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71_薬師の桃の木


 公開断罪後、ウェスタレアの倉庫には変わらず、造花が続々と運び込まれているが、なかなかエリザベートの倉庫の数には追いつけなかった。


 ティベリオはというと、エリザベートピンク事件により、レオナルドの宣言通り、爵位と財産、領地の多くを国に没収され、流刑となった。未開拓の入植地で、肉体労働に従事していくことになる。


 ティベリオは娘を皇妃に据えて、次の皇帝を産ませることで外戚権力を握り、外交に口出ししてスリド王国の統治権をルムゼア王国から奪うという野望を持っていた。


 そして、スリド王国から奴隷をエリザベートピンク事業拡大の労働者として連れ込むつもりだったのだ。


 そんな彼の失脚によって、アルチティス皇国とルムゼア王国の和平を阻む大きな勢力が陥落したと言える。そのことは、ルムゼア王国の王太子フィリックスにも手紙で伝えた。両国の和平に向けて、大きく一歩前進したのである。


 また、エリザベートについては、染料の毒性について知らなかったこと、ウェスタレアの調査に協力していたことなどが考慮され、罪を問われなかった。リアス社の経営権は彼女に渡るらしいが、世間からの信用を失った今、もはや立て直す余地などないのではないか。


 エリザベートは、人々から憧憬を寄せられる公爵令嬢ではなくなった。しかし彼女は、皇妃選定を辞退することはせず、オレンシア皇家も、彼女を失格にするという措置は取らなかった。




 ◇◇◇




 皇帝からの勅令と、レイン公爵家の断罪騒ぎによってアルチティス皇国が騒ぎになっている中、ウェスタレアは皇都の元アルバイト先である薬屋を訪れた。


 店の前に着いたとき、ウェスタレアは目を見開き、「え?」と思わず声を漏らしていた。


(な、何よこれ……?)


『飲んでも飲まなくても変わらない』と評されるダニエルの薬屋に、行列ができていたからだ。


 この店は、瞳の輝きが増す薬、胸が大きくなる薬、爪が早く伸びる薬など、変わっていて効果があるのかよく分からない薬ばかりが扱われており、こんな風に行列ができるほど人気がある店ではなかったはず。


 急いで店内に入ると、白衣を着た怪しげな風貌のダニエルが、何かの薬を客に売っている。


「これをいただきたい!」

「私もよ!」


 どうやら客の目当ては同じものらしい。随分と人気のようだが、彼らがこの怪しい薬屋に、一体何を買い求めにやってくるのだろうと小首を傾げていると、店の隅の椅子にちょこんと座っているレミリナの姿を見つけた。


「ねえ、どうしてこんなに繁盛しているの?」

「その声は……ウェスタレア様?」

「ええ」

「えっとね、その理由は――これかな」


 レミリナはおっとりした様子で微笑みながら、自分の両手をこちらに差し出した。


 エリザベートピンクの毒素によってかぶれやただれがひどかった彼女の腕は、元の白さをかなり取り戻していた。


 エリザベートピンクは、一度体内に毒素が蓄積すると、なかなか症状が回復しないと報告されている。そう言われている割に、重度の中毒症状が出ていたはずの彼女の回復はめざましいものである。


「もう痛くないの?」

「うん。だいぶ良くなったよ。パパが作ったお薬のおかげかな」


 ダニエルは、皮膚に塗布する軟膏だけではなく、内服することで体内に溜まった毒を排出する薬を作った。自然由来の安全な薬で、レミリナに実験的に試したところ、絶大な効果があり、中毒症状が日に日に和らいでいった。


