方がいいんじゃない? 性格」

「なっ……!? あなただけには言われたくありませんわ!」


 エリザベートはかあっと顔を赤くしてこちらを睨みつけた。彼女は相変わらず表情豊かで分かりやすい。


 するとそこにレオナルドが現れて口を挟んだ。


「随分と楽しそうだな。ウェスタレアにエリザベート嬢。一体いつの間に仲良くなったんだ?」


 彼の言葉に、ふたり同時に反論する。


「仲良くありませんわ!」

「仲良くないわ」


 見事に声が重なる息ぴったりの様子に、レオナルドは小さく笑った。彼は、厚手の幕が張り巡らされた倉庫を見上げながら言う。


「ついに今日、決まるんだな」

「「……」」


 レオナルドは今、どんな気持ちで倉庫を見つめているのだろう。彼の顔からは何も読み取ることができなかった。


 彼はエリザベートが皇妃になったら、自分の気持ちに関わらず、彼女を妻として受け入れなければならない。もちろん、レオナルドとウェスタレアが結ばれることは許されない。


 すると、エリザベートがそんな彼におもむろに言った。


「どうして……わたくしに力を貸してくださったのです?」

「何のことだ?」

「とぼけないでくださいまし。わたくしを庇護するようにディオン様に命じられたでしょう。それに、リアス社の立て直しのために人材まで派遣してくださった」


 エリザベートは解毒薬を開発するためにダニエルを援助し、地に落ちたリアス社の信頼を少しでも取り戻すために、被害者たちに今回の件の補償と謝罪をしている。しかし、そうするように助言したのは、レオナルドが派遣した優秀な者たちだった。エリザベートひとりでは細やかなところまで頭が回らなかっただろう。


「わたくしは、あなたが目の敵にしていらした罪人ティベリオの血を引く娘なのですわよ? どうして……」

「お前の父がしていたことと、お前自身は関係ない。俺はただ、最後にささやかな協力をしただけ。俺が手伝ったことはささやかなもので、お前の方がずっと頑張っているさ。これからリアス社がどうなっていくかはお前の頑張り次第だ。……それから、今まで辛く当たって――すまなかったな」

「……! ずるいですわ、レオナルド様は」


 エリザベートの目が潤む。彼女は苦笑を浮かべながら言った。


「最後に……だなんて、まるで私が皇妃に選ばれないと決めつけていらっしゃるような口ぶりですわね」

「俺はただ……ウェスタレアが選ばれることを願っているだけだ」

「……妬けて、しまいますわ」


 公開断罪のとき、公衆の面前でエリザベートはレオナルドへの想いを口にした。それを踏まえた上でのレオナルドの言葉は、彼女への気持ちに応えることはできないという、拒絶をほのめかしたものだった。


 だがエリザベートは、清々しい笑顔を浮かべてこう言った。


「皇妃になってもなれなくても、わたくしの進む道は険しいものでしょう。父親のことを揶揄され、負い目を感じながら生きていかなければならないのですから。ですが今は――これが弱くて何もできなかったわたくしの成長のために必要なスパイスだと思えるのです。きっと、ウェスタレア様の妙な前向きさが移ったせいですわ」


 自分は父親の操り人形だと卑下し、何もかもを諦めていたエリザベートだが、随分変わったものだ。


「お前はもう成長している。今のお前ならきっと、力強く未来を切り開いていける」

「その言葉が……何よりも励みになりますわ。――改めておふたりとも、わたくしに手を差し伸べてくださって、ありがとうございました。心から……感謝しておりますわ」


 彼女からの誠意ある謝辞に、ウェスタレアとレオナルドは微笑みを返した。


 そしてそのとき、倉庫の前に、複数の騎士と部下を連れた皇帝が現れた。


 倉庫の周りに設けられた特設会場には、大勢の貴族たちが結果を知りに押し寄せており、皇帝の姿を見てざわめき出した。


 新たな皇妃が決まる歴史的な瞬間に立ち会えるということで、観衆は湧き立っていた。


 皇帝は人々より一段高い場所に出し、部下から差し出された巻子本を受け取る。ゆっくりとした動作で、巻子本が広げられ、辺りに緊迫した空気が漂い始めた。


 ふたりのうち――どちらかが次の皇妃になるのか。ウェスタレアもエリザベートも息を飲んで、そのときを待った。


(私はやれるだけのことをやった。あとはなるようになるだけよ。どんな結果でも……後悔はないわ)


 何度も自分の心に言い聞かせるが、心臓の鼓動は早鐘を打ち、指先は小刻みに震えている。ここに立っているという感覚が曖昧になるくらい緊張していた。隣に立っているレオナルドが、手の震えに気づいて心配そうに眉を寄せる。


 皇帝は無表情のまま、ゆっくりと口を開いた。


「ふたりとも、この半年間大義だった。互いにしのぎを削った経験や、この期間で学び得たものは必ず、この先の人生の大きな糧となるだろう」


 御託を垂れるのはいいから早く結果を言ってくれ、と内心で悪態を吐きつつ、彼の長ったらしい前置きを、片耳からもう片耳へと聞き流すウェスタレア。


 一方のエリザベートは、真面目にその話を聞いて感激し、涙ぐむなどしている。どれだけ純粋なのか。


「では、結果を発表する。厳正なる集計の結果、より多くの造花を倉庫に集めた次期皇妃は――」

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