 レミリナはぴんと人差し指を立てて、のんびりと言う。


「名づけて、『スーパーミラクルデトックス剤』」

「その命名センスはどうにかならなかったのかしら」

「かっこいいと思うけどなぁ」


 彼女はそう言ってくふくふと笑った。

 とにかく、解毒薬が国に承認され、今巷で大人気となっている。


 そして、その開発のために資金の援助を行い、いち早く認可を得るために動いていたのは――エリザベートだった。


 エリザベートは、染料の被害に遭った人たちに解毒薬を無償で配り、謝罪をしており、誠実な対応によってエリザベートに対する非難の声はむしろ同情的なものに変わった。


 リアス社は倒産を免れてぎりぎりの状態で持ちこたえており、名前を変えてやり直すつもりでいるらしい。


 リアス社はエリザベートピンク以外にも多くの事業を抱えており、爵位を失ったエリザベートにとっては、生活を支えていくために重要である。


 大勢の客の対応をしつつ、ダニエルはいつもと変わらないにこにことした笑顔でこちらに歩み寄ってきた。


「いらっしゃい。よく来てくれたね」

「レミリナさんの様子が気になって来てみたら、随分繁盛していて驚きました」

「はは、おかげさまでね。研究費がこれで潤沢になったよ」


 きっとまた、使いどころの分からない薬の研究材料が世界中から取り寄せられるのだろう。


 ティベリオが断罪された今、ダニエルやレミリナが狙われることはなくなったものの、彼らは皇国騎士団の庇護下に置かれ、常に護衛がつくようになった。


 そして、名誉薬師ダニエルは、エリザベートピンクの闇を暴いたことで、高名な薬師として世間から賞賛されている。


「こんなに短期間で解毒薬を作ってしまうなんて、さすがね」

「エリザベート様に協力してもらいながら何とかね。だが全部娘のためさ」

「……」


 寝る間も惜しんでレミリナのために研究室に籠るダニエルの姿が頭に思い浮かび、眉尻を下げるウェスタレア。そして、口をついたように、こんな言葉が出ていた。


「レミリナさんがうらやましいわ。……私には、自分のことで心を砕いて、必死になってくれるような父親はいなかったから」

「「……」」


 ウェスタレアが寂しそうに微笑むと、ダニエルがこちらの腕に手を添えて目を細めた。


「何言ってるんだい。君も私にとっては娘みたいなものだよ。ウェスタレアちゃん」

「!」


 そのとき、ふいに鼻の奥がつんと痛くなった。その痛みをごまかすように顔を背けて、「薬以外はぽんこつな父親なんて願い下げよ」と突き放した。


 すると、『ウェスタレア』という名前を聞いた客人たちがざわめき始めた。そのざわめきは店の外の行列にまで広がっていく。


「もしかして、皇妃候補のウェスタレア・ルージェン様でございますか!?」

「え、ええ。そうですけど」

「まぁ大変……! このような場所でお目にかかれるなんて光栄ですわ……!」


 薬屋にいるのが皇妃候補だと知ると、解毒薬そっちのけで、ウェスタレアのもとに人集りができていく。


 ウェスタレアは、母国で権力に立ち向かって無実を勝ち取った英雄というだけではなく、エリザベートピンクの闇を暴くために最も尽力した人物。


 エリザベートピンクは体内に毒素が蓄積していけば重篤な中毒症状が現れ、最悪死に至る可能性もある。そんな潜在的な危険から人々を救ったのだ。


 客人たちは口々に、ウェスタレアへの感謝を述べた。


「ウェスタレア様に心から感謝しています!」

「きっと皇妃になって、この国をもっと良くしてください!」

「応援しています……!」


 次々に降りかかってくる優しい応援の言葉の数々に、ウェスタレアは瞳の奥を揺らした。


 誰かに必要とされ、敬愛される感覚に、心が震える。こちらに向けられるきらきらと輝く人々の眼差しを見て、ウェスタレアは胸を打たれる。処刑されたあの日、人々から侮蔑を向けられていたときとは違う。


(……この瞬間のために、私は生きていたんだわ)


 離宮で孤独を強いられていたころから、『自分は誰にも必要とされることがないのかもしれない』という疑念や不安が、鎖のように心に巻きついていた。それがこの瞬間、ばらばらと解けていくような感覚がした。


(皇妃になりたい。でも……)


 集計の日までに、ライバルの造花数を上回れるのか。その不安が常に付きまとっている。


 ウェスタレアは彼らを見据えて、どこか寂しそうに答えた。


「ええ。――きっと」


 そしてそのとき、店の窓から庭の枯れ木が目に入り、はっと息を飲む。


 すっかり枯れて、再起不能だと思われていた木の枝先に――新緑が芽吹いていた。


「嘘……桃の木に葉が……」


 すると、ダニエルはいたずらにはにかみ、人差し指を唇の前に立てて『内緒』というジェスチャーをした。この木が枯れていることは、レミリナに隠しているから。


「桃の木がどうかしたの?」


 レミリナは目が見えないため、何かあったのかと不思議そうに首を傾げる。


 もう二度と復活することはなさそうな枯れ木に水を与え、世話をし続けたダニエルの執念が、再びあの枯れ木に命を芽吹かせたのだろう。


 ウェスタレアはふわりと微笑み、レミリナの肩を撫でながら言った。


「良かったわね。きっと今年も――美味しい桃が成るわ」

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